5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

南北戦争の銃

2018-02-23 22:02:47 |  経済・政治・国際

この一週間、英米のニュースメディアは連日、14日にフロリダ州のパークランドで起きた銃乱射事件(17人が死亡)に関連した動きを追っていた。ホワイトハウス以下の政治家や関係者が被害者たちに対する「悔み」のメッセージを発信して見せ、またかという一般国民の冷めた反応と、関係者たちの諦めの空気が伝わってくるのがいつものことだったが、今回は少しだが様子が違っているような感じがした。

被害者の家族たちは子供を失った嘆きを抑えながら、連邦政府の「銃規制」の姿勢を強く求め、若い仲間を失った高校生たちのデモコールが聞こえるのだ。そうした弱者側の動きが逐一マスコミによってフォローされている。SNSによる個人的な意見がマスコミを動かしているようだ。去年の大統領選挙ではSNSを活用したトランプにやられたという反省もあるのだろうか。

長年云われてきた銃規制に対しては上のような弱者側の動きとマスコミのフォローがある。大統領も銃購入時の身元チェック強化とか、教師の学校内での銃携帯の勧めなど、NRAに文句を云われぬ程度の銃規制案をちらつかせている。しかし、銃の所持はアメリカの基本的人権だとする共通意見の方が依然として大きく優勢だというのも厳然とした事実なのだ。

自衛の為の拳銃だったはずが、殺傷用(アソールト)のマシンガンに変わったのはいつ頃からのことなのだろう。引き金を引けば連続して銃弾が飛び出しターゲットを殺す以外の周辺的被害も広げる。アソールトという怖い音感のことばが、マシンガンとして商品化し、日常的に繰り返し使われているアメリカという社会の不可思議。アメリカ人たちもアソールトの本来的な意味を忘れて使っているのではないのか。

銃保有は基本的人権と書いたがほんとうなのだろうか。合衆国憲法から何かわかるだろうか。WIKIでそれを探してみた。権利章典の修正第2条にはこうある。

(人民の武装権)規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。

民兵とは州の義勇兵の意味らしいが、どうやらアメリカは南北戦争の亡霊をそのまま憲法の中に温存しているのではないか。州民は民兵となる可能性があるというのだが、それはどういった場合なのだろう。やはり18世紀の残渣の感じは否めない。

南北戦争時代の兵が持っていたのは単発の長銃だったろうから、基本的人権としてどうしても銃を持ちたい現代アメリカ人はそういったクラシックな元込め銃を持てはいいのだ。義勇兵なぞになるつもりのない未成年者がいとも簡単に殺傷能力の強いマシンガンを買えてしまう社会ルールというのは、どう考えてもおかしい。基本的人権としての武装権を逸脱している。

野放しになった銃規制は難しいというが、国民の多くがそれに賛成なのだから、議会が動けば法律はすぐできよう。それでも連邦議会が反対するというのだから、NRAから菓子折りを貰っている議員が多いということになる。

田舎などには亡くなって久しい爺さんたちが持っていたたくさんの古い銃が廃棄もされずに納屋で眠っているらしい。アンティークとして高値で売買もされていると聞く。アメリカ人の銃意識の象徴のようなこういう古銃から回収し廃棄したらどうなるだろう。新銃が売りたいNRAは文句をいうまい。終戦時に日本がとったやり方を真似て、外堀から埋めていくのだ。教師に銃を携帯させるなんてのは逆効果でしかない。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿