駅前糸脈

町医者をしながら世の中の不思議なうねりを感知。最前線の散乱光を発信。

貴女に似た人

2012年05月16日 | 

  

 人間を診る仕事をしていると、知らず知らず人を観察分析してしまう。アイルランドでは日本人には僅か五名程度遭遇しただけで(今まででの海外旅行で一番少なかった)、あとは殆ど欧米人だった。東洋系は極めて少ない。

 だから会う人見かける人の外見は全く我々日本人とは異なっていた。それでもそう言えばこれは患者さんのAさんに似ている、Hさんに似ている・・・と感じられる人に数多く会った。

 顔の感じが似ているとどうも性格も少し似ているように思われる。縁も縁もないはずなのだが、隔たっていても同じ系列に属しているのだ。

 人間のタイプがいくつに分けられるということには、いろんな考えかた捉え方があって、したり顔の巷の説と争う気は毛頭ないが、何十かの系統や組み合わせがあるのは間違いのないところだ。患者の訴えを出来るだけ正確に値踏みする必要があるので、この人はどういう人なのだろうと考える癖が付いてしまっている。ホテルの受付と話していて、この人はHさんの系統だなと赤毛で灰青色の目のおばさんに感じてしまう。

 「コネマラへのツアー参加したいが明日の天気はどうだろう」。

 「明日の天気ですって、アイルランドの天気はいつもこんなもんですよ」。とにべもない、と言っても決して不親切というわけではなく、気持ちよく予約を取ってくれた。

 まあ、有り体にいえば日本人にしては自分の意見をはっきり言う人は、同類がアイルランドにも数多いということだ。Hさんあんたに似た人がアイルランドにも居ましたよ。

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夢見る厳しい土地

2012年05月15日 | 

    

 アイルランドは誰もが名前を知っている国だが、その国土はユーラシア大陸の西の果てに浮かぶ北海道ほどの小ぶりの島で人口も横浜市と同程度のたかだか三百五十万人である。

 にもかかわらず、世界にアイリッシュを自認する人は七千万人。特に米国では九人に一人はアイリッシュの血が流れていると言われるほど多い。皮肉にも痩せた土地から逃れた人達は肥沃だったのだ。

 思うに緑の島アイルランドは殆どのアイルランド系の人達にとって訪れることは叶わなくても魂の故郷なのだろう。何の不思議はない、アイルランドはアイルランド精神に宿っているからだ。

 アイルランドは西に行くほど土地が痩せ石が多くなる。ゴールウエイ湾の南には写真のような足もすくむ絶壁が大西洋の荒波を受け聳え立っている。緑に覆われ美しいけれども厳しい土地なのだ。ジャガイモしか出来ないような、西風の吹き荒れる土地に住み続けるには夢見る能力が欠かせなかったのかもしれない。幽明朧な妖精と暮らす精神があったからこの地で生きられたとも思える。

 たかだか六日間で、アイリッシュに感染して妄想を逞しくしたが、アイリッシュ精神に触れたと秘かに確信している。

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平手打ちはどんなものか

2012年05月14日 | 町医者診言

   

 過日のネットニュースに東大教授、学生を平手打ちの見出しがあった。けしからん常識のない教授という論調である。酔って口論で手が出たらしい。

 東大教授なので平手打ちという現象が記事になったのだろうか。大学から戒告処分と言うことだから非は教授にあったと推定はするけれども、詳細がわからないと駄目教授と決めつけることはできない。勿論、手を出すのは一般には負けというか未熟の証左なのだが。

 決して教授に同情するわけではないが、ぶん殴りたくなるふざけた学生は居る。学生ではないが医院に研修に来て、診察をよく見ているように横に座らせて置くと寝ている奴が居る。ぶん殴りはしないが、大抵はAかBを付けるのだがそいつにはDの評価を付けてやった。

 後で会った内科の部長があいつには困っているんですよとこぼしていた。試験の点数以外に大切なことがあるのを、学び忘れたのだろう。

 これが女子学生が教授を平手打ちとなれば、まあ誰も咎めないだろう。上手な平手打ちは最強のメッセージのこともあるような気がする。

 女性に平手打ちされたこと、残念ながら?ありません。

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サーフィンUSF

2012年05月13日 | 趣味

  

 ビーチボーイズのサーフィンUSAは懐かしい青春の歌だが、昨夜はちょっぴりほろ苦いサーフィンUSF(UpperSixtyFive)を楽しんだ。

 久しぶりにコントラクトブリッジに参加したのだが、指南役の三人が急用やお出かけで欠席のため六十五才以上のいつまで経っても初心者4人に全くの初心者で52才と若いG氏を加えたゲームとなった。

 「あれ、ハートだっけ、ノートランプだっけ」。

 「ワンダイヤのツーアップって何点」。

 一巡目をパスした組がツーノートランプをコントラクトするような出鱈目の張り合いビットがまかり通る。

 「いいの、やりたいようにやるの」。

 「Sさんが居たらお説教ね」。

 「今頃、くしゃみ連発だろうな」。

 「やっぱり、信州は寒いなあと言ってんじゃない」。

 「えっ、信州。又お嬢さんのところね」。

 「今日は、何だか寒いわ。北海道は雪が降ったらしいわよ」。

 あれこれ頓珍漢をやりながら、我が組は幸運とパートーナーに恵まれ圧勝した。

 G氏差し入れのシュークリームとホステスMさんの紅茶で一息入れる。

 「先生、アイルランドにいらしたの。遠いでしょ」。

 「いや、さほどでもないよ」。

 「直行便はなかったわね。ロンドンで乗り換え?」。

 「いや、KLMだからアムステルダム」。

 「アイルランドは英語が通じるからまだいいわよね。プラハに行った時は困ったわ。ホテルを見付けるのに苦労したわ」。

 「僕もプラハに行ったことがありますよ。なんだか中華料理店で歓迎されましてね。旨かったなあ」。

 「チャイニーズに間違えられたの」。

 「いや、そういうわけじゃないんですが。やっぱ東洋人が嬉しかったみたいですよ」。・・・・・

 同年配で健忘力に恵まれた仲間との会話はあちらこちらと波に乗りなんとも心地よい。

 「先生、来月もいらして下さいね」。の別れ際の言葉に送られ、帰途に着いたことだ。

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ダブリンの街角

2012年05月12日 | 

 アイルランドの色は緑とされている。僅かに青みがかったトルコグリーンを街のあちこちで見かけた。アイルランド人自身も緑を自分たちを象徴する色と思っているようだ。由来はセントパトリックと関係があるらしいが詳しいことは知らない。

 ダブリンはヨーロッパの西の端にあって、今はさほどではないが嘗ては栄えた商都であった。やや小ぶりながら都会の雰囲気を持った街で、灰色と緑そして赤の配色で港町らしい洒落たたたずまいを見せていた。

 朝早くの散歩での写真、日本の三月くらいの光景の感じがすると思う。実際に気温は7,8度で肌寒く五月とは思えない。尤もこれが普通らしく、ホテルで部屋が寒いと言ったら怪訝な顔をしながら、黙ってヒーターの入れ方を教えてくれた。

 昼間は十四、五度だと思うが、素足でサンダル履きの女性が闊歩していた。日本人とは身体のつくりが違う、女性も女性的な曲線ながら頑丈なのだ。背を伸ばしすたすたと早足で歩いて行く。中には青いリンゴを齧りながら風を切ってゆく女豹さながらも居た。残念ながら美人は少ないので余計に寒そうには見えない。

  出稼ぎで他地域から流入してきた人や旅行者も混じっていたようなので概ねの印象だが、アイリッシュは肌が白く紛れない白人顔だが金髪碧眼は少ない。男には大男も多い。

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学童延長保育の問題

2012年05月11日 | 世の中

  

 休み明け時差惚けも治らないうちに、頭の痛い問題が持ち上がった。受付のKさん、アラサーでよく働く笑顔を忘れぬよい子なのだが、彼女から

 「先生、ちょっとお話が」。と私の一番嫌いな台詞が出た。

 「学童保育が六時までなので、間に合わないんです。母か旦那に代わりにいって貰っていたのですが、もう限界です。それで、辞めさせて戴きたいんです」。

 「えっ」。っと言葉に詰まる。それとなく聞いても、それ以外には辞める理由はなく、常勤の職を失いたくない様子である。

 「いつまで」。と力なく聞き返しながら、何か上手い方法はないものかと頭がくらくらしてきた。当院の閉院時間は六時で、僅か二十分遅れるだけなのにと思う。預かる方は、それはそちらの都合と素気ない返事をするだろうが、少子化対策は空念仏か。五時が定時終了の仕事でも、子供のお迎えが六時を越える働く女性も居るはずだと思う。小さな町の医院の問題は自前で何とか活路を見出すとしても、明らかになったこの制度の硬直性を何とかせねばと思う。就職難の時代、六時半や七時までの保育をする人手は居るはず、現に六時以降も保育してくれる地域があると聞く。本当に必要なところに資金援助をしなければ。

 愚にも付かぬ問題ですったもんだすることしか能のない政治家と人のあら探ししか能のない記者達を、障害者福祉施設に送り込んで半年一年働かせ更正させないと、この国は奈落への坂を転げ落ちるだろう。

 「写真は天国だか奈落だかへの入口」。

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ダブリン第一歩

2012年05月10日 | 

   

  ダブリンに着いた日は雨が降っていた。小雨ではなく本格的な雨が鉛色の空から方向の定まらぬ気まぐれな風に乗って横殴りに降り掛かってきた。荷物もあるのでタクシーでホテルに向かうことにする。ケチな私は本当はバスでいいのだが、連れ合いは楽なタクシー愛用人種なのだ。

 荒天でも並んでいる人は数人、直ぐ乗れた。「ウエストベリーホテル」。の一言で「おやすいご用」。と動き出す。

 タクシーは街の顔で、旅人に与える印象は大きい。初めての街、土地勘もなくまあ頼りになるのはタクシーというか、タクシーの運ちゃんぐらいのものだ。浅黒くアフリカ系か英語は確かだが土地の人ではなさそう。四十代後半の親父だ。日本人と見たからか、元々無口なのか、話しかけることもなく、濡れた道路を走るタイヤの音を車内に響かせながら二十分ほどでホテルに着く。メータは30ユーロなにがし。トランクから荷物を出すと「サンキュー」と雨の街に消えていった。どうもアイリッシュではないので、運転手からの街の印象はヨーロッパに来たなといった程度のものだった。

 インターネットでホテルを選ぶのは難しい。こう言っては何だが日本版のガイドブックは余り当てにならない。しばしば良いホテルが抜けている。ウエストベリーは立派な設えのホテルで、従業員数こそ日本の八掛け程度だが豪華な感じで妻は私の選択にご満足のようだった。

 写真は雨が上がった翌日のもの、細部はともかく外見は堂々としている。

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愛蘭の地を踏む

2012年05月09日 | 

    

 母が憧れた国、愛蘭に行ってきた。なぜ母が愛蘭を第二の故郷と感じたのかはもう分からないが、厳しい現実を湧き出る空想で乗り切るようなところがあった人なので、妖精の生きている緑の国を心の故郷と感じていたのかもしれない。遂に日本どころか本州を離れたことさえなかった彼女に代わり、遙々ヨーロッパの西の端に浮かぶ不思議の島国を訪れることができたのは息子の本懐だ。

 僅か六日間で愛蘭の琴線に触れることが出来たかは心許ないが、何度かこれがそうかと人々の仕草と言葉に感じたものがあった。初めての人間にぶっきらぼうで踏み込んだ直截な物言いに、戸惑いながら思わず本音を答えていた。夢見る純真な心は厳しい現実の争いに打ち負かされる内に憮然とした屈折の中に隠され、不機嫌そうでぶっきらぼうな癖にどこか優しく人懐っこい人々を生んだのかもしれない。

 家内はもう来ないわねと呟いたけれども、私は雨が降るのか晴れるのか暖かいのか寒いのか分からない、つむじ風の舞う緑の丘にもう一度いつまでも佇んでいたい気がしている。なぜか、それがアイリッシュと感じたからだ。

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ストリートシンガー

2012年05月08日 | 

 僅か2ユーロの小銭でまさか自分が日本のブログに載ったとは気が付かないだろう。しかし、無名と思いきやこの人は地球の歩き方にも写真が出ているから相当に有名な歌手(Busker)のようだ。

 何とも驚いたことに、マイクもアンプもないのに声は通りに響き渡り、日本人にはない深い低音が臓腑にまで届いてくる。単純で微かな哀調を帯びたメロディーはバンジョーの音色に合い、日本人の心にもどこか郷愁を感じさせ、暫し耳を傾けたことだ。

 失恋の歌のようだったが、何とも言えぬ哀愁を帯びたメロディーは二、三十年で生まれるものではなく個を超えて歴史が紡ぎ出したもののように感じた。恐らく今日も彼は通りで歌っているだろう。

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脳の洗濯

2012年05月07日 | 身辺記

 連休をぶっとおしに休んで、念願の国を訪れてきた。世界は広い?というか日本とは違うなあといつも通りの感想に包まれて帰国しました。

 どちらが良いとは言えないのだが、日本が少数派なのは間違いない。

 「どこから来た」。

 「日本」。でその次に言葉が続かない。あ、そうという顔はしていたが。

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