メッセージ NO 131 UFOとふしぎな光

2017年07月01日 | メッセージ
H29年 7月 1日
皆様にお知らせがあります。

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H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
世界の果てに行ってみたい。そんな思いが募るだろう。構築した今迄の人生をかなぐり捨ててまでもか?地の果ては見方を変えれば目の前にあるぞ。地の果ては究極の幸福の事だよ。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
諤々喧々(がくがくけんけん)と良く口がまわるなぁー。その口は空回りじゃぞ。何も身についておらんわい、しゃべる度に魂が肥えるような会話をせい。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
大きな望みを抱いて歩いているんだね。神が道を平坦にしてやろう。でも、時には穴ぼこや岩があるかも知れん。それはな、余り平坦では面白くもなんともないからだ。そこは通れるように工夫して通れ。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
盛んな交易は町を活性化させる。緩やかな坂道の上からゆっくりとボールがころがるように、道が続く限り活性化も広がってゆく。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)  
ひふみ祝詞、こよなく人を愛する人にとなれ。こよなく自然を愛するものとなれ。行く手を阻む者となり手はすまぬ。神の名の元この言葉忘する事は洗時、多くの者を助くる者として我は今働くぞ。  (国常立) 

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)杉の木  
洪水と言うか、それはみな心の現れぞ。どれだけ多くの民が流されて苦しんだとて、神とはその民の心を見る故に、これからの祈祷にしても言葉だけを列記するよな祝詞では通じないぞ。人が本当に洪水やその他諸々の災害を止めようと思うならば、祝詞に心を込めて祈れよ。それが我からの言葉である。今ここの来たことは、これから祝詞を上げる者達の心の整理をさせる為である。これが以前話した内容の答えである。どうぞ、代々の祈願である。災害の防止について、本当に我々からの祈りを受けて欲しい。 (此花咲耶姫) 

H20年 3月31日    阿夫利神社(山梨)  
全てにおいて天の願いに答うるべき道を歩むこと、これ幸いなり。喜び多きことこれ幸いなり。多くの人々が喜びを持って歩むなら、今この世の中の災害が収まる事と我は思う。これからの歩み、己の我欲なしの歩みならば我も共に歩むであろう。しかし、我欲が出れば離れる。そこの所を持って行け、幸い災害の内容によってはそれぞれの意味がある。そこの所を意識してこれから祈れよ。災い転じて福となると言うことを認める事が出来るかも知れない。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
山に入る時、神と共には入れ。そうすれば神と会話が出来る。山が答えてくれる。川は道を示してくれるだろう。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
どんぐりの背比べをしよって。競争も必要じゃが、中身のない者は比べても勝ち目はないわい。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
断りもなく多くの群れが家の中に侵入して来た。人間は嫌がるかも知れない。だが神は嬉しいぞ。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
咲き誇った花々の中に立ってみると、まるで自分まで花になったような錯覚におちいる。それは花と同じ波動なったのだよ。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
障害を取って行くと言う考え方もある。しかし、障害はおいしく味付けされた目玉となるべきものである。滅多にないからよく味わえよ。神様が味付けしたんだから。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
輝かんばかりの顔のそのエクボがいい。人の顔はお互いに和ませるように出来ている。相手の顔を見て思い出せよ。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
左様な事を述べるでない。人間はなぁー。もっといろんなものを受け入れる絹のような柔らかさと強さを持った体全体が袋となる。

H20年 3月31日    玉諸神社(山梨)
飛んで行け飛んで行け、いい心がポンポン飛び出せばいいなぁ。波動は壁も鉛も全て突き抜けるぞ。

H20年 3月31日    阿夫利神社(山梨)
京の古都に似た景色じゃのう。似合わぬたたずまいをしておる家がある。あれは変わり者が住んでおる家じゃ。

H20年 3月31日    阿夫利神社(山梨)
世界の神々が如何に共助しようかと右往左往している。出来るだけひっつかまえて教えてもらいなさい。

H20年 3月31日    阿夫利神社(山梨)
強烈な意識によって神の本質を心に宿して行け。

H20年 3月31日    阿夫利神社(山梨)
尊厳と言う言葉があるが、重い言葉であるぞ。充分なる自覚なしでは出来るものではない。人の生きざまが隅々に沁(し)み渡るでなぁ。

H20年 3月31日    阿夫利神社(山梨)
表面を飾った人形のような姿は溶け込めない事がある。飾りものは役に立たないぞ。