厳しい孔子の言葉に胸が痛い、、、
張り裂けんばかりに、胸が痛くなります。
欠点のない人など居ないと言って、自分の欠点をわかっているのに改めてこなかった様な気もするし、状況や相手によって長所でさえも短所に見えることがあるからなぁと言って、改めてこなかった気もするのです。
そもそも、自分の欠点を知ろうとしてきたのでしょうか?
知っていたとして、それを箇条書きにするぐらい、明確にしてきたのでしょうか?
明確にしたのなら、それを一日三回反省して、その都度改めようとしてきたのでしょうか?
若い時ほどではないけれど、今でも自分の欠点に頭を抱えることがあります。
その原因がほぼ一つである事も知っています。
『なんであんな事で』と今なら思うことがたくさんあります。
年齢を重ねるだけでそうなるとは思いませんが、厳しい修行をしてきたり、徳を積む事を意識して生きてきたわけでもありません。
ただ、自分に対して忠実に生きるようにしてきただけです。
しかし、そこが私の欠点の根本にあるのです。
つまり、自分自身に欠点の原因があるのに、その自分に対して忠実に生きようとする事は、わがままであるということです。
どんなに小さな組織でも、その組織を統率する者は、常に合理的で公平性ある判断をしなければなりません。
個々に対して感情の差があるのは仕方がないとは言え、それを表に出すことをしてはならないのです。
それを理解しようとしない者に対して、私はとても冷血かもしれませんし、そう思われても構わないと思っています。
これは反省すべき事ですし、その原因が私自身のどこにあるのかを知っているのに、放置してきたのです。
反省、、、
しかし、私自身に忠実に従っているだけなのですから、楽な生き方ですよね(苦笑)
現在に至るまで、法律にさほど触れてこなかった人生である事がせめてもの救いですが、正しい行為をしなければならないと決めた時には、法を破る事を厭わないでしょう。
また、そうありたいと願っているのです。
かっこよく言えばレジスタンス精神。
これがまた、厄介なのです(^○^)
自分は組織を作るのに、自分では組織に属したくない。
他人の決めたルールなんで押し付けられてたまるか!
戦うなら、自分のやり方で戦う!
ね、厄介でしょ(笑)
ま、言うほどひどくはありませんが、そこにだけはめっぽうアンテナが反応してしまうのです。
自我アンテナ?ですかね。
本当に守らなければならない物事は、そんなに多くはありません。
でも、それを守る気概がなくなったとき、私の自我は崩壊して、良い人になるのでしょうか?
だったら、良い人にはならないでいたいですね。
多少わがままで、多少厄介な人でいる事が、私にとってベターな生き方です。
あ、ちっとも反省してない!
、、、、
ダメだなぁ〰
反省、、、