メッセージ NO 151 UFOとふしぎな光

2018年04月15日 | メッセージ

H30年 4月16日
皆様にお知らせがあります。

「え!! こんなメッセージとUFOみたことなああい」が“たま出版”から出版されています。ブログの内容を1冊の本にまとめたものです。よろしかったらお近くの書店にてお買い求めください。


H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
菊理姫のお役目は、これからはいろんな所で出て来られるであろう。もし出会ったなら、それが完了とみてよい。目と心を見開いて意識せよ。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
希望の星は大きく輝く。その輝きの元で希望が回転されて行く。希望は未来に続く。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
条件が揃った者から、実践に入ると良いであろう。着ぶくれして中身が細い者の事ではない。条件が揃うと言う事は、そのままの体が見えると言う事だ。そうでなければ途中で息切れするぞ。
(神のこと)

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
一コマ一コマの中に光が凝縮されている。一コマの中の光は莫大だ。その一点がお前達一人一人の光なのだ。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
竹で占うとは、何が心配か?心配する必要は一つもない。自分で選んで進む道が、その人の歩むべき道である。ただし、神に出会ったならば、そこから道は今まで隠された道を歩く事になる。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
もう一つ優先せざるを得ないものがある。それは玉依姫の扇を探して欲しい。神社にはない。パソコンの中にある。その扇の役目は多くの者達の悪しき霊的波動を飛ばす為である。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
開かずの間に足を踏み入れたような気分になる。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
雄弁な演説をしている者がいる。自分の信念を貫く内容だろう。それにしても声がうわずっているぞ。二つの心を使い分けるのか?

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
お猪口(ちょこ)の上に丸い球を乗せて遊んでいる子供がいる。まわす度にデコボコの所がどんどん丸くなっていくぞ。その子供はデコボコの所が丸くなって行くのを嬉しそうに見ている。大人のデコボコもよーく見ているぞ。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
専属の案内人を付けよう。(国常立の尊)

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
ちょうど木の葉のように舞い下りた。そして、踏みつけられた。こんな心の葛藤が当たり前のように起きている。森の中に漂う精霊。穏やかな日々が流れる。人間の手で荒らされず、いつまで行けるだろうか。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
希望号はもうずっと、この宇宙を走っている。魂を磨いたものしか見えぬ。磨く術は己が知っている。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
子供の頃の傷が癒えぬままに年を重ねた。その傷はいつ解放されるのか?そのカルマを背負ったまま一生を終えてはならない。今の時を感謝で越えなさい。


H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
幸福論を論じ事はいい事ではあるが、何を基準に論じるのか?最高の幸福は神との出会いだぞ。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
不揃いの人々が列をなしている。笑顔もなく、黙々と歩いている。足元の小石は見えたであろうが、大きな岩は見えない。何が大切であるかは、周りを見渡せる目を持つことである。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
それぞれの行く道が決まっている。順番なぞはない。道に不平を言うなよ。自分で選んだ道であろうが。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
山岳の頂に鼓舞する雪、補足しよう。やがて大雪となる。わだかまりは今の内に大雪で溶かして行きなさい。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
将来を見据えて行くならば、今から準備が必要である。浄化の時を見失ってはいけない。感謝の心を持って、やりこなして行きなさい。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
彼らの言葉は理解出来るであろう。

H20年 9月24日    鹿児島 まほろばの里(霧島高原)
もしもの時の合言葉は「愛」である。「愛」はすべてに通じるからである。
















メッセージ NO 150 UFOとふしぎな光

2018年04月01日 | メッセージ
H30年 4月1日
皆様にお知らせがあります。

「え!! こんなメッセージとUFOみたことなああい」が“たま出版”から出版されています。ブログの内容を1冊の本にまとめたものです。よろしかったらお近くの書店にてお買い求めください。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
完璧を目指して行くお積りか?何を持って完璧とするのかね。完璧はつまらん。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
透明な容器に水中花を入れる。見事に花開くではないか。お前達の体も透明にしていくんだぞ。心の花が見事に咲くぞ。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
問答無用と言われ続け自分の気持ちを現わさないのか?ある面それも一つの生き方だ。しかし、人間の心は進化を欲している。どこかで、それを打破しなければ、進化はあり得ない。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
高慢ちきな性格だ。高慢ちきには周りの良さが見えない。神も近寄りたくないなぁー。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
高額な物であっても、どんなに駆け引きがあっても、それは所詮この世の物である。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
空の色、青?心の色、何色?すべては七色に変わるよ。心が青い空と同じ色?ピンクと緑と同じ色?いいねえ。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社
災害の様子が目に浮かばないだろうか?宇宙は一つなんだよ。地球も、その他の星も、人間の心も、神の心も一つで同じだ。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
しとしとと雨に打たれて、笑顔を残して、あの子は行ってしまった。詫びる事さえ出来なかった。優しいあの子のハートで私の心を埋め尽くそう。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社 
損害を被(こうむ)ったって?誰の事を言っているのかね?被害はあなたではない、私(神)の方だ。そういう自分勝手な思い込みが地軸を狂わせていくんだよ。


H20年 9月24日    宮崎、霧島神社
象徴的な出来事は、感じ取れる者にしかわからない。感じ取れる者は象徴的意味を理解しなさい。

H20年 9月24日    宮崎、霧島神社
惨い戦争の体験をしなければならなかった人々は今もなおいる。人間本来の目的をどこへ置き忘れたのだろうか?人間としての目的を今こそ問うて行くべきである。


H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
キラキラ輝く澄んだ目を持っておるなあ。もし、その目が濁ればすべてを濁った目で見てしまう。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
「仏の顔も三度まで」と言う言葉がある。じゃ「神の顔も」か?残念ながら、神はあの世に人間が行っても「神の顔」のままである。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
歴代の神々の証は、それぞれの地で育(はぐく)まれている。地にはいろんな歴史がある。すべては魂の歴史である。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
「燈台下暗し」上手に言ったもんだな。いろんな所に使えるぞ。神の愛は傍にあるのに気付かない。愛の形が分からない者にはすべてがそうかも知れない。不満の傍には満足がある。こう言った具合にな。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
騒がしい世の中と苦しい思いはあるけれども、それも、方便である。方便で逃げてはいけない。そんな中でもやるべき事をやって行かねばならない。隠れ蓑はもういらないだろう。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
勝負の世界は捨てよ。これからは心のバランスをはかれ。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
木漏れ日の明かりで学ぶ者は「持続」なり。遠い未来に向けて、希望と成就を念願し、心の柱を崩さずに歩む。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
京の都はいろいろな怨念が渦巻く。怨念を払うには、地上からは祝詞しかない。各地に渦巻く怨念を祝詞できれいにして行け。

H20年 9月24日    鹿児島 照国神社
地球の存在が危ぶまれているが、御存知の通り人間次第である。このカード(ソージョカード)を通して、神のエネルギーを受けて欲しい。そのエネルギーが広まれば、多くの神と手をつなぐことが出来る。つないだその手で地球を守ることが出来る。