ロンドン、セント・ジョンズ・ウッドの横断歩道は、ビートルズの名盤「アビーロード」のジャケット写真で有名だが、この写真が撮影されて8日の土曜日で40年になるというので、世界からビートルズファンの集合が増えているというニュースがTVで流されていた。
7日付けのBBCのIPODでも現地での騒ぎを取材して流しているが、当時、弱冠22歳でジャケットデザインの担当を任されたジョン・コーシュのインタビューがちょっとした裏話になっていて面白い。以下引用。
「当時、レコード製作スケジュールは「押し」で、印刷締め切りはあと2日に迫っていた。8日午前中の撮影にジョン・コーシュは立ち会えず、同日の午後、カメラマン、イアン・マクミランが撮ったポジフィルムを見ながら、「早くどれかに決めよう」と急かされる状態だった。」
「画面のリタッチには、当時はデジタル処理などなく、ポジフィルムにエアブラシで空の色を明るく加工しなおした。「みれば誰のレコードか一目瞭然」だということで、表紙の《The Beetles》のクレジットはバックカバーに載せることにした。」
「写真は「右から左」「左から右」どちらを使ってもよかったのだが、動きの自然な方をえらんだ。LPのオリジナルでは煙草をもったポールの右手が、CDになると煙草が消えているのはこちらの意図ではなく、却って不自然だと思う。ポールが素足になっているのも、単に気持が悪くて靴を脱ぎ捨てただけのことだし、フォルクスワーゲンの番号が《28IF》だったことを、制作スタッフは誰も気づきもしなかった。」だから、ファン仲間では有名な「ポール死亡説」のほとんどがフェイクということになるわけか。
「当時、ジョンとポールは不仲だったのではという説もあるが、最後のシングル『ジョンとヨーコのバラード』を制作する際もカバーデザインで立ち会った。スタジオの中では、ポールがドラムとベースを、ジョンがリードとリズムを担当して和気藹々と録音は進行した。」
そして、コーシュの仕事に対して支払われたジャケットデザイン監修の礼金は300ポンドだったという。現在の為替レートでいくと5万円ぽっちだ。小切手にはジョン・レノンとポール・マッカートニーの直筆署名があったというから、若しこの小切手がどこかに残っていれば、高額のコレクションアイテムになりそうだが。
久しぶりに、いい機会だから、「アビーロード」の全曲を通して聴いてみることにしよう。
7日付けのBBCのIPODでも現地での騒ぎを取材して流しているが、当時、弱冠22歳でジャケットデザインの担当を任されたジョン・コーシュのインタビューがちょっとした裏話になっていて面白い。以下引用。
「当時、レコード製作スケジュールは「押し」で、印刷締め切りはあと2日に迫っていた。8日午前中の撮影にジョン・コーシュは立ち会えず、同日の午後、カメラマン、イアン・マクミランが撮ったポジフィルムを見ながら、「早くどれかに決めよう」と急かされる状態だった。」
「画面のリタッチには、当時はデジタル処理などなく、ポジフィルムにエアブラシで空の色を明るく加工しなおした。「みれば誰のレコードか一目瞭然」だということで、表紙の《The Beetles》のクレジットはバックカバーに載せることにした。」
「写真は「右から左」「左から右」どちらを使ってもよかったのだが、動きの自然な方をえらんだ。LPのオリジナルでは煙草をもったポールの右手が、CDになると煙草が消えているのはこちらの意図ではなく、却って不自然だと思う。ポールが素足になっているのも、単に気持が悪くて靴を脱ぎ捨てただけのことだし、フォルクスワーゲンの番号が《28IF》だったことを、制作スタッフは誰も気づきもしなかった。」だから、ファン仲間では有名な「ポール死亡説」のほとんどがフェイクということになるわけか。
「当時、ジョンとポールは不仲だったのではという説もあるが、最後のシングル『ジョンとヨーコのバラード』を制作する際もカバーデザインで立ち会った。スタジオの中では、ポールがドラムとベースを、ジョンがリードとリズムを担当して和気藹々と録音は進行した。」
そして、コーシュの仕事に対して支払われたジャケットデザイン監修の礼金は300ポンドだったという。現在の為替レートでいくと5万円ぽっちだ。小切手にはジョン・レノンとポール・マッカートニーの直筆署名があったというから、若しこの小切手がどこかに残っていれば、高額のコレクションアイテムになりそうだが。
久しぶりに、いい機会だから、「アビーロード」の全曲を通して聴いてみることにしよう。