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【会津野】中世の高田初市は「会津の初市」のなかでも独自のものだった

2016年12月09日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

昨日、福島市の福島県立図書館まで出かけてきました。【会津野】会津美里町の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」にてご紹介した「影像 会津の初市」を視聴するためです。

約35分の影像を見て、2つの発見がありました。

1つは、会津若松大町の「初市(十日市)」と同時に「俵引き」が行われていたのは、明治4年が最後だったということ。

明治4年といえば、廃藩置県が行われ、会津藩が消滅し、福島県が誕生した年です。

会津若松の俵引きで願うこととして「城下の安泰」がありました。会津藩消滅とともに、町の安泰の必要性を感じなくなったか、それとも一揆のような団結を阻止するために禁止したのかどうかなどと想像させられます。なぜなら、明治維新が起きた明治元年から、会津一円で会津世直し一揆が起きていたからです。

高田と坂下のような農村の中心地では「城下の安泰」という意向はもともとなかったでしょうから、関係なく続いたのかもしれません。

もう1つは、市神様の春日大神は「山の神」、住吉大神は「海の神」であることです。

見守る市神が、山の神と海の神であるのは、平場で暮らす人々の自然に対する畏敬の念なのだろうかと感じるところです。

★ ★ ★

この他に、図書館で出会った資料がありました。平成15年に藤田定興さんという研究者が「福島史学研究第76号」に、中世の高田初市の図にある「タンクワ屋」と「風呂屋」についての考察をしている雑誌がありました。

前回のエントリーでは、「タンクワ」の「クワ」が「鍬」なのではないかと推測しましたが、実際は行脚僧が宿泊する禅院内の寮舎である「旦過寮(たんくわりょう)」の「旦過」でありました。つまり、旅するお坊さんが宿泊するところである宿という意味です。風呂屋は名の通り風呂屋ですが、托鉢をする虚無僧が「風呂坊主」と呼ばれ、風呂炊きを施しとしていたところから、タンクワ屋と風呂屋ともども、宗教的に施しの思想を持ったものであっただろうとまとめています。

このように、高田初市は、仏教思想の強い側面があったことが、ここからも強くうかがえます。

わたくしの稼業は旅人を泊める宿屋です。そして風呂屋は、伊佐須美神社のすぐ川向いに温泉「あやめ荘」があります。

ますます中世の高田市を復活させたくなってきた私です。用意するものは「阿弥陀如来」、「薬師如来」、それを祀る仮設式のお堂、中御堂(これも仮設式)。あとは、高田の商人たちに幅広く声をかけ、参加を募ることでしょう。「中世の初市のまち『高田』」を夢見て"行動開始"というところでしょうか。

藤田定興さんの考察の参考文献に「連釈頭吉原氏と高田市」(伊東実)というものがありましたので、これを読んでさらに初市の考察を深めたくなりました。そちらはそのうち報告します。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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