テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

■ YouTube Selection (songs & music)


予告編 「胸騒ぎのシチリア」(2015)

2016-11-18 | 予告編
 1969年に公開された「太陽が知っている」のリメイクらしいです。アラン・ドロン、ロミー・シュナイダーというかつての恋人同士の共演ということでも話題になったし、タイトルも名作「太陽がいっぱい」をパクってヒットを祈願したんでしょうが、大ヒットとはいかなかったんじゃないでしょうか?

<声帯の手術を受けた世界的なロックスターのマリアンは、静養のため年下の恋人ポールを連れてシチリアのパンテッレリーア島へバカンスにやって来る。2人で静かに過ごそうとしていたマリアンだったが、元彼でカリスマ音楽プロデューサーのハリーがセクシーな娘ペンを伴い、強引に押しかけてくる。エネルギッシュに歌い踊り、ひたすら騒々しいハリーにすっかりペースを乱されるマリアン。そんなハリーの狙いはマリアンとの復縁だった。一方、どこか掴み所のないペンも、好奇心の赴くままにポールへと接近していくが…>(allcinema解説より)

 「太陽が知っている」を観てないので、元ネタの面白さも、キャストの違いもなんも言えまっしぇん。
 個人的には、とにかくダコタ・ジョンソンが出てるので気になった次第。
 ティルダさんも若いなぁ。





 ※オフィシャルサイトはこちら
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フレンチ・トニパキ? 【Portrait Q -№91】

2014-08-01 | Who is・・・?
 ポートレイト問題、第91弾。





 アルジェリア生まれのフランス人俳優。今回知りましたが、2007年にパリで故人になったとの事でした。

 上の写真はダスティン・ホフマンにも似ているし、他の写真ではマストロヤンニ風だったり、お洒落なところではフランスのケーリー・グラントに見えたりもする、そんな俳優ですな。
 今記事のトニパキというのは勿論アンソニー・パーキンスの事ですが、今設問の俳優の<死後、バイセクシャルだったことが明らかになっている>というウィキの記述にも、あぁそうだったかと、パーキンスを思い出したのが偶然ではなかったと思い至ったわけでした。

 いい男なのに個性がイマイチだったのか、アラン・ドロンやベルモンド程の人気者には日本ではならなかったけれど、本国ではどうだったんでしょうね。
 
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シシリアン

2013-12-14 | サスペンス・ミステリー
(1969/アンリ・ヴェルヌイユ監督・共同脚本/ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、イリナ・デミック、シドニー・チャップリン、アメデオ・ナザーリ、マルク・ポレル/124分)


 高校生の頃に封切りされた本作。「地下室のメロディー」、「ダンケルク」でファンになっていたベルヌイユ作品なのでタイトルは覚えましたが、当時は観らず終いでした。3年前にNHK-BSで放送されたのを録画していて、今頃鑑賞と相成った次第であります。
 エンニオ・モリコーネのテーマミュージックが懐かしいですなぁ。「みんなのシネマレビュー」なるサイトを見ると、<ギャング映画なのにエンニオ・モリコーネの異様な音楽、たまに、いや結構な割合でボヨーンって鳴るあの音が気になって気になってしゃあない>とか、<エンニオ・モリコーネの調べが間抜けな本作>とか、モリコーネ節は不評のようです。「ボヨーン」には確かに名を上げたマカロニ・ウェスタンの名残が見えますが、40年経った今でも覚えているし、悪くないと思うんですがねぇ。時代でしょうか。

*

 さて、お縄になったパリの一匹狼の殺し屋サルテ(ドロン)が、ヴィットリオ(ギャバン)を長とするシチリア出身のマフィア一家の手引きにより、護送途中に脱走に成功、パリ市内に潜伏する。投獄中に知り合った男からパリで開催中の宝石展の警備システムの図面を入手していたサルテは、ヴィットリオに宝石強奪の計画を持ちかける。計画の規模の大きさからヴィットリオはNYのマフィアの知人トニーに声を掛けて下調べをする。展示会場から頂戴するのが困難だと判断したヴィットリオは、この宝石類の展示が、パリの後ニューヨークに移動することに目をつけ、トニー一味と連携して空輸中の飛行機をハイジャックして盗む事にする。
 移動直前にアメリカからやって来た宝石展の責任者に成りすますサルテ。離陸直前にサルテが飛行機に乗り込んでいたことを察知したパリ警察は、ニューヨークと連携して、飛行機の到着を待つのだが・・・というお話。

 序盤の語りを観ながら、フランス映画って邦画に似てるなぁと思いましたな。(サルテの脱走シーン以外)カット構成が説明過多でまどろっこしい。ま、邦画に似ているというよりは、邦画がフランス映画を参考にして育ったからなんでしょうが。
 それが、宝石強奪の段に入ってからは、流石ベルヌイユさん、さて次はどうなる、この後は・・・と、観客を引っ張る語り口が滑らかで、特に宝石が積まれた飛行機にギャング共が乗り込んで、そこに予想もしてなかった宝石展の責任者の奥さんが登場した後からの、ハラハラドキドキさせるカットバックはお見事でした。この辺りではお薦め度は満点に成るかもと思ってたんですが。

 ベルヌイユと一緒に脚本を書いたジョゼ・ジョヴァンニは、ヴェルヌイユが自分の書いたシナリオを大衆受けする目的で大幅に改編したと後に批判したそうです。
 フレンチ・フィルム・ノワールといわれる作品を多く作ってきたジョヴァンニにすれば、この映画もその系列の一つとして考えていたんでしょうが、僕には結末に変なフィルム・ノワールらしさが出てきて、かえってソレまでの犯罪サスペンスとしての面白さに水を差してしまっているように感じます。“シシリアン”という特色は残しつつ、「地下室のメロディー」みたいに犯罪は割に合わないんだという裏稼業の哀しさを漂わせて終了、というのが良かったのですがねぇ。

 「冒険者たち」でドロンと共演したリノ・ヴァンチュラが、パリ警察の警部ル・ゴフ役。「死刑台のエレベーター」といい、彼には刑事役が似合いますね。
 イリナ・デミックはヴィットリオの息子の嫁ジャンヌ。家族で自分だけシチリア出身じゃないので疎外感を覚えていたジャンヌが、同じく孤独そうなサルテに色目を使った事が後に大事に発展する。
 NYのマフィア、トニーに扮したのが「カビリアの夜」でカビリアが憧れた俳優を演じていたアメデオ・ナザーリ。
 ドロンの元奥さんナタリーと後に浮名を流すマルク・ポレルがヴィットリオ一家の息子(ジャンヌの夫の兄弟)役で出ていました。





・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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ビッグ・ガン

2011-06-07 | サスペンス・ミステリー
(1972/ドゥッチオ・テッサリ監督/アラン・ドロン、リチャード・コンテ、カルラ・グラヴィーナ、マルク・ポレル/110分)


 懐かしいタイトルですねぇ。でも封切り当時は雑誌で知ってただけで、未見ですけどネ。
 昨日のお昼、NHK-BSで放送していたのを観ました。開始には間に合わず、15分から20分辺りからです。全編きちんと観てなくて、しかも1回切りですが、感想は揺るがないと思います。

 ドロン主演なのでフランス映画と思っていたら、どうもフランス語の感覚が耳に残ってないのでイタリア語だったのでしょう。イタリアとフランスの合作だし、ドロンはシチリア島出身のマフィアの殺し屋役ですしね。

 寡黙な殺し屋という点では「サムライ」のドロンさんを彷彿とさせるが、実は「サムライ」も未見なので、そこは想像の範囲。嫁と一粒種を同時に亡くし、葬式で瞳をウルウルとさせたドロンさん。女性ファンにはたまらない映像でしょうな。内心は復讐の鬼となっても二枚目なのでクールに見えるのが良いです。

*

 奥さんと幼い息子がいるマフィアの殺し屋トニー(ドロン)が足を洗おうとするが、組織は内部情報を知りすぎている彼を抹殺しようと車に爆弾を仕掛ける。誤って、旦那の車に乗ろうとした奥さんと子供が爆殺され、その葬式の場所にも組織の手の者がやって来るに及んで、トニーは組織への復讐を決行する、というお話。

 組織の直属のボスだった親分は、足を洗いたくても他の親分が許さないぞと忠告をしていたんだが、結局そのボスもトニーの復讐の相手になっている。トニーは親分がちゃんと他の親分連中を説得してくれると思っていたのか、どうもその辺りは曖昧です。
 組織と言っても誰かがワントップでいる形態ではなく、各シマのボス連中が寄り合い所帯を作っているだけで、トニーの対応策についての話し合いもするが、取り立てて案は無く、ただ殺し屋を差し向けるだけ。

 任侠映画ですから、トニーに味方する連中も出てくる。
 かつてトニーに助けられた過去のある女(グラヴィーナ)が今はある親分の情婦になっていて、彼女は親分の居所をトニーに漏らしたためにトニーと同じく追われる身となり、トニーの隠れ家に身を寄せるようになる。
 組織に属していない地方の組長は怪我をしたトニーを匿ったりする。

 トニーの潜伏先を聞き出すためにトニーの弟分(ボレル)がリンチをされたり、裏切り者の情婦が見つかって殴られる所は、残虐性を売り物にしているような妙な描き方で、データを見てみるとテッサリ監督はマカロニ・ウェスタン出身とのことで納得しました。

 車の追っかけシーンでは「栄光のル・マン」のような疾走感を狙ったアングルもあるけれど、全体の雰囲気からいえば少し逸脱している。
 逆にトニーがボス達を殺すシーンはあっさりしていて、トニーの感情が込められたような粘りも無くありきたり。
 そして、娯楽サスペンスではないので、結末はアンハッピーエンドです。
 健さんの任侠映画、(殆ど見てないので、多分)あちらはラストは気分良く映画館を出ていけるモノも沢山あると思いますが、コチラはスッキリしません。僕ならこういう映画にお金は払いたくないですネ。


・お薦め度【★★=ギャング映画好きには、悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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訃報:双葉十三郎さん亡くなる

2010-01-17 | [コラム]
21:05 from web
kiyotaさんからの情報で、双葉さんの訃報を。なんというか、いつかこの日が来るのは分かっていても、あまりに突然のことでした。しかも、ひと月前とは。
 「SCREEN」の「ぼくの採点表」で育ったような私なので、今日はホントに悲しい。寂しい。ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
23:46 from web
明日のブログは双葉さんの訃報に関しての追加記事を書く事になるんだろうが、さてさて何から書いてイイものやら。
 ウィキペディアにはペンネームの由来は「トム・ソーヤ」からとしか書いてない。勿論、マーク・トウェインの本の主人公ですな。トム=トミー=十三、ソーヤ=ソーヨー=双葉、であります。
by theatre_jules on Twitter

*

 電車で二(ふた)駅離れた町の高校に通い始めて、その降車駅にほど近い所にあったS書店が僕と「SCREEN」、そして双葉さんとの出逢いの場所だった。入学してまもなくの頃で、以来3年間欠かさず毎月21日には「SCREEN」を買い、「ぼくの採点表」を読んだ。

 スティーブ・マックィーンが好きでシャーリー・マクレーンが好きで、アラン・ドロンをドロン君と呼びイーストウッドをクリント君と呼ぶ。「めぐり逢えたら」の寸評では『現実で、メグに逢えたらなぁ』なんて仰有る。
 ハリウッド映画が好きなのかなぁと思ったら、パゾリーニの「アポロンの地獄」は☆☆☆☆(80点)の傑作評価で、「テオレマ」もそうだったし、「豚小屋」だって70点くらいはあったような気がする。ブレッソンの「バルタザール」も☆四つだったし、ベルイマンなんて殆ど☆☆☆☆(80点)以上だった。イギリス、フランス、イタリア、スウェーデン、インド、ギリシャ、何処の国の映画も公平に観ておられたし、宗教絡みなどで分からない事はそのまま分からないと書かれた。
 フェリーニの「アマルコルド」がお好きで、ジュリエッタ・マシーナもお好みだった。
 フランスではトリュフォーがご贔屓で、「恋のエチュード」、「暗くなるまでこの恋を」、「夜霧の恋人たち」、「アメリカの夜」などは新作として採点表で読ませてもらった。
 ヒッチコックも大のご贔屓で、「フレンジー」、「ファミリー・プロット」の採点表も新作でだった。
 リチャード・アッテンボローが「素晴らしき戦争」を作った時には、なかなかお目にかかれない☆☆☆☆★(85点)を付けられた。ベテラン俳優の監督デビュー作品だったが、素晴らしい、素晴らしいとべた褒めだった。

 スピルバーグもその頃は新人監督だ。
 『映画の優秀な着想には二種類ある。誰も思いつかない奇想天外な話を編み出すケース。平凡な事柄なのに何故今まで思い付かなかったんだろうと口惜しくなるケース。「激突!」は後者の模範・・・』
 そう言って、この新人の作品を誉められた。勿論、☆☆☆☆。

 僕が「採点表」を読み出した頃は既に還暦に近いお歳だったはずだが、段々と増えつつあったポルノまがいの作品も登場した。流石に数年経つと、とてもじゃないがワンパターンで観ちゃおれん、という理由かどうかは忘れたが、そういう作品はコーナーから消えていった。「エマニュエル夫人」とかキャロル・ベーカーの出演したイタリア製ピンク映画などは書かれていたと思う。そうそう、スウェーデン製の「私は好奇心の強い女」なんていう作品は唯のポルノとは言えないものだったようで、先生の評点も可成りよかったように覚えている。

 文芸春秋の文春新書から何冊か双葉さんの本が出ている。「外国映画ぼくの500本」、「日本映画ぼくの300本」、「愛をめぐる洋画ぼくの500本」などなど。どれも「ぼくの採点表」のエッセンスだけを取り出してまとめた本だが、「外国映画ぼくの500本」の巻末には『ぼくの小さな映画史』として氏の子供の頃からの映画との関わり合いが書かれている。小学校の高学年から“一応の意識を持って”映画を観るようになったそうで、1910年(明治43年)のお生まれだから、その頃はまだサイレント映画。チャップリンの「キッド」を新作で観たそうである。なんとまぁ!
 その後のトーキー映画の誕生、モノクロからカラーへの変貌も見届けられ、シネマスコープに70mm、3D映画も「スター・ウォーズ」の特撮も、近年のCGもご覧になっているわけだ。まさに生き字引だったわけです。

 2万本以上の映画を観られたという双葉さん。「ぼくの採点表」も40年以上に渉って書き続けられ、何冊かに分けられて分厚い本になっている。お高いのでなかなか手が出ないが、図書館に行けばいつでも(どの巻かは)読めるので、とりあえずはそれで我慢している。以前このブログでも紹介したが、「映画の学校」という昌文社の著書(1973年出版)があって、これは「採点表」の数倍濃い内容で、オカピーさんが非常に面白いとご指摘の「日本映画月評」も添えられている。今思えば素晴らしい買い物をしたと自負しております。

 享年99歳。
 1歳年上だった淀川さんは11年前、88歳で亡くなった。
 『ぼくの小さな映画史』の中で淀川さんとの出会いについても書かれている。1934年(昭和9年)6月13日、場所は大阪。双葉さんは住友の社員であり、淀川さんはユナイテッド・アーティストの社員だったが、雑誌の投稿欄でそれぞれの存在は知っていた、そんな間柄だったそうだ。
 『あれから70年近く、ずっと仲良くしてきた。映画で言い争うこともなかった。お互いがよく分かっていて「あれがね」と言うと「あれだね」で終わってしまうからだ』
 双葉さんがリリアン・ギッシュが好きだと言えば、淀川さんはパール・ホワイトが好きだと言い、そして二人ともグロリア・スワンソンのファンだった。
 今頃は、やぁやぁとか言いながら旧交を温めておいでではないかと思ってしまうのだが・・・。
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太陽がいっぱい

2007-08-15 | サスペンス・ミステリー
(1960/ルネ・クレマン監督・共同脚本/アラン・ドロン、マリー・ラフォレ、モーリス・ロネ、エルヴィーレ・ポペスコ/122分)


 ちょっと前の土曜の夜や日曜の午後のラジオ、例えば「思い出の映画音楽」なんていうリクエスト番組があれば、定番中の定番として流れてきたのがこの「太陽がいっぱい」でした。作曲はニーノ・ロータ。フェリーニ作品の常連ですが、晩年にはアメリカ映画にも名曲を残しています。
 この映画のタイトルも最初に知ったのは多分テーマ曲からで、端正なマスクに曲調にピッタンコの哀愁を帯びた瞳のアラン・ドロンを世界的大スターに押し上げた作品だそうです。

 ドキュメンタリータッチの社会派作品や文芸作品が多かったルネ・クレマン監督(「禁じられた遊び」など)は、この作品以降サスペンス物に傾倒していって、この映画も貧富の差による人間関係の歪みが描かれていますが、大筋は犯罪サスペンスとなっています。

 ヒッチコックの「見知らぬ乗客」の原作者でもあるパトリシア・ハイスミスのサスペンス小説を、ルネ・クレマンと「二重の鍵」などのポール・ジェゴフが共同で脚色したもので、登場人物の名前からしてアメリカ人の話なんだが、99年に マット・デイモンとジュード・ロウでリメイクされるまでフランス人のドラマと思っていました。数十年ぶりにNHK-BSにて再見です。

*

 ヨーロッパ、地中海沿岸の南フランスやイタリアで放蕩を続けているドラ息子フィリップ(ロネ)を、ロサンゼルスの父親が連れ戻そうと、息子の友人トム・リプリー(ドロン)を向かわせる。とにかく一度でもアメリカに帰らせれば5千ドル支払うという契約だった。
 ところが、フィリップはトムを便利屋に使いながら、なかなか言うことを聞いてくれない。トムもフィリップの機嫌を損ねないように対応しながら、ちゃっかり一緒に高い酒を飲んだり、夜遊びに付き合ったりしている。
 そんなある日、フィリップと彼の恋人(ラフォレ)に付き合ってクルーザーでの小旅行に出かけるが、トムが邪魔になったフィリップは彼を救命ボートにのせて大海原に置き去りにする。日除けのないボートの上でトムの背中は真っ赤に焼ける。数時間後にフィリップは迎えに来たものの、トムはフィリップに対する復讐を胸に秘めるのだった。

 その後の復讐計画は皆様ご存じの通りです。
 フィリップを殺して、トムは彼に成りすます。パスポートの写真を入れ替え、サインも真似て銀行預金も使い放題。
 トムの自分に対する憎悪に気付きながら、まさか実行はしないだろうと思っているフィリップ。ところが、やっちゃうんですよね、トムは。ナイフをお尻の下に隠しながら、いきなりグサッと・・。

 港に着いた後、とある店に寄って、大きな手荷物大のモノを買うトム。それが、アレですよ。あの、フィリップに成りすます為に、彼のサインを練習する時に使うアレ。
 この辺の段取りの良さは、ヒッチコックのようでしたな。

 偶然に発生した第2の殺人をフィリップの仕業と見せかけ、その後フィリップは遺書を残して失踪。遺体無き自殺。100パーセントの完全犯罪に成るところだったのだが・・・。


 ▼(ネタバレ注意)
 久しぶりに見て面白かったのは、フィリップに成りきったトムのところに、突然フィリップの友人が訪ねてくるシーン。場所は確かローマでした。

 それまで、フィリップ名義でホテル住まいをしていたのに、フィリップの知人に感づかれ、顔を見られない内にトムはアパートに引っ越す。ところが、突然このアパートにやって来るんですな、その男が。
 フィリップの恋人への手紙をタイプしているところに突然の来客のベル。トムは管理人だろうと安心してドアを開ける。と、それはフィリップの友人だった。部屋に入ってくる友人を受け入れるトムは顔をこわばらせる。
 
 <えっ、なんでこの男が? 部屋の中は、大丈夫か? おかしなモノは出していないか?>

 男はフィリップと同じ金持ちの若者で、トムのことなんか気にとめない。フィリップは出かけているというトムの言葉も信用せずに、部屋の中を歩き回ってフィリップを探す。
 『女への手紙の代書もやるのか?』『えっ!?』
 『さっき、(部屋の中から)タイプを叩いている音がしていたからな』

 やがて、フィリップの洋服を着ているトムに気付き、トムは『着替えを忘れたので借りている』と言い訳をする。
 なんとか、不在を納得した男は部屋を出て行くが、階段ですれ違った管理人がトムを『グリーンリーフ様(=フィリップのこと)』と呼ぶのを聞いて、再び部屋に戻ってくる。絶体絶命!
 ドアの内側で待ち伏せるトム。とっさに近くにあった陶器の置物を手にする。2段、3段構えのサスペンス。

 そして、この友人を陶器の置物で殴り殺した後の描写が巧みでした。
 男は後頭部を殴られて倒れ、管理人に代わって持ってきた野菜などが床に散らばる。トムは放心したように窓辺に歩み寄り、呆然と外を眺める。カメラはトムの主観にかわり、通りで遊んでいる子供たちをアパートの窓から見下ろしている映像となる。
 この窓辺のトムを写した客観ショットと、後のトムの主観ショットが2度繰り返され、殺人者の心理状態が見事に表現されておりました。

 鮮やかなラストのどんでん返し。惨たらしいフィリップの死体は、犯罪の卑劣さを改めて感じさせる。
 トム・リプリーが笑顔で消えていった後の画面には、太陽がいっぱいに降り注ぐ海が静かに横たわっている・・・Fin。
▲(解除)

 尚、カメラは「死刑台のエレベーター」などのアンリ・ドカエでした。


(下の動画は予告編となってるけど、スチール写真の羅列にすぎませんな)




・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 テアトル十瑠
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<訃報:巨匠が相次いで死去~ベルイマン、そしてアントニオーニ>

2007-08-02 | <memo>
 一昨日、ベルイマンの訃報が流れたと思ったら、昨日はアントニオーニだった。

 ベルイマンは89歳。
 共同ニュースの記事は「ベルイマン氏が死去 世界的な映画監督」と題して、こう伝えた。

<スウェーデンを代表する世界的な映画監督イングマル・ベルイマン氏が30日、死去した。89歳。スウェーデン通信などが家族の話として伝えた。死因は明らかにされていない。57年の「野いちご」でベルリン映画祭金熊賞を受賞。「叫びとささやき」(72年)「鏡の中の女」(76年)「ファニーとアレクサンデル」(82年)で名監督としての地位を確立した。>

 2003年に20年ぶりに作ったという新作「サラバンド」が今年公開されて、あちこちのブログでもタイトルは目にしていたが、本人の言葉通り遺作となったようです。

 ベルイマン映画は「野いちご」しか見ていない。追悼の意味で、急遽何か見たくなってTUTAYAに行ってみたら、以前見つけておいた「処女の泉(1960)」は貸し出し中で、「第七の封印」だけがあったので今回はこれを借りてきた。

 56年の作品で、物語の舞台は14世紀。
 十字軍の遠征から疲れ果てて帰路に就いた騎士が主人公。ヨーロッパではペストが蔓延していて、従者と二人で故郷に向かう彼の前に死神が現れる。勿論、死神は騎士の命を取りに来たんだが、騎士は死神にチェスを持ちかけ、もしも騎士が勝てば命は取られない、との約束を取り付ける。チェスはすぐに終わるわけではなく、その後騎士と従者は旅を続け、時々死神が現れ、チェスの続きをする。
 牧師の家に生まれたベルイマンの作品には、常に神の存在に対する色々な問いかけがなされているようだが、これは死神や悪魔と通じたとして火炙りにされる娘が出てきたり、寓話の形を取りながらも真っ正面から取り組んだ作品のようである。

 キリスト教とは無縁の私には意味が分からない展開もあり、個別作品として紹介出来る段階ではない。但し、時に黒澤を思い起こす程、映像には力がありましたな。

 旅芸人夫婦の奥さん役、ビビ・アンデルセンが若い!
 そういえば、この映画には参加してなかったが、ベルイマン映画でお馴染みのスヴェン・ニクヴィストも去年亡くなっていたのでした。


<映画「太陽はひとりぼっち」イタリアの監督が死去

 現代人の孤独や絶望感を描いた「太陽はひとりぼっち」や「赤い砂漠」で知られるイタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニ氏が30日、ローマの自宅で死去した。94歳だった。死因は不明。関係者が明らかにした。
 ボローニャ大卒業後、ロッセリーニやビスコンティといった名監督の下でシナリオを執筆。1950年に「愛と殺意」で監督デビューした。60年の「情事」で、人間にとっての愛の不毛や存在の不確かさをとらえ、以降もこのテーマを掘り下げる作品群を発表した。
 特にカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受けたアラン・ドロン主演作「太陽はひとりぼっち」(62年)や、米アカデミー賞の監督、脚本賞にノミネートされた「欲望」(66年)で名声を高め、フェリーニ、パゾリーニ両監督とともに、イタリア映画を支えた。ベルリン、ベネチア、カンヌの世界三大映画祭で最高賞を獲得したことでも知られる。
 80歳を超えても「愛のめぐりあい」(95年)を手掛け、95年度米アカデミー賞の名誉賞を受賞した。
 代表作はほかに「さすらい」「砂丘」「ある女の存在証明」など。>(共同ニュースより)

 ベルイマンより記事が大きいですな。

 以前、「期待はずれだったアレやコレ」と題して、アントニオーニの「情事」がつまらなかった旨の記事を書いたけど、先日見た「太陽はひとりぼっち」もモニカ・ヴィッティ扮するヒロインの心情が掴めずに、退屈なシーンの多い映画だった。
 アンニュイな雰囲気に惹かれる人が多いようだが、私には情緒不安定な女性という印象。とらえどころがなくて、それこそ退屈な人物だった。

 ベルイマンに云わせると、「欲望」と「(1961)」以外のアントニオーニ作品は見なくていいそうである。
 そして、<アントニオーニはこの商売を実は全然学ばなかったんだ。彼は個々のイメージに集中していて、映画というものはイメージのリズミカルな流れである、運動であるとちっとも気づいていない。>とも言っている。

 「太陽は・・・」を見ていて、間の悪いショットの切り替えや意図の不明な構図があって、それはヒロインの心情が分かりにくいせいだと思っていたけれど、それだけでもなさそうである。


 98年に亡くなった黒澤も88歳の高齢だった。巨匠と呼ばれる人には、強い生命力がお有りになるのだろうと改めて思う今日この頃であります。
 お二人のご冥福をお祈りいたします。
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☆スティーブ・マックィーン

2006-10-14 | ☆映画人
 
 マックィーンが50歳で亡くなったのが1980年11月7日。もうすぐ、26年が経とうとしている。生きていれば76歳。想像しようとしたら、やはり76歳の彼は浮かんでこなかった。しかし、50歳は早すぎる。せめて60歳まではスクリーンで活躍して欲しかった。で、60で俳優は引退。後は自然を相手に悠々自適。それがマックィーンには似合っていたと思う。

 死因は肺ガンとのことだった。
 アメリカは砂漠で核実験をやっていたから、残存放射能の多い砂漠でのロケが多かった西部劇スターはガンになる人が多いという噂を聞いていた。彼もそのせいだと思っていたら、去年、<マックィーンの死亡原因はアスベストが原因の中皮腫だった。>とニュースが流れた。

<スティーブ・マックィーン(Steve McQueen/本名:Terrence Steven McQueen)、1930年3月24日 ~ 1980年11月7日。
 インディアナ州インディアナポリス市出身。生後6ヶ月の頃に両親が離婚。母親の再婚と共に各地を転々と移るなど環境に恵まれず、14歳の頃、カリフォルニア州立少年院に入れられる。1年半後に出所し、17歳で海兵隊へ入隊。除隊後はバーテンダーやタクシードライバー、用心棒などで生計を立てる。
 1951年、ガールフレンドの勧めで俳優の道を選び、ネイバーフッド・プレイハウスに入学。アクターズ・スタジオを経てブロードウェイにデビューする。1956年「傷だらけの栄光」でポール・ニューマン扮するロッキーの悪友役(出演時間は合計して5分程)で映画デビュー。1958年にテレビ出演した「拳銃無宿(Wanted Dead or Alive)」のヒットにより一躍有名になる。
 その後、「荒野の七人」、「大脱走」、「華麗なる賭け」、「ブリット」など数々の映画に出演。1980年、実在の賞金稼ぎをモデルにした「ハンター」の出演を最後に体調を崩し、アスベストが原因の中皮腫が発症しているのが見つかり、余命数ヶ月を宣告された後亡くなった。
 海兵隊で乗務した戦艦の船室の内装に多用されたり、趣味のレースで当時使われたアスベスト製の耐火服・耐熱フェイスマスクから長期にわたりアスベスト繊維を吸引したのが原因ではないかといわれている。>(ウィキペディア(Wikipedia)より)

 3人目の奥さんバーバラ・ミンディ(80年結婚)は知らないが、56年に結婚したニール・アダムスと73年に再婚したアリ・マッグローは外見は似たタイプだった。やせ形、小顔の黒髪の女性といったところか。3度目の結婚をした年に亡くなったんですな。
 職歴に“用心棒”って凄いなぁ・・・!

 知らないうちにこのブログでもマックィーンの作品はかなり紹介している。
 古い方からいくと「傷だらけの栄光」、「荒野の七人」、「ブリット」、「華麗なる賭け」、「栄光のル・マン」、「タワーリング・インフェルノ」。

 その他の出演作で観ているのは、「突撃隊(1961)」、「大脱走(1963)」、「シンシナティ・キッド(1965)」、「砲艦サンパブロ(1966)」、「ジュニア・ボナー(1972)」、「ゲッタウェイ(1972)」、「パピヨン(1973)」。
 我ながら、結構観てます。

 寡黙な男の役が多く、どれも似たような印象があるが、同じく寡黙な男を演じることが多かったクリント・イーストウッドと比べると演じた人物像の巾は広い。イーストウッドのトーマス・クラウンは想像しにくいもんね。
 好きな役は、「大脱走」のヒルツ。手作り酒に酔っぱらって仲間とはしゃいだり、気弱な捕虜仲間の死に心を痛めることもあるが、反骨精神は旺盛で、何度捕まっても脱走を繰り返し、その度に独房で一人キャッチボールをする。仲間からボールとグローブを受け取り独房に入っていくラストが爽快だった。

 60年代、70年代と映画雑誌の人気投票ではアラン・ドロンとトップを争っていた。ドロンには女性票が多く、マックィーンには男性票が多かったと思う。

 未見の作品で特に観たいのは、69年の「華麗なる週末」。
 「華麗なる賭け」の翌年で、頭に“華麗なる”と付いているが、これは配給会社の策略で、中身は20世紀初頭のアメリカの田舎町が舞台の話で、マックィーンもぼさぼさ頭のユーモラスな男の役だったように記憶している。ウィリアム・フォークナーの原作があり、監督は「黄昏(1981)」でオスカーにノミネートされたこともあるマーク・ライデル。TVの深夜放送でちょっとだけ観たことがあるが、通しては観てない。「ペーパー・ムーン」よりももっと古いクラシックカーが出てくるロード・ムーヴィーのようです。

 イプセンの原作、アーサー・ミラーの戯曲を映画化した「民衆の敵(1978)」も、異色という点でも是非みたい作品だ。
 <ノルウエーで“赤ひげ”のように慕われていた人格者の医師が、町の人々に背かれ、村八分となる・・・(「allcinema-online」の紹介記事より)>というような内容で、まさしく顔面一杯の髭面のマックィーンのスチール写真が記憶にある。シリアスな社会派ドラマで、マックィーンは製作も兼ねるほどの熱の入れようだったらしいが、商業的に不成功だったことは想像に難くない。

 遺作となった「ハンター(1980)」。今年だったか去年だったか、NHK-BSで深夜に放送されたが、録画出来なかった。残念!

 その他、「マンハッタン物語(1963)」、「ハイウェイ(1964)」というマリガン監督&パクラ製作コンビの作品も気になる。
 「マンハッタン」では、ミュージシャンのマックィーンとナタリー・ウッドとの恋愛の駆け引きがユーモラスに描かれ、後者もマックィーンは歌手志望という元犯罪者の役だが、こちらはリー・レミックとの別れが描かれる悲劇らしい。
 尚、「ハイウェイ」は「アラバマ物語」の脚本を書いたホートン・フートの原作・脚本。

 「ネバダ・スミス(1966)」(ヘンリー・ハサウェイ監督)、「雨の中の兵隊(1963)」(ラルフ・ネルソン監督)も見逃しているなぁ。

 「allcinema-online」によると、父親は飛行機の曲乗り師で、生後6ヶ月での両親の離婚は父親の蒸発によるものらしい。そして、<彼の遺灰は太平洋にまかれた。>とのことだった。
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モンパルナスの灯

2005-07-29 | ドラマ
(1958/ジャック・ベッケル監督・脚本/ジェラール・フィリップ、アヌーク・エーメ、リノ・ヴァンチュラ、レア・パドヴァニ、ジェラール・セティ、リリー・パルマー)


 今年公開の「モディリアーニ 真実の愛」という、アンディ・ガルシアがモディリアーニを演じた作品が有るが、それは当時既に成功を収めていたピカソとの確執を軸に描いた作品らしい。
 今回紹介する「モンパルナスの灯」は、半世紀前に作られたフランス映画で、モディリアーニと愛妻ジャンヌとの出会いから別れまでを描いている。先日、NHK-BSで放送されて、久しぶりに観ることになった。
 そういえば、ガルシアの方は英語で作られているとのこと。ガルシアもイタリア系みたい(実はキューバ出身)だから雰囲気は出るのかも知れないが、モディリアーニ役ってのはどうなんだろう?(ここまでは映画の題に即してモディリアーニと表記しましたが、この後は“モジリアニ”でいきます。)

*

 アメデオ・モジリアニは1884年7月生まれ。亡くなったのが1920年で35歳の時。映画はその数年前から始まる。場所は、パリのモンパルナス地区。安いアパートやカフェがあるため、若い画家達が世界中から集まる所だ。
 美術学校の教師からも(ある意味皮肉を交えながら)“巨匠”と呼ばれるモジリアニだが、暮らしは楽ではない。キャフェでお客の似顔絵など描いてみせるが、内面を描くという独自の視点のデッサンなので、素人のお客には受けない。似てないので、『絵は要らないが金は払う』と同情される始末だ。
 そんなモジリアニだが、モディと呼ばれて女性達には人気があるらしい。新聞にコラムなど書いているベアトリス・ヘイスティングス(パルマー)とはネンゴロの間柄だし、軽食堂の女主人ロザリー(パトヴァニ)にもお酒を振る舞われたり、優しくされている。
 アパートの家賃が溜まっているモジリアニはベアトリスのアパートに泊まるが、ちょっとした諍いから彼女を殴って気絶させ、そのまま帰る。アパートの大家さんは、1週間ぶりに帰ってきた彼にクリーニングしたシャツを渡し、溜まっていた家賃は隣室の画商ズボロフスキー(セティ)が支払ってくれたと話す。ズボロフスキーも彼の理解者であり、恩人であった。

 そんなある日、街角で見かけた美しい娘が画材を抱えていたので、久しぶりに美術学校へ行ってみると、はたして彼女がいた。ジャンヌ(エーメ)はお堅い家庭のお嬢さんで、後で分かるが、以前からモジリアニのことを気にかけていたらしく、二人はアッという間に恋に落ちる。
 出会って二日目に結婚を決めた二人。早速ジャンヌは家から荷物を持ってくると言う。モジリアニはお堅いという父親の事が気がかりだったが、案の定ジャンヌは戻ってこない。
 意気消沈した彼はジャンヌのアパートの前で倒れ、ロザリーの店に運び込まれる。不摂生が続いていたモジリアニの身体はボロボロで、医者は南フランスでの療養を勧める。

 映画ではちゃんと語られていないが、南仏ニースでの療養の費用を出したのはズボロフスキーのようである。
 健康を取り戻しつつある彼の所に、ズボロフスキーに聞いてジャンヌがやって来る。ニースの海辺を歩きながら、ジャンヌは今後の生活についての夢を語り、モジリアニも変わらない愛を誓う。こうして二人は結ばれ、モンパルナスへ戻る事になるのだが・・・。

*

 モジリアニを演じたのは、ジェラール・フィリップ。モジリアニが亡くなって2年後の1922年に生まれ、この映画の翌年(1959年)、36歳の若さで亡くなった。アラン・ドロン以前のフランスの二枚目の代名詞的存在で、その品の良さから“貴公子”と呼ばれ、ドロンがいてもフランス映画史上最高の二枚目だという人が多かった。

▼(ネタバレ注意)
 リノ・ヴァンチュラ演じる画商モレル。この映画の面白さの最大の要因は彼の存在でしょう。
 モジリアニの才能を認めながら、『彼は死んでから価値が上がる。』と読んだ画商は、生前には一枚も絵を買わない。再起を期して開いた個展にも顔を見せるが、画廊の女主人からは疫病神と嫌がられる。これはフィクションであろうが、皮肉にもモジリアニの最期に立ち会ったのはモレルであった。

 悲運の画家の死亡を確認した画商は、すぐにジャンヌの待つアパートへ行き、彼の死は告げずに部屋にある絵画を買う。何も知らないジャンヌは、絵が売れたことをただ喜ぶばかりであった。
 このモレルの存在で、天才モジリアニの悲劇が鮮明に印象づけられる。

 ジャンヌ・エビュテルヌは、1898年4月にパリで生まれ、1920年1月26日、モジリアニの死後二日目に投身自殺したとのこと。お腹にはモジリアニの子を宿していた。21歳と10ヶ月の人生でありました。
 哀しすぎるこのエピソードは映画では描かれていない。
▲(解除)

*

 久しぶりに観た感想は、天才の苦悩についてはそれほど迫っていないということ。芸術家の苦悩は凡人には分かるはずもなかろうが、客観的な描き方であったと思う。
 生活に困らないだけのお金は欲しい。しかし、絵は自分の分身のようなもので解る人にしか売りたくない。そういう事であったろうか。ヴァン・ゴッホに共鳴しているようで、『絵を売るのは冒涜だ。』みたいなセリフもあった。
 酒に溺れるのは、自身の才能への不安なのか、経済的不安を忘れるためか。ドストエフスキー、フィッツジェラルド、ユトリロ、太宰・・・、アルコールに救いを求めた芸術家は数知れないですなあ。

 もともとマックス・オフュルス監督の企画であったこの作品。1957年にオフュルスが54歳で急逝したため、彼と親交のあったベッケルが作った。不思議な因縁だが、ベッケル監督もこの映画の2年後、53歳という若さで亡くなっている。
 ベッケル作品では、「現金に手を出すな(1954)」や遺作となった「(1960)」などもフィルム・ノアールの傑作と言われているが、前者は未見のような気がする。


・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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冒険者たち

2004-07-02 | 青春もの
(1967/ロベール・アンリコ監督/アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス)


 双葉十三郎さんが傑作と書いていたので見たが、それほどではない。氏の基準でいえば、65点か70点でよいのではないかと思っている。
 NHK衛星放送で(ドロン特集をやっていたんだろう)、「地下室のメロディー」の後にやっていて、録画していたもの。見ているうちにかつて見ていた事を思い出した。後半の撃ち合いの部分など。

 飛行機で凱旋門をくぐって、それをマスコミに売って一儲けしようとするマヌー(ドロン)とスポーツカーに載せる凄いエンジンを開発して、大会社からの特許の買い取りを狙うローラン(バンチェラ)、この二人が主人公。試験飛行の直前、ローランの自宅兼工場にレティシア(シムカス)がやってくる。廃車のボディなどを使ったオブジェを作っている、いわゆる前衛アーティストの彼女は、オブジェの素材を購入に来たのだが、人手が足りないので、急きょ試験飛行の手伝いをする。試験飛行は成功し、二人の男性に気に入られたレティシアは、オブジェの製作にこの工場の一角を貸してもらうことになった。ここが導入部。

 凱旋門の件は、誰かに騙されていた模様(この辺の事情はよく飲み込めなかった)で、決行日には大きなフランス国旗がはためいていて、くぐり抜け飛行は出来なくて、しかもマヌーは飛行免許まで停止になってしまう。
 騙したヤツをとっちめようとしたら、そいつが、コンゴ沖の海底にある富豪が飛行機もろとも墜落して、その時結構な金品も一緒に沈んだらしいという”宝の地図”話をする。
 マヌーとエンジン開発に失敗したローランと、オブジェの個展の評判が宜しくなかったレティシアの3人は、コンゴに宝探しに出かける。

(複葉機の曲芸飛行なんかが出てくるので、双葉さんは気に入ったんだろうか。)

 大きなヨットを借りて宝探しをしていると、一人の男が近づいてくる。最初は物取りかと思われたが、実はそいつは、件の墜落飛行機のパイロットだった。お宝の場所を教えるので、一緒に探そうという。
 しっかり場所を覚えていたので、飛行機もお宝も見つかった。しかし、そこにもう一組お宝を狙う連中がいた・・・。

 アラン・ドロン、リノ・バンチェラ、ジョアナ・シムカスの3人が、船の上で楽しく騒いでいるシーンは、クロード・ルルーシュ系列の描き方。「明日に向って撃て!」で、ニューマンキャサリン・ロスが自転車で遊んでいて、「雨に濡れても」が流れるシーンと同じ。しかし、何故かフランス映画のこの手の映像は、軽く感じられるなあ。
 意外と「明日に向かって撃て」はこれを参考にしたのかも知れない。

 前半は、ブツブツとカットが繋げてあって、映像にリズムがないと感じた。ストーリーがまとまっているので、最後までみれたが、人間の描き方が軽いですな。ジョゼ・ジョヴァンニの原作で、脚本もジョゼ・ジョヴァンニとロベール・アンリコピエール・ペルグリの3人で書いてる。

 ラスト、双葉氏によると、ギャング一味はあれで全滅したらしいのだが、機関銃まで持っていた連中のあれが全部であろうか。まだ、組織の上の人間がいるような気がするので、落ち着かない結末にも思えた。

 ジョアナ・シムカス、この頃は人気がありましたなあ。今は、どうしているんだろう。ネットで調べると、1945年カナダ生まれ。「冒険者たち」の他には「若草の萌えるころ(1968)」「オー!(1968)」などのアンリコ作品に立て続けに出て、1969年の「失われた男」で共演のシドニー・ポアチエと結婚した(ポアチエは再婚)。来年60歳になるんだね。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】 テアトル十瑠
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