愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

日本政府はアメリカの核兵器の抑止力を認めているが、中国・北朝鮮の核兵器抑止力は認めない!何故か??? 

2022-03-30 | 核兵器廃絶

ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの犠牲は

「抑止力」論によるものだった!

それの「抑止力」論を

日本政府が容認する???

可笑しい!

時事通信 米の核政策「強く支持」 松野官房長官 2022年03月30日

https://www.jiji.com/jc/article?k=2022033001029&g=pol#comment

 松野博一官房長官は30日の記者会見で、米国防総省が概要を公表した核政策の指針「核態勢の見直し」(NPR)に核抑止力と拡大抑止の維持が盛り込まれたことについて、「わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、同盟国として強く支持する」と表明した。

米政権、核の役割縮小を断念 中ロの脅威、抑止力低下に懸念

 また、核の役割低減を目指す姿勢が示された点について「『核兵器のない世界』に向けた現実的な軍縮・不拡散の取り組みを進める上で重要であり、高く評価する」と述べた。(引用ここまで)

プーチン大統領が「核」抑止力言及し威嚇:日本国内で懸念や非難の声相次ぐ 

https://www.nippon.com/ja/news/l00295/

ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻決定時の演説で、同国を「最強の核保有国の一つ」と強調し、2月27日には核戦力を念頭に「抑止力を特別警戒態勢に引き上げる」よう指示したことについて、日本国内では懸念や非難の声が相次いでいる。
岸田文雄首相は、日本時間3月1日未明に行われた米国や欧州連合(EU)首脳らとの電話会談で、「唯一の戦争被爆国、被爆地・広島出身の首相として、核による威嚇も使用もあってはならない」とロシアが核戦力を持ち出して圧力を掛けていることを批判した。その後、記者団にこの発言について説明し、「国際社会が結束して毅然と対応することが重要であることなどを訴えた」と語った。

広島、長崎の被爆者・市民や、核兵器廃絶を目指す平和団体なども相次いで声を挙げた。

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は2月25日、木戸季市(すえいち)事務局長が「怒りをもってロシアのウクライナ侵攻に抗議する」との談話を発表。その中で、「被爆者として許せないことは、プーチン大統領が核兵器国であることを誇示し、核兵器で威嚇していることです」と非難。「ロシアの行為は、広島・長崎を繰り返し『ふたたび被爆者をつくる』ことそのものです」と訴えた。

広島、長崎の被爆者団体はそれぞれ、ロシア大使館に抗議文を送付。原水爆禁止広島県協議会は「核兵器の使用は国際法違反、そして人類全体の否定です」とし、核を使用するという脅しをかけることも明確な国際法違反であると指摘した。

長崎市の田上富久市長は28日、プーチン大統領の「特別警戒態勢引き上げ」命令を受けて、広島市の松井一実市長と連名で、抗議文を提出したことを明らかにした。抗議文では、ロシアのウクライナ侵攻と核兵器の使用を示唆した一連の行為について「『世界中の誰にも二度と同じ体験をさせてはならない』と懸命に訴えてきた被爆者の切なる思いを踏みにじるものであり、被爆地広島、長崎は強い憤りを感じている」と指摘。「地球上に、広島、長崎に続く、第三の戦争被爆地を生むことは絶対にあってはならない」と訴えている。

また、広島市議会は「平和的解決を求める」決議を、長崎市議会は「核の威力を背景としたウクライナへの侵略に強く抗議する」決議を、それぞれ3月1日までに可決した。

広島市の平和記念公園、長崎市の平和公園ではロシアのウクライナ侵攻から連日、抗議の座り込みや平和を祈る集いなどが続いている。1日には広島県内に住むウクライナ出身者たちが原爆ドーム前に集まり、プーチン大統領を非難する抗議行動を展開した。

バナー写真:原爆ドーム前でロシアの侵攻に抗議する広島在住のウクライナ人ら=2022年3月1日、広島市(共同)

東京新聞 広島・長崎の衝撃「ソ連も核を」原爆開発の内幕 

党機関紙元記者語る 2019年12月2日 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/26873

 

モスクワ市内の全ロシア博覧センターで開催中の特別展で展示されているソ連初の原爆「RDS」のレプリカ

モスクワ市内の全ロシア博覧センターで開催中の特別展で展示されているソ連初の原爆「RDS」のレプリカ

 米ソ首脳がマルタで冷戦終結を宣言して十二月三日で三十年。今年は東西の軍事対立の激化が決定的となった一九四九年のソ連の原爆開発成功から七十年にも当たる。核開発現場の取材を当時許された数少ないジャーナリストでソ連核開発史の専門家、ウラジーミル・グバレフ氏(81)が本紙に、原爆開発の内幕を明かすとともに、米ロ対立激化のなかで核兵器使用の危険性に警鐘を鳴らした。 (モスクワ・小柳悠志、写真も)
 「米国が現実に原爆を落とした衝撃はソ連指導部にとって計り知れなかった」
 グバレフ氏は、米国による四五年八月の広島、長崎への原爆投下が決定打となって、ソ連は核開発を加速化させたと強調した。スターリンら当時のソ連指導部は広島・長崎の惨状を自国の将来に重ね「明日はわが身」と恐怖し、核武装がソ連の生き残る道と考えた。長崎への原爆投下からわずか十日後には、原爆開発推進のための「特別委」を立ち上げたという。
 ソ連は第二次大戦中から英米の学者などを協力者に仕立てて米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」の秘密情報を入手。原爆投下を受けて四五年秋までに原爆に使うウランを北米からソ連に移送するなど、スパイ活動を加速させた。
 ソ連はスターリンの腹心ベリヤが責任者となって急ピッチで開発計画を推進。四七年にはスターリンが中部チェリャビンスク近くで原爆製造の秘密都市「817」の建設を決定。ウラン、プルトニウムなどの単語を別の語で言い換えた機密文書が共有された。
 817で働く研究者、作業員計千三百人は高額の給与が与えられたが、肉親の死に際しても実家に帰ることは許されなかった。「派遣された労働者は『モスクワに戻る帰りの飛行機はない』と冗談交じりに話していた」
 終戦直後の極端な物資不足にもかかわらずベリヤが、食器二十三トンや靴二千四百足を817に即座に送った記録もあるという。
 ソ連は四九年八月、長崎に投下されたプルトニウム型の原爆「RDS」の実験に成功。米国による核独占は崩れ、米ソは果てなき軍拡競争に向かった。
 一方でグバレフ氏は「核開発の代償は大きかった」と強調する。817で労働者の一部は作業中に被ばくして死亡。初の原爆実験では百三十頭の犬、四百匹余のウサギなどを縄で固定するなどして、死に至る様子を学者が分析した。
 今年夏行われた世論調査では、現在でもロシア人の52%は核戦争の勃発を懸念し、79%は「核戦争でほとんど誰も生き残れない」と回答している。
 グバレフ氏は元原子力技術者でもあり、専門を生かし六〇年代から核兵器と原発を取材してきた。「現在の米ロの首脳は核兵器を持つ重大さ、危険性への認識が薄い」とし「現在も冷戦は終わっていない。世界は核兵器使用の危険にさらされ続けている」と警告している。
<ウラジーミル・グバレフ氏> 1938年、ソ連ベラルーシ生まれ。核兵器や原発に関わる閉鎖都市の取材を許可された記者の一人で、ソ連共産党機関紙プラウダで科学部長も務めた。劇作家としても知られ、ソ連のチェルノブイリ原発事故を描いた芝居は日本でも上演された。モスクワ在住。
 
米国が広島に原爆を落とした理由 2019.08.07 Wed posted at 20:40

ハーバード大学で歴史学を教えるチャールズ・マイアー教授によると、トルーマン大統領が違う決断を下すことも可能だったが、「この兵器が使えるのに何故それ以上戦争を長引かせるのか、米国の一般国民を納得させることは難しかった」

原爆は「多大な苦痛を免れられる魔法のような解決策になるかもしれないと見なされた」(マイアー氏)

マイアー氏によると、この時の日本は無条件降伏には応じない構えで、原爆の威力を見せつけるだけでは不十分だとの懸念があった。ラシェイ氏によれば、科学者やジョン・マックロイ陸軍次官補は、無人地帯で原爆を爆発させ、それを見せつけることによって日本を降伏に追い込む作戦を支持していたという。

だがトルーマン大統領や軍の顧問は、日本への侵攻に伴う犠牲を恐れていた。

「硫黄島や沖縄の戦闘では、日本の空軍と海軍を壊滅させたにもかかわらず、米国と日本の犠牲者という意味であまりにも代償が大きかった」とラシェイ氏は語る。「米軍の作戦本部では、日本は最後の1人になるまで戦うだろうという確信が浸透していた」

マイアー氏は言う。「自爆攻撃は現代では珍しくなくなった。だが米軍指導部は当時の日本のカミカゼ自爆攻撃で精神的に強い衝撃を受け、(日本は)国家総動員で祖国を守ろうとするだろうと判断した」「米軍は、原爆なしでこの戦争に勝てると断言することを躊躇(ちゅうちょ)した」

歴史学者の間では、ソ連が参戦する可能性があったことも、戦争の早期終結を図る目的で原爆投下の決断を促す一因になったという説もある

抗議声明を受けてトルーマン氏は広島市議会議長に書簡を送り、「あなた方の市民の気持ちはよく分かる。私が決議に対して不快感を覚えることはない」と返答した。

その上でトルーマン氏は、日本軍による真珠湾攻撃で米国は不意を突かれたと強調し、2発の原爆投下を決断したことは、日本への侵攻を防ぐ一助となり、米同盟軍の兵士25万人と日本人25万人の命が救われたと主張。

「原爆の投下を命じた司令官として、日本と同盟国の両方の将来的な繁栄のため、広島と長崎の犠牲には喫緊の必要性があったと考える」とした。

2015年に世論調査機関ピュー・リサーチ・センターが実施した調査では、原爆投下は正当化できると答えた日本人は14%にとどまり、79%は正当化できないと回答した。

一方、米国人を対象にした1945年のギャラップの調査では、85%がトルーマン大統領の決断を支持していた。しかし2018年のピューの調査によれば、日本に対する核兵器の使用は正当化できると答えた米国人は56%に減っている。

広島市 どうして広島に原爆が投下されたのですか(FAQID-5801)d

https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/faq/9446.html

原爆投下の背景 | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

 原爆はなぜ長崎に投下されたのか 

長崎における被爆体験と対核防護の勧め 2014.8.8(金)加藤 高明

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41413

中国、核めぐる日米声明批判 「米こそ最大の脅威」



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