悠翠徒然

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『中鋒』について

2016-12-21 07:42:44 | Weblog
線の真ん中を筆の穂先が通ることを『中鋒』と言うのが一般的です。

一般的と言うのは、そこに異論があるからなのですが、果たしてそれが異論であるのかどうか、疑問に思うところであります。

線の真ん中を穂先が通った線は、それでしか表せない美しさがあります。
その線を書くために撥鐙法を身につける必要があるのです。

しかし、穂先が線の真ん中を通らない線にも、独自の美しさはあるのです。

ここで穂先が線の真ん中を通す事にこだわっていては、不自由になってしまう。

つまり、王羲之の言うところの『八面出鋒』ではなくなってしまうのです。

『中鋒』に対して、仮に線の上部を穂先が通る線を『上鋒』、下を通る線を『下鋒』とすれば分かりやすいのかもしれません。

書写の教科書に出てくる、いわゆる『トンスートン』は、『上鋒』にあたります。

子供は筆を立てて持てませんし、立てて持てたとしてもそれをキーブして線を引くことはできませんからね。

筆管を少し手前外側に傾けて書くと『トンスートン』になるわけです。

ま、文科省苦渋の決断、と言ったところでしょうか(笑)

和翠塾では最初から撥鐙法を身につけることを目標に置いて教えます。

『中鋒』が書ける撥鐙法を身につけないと、『上鋒』しか書けない事になりますからね。

『下鋒』は?

筆管を向こう側に倒して書けば『下鋒』になります。

作品に変化が欲しい時には使えます。

筆を自由自在に操って、己の心の赴くままに筆を走らせる事が出来た時が、『八面出鋒』状態なのではないでしょうか。

『上鋒』も『下鋒』も、撥鐙法を身につけ『中鋒』を完璧に書けるようになってからお稽古するのがよろしいと思います。

『中鋒』には色々な説や考え方がありますが、私はそのように考えるところであります。

全ての道具は、自由自在に使えるようになったとき、初めて手足や指先と同じような感覚になるのです。

そこにどのような志があるかで、様子が大きく変わってくるのです。


おまけで、『中鋒』『上鋒』『下鋒』を使い分けた習作を例として載せておきます。



『号』最終画の部分は、『蔵鋒』で入った後『中鋒』→『上鋒』→『中鋒』→『下鋒』→『中鋒』→『上鋒』→フィニッシュ!(笑)

違和感なくフィニッシュさせたかったのですが、最後の『中鋒』から『上鋒』に変化させるところで少しガタッとなってしまったのは、自分の手首で目線がきれてしまったからです。

遅い筆運びとは言え、心の目で見ていないといけませんね〜

習作なのでご容赦ください。