二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

考えると、取材が、足りない、酷い司会者だ、誰でも、できる。

2018年02月18日 17時44分10秒 | ニ言瓦版
どうだっていい話。
その姿、テレビで、見ると、誰でも、解る。
何か、インタビューだ。
もっと、取材して、質問しろといいたい。



「平昌冬季五輪で66年ぶりにフィギュアスケート男子で連覇を遂げた羽生結弦と、初出場ながら銀メダルを獲得した宇野昌磨が、17日放送、日本テレビ「Going! Sports&News」に出演した。

23歳の羽生と20歳の宇野は、幼いころから長きにわたってともに戦ってきた関係。今回の五輪では、ショートプログラム前日の取材中、羽生が四つん這いで宇野の取材を妨げないようにした気遣いも話題になった。

インタビューしたくりぃむしちゅー・上田晋也は「お笑いでそんな先輩ひとりも会ったことない」と、羽生の気遣いを称賛。そのときの心境を問われた宇野が「ゆづ君らしいな」と答えると、上田は「そういうときは宇野さんがちょっと一歩前に出るの、通りやすいように」と“説教”した。

先輩・後輩という間柄ではないのかとの質問に、羽生は「結構仲いいですし、長いんですよ、つき合いが。(宇野が)最近になって敬語を使い始めたんですけど」とコメント。宇野からは「僕的にはいい感じで」敬語とタメ口が混ざった話し方をされると明かした。

当初はタメ口で話していたという宇野だが、しばらく会っていない間に羽生が大躍進し、以降は敬語になったという。だが、羽生から「そんなカタくならなくていいよ」と言われ、「敬語とタメ口の真ん中ぐらい」になったとのことだ。

普段はフィギュアに関する話をしているかと聞かれると、「ゲームの話かな」(羽生)、「スケートの話はほとんどしない」(宇野)と回答。羽生は一緒にゲームをしているわけではないと前置きしつつ、「僕ゲーム好きですし、彼はもうほぼゲーマーなんで。スケーターっていえるのかゲーマーっていうのか、どっちか分からないくらいゲーマーなので」と、宇野のゲーム好きに言及した。

上田が「そっちのほうが才能あんの」と突っ込むと、羽生は「そっち(の才能)もあります」と断言。宇野は「才能はないですけど、スケートより努力してるかもしれない」と笑いを誘った。

最後に今後の目標を問われ、羽生や銅メダルのハビエル・フェルナンデスのような「完成度の高さを出せるように頑張っていきたい」と意気込んだ宇野は、「ゲームのほうも頑張ってくださいね」という上田のボケに、真顔で「そうですね」。即座に「いや、そっちはいいですから」と突っ込まれた。 」



五輪の選手のインタビューも、芸能界の司会者というが、
もっと、質問の内容、その場で、考えている質問するな。


もっと取材して、質問することだ。

あんなに、時間と、取材の時間があるのに。


内容と、質問。
取材がしないから、起きる。
テレビできる質問は、素人でも、できる。


取材も、しないで、軽率な質問するから、酷い会見になる。
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受からないのか、能力か、勉強が問題か。

2018年02月18日 03時51分04秒 | ニ言瓦版
合格しないのか。
それも、面白い。



「お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、今月7日に受験した青山学院大学の全学部入試の結果が
「不合格」だったことが明らかになった。
17日放送のAbemaTV『偏差値32の田村淳が100日で青学一直線~学歴リベンジ~』(毎週土曜 後10:00)で発表された。
 この日は淳の結果を見守るために、相方の田村亮やAbemaTVの藤田晋社長、親交の深い極楽とんぼ・山本圭壱、ココリコ・遠藤章造、品川庄司・庄司智春、ペナルティー・ワッキーら“山本軍団”、さらに自身のバンドjealkbのメンバーも登場。
今年1月の模擬試験では、現代文92%、日本史82%という好成績を叩き出し、苦手な英語も正解率6割を記録していた。
 しかし、本番の結果は残念ながら不合格。
淳は自分の合格を信じて集まってくれた人たちに「申し訳ないです」と謝罪したが、
引き続き個別学部入試を受けて青山学院大学への合格を目指していく。
 同番組は、田村が、唯一のコンプレックスだと話す“これまでの人生で一度も勉強をしてこなかったこと”を克服すべく、
たった100日で憧れだった青山学院大学に合格することを目指すリアルドキュメンタリー番組。
合格するために禁酒し、本気で受験勉強に奮闘する田村を完全密着する。」


何か、考えさせられる。
芸能界も、資格試験ではないか、必要かもしれない。
大学を受かる学力、知恵がないものが、司会して、何を批判するも疑問。
いろいろ、世間の記事の批判する司会者と、番組。
一度、常識の試験でも、させることかもしれない。


専門の知識の者ならは、批判もいいが。
考えさせられる。
常識ない、芸能人が、多いのは、学力の問題に見えてきた。
大学で、一般教養と、専門分野と、四年間か、二年間、学んだものが、
アルバイトしても、学んだものが、晩年に、生き残るのかもしれない。
社会人から、大学院、専門大学に行く制度は、必要かもしれない。
試験して、受かることが大切。

考える、お笑い人で、大学で、学んでいるは、立派だ。


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使命感か。それは、そうだ。

2018年02月18日 03時38分15秒 | ニ言瓦版
いい。
会見もいい。



「17日のフィギュアスケート男子で連覇を果たした羽生結弦(ANA)と2位の宇野昌磨(トヨタ自動車)が、平昌のメダルプラザで夜に行われた授与式に臨んだ。金メダルを首に下げた羽生は
「ソチの時のがむしゃらさと違って、今回は取らなければいけない使命感があった」と苦しい戦いを振り返った。
 表彰式で羽生の名が呼ばれ、満面の笑みで手を振る姿が大画面に映ると、観客からひときわ大きな歓声が上がった。羽生はやや硬い表情の宇野に手を振るように促し、表彰台へ。真ん中に勢いよく飛び乗ると、右手を突き上げて観客に応えた。冬季五輪通算1000個目の節目となった金メダルを受け取り、同じコーチから指導を受けるハビエル・フェルナンデス(スペイン)とも肩を組んで喜びを分かち合った。
 表彰式後は右手で金メダルをさすりながら、「冷たくて重い。早くサポートしてくださった皆さん(の首)にかけたい」。昨年11月の右足首負傷を乗り越え、過去の自分に言いたいことを問われると「『苦しめ』と言いたい」と笑顔で言った。 
 銀メダルの宇野は「思っていたよりも規模の大きい表彰式で驚いた」と言いながらも、落ち着いた様子。「演技は決していいものではなかったが、満足はしている。世界選手権が残っているので、頑張りたい」と早くも3月を見据えていた。」



「ソチの時のがむしゃらさと違って、今回は取らなければいけない使命感があった」は、そうだろうな。
多くの人、世界の人が、見ていた。

スキージャンプに、教えてやってほしい、使命感。
メダル取るも、出来もしないこと、言うのと違う。

結局、指導者がいいのだ。

これは、カーリングにも言える。

指導者が、いるかで、組織は、チーム作りではなく、人選のメンバー選び。
個人の大会ではない、冬季五輪は、国の名誉がかかっている。
国の金で、支援されているのだから。
支援するタニマチも、いるのだ、最後は、
使命感がないと、それは、勝てない。


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この記事読むと、考えるは。

2018年02月18日 03時36分23秒 | ニ言瓦版
この記事、読むと、女性は、男選びで、人生が、変わる。
軽率な選び方すると、失敗と、人生の終わるも、分からない人生。




「華やかなルックスだけでなく、当時絶好調だったフジが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」を体現する言動で視聴者からの人気を集めた。今も語りぐさとなっているのが“旧中山道事件”。91年に出演した「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」で、旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違え、スタジオが大爆笑。女子アナウンサーのタレント化を象徴するシーンだった。
「上岡さんは彼女の天然ボケの大ファンで『息子の嫁にしたい』と絶賛するほど。彼女自身がゴルフを始めた際にはクラブ一式をプレゼントするなど、すっかりメロメロになっていました」(山中氏)
 電撃退社も話題となる。入社からわずか4年の92年にフジテレビを退社し、フリーに転身。いきなりテレビ朝日の看板番組「ミュージックステーション」のサブ司会に抜擢され、フリーになった女子アナが芸能界でも活躍できる道を開いた。
「局アナ時代はとにかく忙しかったから、少し自分の時間が欲しくなったのだと思います。当時の彼女の勢いなら、『フリーでもやっていける』という勝算もあったでしょうしね」(前出・山中氏)
 もちろん本人にとっては苦労もあったようで、周囲には「フリーになった時は、それまで味方だった人が手のひらを返す感じで大変だった」と漏らすこともあったという。
 私生活でも奔放さを見せた。95年に妻子ある元所属芸能事務所社長との不倫が発覚した際は「ご家庭があって申し訳ないという気持ち以上に、どうしようもない愛を感じる」と発言し、世間の注目を浴びたが、その後02年に結婚する元フジテレビ解説委員の和田圭氏から再三アプローチを受けていたようだ。
 フジテレビ関係者が明かす。
「2人の出会いは89年に和田氏がキャスターを務めていたニュース番組に有賀さんが出演したことがきっかけ。局アナ時代、『有賀さんが和田さんから猛烈なアプローチを受けている』と話題になり、彼女が和田さんと結婚した際、局内では“セクハラ婚”と呼ばれたほど。真面目な和田さんは有賀さんにずっと片思いで、01年頃にようやく交際に発展したそうです」
 念願の長女も授かり、順風満帆に思えたが、06年に離婚。有賀さんは後年、和田氏との関係についてテレビ番組でこう語っていた。
「交際中から思うところがあって、『離れたほうがいいかな』と別れを決意しました。でも、その2日後に妊娠が発覚しました。産まれてくる子供のために何がいいのか考え、刑務所に入るつもりで結婚しました」
 そんな経緯があったため、結婚後も“仮面夫婦”だった。価値観も「水と油」で、結局4年でピリオド。「子育てをするためだけの共同生活だった」と振り返っている。
 離婚後も多方面で活躍。近年は漢字検定準1級を取得したり、クイズ番組で難問に正解するなど、かつての“おバカキャラ”とは異なる一面も見せていた。前出・山中氏が振り返る。
「彼女は自動車の国内A級ライセンスを持つほどの運転好き。一緒にゴルフをする時は、彼女の運転で連れていってもらうこともありました。『男性からドライブに誘われても、自分で運転します、と言っちゃうんですよ』なんて話していました」
 シングルマザーとなってからは、男の助手席よりも独立独歩でハンドルを握ることを選んだ有賀さん。亡くなる前、看護師に遺したのは「娘のことが心配です。よろしくお願いします」という言葉だったという。合掌。」




考えると、人は、参考になるのは、友人の作り方と、男選びは、女性は、真剣に考えることだ。
ほとほど、相手で、結婚すれば、災難の回避と、また、生命の維持したかもしれない。
地位、名誉、富は、必要だが、女性は、男選びに失敗すると、人生台無し。

職も、会社の選び方で失敗ると、同じに、人生台無しになる。
アルバイトの選び方も、女性の男選びも、同じに、最後は、苦労するは、女性かもしれない。

皇室にも、言えるかもしれない。
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育成の失敗。

2018年02月18日 03時16分44秒 | ニ言瓦版
言い訳は、いいの。
問題は、酷いものだ。
スキージャンプの男子は、問題なことだ。
競技施設の問題、五輪の選手選び、育成が、問題なのかもしれない。
結局、女子の銅メダルがないと、ただも、言い訳の選手ではないか。



「ピョンチャンオリンピック スキージャンプの男子ラージヒルの決勝が行われ、初出場の小林陵侑選手が10位で日本勢トップでした。史上最多8回目の冬のオリンピック出場となった葛西紀明選手は33位でした。
スキージャンプ男子ラージヒルの決勝は、2回のジャンプの合計点で競い、1回目で上位30位に入った選手のみが2回目に進むことができます。

21歳の小林陵侑選手は1回目、135メートル50を飛んで7位につけました。そして、続く2回目では128メートルを飛び、合計で258ポイントを獲得して日本勢トップの10位となりました。

また3大会連続出場の竹内択選手は22位、小林選手の兄、潤志郎選手は24位でした。

史上最多となる8回目の冬のオリンピック出場となった45歳の葛西選手は、1回目で33位にとどまり2回目に進むことができず、この種目、ソチ大会での銀メダルに続くメダル獲得はなりませんでした。

ポーランドのカミル・ストッフ選手がソチ大会に続いての2大会連続で金メダルを獲得。銀メダルはノーマルヒルで優勝したドイツのアンドレアス・ベリンガー選手、銅メダルはノルウェーのロベルト・ヨハンソン選手でした。
小林陵侑「苦しい中で自分の力が発揮できた」
スキージャンプ男子のラージヒル決勝で日本勢トップの10位となった21歳の小林陵侑選手は「2回目のジャンプはちょっとはまらなかった。空中ですごい変な感じになっていたと思う。途中で追い風も来たので苦しかった。でも、自分の力が発揮できたのでいいのではないかなと思う」と振り返りました。

そのうえで残る種目、ジャンプの団体に向けては「メンバーに選ばれたら、日本チームの力になれるように頑張りたい」と話していました。
竹内「世界トップとは実力に距離」
22位となった竹内択選手は「1回目のジャンプよりも2回目のほうが風が悪い中、いいジャンプができた。ただ、見てのとおり、世界のトップ選手とは実力に距離があるなと実感した」と冷静に結果を振り返りました。

そのうえで「4年前から個人でのメダルをすごく意識してトレーニングしてきたし、それに全然かなわなかったのは、自分がやってきた方向性が違うのかなと思った。4年後の大会に向けてメダルをとるためにできることを一から考えていきたい」と今後の飛躍を誓いました。

さらに残る種目、ジャンプの団体に向けては「団体戦は、個人よりメダルをとるチャンスがあると思う。みんなで一致団結してメダルをとりにいきたい」と意気込んでいました。
小林潤志郎「本番にタイミング合わせられない」
24位だった小林潤志郎選手は「練習はうまくいっているが、本番にしっかりタイミングを合わせられないのが課題なので、しっかりトレーニングしていきたい。残るジャンプの団体に出場できれば、日本チームために思い切って飛びたい」と話していました。」



テレビで、いうもいいが、現実、実力もないのが、
いうものか。
結局、人材の育成と、古手の選手の引退が、なぜさせない。
それが、若手が、出られない現実かもしれない。
団体で、メダルが取れるのか、疑問。

ジャンプの指導者が、問題なのかもしれない。
海外の選手、海外留学させることが、一番の人材の育成かもしれない。

飛躍は、人材発掘しかない。古手の選手の処分が必要。

誰が、考えても、45歳で、勝てるわけない。
育成する指導者の勉強した方が、メダルの道。
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