弁理士の日々

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映画「ハワイ・マレー沖海戦」

2007-09-13 22:50:25 | 趣味・読書
映画「ハワイ・マレー沖海戦」1942年


表題のうち、「ハワイ」は言わずと知れた真珠湾攻撃、「マレー沖」は英国東洋艦隊主力戦艦のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを日本航空機で撃沈した海戦を指しています。

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「ハワイ・マレー沖海戦」という映画があることは知っていたのですが、どんな映画なのか、全く知りませんでした。
全編戦闘映画かと思いきや、戦争シーンはあまり登場しません。山本五十六も登場しません。

最初のシーン、山あいの田畑に囲まれたあぜ道を、一人の若い海軍士官が歩いているところから始まります。昭和11年、故郷の実家に休暇で帰るところです。この若い士官と、もう一人近所の少年とがこの映画の主人公です。
少年は希望して予科練に入隊し、厳しい訓練を経て航空兵に成長します。映画の前半はその訓練の模様を描きます。
そして昭和16年、少年だった航空兵は艦上攻撃機のパイロットとなっており、真珠湾攻撃には魚雷を積んで出陣します。一方の海軍士官は、陸上攻撃機の搭乗員として東南アジアに進出しており、真珠湾攻撃の直後、英国東洋艦隊主力戦艦のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを求めて出撃し、見事両戦艦を航空攻撃で撃沈するまでが描かれます。

主人公の少年は、母親、姉、妹と暮らしています。父親はすでに他界しています。年老いた母親は、家に残ったたった一人の男の子でありながら、息子の願いをいれ、航空隊志願を許します。息子はまだ少年なのに、「年老いた母親」という設定もおかしな話ですが。
息子はたまにしか帰ってきませんが、母親は「もううちの子じゃないと思って諦めている」とつぶやきます。
息子が帰ってきたとき、田舎の純日本家屋での家族の生活が描写されます。のどかで、しかし一人息子をお国に差し出した母親の悲哀が伝わってきます。

ずいぶん以前ですが、「『ハワイ・マレー沖海戦』という映画は、戦意高揚映画というよりまるで反戦映画のようだ」との評論を聞いたことがあります。今回その意味が分かりました。

真珠湾の、そしてマレー沖での航空攻撃シーンは、後のあの円谷監督(特撮の神様)となる人が特撮を担当しています。
マレー沖海戦シーンでは、登場する日本海軍の航空機はすべて96式陸攻(陸上攻撃機)でした。ネットで調べたところ、マレー沖海戦に参戦した日本の攻撃機は、2/3が96式陸攻、1/3が一式陸攻だったようです。まずは96式陸攻が戦場に到着して先制攻撃をかけ、遅れて到着した一式陸攻がとどめを刺したようです。

英国2戦艦撃沈の報を聞き、いずれかの高級将校の詰め所で海軍の指揮官が安堵する場面が、静謐のうちに描かれて、物語が終了します。
と思ったとたん、大音響で軍艦マーチが鳴り響き、場面は戦艦が波濤を蹴立てて疾走する場面に切り替わります。戦艦の主砲が咆哮を発します。軍艦マーチの終了とともに映画が終了です。
一体この場面は何なのだ。
ハワイ・マレー沖での航空戦で、戦艦の主砲は登場しません。大音響の軍艦マーチも、この映画の雰囲気と全く異なります。
「大艦巨砲主義」を引きずる何らかの勢力が、この場面を挿入させたのでしょうか。

なおこの映画、監督:山本嘉次郎、出演:大河内傳次郎 原節子 黒川弥太郎 藤田進 中村彰 伊藤薫 加藤照子 英百合子 中村影となっています。

山本嘉次郎というと、われわれにはNHK番組「それは私です」(昭和35年から43年まで放送された人気クイズ番組)の回答者として印象に残っています。

円谷プロダクションとは、この映画で特撮を担当した円谷英二氏が創設したらしいです。その円谷プロダクションが、円谷一族の手から離れるようですね(例えばこちら)。そのような時期にこの映画を鑑賞したというのも因縁でしょうか。
コメント
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