テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

傷だらけの栄光

2006-03-17 | ドラマ
(1956/ロバート・ワイズ監督/ポール・ニューマン、ピア・アンジェリ、アイリーン・ヘッカート、サル・ミネオ/113分)


 去年9月にワイズ監督が亡くなった後、NHKで放映した時は録画し忘れたけど今回はちゃんと録る事が出来た。
 何年ぶりだろう? 実在したミドル級のプロボクサー、ロッキー・グラジアノの自伝を元に作られた映画で、前回は子供の頃、数十年前にTVの洋画劇場で観た映画だ。
 ポール・ニューマンを初めて見たのがこれで、暫くはニューマンといえばこの映画を思い浮かべた。奥さん役のピア・アンジェリもこの時が初めて。というか、彼女の映画はコレしか観てない。ジェームス・ディーンの恋人だったという話も同時期くらいに知って、なんて素敵なカップルだろうと思ったのは、ディーンが既に亡くなっていて悲恋のヒロインというイメージも一緒に付いてきたからだろう。勿論、彼女のピュアな美しさもあるけれど。
 因みに、ジミー・ディーンが亡くなったのは1955年9月30日。この映画の前年でした。

 実話とはいいながら、「ウエスト・サイド物語」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「北北西に進路を取れ」などの名脚本家、アーネスト・レーマンの本はエピソードがうまく繋がっていて、まるで劇画を観ているよう。ワイズの人物描写も時代を感じさせるものではありましたが、時にユーモアを含ませて懐かしい雰囲気でした。

 ニューヨークに住む少年、ロッキー・バルベラの父親は元プロ・ボクサー。仲間と酒を飲んではロッキーにボクシングの相手をさせ、仲間のからかいにカッとしてロッキーを本気で殴ったりする。
 不良少年となったロッキーは仲間と盗みを繰り返し、やがて少年院、感化院、刑務所を出たり入ったりの青春時代を送る。(この不良時代のエピソードにスティーブ・マックィーンが仲間として出てきました。思えば、二人ともアクターズ・スタジオ出身でありましたな。)
 刑務所を出る頃は第二次世界大戦が始まっていて、出所早々ロッキーは徴兵される。しかし、規則ずくめの軍隊にも慣れず、又しても上官を殴って脱走兵となってしまう。刑務所に入所していた時、ある男に『お金に困ったら行ってみろ。』と紹介されていたボクシングジムを訪ねる。殴った上官に渡す慰謝料を作ろうと、一試合10ドルのファイトマネーを貰いながらボクサーを始めるが、やがて見つかり、軍法会議にかけられる。判決は、懲戒除隊の上、一年間の懲役。
 又しても刑務所暮らしとなったロッキー。刑務官に所内のボクシング部に入ることを勧められるが、ボクシングは嫌いだと断る。勿論、心の底には元ボクサーだった父親への反撥があった・・・。

▼(ネタバレ注意)
 出所後、まともに生きて行くには自分にはボクシングしかないと悟ったロッキーはジムに戻り、やがて連戦連勝でスポーツ新聞を飾る。

 かつて、ジムを紹介してくれた男は、出所してから今度は八百長の誘いをする。別人を立てて、その男がロッキーの過去を暴くと脅しながら。
 結局、ロッキーは試合を放棄することで八百長せずに済んだが、仕掛けた男の名を明かさなかった為NYでのボクサーの資格を剥奪され、新聞には過去の悪行も晒されることになった。

 世界チャンピオンに挑戦する試合の前夜、アウェイとなるシカゴからNYへ一人帰ってきたロッキー。世間の冷たさに、ボクシングなんて辞めてしまおうと考えてしまうが、昔の仲間(ミネオ)が相変わらず悪さをやっているのを知ったり、軽食屋のオヤジに図らずも諭されたりして、思いとどまる。(シカゴで世界戦を戦うハメになったのは、シカゴでは資格が生きていたからだと紹介されたが、よく考えれば挑戦者がチャンピオンのホームで戦うのは普通だな。)

 かつての実家の窓に灯りが点いていたので寄ってみると、母親は居なくて元ボクサーの父が居た。相変わらず二人の関係はギクシャクとしたものだったが、大人になったロッキーは、『オヤジは運が悪かっただけだ。今オヤジにしてやれることは何だ?』と聞く。父は答える。『チャンピオンになってくれ。俺の夢をお前が叶えろ。』

 父親がボクサーを辞めたのは恋人だった母親の頼みだった。彼女を失いたくないために、父親はボクサーを辞め、以来生気を無くしていったらしい。それを母親は自分のせいだと責め、ロッキーの嫁にはそんなことはしないでと言う。

 ラストはシカゴでの世界戦。
 二人目を身ごもった妻はシカゴのホテルで、年老いた両親はNYのアパートで、かつての不良仲間は行きつけの軽食屋で、ロッキーの闘いをラジオで聴く。
▲(解除)

 数十年前、初めて観たボクシング映画のファイトシーンは迫力がありましたな。今も充分楽しめます。観ている内に「あしたのジョー」を思い出してしまった。

 NYの街中での撮影もあってリアルなシーンもありますが、全体としては劇画調の展開で分かり易い作品です。P・ニューマンは映画出演二作目で、これがダメだったら演劇に戻ると決めていたらしい。

 原題は【Somebody Up There likes Me】。同じタイトルの主題歌をペリー・コモがオープニングで唄い、ラストシーンでは、ロッキーが妻に語りかける。日本語訳は『俺は神様に好かれている。』でした。

 データでは、アンジェラ・カートライトパティ・デュークも出演しているようですが、気が付きませんでした。年齢から推察すると、ロッキーの妹の子供時代がパティ、ロッキーの娘役がアンジェラでしょうか。

 尚、1956年のアカデミー賞で撮影賞(白黒)(ジョセフ・ルッテンバーグ)、美術監督・装置賞(白黒)を獲ったとのことです。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】 テアトル十瑠

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6 コメント

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ロッキーvsトニー (kiyotayoki)
2006-03-17 17:43:25
トラックバックとコメントありがとうございます♪あの後、調べてみたんですが、トニー・ゼールとのチャンピオン・ベルトをかけた闘いは3回あったんですってね。結果は、ロッキーの1勝2敗。ってことは、ロッキーがチャンピオンだったのって1年間ぐらいしかなかったってこと?

勝負の世界ってキビシイいですね~。
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竹原慎二 (十瑠)
2006-03-17 18:13:41
コメントありがとうございます。

サクセス・ストーリーの実話だと、感慨ひとしおですね。



日本人最初で最後の世界ミドル級チャンピオンも半年の王座だったようです。

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TB致しました。 (オカピー)
2008-12-08 02:26:44
この作品は

①ポール・ニューマンの出世作
②映画史上稀に見るスピードの作品

という二点で映画史に残る秀作と思います。

ワイズは編集者上がりなので、その辺りもシビアにチェックしているはずで、大変素晴らしい出来だと感心しました。

ピア・アンジェリも可憐で良かったですね。

>Somebody Up There Likes Me
初見以来何十年も観ないうちにこのSomebodyが誰を指すのか忘れていて、神様でございましたね。僕の想像力も大したことないなあ。
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TB&コメントありがとうございました (十瑠)
2008-12-08 08:26:24
又★★★かと言われそうで遠慮しておりました^^

もう2年以上前に観たんですねぇ。懐かしくて思い出通りの雰囲気でしたが、劇画調のいかにもなドラマ展開にお薦め度は控え目になりました。

>ワイズは編集者上がりなので・・・

只今、日本の元編集者が書かれた本を読んでおりますが、日本の映画賞で編集賞が出来たのが昭和60年代というのに、その遅さに驚いた所でした。

>ピア・アンジェリも可憐で良かったですね。
同感
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あらま。 (オカピー)
2008-12-09 02:03:48
>又★★★かと言われそうで遠慮しておりました^^
それはちょっと水くさいですよ。

僕は雑食で色々な作品を観るのでハードルが自ずと低くなっていると思います。その一方で、良い作品に関してハードルは高くもあるのですが。

この作品が劇画調と感じられるのは、やはりその異様に速いテンポにもあるのではないでしょうか?

映画は時代と共にテンポがアップしてきたのは事実ですが、恐らくニューシネマ辺りで止まりました。
昨今の作品は細かいショットで速そうに見せているだけで、実は遅い作品が多いです。
だから、古い映画を碌に観てもいない連中が「昔の映画はテンポが遅い」なんて言うのを聞くと訂正したくなりますよ。
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おはようさんです (十瑠)
2008-12-09 08:18:43
つまらないと感じるとすぐに観るのを止めるくせに、★★★以上は2度観る十瑠です^^

この映画が<異様に速い>と感じたかどうかは覚えていませんが、確かに昔の作品を観ていて、意外にテンポが速いのに気付くことはありますね。
ワイラーの「孔雀夫人」もサクサク進むのに、大事な場面が丁寧に描かれているので印象が強い。要するに、緩急があって、的を射ていると言うことでしょうか。
若い人から見ると、人間関係の変化が捉えにくくて、テンポが遅いと感じたりするのかなぁとも思います。
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