駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

微笑みが伝えるもの

2019年07月03日 | 人生

             


 今朝はなぜか三十分早く目覚め、そのまま起きてしまった。お陰でまたまたまじめくさったリンダを見ることができた。このリンダを知っているから余計にブラタモリのリンダに惹かれるのかもしれない。

 女性の笑顔は素晴らしいメッセージなのだが、時に難しい。リンダはそんなことは意識していないだろうし、意識する必要もないと申し上げるが、公職の女性の公的な場での笑顔は言葉に負けず重要で身に着けるべき技術?のように思う。下卑ては論外だが、天真爛漫ではおかしい、モナリザの微笑は微妙過ぎる。怒りや悲しみの表情に技術はいらない。しかし微笑みや笑顔には技術というと不正確不十分で思いを伝える能力と言った方が良いかもしれないが、そうしたものがあると思う。女性の国会議員の中にはそうした能力を付けてほしい方も居る。

 いつもより早く出たせいか、お父さんと小学低学年の姉妹のマラソンとすれ違った。時々親子の早朝マラソンに出くわす。どうも疲れを知らない子供におとうさんはたじたじの様子だった。勿論、夫婦親子喧嘩はたまにはあるだろうがこういう家族に家庭崩壊はないだろうなと、文科省のような感想が浮かんだ。

 ネットで雅子様の語学力を褒めそやす記事を見た。高齢者は昔のことはよく憶えている。雅子様や愛子様を温かく見守ってきたとは思えない記者は褒めようとしても地につかないようだ。果たして語学力を褒めたのだろうか、単に語学力を褒めたのなら外交辞令の範囲だろう。そうではないと思う。

コメント
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