悠翠徒然

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日本橋の和紙屋さん

2023-07-06 17:50:00 | Weblog
外国人客で賑わっていました。
手漉き和紙づくり体験してるインバウンド客もいました。
和紙は人気あるんですね〰

私は千字文綴じ用の和紙を買いに行ったのですが、日本橋付近は道も混んでました。
夕方だったからかな。

いつも店員さんが丁寧に対応してくれるので毎度同じ店に行ってしまうのです。

接客に引力!

ありますよね〰

セリーグ勝敗表が無い

2023-07-06 11:17:00 | Weblog
とっている新聞の朝刊からセリーグ勝敗表が消えている。
パリーグは載っているのに、セリーグが無い、、、。

試合は三試合あったはずだし、そのニュースも出ているのに、無い。

隣の紙面や裏を見たけれど無い。

意図的なのか、偶発的なミスなのか、
はたまた私の見落としなのか、、、

分からん。

試合自体をテレビ中継で見なくなったものに対する報復の気もしてきた、、、。

個人的には、ミステリー


最近、急にカラスが姿を見せなくなった

2023-07-06 11:01:00 | Weblog
声も聞かない。
何かあったのかな?

ゴミを漁られ、その後始末に閉口したこともありましたが、いなくなるといなくなるで少し気になるわけです。

東京都が何か対策したのかな?

それとも私が吊り下げた烏よけプレートの威力?

多分前者でしょうね。

知らないところで頑張って対策してくれた人に感謝です。

でも、あの烏達の行方が少し気になるのです。

縄文土器が好きな理由

2023-07-06 08:37:00 | Weblog
それは形の無い物を捉えようとしていく中で、芸術性に触れた事の喜びが爆発しているからです。
そこに便利や合理性はありません。
『こうしたら面白かった』があるだけです。

臨書してみる。
お手本と同じ様に書けた。
お手本裏にして記憶で書いてみる。
書き続けていると、自分の書きたい様な線が現れ始める。
おや、ちょっと面白いぞ、となる。
さらに進める。
自分の書きたい形も見え始める。
どんどん面白くなって、とうとうお手本とは全く違う縄文土器の様な創造物が出来上がる。
自己満足?
それで良いでしょう。
縄文土器は作り手の自己満足を認めてくれた集団があって発展したのでしょう。
彼らにだってお手本はあったはずです。
それは間違いなく、自然界に存在する見える物や見えない物、つまり森羅万象です。
象形文字の持つ魅力はそこにあります。
森羅万象を形にしようとした。
その形を通して仲間と得ていた共通認識を記録しようとした。

縄文土器には形に見えない感じることしかできない何かを捉えて形にしようとした情熱ある魂を感じるのです。

それを神と言っても良いかもしれません。
形に表そうとしたモノも『神』なら、表そうとした精神も『神』でしょう。

縄文土器は縄文人にとっての森羅万象を司る『神』だったのかもしれませんね。




教えていない事に山盛り気付く、、、

2023-07-06 08:21:00 | Weblog
いざとならないと気が付かない事があるわけです。
特につなぐ事に関しては私の場合繋がれなかった事と繋いでもらった事が明確です。

起業した事に関する事は全て、誰かに教わったのではないのです。
領収書は知っていましたが、
請求書って何?
納品書って何?
程度の知識で始めたのは今にしてみれば、
恐ろし〰っ!

それを凌駕するだけのパワーがあったのだとは思いますが、力技で乗り切るわけですから無用な摩擦も招いたわけです。
多分ね、、、。
あんまり覚えてないけれど、、、。

そこでは学んだことを伝えるって、無意味以上に余計な事なんじゃないかと思うわけです。
今や個人技で乗り越えられる事なんてほとんどないですから。
でも、そこは一番寂しいところです。
改善したい気持ちがあって、改善して、その反応を間近で感じる事ができる快感がないわけですから、
つまんない!

ですよね。
で、そこをどこかに求めるわけです。
私にはドラムがあるわけですが、そこはもう現役をとっくに引退してアマチュアとして細々と叩いているだけ、、、
自己満足を得る以外何もメリットないです。
頑張り過ぎて身体痛めるデメリットが勝る事だってありますから(T . T)

書道は小1からもう60年もやってきたのですが、繋いでもらっていた意識はありませんでした。
色んな流れとタイミングが重なり師が亡くなった時、ようやく天命に気づいたのですから随分と呑気野郎です、、、。

振り返れば蘇る教場での鮮やかな記憶。
それは音声付きの映像となっています。
それを口頭で伝えることは出来ないのです。
故に私は筆にたっぷりと墨をつけ、ひたすら書いてみせるしかないのです。
それが目の前にいる塾生の記憶に音声付き映像として残る様に。

でも修行の要素は少ない方が好きです。
『修行しているんだ』と感じた瞬間、嫌ななっちゃうのです、私( ̄∇ ̄)
だから辛い要素はなるべく取っ払いたいと思い、正座用椅子を導入し、次いで椅子席を導入したのです。
足痺れちゃうの嫌ですから〰

師に叱られるかな?と思いましたが、夢に出てこなかったので許していただけたのだと勝手に解釈しています。
ま、勝手でわがままなのを、自由自在に置き換えているのも私の生き方の特徴です。

怖な調子で繋いでいただいたことも勝手に変更してる事が多々あります。
それを繋いで良いのかどうか、、、。
師からお叱りを受けないで済むのであれば、つなげます。
改革する者が生まれるまで繋げる気概の必要なリレーになります。

渡すバトンに核心があればいいか、、、。

今はそう思う様になりました。