駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

あったことをなかったように

2017年05月26日 | 政治経済

     

 文科省の事務次官だった前川喜平氏があったことをなかったことにはできないと、加計学園の計画を巡る文科省への首相圧力を示す文書の存在を証言した。ありそうなところをきちんと捜さず、瞬く間になかったと報告した現政権に対する明らかな告発だ。

 目を逸らさせ、煙幕を張るのを得意としている菅官房長官は例によって、あら捜し特別隊を動員して前川氏が最低の人物であることを炙り出そうとしている。厳しい人生、辛いこと悲しいことのない人は居ないだろう、古傷を見つけ塩を摺り込んで退場させようとする、最低なのは官邸の方だろう。

 もっと恐ろしいのは、こうした証言が出てきても、さほど政権が揺らがないことだ。二十年以上前であれば一週間で政権は吹っ飛んでいただろう。多くの人は森友や加計学園への圧力があったことをさもありなんと認めていながら、強いもの恐いものに歯向かわない方がと思っているのか、政治なんて力で事実を捻じ曲げる世界と諦めているのか、御用マスコミで目が眩んでいるのか、安倍強権政治批判に結びつかないことだ。政治の劣化は国民の劣化ということになるのかもしれない。

 野党もそこに気付くべきだろう。多くの国民は圧力があったと思っている、安倍式がさほど良いとは思っていない。躍起になって、国会で証明しようするのも大切な戦術ではあるが、政権は御用マスコミを利用して躍起になるあまり伸びた腰を粗さがしで折ろうとしてくる。その術に陥らないようにしながら、安倍政権の本音と実像を明らかにしてゆくことの方が効果的のように思う。そして、安倍政権でなくとも防衛、外交、経済政策で民主的に今以上のことができると主張することだ。

 公平透明で自由にものが言える社会を支持することを何と呼ぶのか知らないが、リベラルと呼ばれても左派ではないと申し上げておこう。

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患者さん、半ば無意識のダブルスタンダード

2017年05月25日 | 世の中

は      

 F氏は高血圧でもう十年近く通院している。大声で快活に話される人で、健啖家である。血圧は140/90前後BMIが27前後で、コントロールとしてはぎりぎり合格?といったところだ。毎回、もう三キロ痩せて塩分を控えめにして、一日三十分は早足で歩いてくださいと申し上げてきた。いつもハイハイと返事をしながら帰られるが、体重は全く減らない。

 今日は妙に神妙で、何か書き付けを持ってきた。会社の健康診断の結果、中性脂肪が210と高値で空腹時血糖が113と境界高値で、減量運動など生活改善が必要、付いては主治医と相談するようにと書いてある。いつも口酸っぱく言い、時々食品模型を見せ指導箋を渡しているのに、どうして今日は急に神妙な顔をしているのかねと嫌味を言いたくなるが、おくびには出さず、いつもより少し丁寧に説明し院内手製の指導戦を渡すと、殊勝にハイと答えて帰っていった。

 こうしたことは時々ある。ある意味個人医を舐めているというか甘えているいうか、こういう処ならさほど待たされないし多少我儘も通るからと町中の医院を選んでいるらしい患者さんも居られる。確かに、専門性では及ばないし十階建ての大病院ではないし高価最先端の検査機器もない、しかし医師としての総合力は十分備えており、きちんとした根拠に基づいて指導させていただいている。それを患者さんの中には風邪を診てもらい血圧の薬を貰う医者だからと聞き流してしまう方が居る。折角の指導を軽んじられては残念で遺憾だが、これも一種のダブルスタンダードで、自分に都合よく相手を見て態度を変える人は結構おられる。

 まあ、多少がっかりしても、かかりつけ医としては結果が良ければいいやと柔軟に対応している。

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恐るべきAIの進歩

2017年05月24日 | 小考

         

 どれだけ人工頭脳が進歩しているかを実感するのは難しいが、人類史上最も難しいゲームとされる囲碁で世界最強とされる中国の囲碁棋士、柯潔九段(19)に囲碁人工知能(AI)「アルファ碁」が勝ったと報道されている。遂にここまで来たかと驚いている。柯九段は対局後、記者団に対し「弱点はまったく見つからなかった。アルファ碁に勝つことはとても難しい」と敗北を認めたとのこと。

 コンピューターというと計算能力が優れているので、ゲームの終盤、将棋で言えば寄せや詰めが強い気がするが、実際詰め将棋では人間は全くコンピュータに歯が立たない、アルファ碁は大局観が優れているというから、人間が追いつきようがない気がする。そして最強のアルファ碁は自己対局を繰り返し、そこから学んで更に強くなってゆくという。つまりAIがAIを教育するから、手が付けられない。そうして困ったことは、何故その手が良い手だと判断したかという理由がAI開発者には分からないことだ。出藍の誉れもここまで来ると恐ろしい。

 優れたAI開発者に悪人は居ないと思っているのか、アルファ碁の勝利も人間の勝利だと開発者は喜んでいる。しかし、人間には悪人が五万と居るから、そう楽観も出来ないと思う。コンピュータの扱いは小学生以下でも、完成したAIの操作さえできなくても、妻子を人質に脅すとか開発者自身を拷問するとかは悪にはお手のものだろう。そこまでしなくても、超優遇だけでも善良なAI開発者は悪に操られそうだ。

 それに悪も色々、何が悪かは容易に判別できないし、一見悪の顔をしていないことも多い。他人を自分の思い通りに動かしたいという野心など、本人は勿論、同調者にも悪とは見えないだろう。

 AIに何が善何が悪と判別できるかどうかも分からない。それに、判別できれば安心とも言えない。AIという神様になりかねないからだ。

 特に悲観的というわけではないが、AIの進歩には要注意だと思う。人間の進化は三十年の世代ごとでしかも僅かなもので、AIの進歩には追いつけない。孫達が世の中を背負う時代にはどうなっているか想像を超えている。勿論、その時には自分は居ないのだが、だからわしゃ知らんという気にもなれない。

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がん患者さんの看取り依頼

2017年05月23日 | 医療

               

 癌患者さんの在宅看取りを希望される家族がある。当院にも時々病院から在宅での看取り依頼がある。以前よりは少し依頼が減っているが、それは二年ほど前に一度お断りした症例があったことや在宅診療専門の開業医ができてきたことと関係があるのだろうと推測している。実は少々というかかなり草臥れてきているので、減ったのはありがたい。というのは癌末期の患者さんは、脳血管障害や重症認知症の往診患者に比べて、往診医の心身の負担が大きいからだ。

 心の負担というのは往診で初めて診る末期癌の患者さんでは患者家族との良好なコミュニケーションが簡単には成立しないので、大過なく看取ることができても不全感が残るからだ。勿論、何か月も在宅で過ごせれば事情も変わるが、たいていは十日ほどで亡くなるので、死亡診断書を書くための医者のような気がすることもあり、やるせなく感じることも多い。

 今は介護認定制度があり訪問看護師の利用ができるようになっているので、二十年前に比べれば在宅での看取りに一つの形ができ、随分スムースに段取りが整うようになっている。しかるに、在宅での家族の介護力は核家族化が進んだせいか人数的にも個人的にも低下してきている。そして今でも家族の介護力が一番重要なのには変わりがない。

 介護力は家族の思い、理解そして実践力の総合なのだが、これがどの程度かということが非常に重要なのだ。実践力というのは手を出すことで、どれくらい主介護者、しばしばお嫁さん、の手が出るかということだ。手が出るというのは畢竟触るということで、この辺りに家族の歴史?が現れる。世の中には本当に頭の下がる献身的なお嫁さんも居られるし、ちょっと情けないんじゃないのという息子も居る。そうした全てを含めその人がその人を死ぬという臨終が訪れる。

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陛下のお気持ち、不満とは違うのでは

2017年05月22日 | 小考

     

 毎年七、八回、学会や勉強会で東京京都大阪へ行く。昨日は内科学会の教育講演会で大阪に泊った。いつの頃からかホテルでの新聞は毎日新聞にしている。昨日の毎日の朝刊に、天皇陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった、と報じられていた。

 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。

 ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。

 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。

 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。

 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。以上ネットニュースより引用。

 当然、こうした見方に反論もあるだろうが、陛下のお気持ちはほぼ正確に伝えられているものと思う。それは陛下のお仕事ぶり生き方を見聞きしている者の共通の理解だろう。陛下のお気持ちを不満と表現しているが、私は恐れながらむしろ義憤に近いあるいは大きな落胆なのではと拝察する。

 こうした報道に接すると強引な我田引水安倍方式には耐えがたい感じがしてくる。九十年前の日本に戻そうという彼の目標は勢力を維持するため妥協を繰り返し、この十年で大きな変容をきたし、今では変えること私が変えたという功を残すことに目標が変貌しているように見える。

 森友問題、加計疑惑そして安倍夫人の行動。これらに対する対応は権力を巧みに操る能力と言葉でまやかす演技力の高さを示しているが、しかしこうした疑惑と妻の行動は賛同者や身内を依怙贔屓する彼の人となりを鮮明に表しているように思われる。

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君知るや、数共謀力

2017年05月20日 | 小考

               

 テロ等準備罪の採決強行は、自民党と維新界の用意周到な「共謀」を基に進められた。さすが共同謀議罪を強行採決する党の共謀力は凄い。

 強大な国家権力を縛るものは憲法しかなく抵抗できるのは野党とジャーナリズムしかない。しかるに国家権力に擦り寄る野党やジャーナリズムも多い。保守であれリベラルであれ、時の権力に立ち向かい都合の悪い事実や意見を伝えるのが野党とジャーナリズムの仕事のはずだが、どうもそうではないようだ。

 どうしてこういうことが起きるかと言えば、その理由の一つに近親憎悪にあると思う。野党同士やジャーナリズム同士はしばしばものすごく仲が悪い。権力や与党を利してまで足を引っ張り合う。維新の民主嫌いは過ぎている。

 民主主義の形では数の力が絶対で、どういうものか権力者は数集めに長けている。ほとんどの人はテロ等準備罪の中身や何が問題かに通じていない。安倍式改憲のどこが問題かも理解していない。テロが起きたら困るじゃないか、自衛隊を認知しなくては可哀想申し訳ないじゃないかと言われれば、そうだなあと思ってしまう。私もそれだけを取り上げられればそうだなあと思う。

 テロ等準備罪の副作用や安倍式改憲の不合理さを説明するには最低数百語は必要だし、ちょっと考えないと理解できない。下手に一言で批判すれば蓮舫の金切り声と本筋と関係のない批判で虚仮にされてしまう。どうも野党は悪知恵で負けているようだ。悪知恵も知恵か難しいところだが、この世では週刊勝ち馬が売れ筋のようだ。

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今どこに居るかを確認するとミスが減る

2017年05月19日 | 小考

     

 今、自分がどこにいるかを時々確認することは、間違いを防ぐ非常に有効な手段である。これは数多い失敗から学んだ知恵で、初心者や若い人に伝えたい。勿論、そうした注意を払っても、思いがけぬことがあるのが仕事であり人生なのだが、時々自分が何をしているか何処にいるかを心に浮かべるだけで、間違いを呼び込むことはかなり防げるし、時には成功を導くこともできる。

 どこにいるかというのは、地理的な場所だけではなく、時間的な位置、手続き経過の中の位置、人間関係の中の位置・・など、自分自身を客観的に俯瞰して捉えると、間違いを防いだり減らしたりできる。無我夢中というのは凄い力を発揮するし、そうでなければ突破できない壁があるのは確かなのだが、我を忘れて突き進むと五里霧中の中で出口の見えない袋小路に迷い込んでしまうこともある。

 病気の診断というのは数秒で閃くこともあるし、三十分かけてもはっきりしないことがある。一人の患者に割ける時間、自院でできる検査、自分の知識経験にはそれぞれ限界があり、よく分からない時は立ち止まって自分がどこまで進んだか自分にどこまでできそうかを確認判断する必要がある。そして時に、切り上げて翌日に再来院させるとか総合病院へ転送するなど別の選択をした方が良いことが多い。実験も同じで、時々自分が何をしているかどんな意味があるのかを冷静客観的に俯瞰するようにしないと、データが溜まるのに満足して無駄なことをしていた見当違いのことをしていたということが結構ある。

 日々の作業仕事だけでなくもっと大きいスパンでも自分の居る場所がどこにあるかを俯瞰して確認するのは良いことなのではと思う。最前線で働く私と同様に自ら手を下し額に汗して働いている人間には意外とそうした機会は少ないと思う。同僚や同業者と話をしても、自分の居る層から外へ出るのは難しいものだ。

 自分で計画を立てて旅に出る、異業種の人と交わる趣味を持つ、映画を見る本を読む・・、いろんな方法があるのではと思う。幅広い層の人(患者)と触れ合う機会のある私も、実は富裕層の人達に知己は少なく、自院の待合室に置いてある家庭画報を見てへーっと思っている。この年で今更と言われるかもしれないが、残り少ない人生を俯瞰して、いくつか日常から踏み出す計画を立てている。尤も、思うように行かないのが人生、鬼が笑っているもしれない。

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井上達夫先生の指摘

2017年05月18日 | 小考

  

 一昨日のプライムニュースに憲法関連の学者西修氏と井上達夫氏が出演していた。安倍首相の憲法九条追加改憲を巡る白熱の議論を予定した?はずだったが、実際には現実追随と理念整合の違いが際立っただけで、いわゆる護憲の学者が居らず、ちぐはぐな討論だった。おまけに司会の反町氏が井上氏の発言を制御してしまい、あまり公平建設的な議論であったとは言えない。

 非常に重要というか凄いと思ったのは井上氏が指摘した二つのこと。一つは、憲法九条の1,2項をそのままに安倍式に自衛隊の存在を明記し付け加えても、現行憲法と何一つ問題は変わらないということ、つまり加憲と称して書き加えるだけでは、一二項との不整合はそのままで全く改憲の意味をなさないという指摘。もう一つは、沖縄の基地負担を他の都道府県民は自分の痛みとして感じていないし北朝鮮との緊張に国民が切実な危機感を持っていない。それは沖縄は遠く他人事で、北朝鮮からはアメリカが守ってくれるという依存心を持っているからだという指摘だ。

 明らかな欺瞞が存在し、それがまかり通っているではないかと言われれば確かにその通りなのだが?と、西氏は涼しい顔で現実的には基地を本州に移転したり北を黙らせる武力を前面に出せないわけだからと手品のような拡大解釈で鵺のような折衷案を出して来られる。

 これをよくある理想と現実の対比のように捉えては拙いと思う。そうした一面はあるとしても、憲法とは何かを問い理解しようと努めないで、皮相で安倍式改憲の是非を問うと数集め争いになる恐れがある。数集めのためならなんだってやる強者色者に牛耳られては中身がすっとんでしまう。憲法とはどういうものかを国民の大多数が理解するまで、時間を掛けて議論を尽くしてから憲法改正をして頂きたい。現実に自衛隊は存在し、殆どの人がその存在を容認し、その仕事に感謝し敬意を払っている。私も隊員にはご苦労様以上の気持ちを持っている。既に集団的自衛権の閣議決定もされている。二千二十年に安倍式改憲を施行などと安倍首相は功を焦る必要は全くない思う

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日和見に聞こえる

2017年05月17日 | 人物、男

      

 今日から天気が良くなると予報されていたが、今日は曇天でやや涼しい。この十年くらい毎年天候が変わってきたと言い続けているような気がする。十分には解明されていないようだが、人間効果の可能性はありそうだ。六十年前、天然資源は無尽蔵で人間の活動が天候に影響を及ぼすようなことはないと少年科学雑誌で読んだ記憶があるが、どうも倍々ゲームは恐ろしい、人間活動が思わぬ力を持つようになったらしい。

 茂木健一郎氏が自身の“オワコン発言(日本のお笑い芸人は終わっている)”について「居酒屋で愚痴るぐらいのノリ。芸人の方に僕のツイートが見られているとは思わなかった」と振り返ったと報道されている。「『弱い者を笑いにするのではなく、強い者を笑いにすべき』という妙な正義感をふりかざしていた」と反省の弁を述べたとのこと。

 これでは終わったのはお笑い芸人ではなくあなたの方ではないかと言いたくなる。芸人には権力を恐れない精神が求められるていると言いたかったのだろうと推測していた。弱きを助け強きをくじく必要は全くないが、それこそ妙な正義感から自由で、上辺で弱者をねぎらったり、権力におもねったりしないのがお笑い芸人の真骨頂と言いたかったのではないですか?。それを「読まれるとは思わなかった」とか「妙な正義感だった」と振り返るのは自己韜晦というよりも日和見でしょう。

 折角、象牙の塔?から顔丸出しのテレビ芸能界,晒しの仕事に清水の舞台から飛び降りる心意気で?始められ、新風を吹き込んでいるように見えたのに、この妙な反省にはがっかりしている。賢いパンダではしょうがないと言えばそれでいいんですという答えが返ってきそうで、期待しているおじさんとしてはちょっと残念だ。

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借患は返さなければならない

2017年05月16日 | 医療

  

 長い連休明けには、休んだ反動で患者数が増加する。内科系の開業医では慢性疾患が八割を占めるから、処方日数を増やして連休を飛び越えさせても、結局は連休明けに患者が集中してほぼ一週間は二三割増しの日が続く。休んだ日に負い込んだ見るべき患者さんを、休日明けに診るわけだ。負債に例えて申し訳ないが、なんだか借金を返しているような感じがする。唯、借金と違うのは利息を付けて返すわけではなく、むしろ来るべき患者数よりも一二割少ない数になる、というのは連休中に他院を受診したり、改善してしまう患者さんが居られるからだ。

 しかしまあ、いづれにしても我々は借患はきちんと返してゆく。大病院が潰れても患者さんは負債ではないから、棒引きすることができない。勿論、スケールメリットだかなんだか知らないが、巨大でつぶれると影響が大きい病院には自治体や政府がテコ入れをして、再建や軟着陸が図られ、混乱は避けられるあるいは最小限にされる。実際に十数年前、近隣で医師の欠員が補充できない自治体病院に院長以下幹部と引き換えに医師を派遣しましょうという大学が現れて荒療治がされたことがある。

 患者さんとお金を比べること自体無理があるかもしれないが、大企業の巨大負債を見ていると何だか手品のようなやり繰りがされてゆく。さすが今度の東芝の巨大負債にはなかなか良い方法がないようだが、お金というのものの不思議さを感じる。患者さんは検査データは情報化できても、個人をやり繰りするのはできないので、お金の対極の存在なのかもしれない。

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