あられの日記

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その12)旅順博物館

2010年09月04日 04時45分56秒 | 旅順・大連旅行記
画像が多いのが敗因か、記事の読み込みにアホ程時間がかかってる気がする~。
なので!
試験的に今日からブログトップに記事一つぶんの表示に変更してみました
取りあえず、旅行記事は画像増量中なので、旅順旅行記が終るまでブログトップは記事一つの表示にしてみようかな~?
日々このブログを見て下さっている方、利用しやすさとかご意見いただけるとうれしいですっ

朝食はバイキング。
メニューはかつての懐かしの中国の朝ご飯。でも…。あれ?おかゆがないっ。
あったのは左上のお米でないお粥でした。あ。お粥めっけ~。でもこれ…。小豆入りだ…。私、赤飯嫌いなんだよね…。
でも何が困るって味付けが塩辛いってことだ。塩分摂取制限あるので、味付けは油条だけで…。(お皿に載ってる野菜類、実はほとんど食べてません。塩味だったんだ…。)

9時バスは出発。バスの運転手が鐘(ちゅう)さんから于(う)さんに変りました。
添乗員「え~、于さんの于は『于禁』の于です。于禁は三国志武将です」って…。その説明でどれだけの人が分かるのか?そう言えば、昨日「遼寧省の遼は、三国志の魏の武将、張遼の遼です」って説明してたような…。
どうやら、添乗員さん、歴史オタクっぽいぞ??

さて、程なく一つ目の目的地到着。歩いてもホテルから10分程度の近距離にあるだろう「旅順博物館」です。

博物館の建物は、1917年に関東都督府満蒙物産館として創建。1919年に関東庁博物館になりました。
現在、一級博物館に指定され、約6万点のコレクションを誇ります。でも大部分は未展示。日本語に堪能な博物館の職員張さんが収蔵物の説明してくれました。
でも日本人が興味あるのは収蔵されている「大谷コレクション」!

博物館の本館入ってすぐの場所です。でも収蔵物は撮影禁止なんだよね…。

ここは2階の青銅器陳列室。かつてロシアの士官クラブのダンスホールとして使用されていたことも。

ダンスホールと1階を結ぶ階段です。ロシア風。ちなみに、館内には日本風の階段もありました。が、日本って階段重視じゃないじゃない。撮影したけど正直つまらん写真になったのでパス。

陳列棚は古いものはガラスにゆらぎがある90年前のアンティークなガラス。これはかつての上野の国立博物館の陳列棚と同じものなんだそうです。
さて、大谷コレクションについて説明しておかねば。
大正から昭和にかけて、仏教の伝わった道を探ろうと、浄土真宗本願寺派第22代宗主大谷光瑞は探検隊を組んで桜蘭をはじめ、中央アジアを踏査しました。その貴重な蒐集品の一部が旅順博物館に納められています。
大谷コレクションは現在、京都・ソウル・東京そして旅順に分散しており、全容が明らかになっておらず「幻のコレクション」と呼ばれています。
特に旅順博物館は去年の秋まで外国人が立ち入ることの出来ない市内にあったので、研究者でも直接見ることが叶わなかったものです。
その貴重なコレクションの一部を紹介します。

このミイラは自然乾燥によるもの。40-50才の夫婦。ウイグル族。
上の画像奥に写っている人形みたいなの、副葬品のハニワ俑です。


ここはぜひとも大谷コレクションの本が欲しかったのですが、売切れてました。どうやら先発ツアー客が買い求めてったようです。諦めきれず、博物館の西方文物を紹介する本は購入したのですけど、これは既に私の手元にありません。
大学の時、卒論のテーマがこの辺りだった友人にお土産としてプレゼントしちゃいました。
旅順博物館の展示品にこれぞっ!という素晴らしいものは大谷コレクションを除くとないんですけど、中国人の食器にかける情熱は尋常じゃないと感じました!なんかねえ~。食器を分類する漢字がアホ程あるんですよ。も、びっくりでしたよ。

さて、大谷光瑞ですが、浄土真宗本願寺派宗主ということは、京都にある西本願寺が本拠地ですよね。その関係か、博物館の庭にこんなものが…。

龍谷大学は西本願寺により1639年に設立された「学寮」が起源の大学で、大学名は西本願寺の山号「龍谷山」に由来します。記念樹はこれだけでなく、他にも植わってました。また、龍谷大学の大宮キャンパスの図書館には大谷探検隊の蒐集品の一部も収蔵されています。

博物館の庭にはこんなものも。…ロシアのかな?

こちらは博物館の別館です。
かつてラストエンペラーの溥儀も暮らしたことがあるとか。で、一応入ったんですが、1階の収蔵室を1部屋見ただけ…。
ちっ。
溥儀が暮らした部屋とか見たかったのに~。なんだか詐欺にあった気分。

ともあれ、旅順博物館は近いうちに新しくなるかもしれません。
現在、その資金獲得の一環で収蔵物が売りに出されてました。
なんだか鍵のかかる部屋に連れていかれ、「この棚にある展示物11点全部で150万円。購入者には博物館の鑑定書と日本までの送料、更に展示用ケースもおつけします。これらは800万円の価値があると自負しています。手持ちがないお客様は頭金を支払っていただき、帰国後残金が振込されましたら発送します」って…。いいのかソレ。一応名目は収蔵品の修復と保護の資金獲得なんだって。
何でもアリの中国らしいなあと思いましたよ…。
「旅順口大観」に掲載されている旅順観光案内図の旅順博物館の絵は、現代的なビルです。もしかして、現存の建物を壊して新しいの建てるつもりなのかっ!?中国4千年の歴史の国です。外国人が100年前に建てた建物を残してくれるのか?
……。メンツの国だしなあ~。ムリやもしれん。
旅順に興味のある皆さん、訪問するなら今!ですよっ。

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