いざとならないと気が付かない事があるわけです。
特につなぐ事に関しては私の場合繋がれなかった事と繋いでもらった事が明確です。
起業した事に関する事は全て、誰かに教わったのではないのです。
領収書は知っていましたが、
請求書って何?
納品書って何?
程度の知識で始めたのは今にしてみれば、
恐ろし〰っ!
それを凌駕するだけのパワーがあったのだとは思いますが、力技で乗り切るわけですから無用な摩擦も招いたわけです。
多分ね、、、。
あんまり覚えてないけれど、、、。
そこでは学んだことを伝えるって、無意味以上に余計な事なんじゃないかと思うわけです。
今や個人技で乗り越えられる事なんてほとんどないですから。
でも、そこは一番寂しいところです。
改善したい気持ちがあって、改善して、その反応を間近で感じる事ができる快感がないわけですから、
つまんない!
ですよね。
で、そこをどこかに求めるわけです。
私にはドラムがあるわけですが、そこはもう現役をとっくに引退してアマチュアとして細々と叩いているだけ、、、
自己満足を得る以外何もメリットないです。
頑張り過ぎて身体痛めるデメリットが勝る事だってありますから(T . T)
書道は小1からもう60年もやってきたのですが、繋いでもらっていた意識はありませんでした。
色んな流れとタイミングが重なり師が亡くなった時、ようやく天命に気づいたのですから随分と呑気野郎です、、、。
振り返れば蘇る教場での鮮やかな記憶。
それは音声付きの映像となっています。
それを口頭で伝えることは出来ないのです。
故に私は筆にたっぷりと墨をつけ、ひたすら書いてみせるしかないのです。
それが目の前にいる塾生の記憶に音声付き映像として残る様に。
でも修行の要素は少ない方が好きです。
『修行しているんだ』と感じた瞬間、嫌ななっちゃうのです、私( ̄∇ ̄)
だから辛い要素はなるべく取っ払いたいと思い、正座用椅子を導入し、次いで椅子席を導入したのです。
足痺れちゃうの嫌ですから〰
師に叱られるかな?と思いましたが、夢に出てこなかったので許していただけたのだと勝手に解釈しています。
ま、勝手でわがままなのを、自由自在に置き換えているのも私の生き方の特徴です。
怖な調子で繋いでいただいたことも勝手に変更してる事が多々あります。
それを繋いで良いのかどうか、、、。
師からお叱りを受けないで済むのであれば、つなげます。
改革する者が生まれるまで繋げる気概の必要なリレーになります。
渡すバトンに核心があればいいか、、、。
今はそう思う様になりました。