H31年 3月 1日
皆様にお知らせがあります。
「え!! こんなメッセージとUFOみたことなああい」が“たま出版”から出版されています。ブログの内容を1冊の本にまとめたものです。よろしかったらお近くの書店にてお買い求めください。
H21年 6月13日
科学の粋を集めても神の事はわかるまい。しかし、何も知らない赤ん坊の方が神を知っている。
H21年 6月13日
長い物、それは絵巻か?竜神か?“ひふみ”の言葉は絵巻にも竜神にもなる。みがかれる魂には言葉の波動は重い。それよりも、自分をそのまま受け入れて、受け入れられたことを感謝する事だ。
H21年 6月13日
長い年月の間であなたは何度も生を受けた。マーブルのアメ様な魂はさらに層を重ねる。やがて、マーブルアメは大きく成長し光り輝くアメとなって独り立ちしていく。
H21年 6月13日
戦利品と偽って、利益を得ようとしているのか?むなしい循環である。
H21年 6月14日 八大龍王(青森から東京に来た)
こどもの遊びは楽しいなぁー。あっちからこちへと飛んで行けるぞ。必要な所へ飛んで行けるぞ。
H21年 6月14日 京都の帰り
優しさ豊かさを備えている自然は大地の母だと言う。しかし、その大地には、いろいろな苦しみも、悲しみも吸い込んでいる。優しさや豊かさで消し去ることを知っている。
H21年 6月14日 京都の帰り
豊作の年、 凶作の年でも自然はそれが当り前である。ただ違うのは浄化しようとする力が湧き起こってくる。人間は怒りや恨みが絶え間なく湧き起こり悪の渦をさらに大きくする。
H21年 6月14日 京都の帰り
こだわりに一品がまぶしいばかりの光を放っている。それを食べた者は体中が光となってしまった。こだわりでも“ 神の言葉を浴びた者 ”と決まっているからである。
H21年 6月14日 京都の帰り
豊作の年、 凶作の年でも自然はそれが当り前である。ただ違うのは浄化しようとする力が湧き起こってくる。人間は怒りや恨みが絶え間なく湧き起こり悪の渦をさらに大きくする。
H21年 6月14日
これまでに成長記録を見てみると懐かしい思い出がいっぱいだ。どれだけ多くの人と出合っただろうか。これが神の言われる“経験”か?旅行する事、特別な記念日のみが経験ではなく、こうしてメッセージを出している事も経験なのか?
H21年 6月14日 京都の帰り
人間の醜さを玉ねぎの皮を剥がしたい。それは時が来れば自然に剥がれていく。それを剥がす溶液をいつの間にか作り出しているからだ。魂はその時を知っている。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
生涯を通じてたった一つ、素敵なプレゼントをしよう。“私は何処にでも在る”と言う言葉だ。思い出す時がスイッチONの鍵を入れることになる。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
輝かしい未来を夢見て、多くの若者は生きている。しかし、希望はしぼみ、夢は夢で終わる。なぜだろう。この世に誕生した喜び、生かされている重みを心に植え付けていないからである。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
姿を探すけれども、あなたはいない。隠れているのか?それとも、心が無いから姿が見えないのか?そんな悲しい事はしないでくれ!
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
求めて来たのか?心を合わせよう。心のヒダ一つ一つに私の思いがしまわれて行くだろう。ゆっくりと紐解いて行きなさい。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
丈夫な布を引っ張って風に乗せた。何々、何を書いて欲しいだと!”あなたは私の子だ!“何枚布があっても同じ様に書くだろう。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
小刻みな手法でも、やがて大きなものとなる。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
目標を見失うような大きな出来事があったとしても、必ず道は示される。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
今日の一番は何だろう。抱え込むような大きなプレゼント。色とりどりの花は、それぞれの個性であり、それぞれの命である。
H21年 6月14日 京都の帰り、清水寺
深い悲しみの中で悟り開くものがある。そうすると、それは悲しみを乗り越えた時、あなたの宝となる。