ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

苦しいときは、心の中でいつも「イノキボンバイエ」を流してきた ~アントニオ猪木氏の逝去を悼む~

2022-10-02 20:33:43 | うた
30代の働き盛り(?)の頃、仕事上いやなことがあっても、自分ががんばらないといけない場面では、自分の頭の中に、いつも自分を励ます音楽を流していた。
その音楽の曲名は、「炎のファイター イノキボンバイエ」。

プロレスラーアントニオ猪木の入場曲だった。

理不尽な状況に追い込まれたとき、自分を励ましたいとき、自分を勇気づけたいとき、私は、いつも心の中に、あの「イノキボンバイエ」の始まりのメロディーを流し、「負けるもんか」と勇気を奮い起こしていた。

私は、プロレスファンでもなかったし、アントニオ猪木のファンでもなかった。
なぜ、その曲で奮い立つのだろう?
よくわからないままに、何度も窮地に追い込まれた自分は、とにかくこの曲を想起しながらそこで踏ん張りがんばることができた。

今になって考えてみれば、やはりその曲で登場するアントニオ猪木の生き様が格好よく見えていたから、というのはあっただろう。
深くは考えたことはなかったが、アントニオ猪木は、心を揺さぶるカッコよさをもっていたのだ。

私の学生時代、「世紀の一戦」と言われながらのちに「世紀の凡戦」と言われた、モハメッド・アリとの異種格闘技戦があった。
寝転がってばかりいる猪木の姿に、がっかりした人は多かったが、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンと戦うプロレスラーのすごさを感じた。
また、異種格闘技戦といえば、当時世界最強の空手家と言われたウイリー・ウイリアムスとの一戦が思い出される。
場内に殺気が満ちていて、怖いくらいの雰囲気の中で行われていたのを思い出す。
最後には、第4ラウンド、リング外で猪木が場外で腕ひしぎ十字固めを決めたまま試合終了。
猪木は肋骨にヒビが入り、ウィリーは腕十字で右ヒジの腱を痛めたことによる両者ドクターストップの引き分けとなったが、まさに真剣勝負に見えた、あの緊迫した雰囲気は忘れられない。

そんな異種格闘技戦を、自らは傷つきながらも切り拓いたという生き方は、とても真似できないと、あの頃は思ったものだった。

その猪木の格好よさを、私に再び印象付けたのは、彼が現役を引退するときに披露された「」という詩を通じてだった。

この道をゆけばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ 行けばわかるさ。

この詩は、また別の機会にも口にしていたのを見たことがあるが、彼の生き方そのものがよく表れているのだな、と思ったものだ。

迷うより悩むより、まず自分を信じて行け!
勇気をもって、一歩踏み出せ。
その踏み出した先にこそ、後悔のない人生がある。

そんなふうに聞こえる言葉たちだった。

そうなのだ。
そういう思いを持って有言実行してきた人の登場曲だから、「イノキボンバイエ」は私を、いや私たちを奮い立たせてくれたのだろうか。

仕事を持たなくなってから、自分が窮地に立たされることはなくなった。
だが、時々この曲は聴きたくなる。

「元気ですか~!?」
「元気があれば なんでもできる!」
そう言っていた、元気をくれた人、アントニオ猪木が亡くなった。

元気に生きていきたいと思う。
「イノキボンバイエ」を時々聴きながら。

合掌。

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