テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。

■ YouTube Selection (予告編)



永い言い訳

2017-08-30 | ドラマ
(2016/西川美和 監督・脚本・原作/本木雅弘、竹原ピストル、藤田健心(=真平)、白鳥玉季(=灯)、深津絵里、堀内敬子、池松壮亮、黒木華、山田真歩、戸次重幸/124分)


-『悪いけど、後片付けはお願いね』
 これが妻と交わした会話の最後の彼女の言葉でした。-

 ってな具合で始まるのかな、小説は。
 去年、予告編を観て面白そうって思っていたこの映画。「ゆれる」の西川監督と「おくりびと」のモッくんのタッグだから絶対に面白いと思っていたのに、少し予想とは違う内容だった。

*

 テレビ番組にも時々出演することもある中堅小説家、津村啓(本名は衣笠幸夫)は、妻が友人とバス旅行に出かけた夜に愛人を自宅に呼び入れるが、翌朝、妻が乗ったバスが山道で事故を起こし友人もろとも氷の張った湖に沈んで帰らぬ人となった事を知る。
 妻の夏子とは大学時代からの知り合いだが、付き合いだしたのは卒業後だった。就職活動の最中に偶然入った美容室で、大学を中退していた夏子と再会したのだ。一年の時に母親が死んで大学を辞めた彼女は美容師の免許をとり既に自活していた。大学時代から作家になると公言していた幸夫は、以後夏子に助けられながら作家修行をしてきたのだった。
 夫婦になって二十年、夏子はともかく幸夫には妻は空気以下の存在で、その夜も髪の毛を切ってもらいながらもイヤミな話を彼女が出かける寸前まで続けていた。そんな状況で夏子は死んだのだ。
 有名人なので葬儀を行った山形まで芸能レポーターがやって来たが、幸夫には悲しみはこれっぽっちも湧いてこなかった。それでも悲しい顔をしないわけにもいかずインタビューにも応じた。家に帰ると早速ネットでエゴサーチをする幸夫。そんな彼の本心はすでに遺骨を抱えている時から所属事務所のマネージャーには見抜かれていた。
 バス事故遺族への説明会があった時に、幸夫は夏子の友人である大宮ゆきの夫、陽一と会う。彼とは初対面だったが陽一は『幸夫君』と名前で呼んできた。夏子が彼ら夫婦の前でそう呼んでいたからに違いなかった。長距離トラックの運転手をしているという陽一は、愛妻を失くした悲しみを隠そうともしなかった。

 サービスエリアで休憩中の陽一がいつものように携帯の留守録に残っている妻のメッセージを再生して涙に暮れていると、幸夫から電話がかかってきた。幸夫の家の留守電に連絡が欲しいと入れていた陽一への返信だった。
 陽一には二人の子供がいた。小学生の真平君と幼稚園の灯(あかり)ちゃん。
 四人で幸夫の行きつけのレストランで夕食を摂った時に、灯ちゃんがアレルギーのショック状態に陥る。陽一が灯ちゃんを救急病院に連れて行き、真平君と幸夫は家で待つことになるが、そこで幸夫はこの家の状況を把握することになる。成績優秀な真平君が今通っている進学塾を辞めざるを得ないという事。長距離トラックという仕事柄、陽一は週に2回は家に帰れない日があるという事。
 大宮家からの帰り、タクシーを捕まえようと道路傍に立っている陽一に幸夫が声を掛ける。
 『週に2回くらいなら僕が来ようか?僕の仕事はパソコンとノートさえあれば大丈夫だから・・・』

*

 妻の友人親子とのふれ合いの中で、妻を亡くしたという現実を徐々に受け入れていき、改めて妻への想いを深めていく主人公・・・みたいな、要するに失って初めて思い知る大事なもの、その相手への想いが描かれるのだろうと思ってたわけです。
 ところが、予想以上に主人公の頑なさは強固で、尚且つ妻への愛情もどれだけのものだったか些か疑いの目を持たざるを得ないような男でありました。
 奥さんを思い出すシーンなんか殆ど無かったですからね。中盤以降で唯一、深津絵里が出てくるのは、幸夫が陽一親子と四人で海水浴に行くシーンで、陽一が発した『夏ちゃんがいたらなぁ』という言葉に触発された幸夫の幻想の中だけでした。
 つまり、妻への想いが映画で描かれることはなく、妻への想いを深めていこうと“思い始める”までが描かれたと言っていいでしょうな。そんな映画です。

 西川さん、そこ面白いですか?その後の方が感動的だと思うんですけどねぇ。
 感動させようなんて思ってません、と言われればしようがないけど。
 ラスト近くの出版記念パーティーなんか没にして、もっと幸夫と夏子のシーンを増やして欲しかったなぁ。

 「人生は他者だ」
 終盤に辿り着いた彼の心境を表した言葉がこれでした。
 自分の事しか考えないで生きてきた主人公が、大宮家の力になっていって、しかし自分が必要とされなくなった後に初めて他者との関わり合いの大事さを知る。その事が、妻との関わり合いをもう一度考え始めることに繋がっていく。そういうプロットなんでしょう。
 「」や「ギター弾きの恋」のように、愛に取り残された男という見方もあるようですが、出版記念パーティーの様子を見るとそういう事でもないようですね。

 お勧め度は★二つ半。
 きめ細かい編集は相変わらずですが、原作にこだわらずにもっと感動的なエピソードが欲しかったです。

*

(↓Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])

西川美和の「永い言い訳」をレンタルで観る。予想とは違って切れが悪い。リズムも悪い。終盤の美容室のシーンをアップだけで済ますのは物足りないし、ラストの出版記念パーティーも白々しい。女性がどう感じるか分からないけど、僕には主人公達の言動が生々しくないな。演技のせいかもしれないけれど。
[ 8月27日 ]

「永い言い訳」2回目を観てる。やはり2時間は長すぎるな。そして主人公のキャラが一定してない感じがする。例えば序盤であんなにネットでエゴサーチしてた人間が、奥さんの壊れたと思ってた携帯が復活した時に、最初に観たメールがショックだったとはいえ、あんなに簡単に壊すかね。もっと見たくなるでしょう。
[ 8月28日 ]





・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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できごと

2017-07-28 | ドラマ
(1967/ジョセフ・ロージー監督/ダーク・ボガード、スタンリー・ベイカー、ジャクリーヌ・ササール、マイケル・ヨーク、ヴィヴィアン・マーチャント、デルフィーヌ・セイリグ/105分)


 イギリス映画に出てくる彼の国の慣習というか心情には不可解な部分があるのは「if もしも‥‥」なんかで承知していたけれど、この作品も似たような感触だった。脚本を書いたハロルド・ピンターが不条理演劇の大家と謂われるくらいだから余計にそんな感じを受けたのかもしれない。
 アメリカ生まれのジョセフ・ロージーも若い頃からヨーロッパ志向だったらしいが、今作のモヤモヤ感は自前のものかな?
 ピンター、ロージーコンビといえば「 (1971)」というジュリー・クリスティーとアラン・ベイツ共演のドラマを思い出すが、アレも女性の不可解な部分はあったけれど不条理劇ではなかったんだけどな。

*

 イギリス、オックスフォード大学の哲学科の教授スティーヴンが主人公である。
 オープニング・クレジットのバックにスティーヴン(ボガード)の家が写っていて、それは2階建ての上部に屋根裏部屋の窓もある家。深夜だが窓には明かりが点いていて、周りには樹が多く広い庭もあって、田舎に建っているこじんまりとした館という感じだった。
 クレジットが終わる頃、スクリーンからは急ブレーキをかける車の音がして、直後に車が何かにぶつかったような音がする。事故か。
 スティーヴンが家から出てきて前の道路を見てみると一台の車が横転していた。中で折り重なるように倒れていたのは若い男女。
 スティーヴンは横転した車の片側に登りドアを開けて声を掛けた。「ウィリアム」、「アンナ」。
 男の方は頭から血を流しており意識が無いようだったが、女は目を開けて腕を動かしていた。パーティー帰りのような白いドレスに身を包んだ若く美しい女性だった。
 ウィリアムの脈が無いのを確認したスティーヴンはアンナを車から出し、家まで連れて行った。運転をしていたのはアンナのはずなのに彼女はウィリアムの生死には関心が無い感じがした。スティーヴンは警察に電話をし、アンナにコーヒーを作ったが、彼女は意識が朦朧としているようだった。 
 警官がやって来たが、知らぬ間にアンナは別の部屋に移っていて、スティーヴンは彼女の事は警官に話さなかった。
 アンナは上階のベッドで寝ていて、呼吸も荒く、深い眠りに入っているようだった。

 と、ここまでがプロローグ。
 アンナの寝顔を見ながら、スティーヴンがこの数か月の出来事を思い出す形式で映画は進むんですね。
 各ショット、シークエンスにもモヤモヤ感が残るものが多いので、ストーリー紹介はあらましにしときましょう。

 アンナもウィリアムも彼の教え子で、アンナ(ササール)はオーストリアからの留学生、ウィリアム(ヨーク)は貴族の出身だった。ウィリアムはアンナに惹かれ、スティーヴンに名前と出身地だけ教えてもらう。
 ある日、二人が仲良くデートしている所に出くわしたスティーヴンは、彼らを自宅での食事に招待する。スティーヴンの家族は妻のロザリンド(マーチャント)と子供は幼い兄妹。ロザリンドは三人目を妊娠していた。
 その日、二人はやって来るが、一緒にスティーヴンの同僚でテレビ番組に出演したり小説も書いている教授チャーリー(ベイカー)もやって来た。チャーリーは近くを偶々うろうろしていて一緒になったと言ったが、結局夕食まで三人とも居続け、全員泊まることになった。チャーリーとはロザリンドも顔馴染みであり、チャーリーの妻のローラとも仲良くしていた。
 後に明らかになるが、アンナはチャーリーと数週間前から愛人関係にあった。その事をウィリアムは知らないようだった。
 臨月が近づいて子供達と一緒にロザリンドは実家に居候するが、スティーヴンだけになった彼の家をチャーリーとアンナは逢引きの場として利用することもあった。
 そんなある日、アンナはスティーヴンにウィリアムと結婚すると告白する。そしてその事をチャーリーに伝えて欲しいと言う。更には、その時の彼の反応を教えて欲しいというのだ。
 驚くスティーヴン。
 そこにやって来たウィリアムは幸せそうにアンナの髪の毛を撫でた。そしてその夜話があるのでパーティーの後にスティーヴンの家に寄っていいかと聞いた。それがウィリアムとの最後の会話だった・・・。

*

 登場する男たちは誰もみな陰湿に敵対的で、弱みを見せないようにふるまっている。
 スティーヴンは自分の弱みを見せることにそれ程の躊躇はないが、若い女への関心はひたすらに隠している。
 会話劇の様でもあるけど、その会話が成り立っていないのがモヤモヤする。裏の心理を読まないといけないからだ。かと言って、簡単に読めるわけでもない。作者にも分ってない可能性もあるからだ。ピンターの作劇ってそんな部分もあるらしい。

 お勧めは★二つ半だけど、三度は観たいと思わせたから★半分おまけ。

 その他の出演者で、デルフィーヌ・セイリグはスティーヴンが十年前に離婚した前の奥さんフランチェスカ役。大学の学長の娘という設定で、時々出てくる学長とスティーヴンとのやり取りもモヤモヤする。


▼(ネタバレ注意)
 上に紹介したストーリーの後、スティーヴンはアンナに肉体的な欲望を覚えて、事故後のアンナに暴行する。彼女も半分容認したような抵抗しかしなかったが、寮に帰ったアンナはその後帰国の途につく。
 アンナに夢中だったチャーリーには訳が分からないが、多分そんな彼を見てスティーヴンは勝利感を覚えたに違いない。

 俗物感が漂う登場人物が多いが、主人公もなかなかどうして俗物であるところが意外性を発揮して面白い。

 清楚に見えた若い女性が遊び人だったという所もいつの世にも起こりうる男性の錯覚でありましょうか。不思議に感じない程に今日的でもあります。
▲(解除)


 尚、奥さん役のヴィヴィアン・マーチャントはハロルド・ピンターの当時の奥様。
 ヒッチコックの「フレンジー (1972)」の5年前ですけど、役柄のせいか美人度が大分違ってましたな。





お薦め度【★★★=このモヤモヤ感、一見の価値あり】 テアトル十瑠
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ヴェラ・ドレイク

2017-06-13 | ドラマ
(2004/マイク・リー監督・脚本/イメルダ・スタウントン(=ヴェラ・ドレイク)、フィル・デイヴィス(=スタン)、ピーター・ワイト(=ウェブスター警部)、エイドリアン・スカーボロー(=フランク)、ヘザー・クラニー(=ジョイス)、ダニエル・メイズ(=シド)、アレックス・ケリー(=エセル)、サリー・ホーキンス(=スーザン)、エディ・マーサン(=レジー)、ルース・シーン(=リリー)/125分)


(↓Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])

マイク・リー監督の「ヴェラ・ドレイク」を観る。大体の内容は分かって観ていたが、一回目観終わって監督の掲げたテーマがはっきりと分からなかった。淡々と個人を見つめる描写だったが、観終わった頃には社会的な俯瞰的なテーマを狙っていると感じた。ちょっと手法と狙いがちぐはぐな感じだ。
[ 6月11日 以下同じ]

マイク・リーという監督は脚本を作らないんだそうだ。人物像を与えて、後は所謂即興的なシーン演出をするらしい。僕の感じたちぐはぐさは、そういう手法の影響だろうと思われる。いずれにしても、もう一度観なくては。

*

 「いつか晴れた日に」に出ていたイメルダ・スタウントンが主演オスカーにノミネートされた事で知っていた「ヴェラ・ドレイク」。マイク・リーはお初ですが、観照的な視点でリアリズムタッチで描かれた作品でした。セピア調のスクリーンで展開される戦後間もない頃の負の遺産の話。ストーリーは簡単なのでallcinemaの解説を引用しましょう。

<1950年、冬のロンドン。自動車修理工場で働く夫とかけがえのない2人の子どもたちと貧しいながらも充実した毎日を送る主婦ヴェラ・ドレイク。家政婦として働くかたわら、近所で困っている人がいると、自ら進んで身の回りの世話をする毎日。ほがらかで心優しい彼女の存在はいつも周囲を明るく和ませていた。しかし、そんな彼女には家族にも打ち明けたことのないある秘密があった。彼女は望まない妊娠で困っている女性たちに、堕胎の手助けをしていたのだった。それが、当時の法律では決して許されない行為と知りながら…。>

 事前情報を読んでまず気になるのは、何故主人公は自分だけでなく家族の破滅さえも招きかねない危険を顧みずに犯罪に手を染めたのかという事ですよね。これ実は中盤に警察が事情聴収に乗り込んでくる前の夫婦のベッドの上の会話にヒントが出されていたのですが、その後情状酌量の余地を残すものとして裁判に活かされるものと思って観ていましたら完全にスルー。裁判上は影響なしで仕方ないとしても、家族間の相互理解には重要な情報となると思って観ていたのですが、最期まで再び触れられることもなく肩透かしを食いました。
 それはこんな会話でした。
 引っ込み思案の大人しい娘のエセルが近所の青年からプロポーズを受けて夫婦共に嬉しい気分の中、昔を懐かしみながら今までの苦労を思い出していた時の事です。
 夫スタンはヴェラに『俺たちは幸せ者だ。お前は母親のようにならなかったし』と言います。
 ヴェラは『あの人は仕方ないのよ』と言いますが、どうやらヴェラの母親は若い頃は奔放な人生を送った女性だと僕は感じました。何故ならその後にスタンは更にこう聞いたからです。
 『父親は誰か聞いたか?』
 ヴェラは黙って首を振りました。要するに、ヴェラは父親の名前もどんな人かも知らずに生まれてきたのです。
 この設定はヴェラが犯罪に手を染める理由の一つとして何らかのエピソードを生む材料になると思ったんですけど、結局スタンの口からも家族に語られることはなかったのです。





 即興的な演出をすると言いながら、プロットは分かりやすかったですね。
 序盤から20分は、主人公や周りの人々の紹介。20分を過ぎてからヴェラの裏の顔が出て来ます。裏の顔と言っても彼女としては善意でやっている事なので普段と変わりない物腰なんですが。

 この映画がヴェラの人生だけを追ったモノでないのは、序盤から登場する、家政婦として通っているお金持ちの家の娘(「ブルージャスミン」にも出ていたサリー・ホーキンス扮する)スーザンがボーイフレンドに暴行されて後に堕胎するという一連のエピソードがあることで分かります。中盤で彼女の妊娠が分かった後に、ヴェラとの裏の接点が出来てくるのかと思っていたら結局何も繋がらなかったという、要するにこの映画には当時の堕胎を取り巻く社会事情を描いていくというテーマがあったんですよね、監督には。
 片方では個人の人生を深堀しながら、最終的には当時の間違った社会制度を網羅しようとする態度は如何なもんでしょうか。一つ一つのエピソードの描写は優れているのに、ヴェラの秘密の扱いと共に僕的にはお薦め度がマイナスになった要因でした。

 上映開始後一時間程たつと事件が発覚し警察が登場します。
 ドレイク家では長女の婚約祝いに向かって喜びが増幅していく中、警察は徐々にヴェラ逮捕に向かって捜査が進展していき、後半40分を残す頃についに警察はヴェラの家に乗り込んでくるのです。この後の展開への緊張感が増して素晴らしい編集でした。

 アカデミー賞では、主演女優賞、監督賞、脚本賞にノミネート。
 ヴェネチア国際映画祭では金獅子賞と女優賞を受賞。
 イメルダ・スタウントンは全米批評家協会賞、NY批評家協会賞、LA批評家協会賞でも女優賞を獲得したようです。
 母国英国アカデミー賞では11部門でノミネート。うち主演女優賞、監督賞(デヴィッド・リーン賞)、衣装デザイン賞(ジャクリーヌ・デュラン)を受賞したそうです。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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ベニスに死す

2017-05-17 | ドラマ
(1971/ルキノ・ヴィスコンティ製作・監督・共同脚本/ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ、ノラ・リッチ、マーク・バーンズ、マリサ・ベレンソン、ロモロ・ヴァリ/131分)


 「ベニスに死す」を観る。初公開が1971年だから約45年ぶりだ。
 実は2006年11月にNHK-BS放送を録画したDVDがあったのに今まで放置していた。11年も。
 ヴィスコンティは好きになれない監督って以前にも書いたことがあるけど、今思えば最初はこの映画が原因じゃなかったかと思う。双葉先生他沢山の批評家が絶賛していたので映画館まで観に行ったのにサッパリ感動しなかったからだ。
 大体、芸術家を主人公にした作品って監督本人の思い入れが強すぎて独りよがりの表現が多いと思うんだよな。フェリーニの「81/2」然り。
 あと、小説でいえば一人称で叙述されたような作品を映画にするのも危険が多いと思う。ベルイマンの「野いちご」のように夢や幻想で内面を表現できる分はいいけれど、マルの「鬼火」のように客観的な映像だけで内面まで描こうとするのは無理がある。主観ショットがあっても映像はあくまでも客観的なものだからだ。夢や幻想が無いのならモノローグくらい流して欲しいと思っちゃうんだな。
 「野いちご」や「鬼火」を持ち出したのは、今回「ベニスに死す」を観ながらそれらを思い出したからで、更に主人公が芸術家だから心情を理解するのは余計に難しい。勿論、僕の理解力不足もあるとは思うけれど、一般ファンへ大いにお勧めするとは言い難い映画であることは間違いない。

*

 原作はトーマス・マンの同名小説。原作では小説家が主人公だが、映画では音楽家になっている。

 ダーク・ボガード扮するドイツの作曲家グスタフ・アッシェンバッハが静養の為にベニスを訪れる所から映画はスタートする。港に着いた途端に何やら急に話しかけてくる化粧面の小男が居たり、言う事を聞かない小船の船頭が出てきたり、更に主人公の物腰も高慢そうなので不穏な雰囲気がする。
 ウィキでは老作曲家と紹介されている主人公は一人旅。気難しそうな彼が何故一人でベニスに来たのか? それは時々挿入される過去の映像から分かってくる。
 幼い娘の死、聴衆に受け入れられなくなった楽曲、友人との芸術論争。心身ともに疲弊していて、心臓も弱り、医者の勧めもあってベニスにやって来たのだ。ホテルの部屋に入った彼の荷物には、娘の写真立てと共に若い妻の写真立てもある。描かれてはいないが妻も亡くなっているのかもしれない。

 最初の夜。夕食の前に入ったラウンジで、グスタフは精錬された佇まいの一家に目を止める。
 これもウィキによるとポーランド貴族の一家なんだそうだが、幼い少女二人とミドルティーンくらいの姉、彼女らの家庭教師と思しき女性と気品溢れる母親、そしてグスタフが最も心を奪われたのがビョルン・アンドレセン扮する美しい少年タジオだった。

 友人との芸術論争において、美は芸術家の努力の賜物以外にないという立場のグスタフに対して、友人アルフレッドは美は天然自然の中から生まれるものであると言う。要するに、タジオという存在を美しいと感じる事は、友人との芸術論争で語った自身の言葉を否定してしまう事なのだ。

 映画の前半は、タジオの美しさを認める自分と、美を創造するのは芸術であるというこれまでの考え方を否定したくない自分とのジレンマに陥ってしまうグスタフが描かれている。
 居たたまれなくなったグスタフは急用が出来たと嘘をついてホテルを後にするが、最寄りの駅で手違いで荷物が指定してない場所に送られてしまった事が分かる。結局、グスタフの手元に戻るまでホテルに留まるを得ないようになり再び船で戻っていく。ついさっきまでベニスを出ようとしていたのに、出れなくなった途端ににんまりと一人笑顔になるグスタフ。又、タジオに会えることが嬉しいのだ。
 再度ホテルに戻った後、ビーチでタジオを見つけた後にグスタフがいそいそと書き物をするシーンがある。美少年にインスパイアされて曲が生まれようとしたんだろうけど、モノローグが無いのでどういう気持ちだったのか分からない。芸術的な美の創造について考え方が変わったのではないかと思うんだけど、この辺り物足りなかったなぁ。

 ここまでで上映時間は大体半分。ここまでは結構面白かった。

 後半はグスタフがストーカーのように街でタジオを尾行したり、物陰からジッと見つめたりするシーンが続いて些かうんざりする時間が多くなる。
 ドラマ的にはベニスの街に広がっていく疫病への恐怖を軸として、不穏な街の様子を調べていく過程とか、それが疫病と知った後はタジオ一家にその事を知らせるべきだが、それはタジオとの別れを意味することとなるジレンマとか、面白いエピソードになりそうなのに、どうも中途半端な印象しかない。
 疫病がアジアコレラと分かった後、タジオ一家にコレラの事を知らせて避難を促す救世主になる自分を想像するシーンはあるけれど、恐怖を募らせるよりもタジオへの想いが募るのが優先していて、つまりグスタフが思考停止的になっていて僕の関心も薄らいでいった。
 「アデルの恋の物語」もそうだけど、恋に盲目的になって思考停止状態になった主人公をどんなに描かれても、興味が無くなっちゃうんだよな。

 ということで、131分の上映時間中80分くらいまでは面白いけれど、後半の50分は僕的には冗長だ。

 後半に、客として娼館に入っていくグスタフのシーンがある。タジオが広間で「エリーゼのために」をピアノで弾いているのを聴きながらグスタフが過去を思い出しているように描かれているんだが、可愛らしい娼婦が相手をしてくれたのにどうやら肉体的な繋がりはなかった様だ。
 このエピソードは何を意味してるんだろう。
 アルフレッドには芸術家は不道徳であるべきなんて言われてたが、それを実践しようとしたということなんだろうか?

 結末は推して知るべし。
 45年前に感慨が残らなかったのが納得できた再見だった。

 アカデミー賞では衣装デザイン賞に、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールにノミネート。
 英国アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、監督賞にノミネート、撮影賞(パスクァリーノ・デ・サンティス)、美術賞、衣装デザイン賞、音響賞を受賞したそうです。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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さよならをもう一度

2017-04-25 | ドラマ
(1961/アナトール・リトヴァク監督・製作/イングリッド・バーグマン、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンス、ジェシー・ロイス・ランディス、ダイアン・キャロル/120分)


 フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」が原作の映画ですね。
 初めて観たのは十代の頃。多分『日曜洋画劇場』でしょう。淀川さんが解説してらっしゃったイメージが今も海馬に残っています。原作本も読みましたが、本まで買ったってことはこの映画が好きだったって事でしょうね。
 改めて数十年ぶりに観ても中年に差し掛かった女性の心情が良く描かれていると、老年男子ながら感心しました。但し、これは男性監督が描いたものだから所詮男性目線のモノなのかもしれませんけどネ。女性観客にはどう映ったんでしょう。

 因みに、多作だったと言われるフランソワーズ・サガンの小説を僕は三つしか読んだことがない。いずれも十代の頃で、御多聞に漏れず一つは「悲しみよこんにちわ」で、もう一つが「ブラームスはお好き」、三つめの「ある微笑」は本棚に有ったのは覚えているけど内容は全く覚えていません。
 十代に三つも読むなんて、少なくとも当時はサガンが好きだったんでしょう。そしてサガンを読むきっかけとなったのが、この「さよならをもう一度」だったのであります。

*

 舞台はパリ。
 ヒロインは40歳のバツイチ美女、ポーラ。インテリア雑貨の店を持ち、デザイナーとして室内装飾の注文を受けて忙しくしている女性だ。5年前に同じく離婚経験者のロジェと知り合い付き合っているが、お互い結婚には消極的で、束縛しない代わりに隠し事はしないのが不文律となっている。
 シカゴに本社を置く業務用トラック販売会社のフランス支社重役のロジェには出張が多く、週末には揃ってディナーを摂るのが習慣になっているが、最近は食事だけの逢瀬となっているのを寂しく感じるポーラだった。
 そんなある日、ロジェの知り合いに紹介されたアメリカ人女性の豪邸でポーラはその家の一人息子フィリップと出逢う。
 フィリップは25歳。代々弁護士をしている名門の出で、母親のつてでパリの法律事務所に勤めているが仕事はあまり熱心ではなく、その日も朝遅く出かけようとしてポーラと出逢ったのだ。
 フィリップの一目惚れだった。さらりと会話を交わしたが彼には衝撃の出逢いだった。一旦は出かけたふりをして、暫くして家から出て来たポーラを、フィリップはたまたま通りかかったと嘘をついて店まで車で送るのだった・・・。

*

 中年男女の結婚しないカップルの間に若い青年が割り込んだ三角関係の話ですね。
 なんといっても二人の男の間で心揺れ動くポーラを美しく、そして色っぽく演じたバーグマンが魅力的です。
 ロジェの若い女性たちとの情事にも寛容なそぶりを見せてきたが、流石に最近は嘘に気づかないふりをするのにもどこか侘しさまで感じてしまうポーラ。
 フィリップの繊細で上品だけど、でも一途で積極的なアプローチに少しづつ心を許していくのです。

 男達の描写もポーラの為のただの飾り物になっていないのがいいですね。
 週末のある朝、車を運転中のフィリップはロジェが若い女の子と待ち合わせて、旅に出ようとしている所を目撃する。タクシーで乗り付けた女性のスーツケースを自分の車に放り込むロジェ。明らかに週末の情事の小旅行だ。
 その後フィリップが家に帰ると、土曜日だというのにポーラが来ていて母親と打ち合わせ中。それとなくロジェの事を聞いてみると、彼は仕事で出張中だとポーラは言う。
 この辺の展開でも、フィリップがロジェの秘密をばらすことは無くて、それはその後においてもそうで、登場人物に品があるのがいいですネ。

 歳を重ねることで増していく独り身の中年女性の将来への不安。
 まだまだ元気な中年男性は浮気も楽しむ余裕があるが、彼女に近づいてくる若者の積極性に次第にイラついてくる。確かに夫婦じゃないから青年に面と向かって怒るのも大人げ無いかと無視を決め込むも、相手にしている彼女に腹が立つのだ。
 そんな気持ちのすれ違いのスキに、つい青年の情熱が愛おしくて一夜を共にしてしまうポーラ。これがロジェだったらどんなに良かったことか。





 てなわけで、モテ男がお似合いのイヴ・モンタンに、一歩間違えばストーカーといっていい「サイコ」の翌年のパーキンスと、皆さん役にはまって絶妙なアンサンブル。
 数十年前は、バーグマンの吹き替えをした水城蘭子さんの声が好きだったのと、若い青年が年上の女性に夢中になるという設定に、かなり感情移入したような気がします。
 終盤のヒロインの階段の上からの哀しい別れの言葉は数十年経っていても忘れていなかったけれど、フィリップはやっぱりただの甘えん坊で、あの結末は当然の成り行きではありましたね。

 時々、フィリップが若者らしいピュアな言葉を吐くのが印象的。
 曰く、『愛のない孤独な人生は最も過酷でつらい刑だ』、『男と女に必要なのは、愛することだけじゃなく愛されることだ』etc

 1961年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールにノミネート。
 アンソニー・パーキンスが男優賞を受賞したそうです。






<ブラームス 交響曲第3番ヘ長調作品90>



・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

2017-01-22 | ドラマ
(2014/アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督・共同制作・共同脚本/マイケル・キートン、ザック・ガリフィナーキス、エドワード・ノートン、アンドレア・ライズブロー、エイミー・ライアン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ/120分)


 18日にレンタルした途端に忙しくなって返却日の25日までに観れそうになかったけれど、今朝早めに目が覚めたので観ることにしました。多分しばらくは2度目は無いと思うので、十分理解したとは思えないけれど紹介記事を書いておこうと思います。

*

 かつて「バードマン」というヒーロー物の映画で一世を風靡した俳優がその後低迷を続け、中年になって再起を図るべく舞台に進出し、主演・演出に乗り出すも不安にさいなまれたり、共演俳優と揉めたりするという話。離婚した妻とか、付き人をさせている実の娘とのトラブルとかもあって、家族の再生話のムードもちらっとあります。
 ブロードウェイの演劇批評家とのバトルもあり、製作側の狙いは批評家をディスることか、なんてことも考えましたな。
 2014年のオスカー受賞作との事。
 特殊な環境の人物の特殊な感情を、これまた個性的な描き方で表現したこんな作品がオスカーを獲るとは。60年前に何処にでもいる小市民の結婚話を描いた「マーティ」がオスカーを獲ったことを考えると隔世の感がありますな。
 個性的な手法というのは、allcinemaの解説氏の言う<全編1カットという驚異の撮影スタイル>のこと。しかし、僕の観た限りでは終盤にはいくつかカットが切り替わっておりましたがね。

 主演がかつて映画「バットマン」で主役を演じていたマイケル・キートンなのも面白い。

 「バードマン」のイメージからの脱却が出来ない事を表すのに、本人が超能力を使えるシーンを色々と描いていて、それらを1カットで描いている為に幻聴・幻覚と現実との狭間が分からなくて、このままファンタジー映画になっちゃうのかな、なんて思ったりもしましてね。人によっては好き嫌いが分かれる作品かも知れないですね。
 僕は、登場人物にも(どいつもこいつも大声で叫びやがって)惹かれないし、ロングカットに拘った理由も分からないので(疲労感が残るだけだし)好きじゃないㇲ。

 「バベル」を撮ったアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督がオスカーを初受賞とのこと。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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摩天楼を夢みて

2017-01-19 | ドラマ
(1992/ジェームズ・フォーリー監督/アル・パチーノ、ジャック・レモン、エド・ハリス、アラン・アーキン、ケヴィン・スペイシー、ジョナサン・プライス、アレック・ボールドウィン/100分)


 NYの下町にある不動産会社の支社を舞台にした人間ドラマであります。
 登場人物は、若い支社長(スペイシー)と営業マンが4人。
 アル・パチーノ扮するローマはやり手で営業成績も優秀。
 ジャック・レモン扮するシェリー・レビーンは最年長のベテランだが今月は未だ一件も契約が取れていないし、現在娘が入院していてそっちの方も気掛かりだ。
 エド・ハリス扮するデイヴ・モスは会社のやり方に不満たらたらで、ろくな営業情報も顧客情報も無いといつも愚痴をこぼしている。
 気が弱くて自分はこの仕事には向いてないと言っているのはアラン・アーキン扮するアーロナだ。

 ある雨の降る夕方、営業ミーティングとして集まったローマ以外の三人の前に一人の男が現れる。アレック・ボールドウィン扮する、スーツをバシッと決めた男。
 彼は、この営業成績の振るわない支社の連中に喝!(本当は活)を入れるためにやってきた社内でも有数のやり手営業マンなのだ。

 レビーン、モス、アーロナの三人は、若造のくせに本社の大幹部のような物言いに反撥も覚えるが、この1週間の成績で最下位になった者は首だと宣言され動揺は隠せない。
 モスはアーロナを連れ出して、元同僚で今は退社して起業した男に倣って辞めようと持ちかける。但し、ただ辞めるのではなく、金になりそうな会社の情報を盗んでしまおうと。
 レビーンは、支社長の金庫にある有望な物件情報を金で買うからくれないかと支社長に持ち掛け断られる。
 そんな中、ローマだけは会社の向かいにあるバー&レストランで偶々知り合った男に最新物件の販売に成功する。

 さて、翌日。
 会社の前にはパトカーが止まっていて、会社の中に入れば、夕べのモスとアーロナの相談事項が実行された気配。さて、真犯人は誰か?そして彼らの運命は?
 てな具合の、最後は謎解きの要素も加わる面白いドラマであります。

 なんでもそうですけど、営業マンというのはホントにつらいもので、自己暗示でも掛けなければやってけない商売だと思いますね。ましてや不動産なんてバブルの時ならまだしも、不景気になれば自殺者も出る程の過酷な職種でありましょう。アレック・ボールドウィンを見ながらドナルド・トランプはこんな奴だろうと思ってしまいましたな。

 十数分も観ていれば分かりますがコレは舞台劇の映画化。
 原作も脚本もデヴィッド・マメットという劇作家で、なんとリンゼイ・クローズの元ご亭主らしいです。

 1992年のアカデミー賞とゴールデン・グローブでアル・パチーノが助演男優賞にノミネート。
 ヴェネチア国際映画祭ではジャック・レモンが男優賞を受賞したそうです。





・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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モンタナの風に抱かれて

2016-09-11 | ドラマ
(1998/ロバート・レッドフォード監督/ロバート・レッドフォード、クリスティン・スコット・トーマス、スカーレット・ヨハンソン、クリス・クーパー、サム・ニール、ダイアン・ウィースト/167分)


 「モンタナの風に抱かれて」
 まるでオリビア・ニュートン・ジョンの爽やかなポップスみたいなタイトルですが、原題は【THE HORSE WHISPERER】。直訳すると「馬に囁く人」でしょうか。
 犬と同じように人間に飼われることの多い馬は、やはり犬と同じように時にトラブルがトラウマとなって人間不信に陥ったり凶暴な面を見せたりする。「HORSE WHISPERER」とは、そんな馬に寄り添い、心を通じ合い、痛みを癒す能力を持った人の事なんだそうです。

 題材の選び方、テーマの捉え方、そして監督の技量としてもイーストウッドより高く買っているロバート・レッドフォードの監督第5作。
 封切りから数年後にレンタルビデオで観た本作は双葉評では☆☆☆☆(80点)の傑作ですが、僕には何故か印象が薄い作品なんですよね。

*

 ニューヨークに住むマクリーン家は、弁護士をしている父親ロバート(ニール)と一流雑誌の編集長をしている母親アニー(トーマス)と中学生の一人娘グレース(ヨハンソン)の三人家族。
 雪の降り積もった冬の週末、郊外の別荘近くの森で友達と馬に乗って遊んでいたグレースは、事故にあい片足を切断する大けがを負ってしまう。近道をしようとした友達が傾斜地を無理に登ろうとした事が原因で、愛馬もろとも倒れて下の道路に滑り落ち、運悪く通りかかった大型トラックに轢かれてしまったのだ。友達は亡くなり、グレースの愛馬ピルグリムもグレースを助けようとしてトラックにぶつかり大けがを負ってしまう。なんとか一命はとりとめたが、人間には不信感を露わにするようになっていた。
 ショックを受けたグレースは学校にも行く気が失せ、アニーにも心を開かなくなってしまう。
 アニーは、ピルグリムを元通りにしさえすればグレースの心も癒せると考えるようになり、雑誌で知った「HORSE WHISPERER」トム・ブッカーに連絡を取るのだが・・・という話。

 序盤の家族紹介を含めた事故の直後までの複数シークエンスの編集はお見事で、グレースが友達と馬に乗っている雪原のシーンは幻想的な絵画のような美しさ。
 編集は「ライトスタッフ (1984)」でオスカー受賞のトム・ロルフで、カメラはアカデミー賞にノミネートされること9回、うち3回受賞の名人ロバート・リチャードソンでありました。

 アニーはブッカーにニューヨークに来て欲しい、なんならファーストクラスの飛行機代も出すからと電話をいれるが、ブッカーは自分は医者じゃないし「HORSE WHISPERER」の仕事は今はしていないからと断る。あきらめきれないアニーはピルグリムをトレーラーに乗せ、グレースをお供に一路ブッカーのいるモンタナに車で向かうのだ。
 数千キロをかけてやって来たモンタナで、ブッカーは弟夫婦と三人の幼い甥っ子達と共に広大な牧場を経営していた。
 道中も母親に心を開かないグレースだったが徐々にピルグリムとの距離を縮めていくブッカーのやり方に驚き、アニーも辛抱強い彼の姿勢に興味を持つのでした。

*

 暴れ馬となったピルグリムの心を癒すと共に、意思疎通が滞っている都会の母娘間のしこりを、彼らの頑なな生き方を含めて揉み解す「HORSE WHISPERER」との出会いがモンタナの大自然の中で描かれる大作であります。

 原作があって、ニコラス・エヴァンズというイギリス出身のジャーナリストの小説デビュー作。それを「フォレスト・ガンプ/一期一会(1995)」でオスカー受賞のエリック・ロスと、「マディソン郡の橋(1995)」のリチャード・ラグラヴェネーズが共同で脚色したらしいです。
 2時間47分、約3時間の長尺で、正直中盤以降中だるみする所もあって、これは共作の悪い面が出たのかなと思ってます。

 馬の癒しと、母娘の癒しを相乗的に描ければそれでよかったでしょうに、何故か後半はアニーとブッカーのラブ・ロマンスが生まれてくるんですよね。これがちょっと余計かなぁと。
 流石にギトギトした展開にはならないものの、やっぱ「イングリット・ペイシェント (1996)」のクリスティン・スコット・トーマスですから不倫ムードを出したくなっちゃうんですかねぇ。(おまけにサム・ニールは「ピアノ・レッスン(1993)」でも奥さんに不倫されてるし)
 そして、その流れを組む(汲むではなくネ)ためでしょうか、ブッカー家や周りの人々との田舎生活の描写もふんだんに描くことによって中だるみが生じた嫌いがあります。
 なので、お勧め度は★三つ、一見の価値ありに留まりました。

 久しぶりに観て、色々なシーンで別の映画を想起する場面があったのが面白かったです。
 微かな不協和音が流れる三人家族の様子には「普通の人々 (1980)」を、馬の調教のシーンでは「出逢い (1979)」を、トムがグレースに車の運転を教える所では「アンフィニッシュ・ライフ (2005)」を思い出しました。

 クリス・クーパーはトムの弟フランク役。
 ダイアン・ウィーストはフランクの嫁ダイアンの役でした。
 1998年のアカデミー賞では、主題歌賞にノミネート。
 ゴールデン・グローブでは作品賞(ドラマ)と 監督賞にノミネートされたそうです。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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ネタバレ備忘録 ~「海街diary」

2016-06-06 | ドラマ
 6月1日のツイートの後にも実は3回ほど観てるんですネ。あの空間が心地良いのと、美女姉妹が目の保養にも良いかなと。
 それじゃお勧め度も上がったのかというと、これはやっぱり★四つのまんま。満点五つ★とはいきませなんだ。コミックの原作者が吉田秋生(よしだ あきみ)という女性らしいですが、どこかキレイ事感が拭えないところがあるんですねぇ。ただ、主人公の幸とかすずとかのエピソードには納得しているし、何度見ても泣かされるので好きなんです。





 義理の妹を迎え入れた三姉妹が、本当の四姉妹になるまでの一年の物語。
 姉妹が出会う父親のお葬式があるのが夏の真っ盛りで、すずが転校してくるのが多分2学期でしょう。落ち葉の秋を過ぎて、炬燵の季節を越え、桜が満開の頃に新学年を迎える。すずが初めて参加した梅もぎりが終わって、梅雨の頃にお祖母ちゃんの七回忌法要が行われ、札幌から十数年ぶりに母親がやってくる。花火大会があり、「海猫食堂」の小母ちゃんのお葬式があったのが夏の初めの頃でしょうか。葬式の後に、鎌倉の浜辺を散歩しながら四姉妹は亡き父親を思い出し、心の底からそれぞれを愛おしいと感じるようになるんですね。

 鎌倉の家では、姉妹が仏壇に手を合わせるシーンがよく出てきました。
 姉妹の祖父・祖母共に元学校の先生で、仏壇の上の壁に飾られている写真を見たすずは幸が祖母に似ていると言いますが、千佳曰く幸は祖母似と言われるのが嫌らしい。母親と喧嘩した際に、何かとお祖母ちゃんに似ていると嫌味のように言われたのが原因なんでしょう。

 父親の葬儀に出た幸は父の三番目の奥さんが自分たちの母親に似ていると言いました。
 父親はどこか弱い人が好きだったみたい。
 『優しくてダメな人だったのよ。友達の保証人になって借金背負っちゃうし、女の人に同情してすぐにああなっちゃうし』
 すずの母親については語られなかったけど、やはり同じタイプだったのでしょうかネ。





 姉妹の家がある鎌倉の最寄り駅が江ノ電の「極楽寺駅」でした。
 木曜日夜のTV番組「プレバト」の俳句コーナーでも何度か出て来た下り坂の踏切の向こうに湘南の海が見える風景(鎌倉高校の近くらしス)や、江ノ電が参道を通っているショットが出てきて、鎌倉らしいなぁと、実は一度も行ったことがないのに感じた次第。小津が描いた昭和の鎌倉とは少し違ってましたね

 前田旺志郎君扮する風太は少年サッカー・チーム「オクトパス」のキャプテン。
 すずを自転車の後ろに乗せて桜のトンネルを走らせたシーンは、ジブリの「魔女宅」や「耳をすませば」を思い出しますね。
 終盤、自分が居ることで傷つく人がいると悩むすずに、自分は三人兄弟の末っ子で、本当は両親は女の子を望んでいて、だから自分の写真が他の兄弟に比べて少ないんだと、とんちんかんな慰め方をするのが可愛かった。それをサラリと受け流すすずも。

 そのずっと前のシーンで、外回りの係になった佳乃が課長の坂下になんで都市銀行を辞めたのかと聞いて、『自分の居場所はココじゃないって、突然気付いたことない?』と答える所があるけれど、流れからして、すずがひょっとしたら同じ事を言い出すんじゃないかと一瞬思っちゃいました。あれって、そういうとこ狙ってたのかな?





 映画の流れには、この家族の過去が段々と分かってくるという楽しみがあるんだけど、過去だけじゃなくて現在の事についてもサプライズ的な事もありました。
 一番のサプライズは幸に恋人がいたってことでしょうか。同じ病院の小児科の医師、堤真一扮する椎名和也。山形の葬式に行くように勧めて、車で送ってくれたのも彼でした。
 そして、彼には心の病を抱えた妻がいて別居中。つまり幸は傍から見れば不倫をしているわけです。
 祖母の法事の後、久しぶりに会った幸と母親(大竹しのぶ)との口論によって、自分の母親の不倫の負の影響を身近に感じたすずが、そんな幸の立場を知らずに『奥さんがいる人を好きになるって、お母さんいけないよね』というシーン。綾瀬はるかのリアクションにも見いってしまいましたネ。


 風吹ジュンの食堂は「海猫食堂」でしたが、リリー・フランキーのは「yamanekotei」。
 ヤマネコ亭でシラスを乗っけたトーストを食べた時に、すずは亡き父がよく作ってくれたのを思い出す。ラストシーンで、葬儀の後にリリーがすずに『お父さんの話が聞きたくなったら、こそっとおいで』と言うのが良いです。リリーが、鎌倉に居ながらずっと博多弁でしゃべっているのも良かばい。





 何度観ても泣いちゃうのが終盤の、幸とすずが山に登るシーンです。
 休みの日。幸とすずが二人して鎌倉の小高い山の上に登る。そこは幸が子供の頃に父親によく連れられた場所で、父親が出奔した後は一人で登ったと彼女は言いました。そしてそこは山形ですずが父親と一緒に登ったあの場所にそっくりだったのです。
 『お父さんが、なぜあそこに登っていたのか分かる気がします』

 『わーっ!』突然、幸が大きな声をあげる。
 『すずもやってみな。気持ちいいよ』
 『わーっ!』すずも思いっきり大声をあげる。こんなに大きな声を出すなんて今まであっただろうか?

 『お父さんの、バカーッ!』と幸。
 すると、すずが
 『お母さんのバカーッ!』
 思わずすずを見つめる幸。
 『もっと一緒にいたかった』と泣き出すすず。
 『お母さんの話、してもいいんだよ』とすずを抱きしめる幸。

 『すずは、ここにずっと居ていいんだよ』
 『ずっと、ここに居たい』・・・泣かせる




 
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海街diary

2016-06-03 | ドラマ
(2015/是枝裕和 脚本・監督・編集/綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、樹木希林、リリー・フランキー、風吹ジュン、堤真一、大竹しのぶ、加瀬亮、鈴木亮平、池田貴史、坂口健太郎、前田旺志郎、キムラ緑子、小倉一郎/128分)


古い映画を二本観たので、今日はレンタルで「海街diary」を借りてくる。先日TV放映があったばかりだが、アレは意識して観なかったので今日が初見。
[ 5月29日 以下同じ](Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])

鎌倉が舞台だからどうしても小津を思い起こさせるな。とりたてて大きなドラマがないのも似ているし、それなのに何気ない映像が時間を忘れさせてくれる所も似てる。ただ、終わってみると何か一つ物足りない感じがあるのも確か。も少し、時の流れを感じさせてくれる空ショットが欲しかったような・・・。

原作はコミックだそうな。コミックって「のたり松太郎」以来読んでない気がするけど、「海街diary」なら読んでもいいかも。初のコミックレンタルしてみようかな。

昨日「海街diary」を再見する。始ってしばらくして、すずが登場する頃からウルウルとしてしまって・・。後でyoutubeを見てみると、広瀬すずにはシナリオを渡してなくて撮影現場で監督自らセリフ込みで演技指導をしていたそうな。今回は日本語字幕を流しながらの鑑賞でありました。
[ 6月 1日 ]

*

 鎌倉に住む香田家の三姉妹。長女の幸(さち)はベテランの看護師で、次女の佳乃(よしの)は銀行員、三女の千佳(ちか)はスポーツ店で働いていた。
 家は築数十年の木造二階建ての旧家で、両親は15年前に離婚、入り婿だった父親は出て行き、その後母親も再婚したが、娘たちは健在だった祖母と共に家に残ることになった。その祖母も亡くなり、今は姉妹だけで住んでいる。
 そんなある日、彼氏のアパートで一晩過ごした佳乃の携帯に幸から連絡が入った。それは15年前に別れたきりの姉妹の父親が亡くなったという知らせだった。
 両親の離婚は父親の不倫が原因で、父親は不倫相手と再婚して女の子をもうけたがその奥さんも亡くなり、葬儀は三人目の結婚相手と暮らしていた山形で行われるという事だった。
 幸は葬儀の日が夜勤明けの為に行けそうにないので、佳乃と千佳に参列するように頼んできたのだ。

 一両編成の田舎列車に揺られて着いた駅で佳乃と千佳を一人の少女が待っていた。『浅野すずです』とぺこりとお辞儀をしたその中学生が、つまり佳乃たちの腹違いの妹だった。

 式の途中で幸もやって来た。友人の車で送ってもらったらしい。
 幸が父親の三人目の奥さんに挨拶をしていると、喪主の挨拶について葬儀社から問い合わせがきた。挨拶はどなたがされますかと。頼りなげな未亡人もその叔父さんも消極的で、終いには“すず”がしっかりしているからと義理の娘に喪主の挨拶をさせようとした。
 それを一緒に聞いていた幸はきっぱりと言った。『それはいけません。これは大人の仕事です。なんなら私が・・』
 結局、未亡人が嫌々務めることになった。

 全てが終わり三姉妹が揃って帰っているとすずが追いかけて来た。
 少女が手に持っていたのは父親の持ち物の中にあったという幸たち姉妹の写真だった。幸はすずに『この町であなたの一番好きな場所を教えてくれない?』と言った。
 すずの案内した場所は、町が見下ろせる高台だった。佳乃と千佳は其処が鎌倉に似ていると思った。『ほら、あそこに海が見えれば・・』
 幸はすずにお礼を言った。『あなたがお父さんを看てくれてたのよね。ありがとう』

 すずは電車の駅まで見送りに来てくれた。
 別れ際に幸が言う。
 『すずちゃん。一緒に鎌倉で暮らさない?私たち皆働いているから、あなた一人くらい何とかなるわ。すぐに返事をくれなくていいから、考えてみて』

*

 腹違いで身寄りのなくなった妹すずを不憫に思った幸が実の妹のように受け入れようとしたのは、すずも又自分たちと同じく大人の(はっきり言えば幸達の父親の)犠牲になった子供だと感じたからでしょう。しかし、鎌倉の大叔母が言うようにすずは幸たちの家庭を壊した女性が産んだ子。言葉にはしないがすずにも自分の立場が分かっていて、鎌倉にやって来てもすぐには馴染めないところもある。
 ドラマの軸は、すずと幸たちが如何にして本当の意味での姉妹になっていくかという所なんですが、よくあるように殊更にその辺りに的を絞ったエピソード、或いは展開にしていないのが良いですね。姉妹や彼らの周りの人々との細やかなエピソードを積み重ねていく間に、すずと幸たちの距離も自然と縮まっていくのが感じられる。巧いです。
 前作「そして父になる」よりは納得しやすいテーマであったのも幸いしてか、かなり心地よい余韻に浸らしてもらいました。





 樹木希林は亡くなった祖母の妹の大叔母で、大竹しのぶは姉妹の母親で今は北海道に住んでいる。
 風吹ジュンは近所の食堂の女将さんで、リリー・フランキーもそこの常連客でもありまた彼も食堂を営んでいる。
 堤真一は幸の勤める病院の医者で、加瀬亮は佳乃が務めている銀行の先輩同僚。
 鈴木亮平は(幸の同僚でもあり)すずが入る地元のサッカーチームの監督で、池田貴史は千佳が勤めているスポーツ店の店長。
 坂口健太郎はオープニングに登場する佳乃の彼氏。
 前田旺志郎はすずの同級生で同じサッカーチームのフォワード。
 キムラ緑子は幸の上司の看護婦長。
 小倉一郎は佳乃の銀行の融資先の小さな町工場の社長さんでした。

 2015年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール候補となったこの作品。
 日本アカデミー賞では作品賞、監督賞、撮影賞(瀧本幹也)、照明賞(藤井稔恭)、新人俳優賞(広瀬)を受賞し、主演女優賞(綾瀬)、助演女優賞(長澤、夏帆)、脚本賞、音楽賞(菅野よう子)、美術賞(三ツ松けいこ)、録音賞(弦巻裕)編集賞にもノミネートされたそうです。





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・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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