秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

仙境異聞 天狗少年寅吉物語1

2017年03月26日 | 不思議
さて今日からは平田篤胤の記した「仙境異聞」にテーマを移します。
この物語はどういう物なのか? 一言で言うと、神仙世界で修行をした一人の少年が現世に現れた。篤胤は、この少年に密着取材して表題の本を書き上げたのだ。

現代でも例えばUFOに乗って宇宙人と一緒に宇宙を訪問したという人がいる。
ジョージ・アダムスキーの宇宙人と空飛ぶ円盤との遭遇体験を書いた本はベストセラーになっている。
『空飛ぶ円盤同乗記』 久保田八郎 訳、高文社〈ベスト・セラーズ・シリーズ〉、1957年。
また彼の著作はアダムスキー全集も含めて膨大な数となっている。

これらが事実か、そうではないかは読者の判断に委ねられている。
これから記す「仙境異聞」についても眉に唾をつける人がいても不思議ではない。しかし、1822年(明治維新の半世紀前)に綿密な取材をした話を与太話として否定する気持ちに私はなれない。
それでは本題に入りますが、現代語訳は”2012年 千年王国への旅路”camecafeさんのネット記事を参照させていただいております(緑字)。

時は、文政3年十月某日夕方四時を回ったころだったが、和学者であられる屋代翁が、私の許にやってくるなり、こう語った。
*ここで言う私とは著者の平田篤胤翁です。

「山崎美成門人の所に、いはゆる天狗に誘われて交流し、その使者となって年久しいという童子が来ておりまして、あちらの世界において見聞きした諸々の事を語ってくれるのですが、そのいきさつを聞いてみるにつけ、お前様が、かねてより思考を巡らし記述した諸説に、とても符合する所が多いのです。
私は今、美成殿の所に行き、その童子と面会するつもりでおりますが、何とか同伴しては頂けないものでしょうか。」

*山崎美成は江戸後期の随筆家、雑学者(1796~1856)。篤胤の門人。

私は、常日ごろより、そのような者とひたすらに面会したかったところでもあり、明らかにせねばならないと思っている、かの世界の疑問を、いろいろと情報収集しつつ心に抱き続けてきたので、このお話は願ってもなく嬉しいことであった。

おりしも、伴信友門人が面会に来られたけれども、私は「今、帰って来くるから。」と言ったなり、翁に伴われ、美成門人のところへと出かけたのであった。

さて、美成の元へと赴く途中で、私が屋代翁に語ったのは、
「神界への交流を許されたる者は、その言っている内容が、ぼんやりと曖昧模糊であって正確ではなく、殊に神界の事に関しては、秘密にして洩らそうとせず、あらわに語るなどしないものですが、其の童子は、普段どのような顔をして隣人と接しておられるのでしょうか。」ということであった。

翁が答えて言うには、
「おおかた、世に伝わる神界探訪者とはそのようなものであるが、あの童子は特に隠し立てせずに語る様子で、以前、蜷川家に行った際には、遠い西の極にあるとされる国々にまでも至り、その上、極楽を舞うと伝わる鳥さえも見てきたのだと、其の声すら真似て聴かせてくれた有様であった。」とは、美成の語るところである。

+極楽を舞う鳥とは迦陵頻伽(かりょうびんが)。上半身が美女の姿をしている極楽の鳥。





最近、或る所において、『神界に招き入れられたる者も、それを秘密にすることもなく語っております。』と云うのを聞いたとき、当初は、神界の出来事が世に漏れるのをひどく忌み嫌っていたのでありますが、最近は、かの世界の有様を、それほどには包み隠さなくなってしまった様な気がするのです。
ですから、(童子と問答する際には)ぬかりの無きよう質問をして、細大漏らさず記述なさい。」と、何度も念を押して云われたので、相槌を打ちながら私が心に思ったのは、

現世の事情を鑑みるに…
成る程、昔は頑なに秘密を明かさなかった書物も事柄も、今や世の中に顕になるものが多く、真相を知ることの難しかった神世の道の隅々までも、いやはや、次第次第に明かされつつあるし、諸外国の事物、様々な器などの情報が、年を追うごとに世間に知られる様になっている現実を考えると、これは、全て神の御心にして、幽冥界の有様までをも詳しく聞き知るべき、いわゆる機運が巡り来たっているのであろうか…
などと思案をし続けているうちに、程なくして美成の許に到着したのであった。
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