(1974/監督:ジョン・ギラーミン、アーウィン・アレン/スティーヴ・マックィーン、ポール・ニューマン、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア、O・J・シンプソン、リチャード・チェンバレン、スーザン・ブレイクリー、ロバート・ヴォーン、ロバート・ワグナー、ジェニファー・ジョーンズ/165分)
anupamさんが「ポセイドン・アドベンチャー」について書かれたので、予定を繰り上げてアップしてみました。
「原子力潜水艦シービュー号」「宇宙家族ロビンソン」「タイム・トンネル」。子供の頃、これらSFテレビドラマでわくわくさせてくれたプロデューサー、アーウィン・アレンが、「ポセイドン・アドベンチャー(1972)」に続いて作ったパニック超大作だ。前作でもやったはずだが、今回はジョン・ギラーミンと並んでアクション部分の監督としてクレジットに名を連ねている。3時間近くの大作で、出演したスター俳優達も前作を遙かに凌ぐ豪華なものだった。
サンフランシスコに新しく建てられた138階建ての超高層ビル、“グラス・タワー”の完成披露パーティーが行われた夜に大火災が発生するという話。
出演者は、ビルの設計者にP・ニューマン。その妻(or婚約者)にF・ダナウェイ。ビルのオーナーがW・ホールデンで、その娘婿が、昔「ベン・ケーシー」と並ぶヒューマン・ドラマ「ドクター・キルデア」で若くてハンサムな医師を演じたR・チェンバレン。
映画では悪役が多いみたいで、今作でもビルの施工に絡んで業者に設計品質以下の材料を使わせてピンハネをするという男の役。この品質の悪い、確か電気コードのようなものが原因で火災が発生するんだった。
マックィーンは一番の儲け役で、地元消防署の隊長役。宙ぶらりんとなったヌード・エレベーターのドーム状の屋根の上で落ちそうになっている人を助けたり、とにかく頼りがいのあるタフガイを演じている。危ない局面を何とかクリアした後にもう一度ビルの中に入っていくというシーンもあり、正にスーパー・ヒーロー的活躍だった。
ニューマンは設計者としてマックィーンに協力しながら、自らも逃げ遅れた少女を助けたりする。
ロバート・ワグナーはホールデンの下で働くベテラン広報部長。オフィス・ラブの最中で、この夜もパーティーの合間をぬって彼女とビルの一室にしけこんでいた為に火災に気が付かず、逃げ遅れてしまう。この二人の最期は悲壮感が漂っていて、火災の怖さを思い知らされました。
フレッド・アステアは年老いた結婚詐欺師で、彼に声をかけられる老婦人がジェニファー・ジョーンズ。この二人の結末も哀切なものとなった。
ロバート・ヴォーンはパーティーに呼ばれた上院議員で、数年前に全米を騒がした殺人事件の被告O・J・シンプソンはビルの保安主任の役だった。
「タイタニック(1997)」でもそうだが、この手のパニック映画にはエゴをむき出しにする人間が出てくるもので、ここでは前出のチェンバレンが引き受ける。
火災は81階で発生したために、それより上の階にいる人は降りることが出来ない。そこで、隣接する高層ビルにワイヤーロープを渡し、滑車付の篭で一人ずつ避難しようとするんだが、チェンバレンが抜け駆けをしようとして非業の最期を迎えてしまう。「蜘蛛の糸」のような話です。
それにしてもこういう映画は、完成したばかりのビルだとか、処女航海の船だとかがアクシデントに見舞われるのが多いですよね。「ダイ・ハード」の“ナカトミ・ビル”も完成したばかりという設定だった。
当時は原作本も読みました。2段組のハードカバーで、こちらも面白かった。
脚本は、スターリング・シリファント。音楽はジョン・ウィリアムズ。どちらも「ポセイドン・・・」と同じ。スタッフも豪華でした。
尚、この年のアカデミー賞で撮影賞(フレッド・コーネカンプ)、編集賞、歌曲賞を受賞したとのこと。歌は、モーリン・マクガヴァンが唄った「タワーリング・インフェルノ/愛のテーマ “We May Never Love Like This Again”」。『あぁ、そんなのもあったなぁ』
anupamさんが「ポセイドン・アドベンチャー」について書かれたので、予定を繰り上げてアップしてみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/00/fa2481604e358f549d7ac109ad0ac03d.jpg)
サンフランシスコに新しく建てられた138階建ての超高層ビル、“グラス・タワー”の完成披露パーティーが行われた夜に大火災が発生するという話。
出演者は、ビルの設計者にP・ニューマン。その妻(or婚約者)にF・ダナウェイ。ビルのオーナーがW・ホールデンで、その娘婿が、昔「ベン・ケーシー」と並ぶヒューマン・ドラマ「ドクター・キルデア」で若くてハンサムな医師を演じたR・チェンバレン。
映画では悪役が多いみたいで、今作でもビルの施工に絡んで業者に設計品質以下の材料を使わせてピンハネをするという男の役。この品質の悪い、確か電気コードのようなものが原因で火災が発生するんだった。
マックィーンは一番の儲け役で、地元消防署の隊長役。宙ぶらりんとなったヌード・エレベーターのドーム状の屋根の上で落ちそうになっている人を助けたり、とにかく頼りがいのあるタフガイを演じている。危ない局面を何とかクリアした後にもう一度ビルの中に入っていくというシーンもあり、正にスーパー・ヒーロー的活躍だった。
ニューマンは設計者としてマックィーンに協力しながら、自らも逃げ遅れた少女を助けたりする。
ロバート・ワグナーはホールデンの下で働くベテラン広報部長。オフィス・ラブの最中で、この夜もパーティーの合間をぬって彼女とビルの一室にしけこんでいた為に火災に気が付かず、逃げ遅れてしまう。この二人の最期は悲壮感が漂っていて、火災の怖さを思い知らされました。
フレッド・アステアは年老いた結婚詐欺師で、彼に声をかけられる老婦人がジェニファー・ジョーンズ。この二人の結末も哀切なものとなった。
ロバート・ヴォーンはパーティーに呼ばれた上院議員で、数年前に全米を騒がした殺人事件の被告O・J・シンプソンはビルの保安主任の役だった。
「タイタニック(1997)」でもそうだが、この手のパニック映画にはエゴをむき出しにする人間が出てくるもので、ここでは前出のチェンバレンが引き受ける。
火災は81階で発生したために、それより上の階にいる人は降りることが出来ない。そこで、隣接する高層ビルにワイヤーロープを渡し、滑車付の篭で一人ずつ避難しようとするんだが、チェンバレンが抜け駆けをしようとして非業の最期を迎えてしまう。「蜘蛛の糸」のような話です。
それにしてもこういう映画は、完成したばかりのビルだとか、処女航海の船だとかがアクシデントに見舞われるのが多いですよね。「ダイ・ハード」の“ナカトミ・ビル”も完成したばかりという設定だった。
当時は原作本も読みました。2段組のハードカバーで、こちらも面白かった。
脚本は、スターリング・シリファント。音楽はジョン・ウィリアムズ。どちらも「ポセイドン・・・」と同じ。スタッフも豪華でした。
尚、この年のアカデミー賞で撮影賞(フレッド・コーネカンプ)、編集賞、歌曲賞を受賞したとのこと。歌は、モーリン・マクガヴァンが唄った「タワーリング・インフェルノ/愛のテーマ “We May Never Love Like This Again”」。『あぁ、そんなのもあったなぁ』
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 ![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
この映画では、マックィーンが超かっこいい!今ならケビン・スペイシーとかがやりそうな気もします
この間福岡ドーム横のシーホークに行ったのですが、タワー側のエレベーター、まさにこの映画のエレベーターみたいでした。ここで閉じ込められたら、タワーのてっ辺からロープを通して・・・ってちょっと遠いかな(笑)なんて思いながら・・。
では~!
タワーまでは無理ですね。
福岡は仕事ですか?
「ヤフードーム」って今は言うみたいです。地域に根ざすという意味では“福岡”は残してもらいたかったんですがねぇ。
ヤフーはいまいちしっくりきませんね。未だに「ダイエー」と呼んでしまう・・。
ソフトバンクもヤフーBBの無茶苦茶な押し売りを止めたみたいだから、多少は許せてきましたが・・。おおっと、映画の話じゃなくなっちゃいました。最上階のレストランといい、エレベーターといい、設計の際にきっとこの映画を参照したんじゃないかと思う私でした。では!
直球一本勝負の映画っていいですよね。アメリカの映画批評家は内容至上主義者ばかりだからこういう映画を褒めない(例外的な人も勿論います)。
「ダーティハリー」もそうですが、映画は単純であればあるほど(純粋になり)芸術になる、というのが私の考えです。その究極が「激突!」だと思っています。10分や20分の短編ならともかく90分の長編であそこまで単純化できた作品は映画史上他に例がないように思います。そして単純な映画ほど実は作るのが難しい。
観る方の意識がどっちの方向に行くか分かっているから軸がぶれない。
内容至上主義というか、映画表現についてより“作者が訴えたいこと”を中心に語るブロガーもいらっしゃいますよね。それはそれで一つの見方だとは思いますが、“眼からウロコ”のような内容にはなかなかお目にかかれないのものです。
しかし、「激突!」「駅馬車」は完全に直線的な作りですから、見た目も実質も単純な映画と言うべきでしょう。何故なら音を消してもストーリーが解る。それを1時間半持たせる技術(脚本・演出)が難しいんです。
そこで、タランティーノなどといった時間軸破壊型の輩が現れ、現在大流行。しかし、今映画史に残る傑作と言われている「パルプ・フィクション」は、キューブリック「現金に罠を張れ」に黒澤明「羅生門」を合体させただけ。最初から見破ってしまったから「何を今さら」という感じですよ。こんなのにコロリとだまされる批評家は全く大したことがないです。
十瑠さん、まさか、タランティーノ・ファンではないでしょうね・・・
そこそこ面白い映画は作るけど、それが彼の100%オリジナルのように言われていることへの反発があろ、実際退屈な台詞も多いので、皆様のようには楽しめなかった、というのが正直な感想です。
わが師匠・双葉さんも【文芸春秋】で「タランティーノなんて持ち上げなくてもいいような監督が、寄ってたかって褒められているのに抵抗を感じる」と述べています。
何だか発想まで似てきています(苦笑)。
いやいや、冗談ですが、一応「パルプ・フィクション」は観ましたが、アレ以降はどれも観ていません。なんだか騒がしい映画だったという印象だけで、その後話題になったらしい「キル・ビル」でしたっけ、あれも観ていません。
そうですか、双葉さんがそんな事を。
私が最も好きな監督はW・ワイラーですし、極めてオーソドックスな映画ファンだと思ってますので、なかなか新しいものにもすぐには飛びつきません。
旧い名作も見逃しているのが多いので、寄り道はしないように心がけています(笑)。