オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

帰郷後・・・

2022-10-17 | 弁当

10/17(月)帰郷してから今日で一週間。11日の午後、羽田空港を発って、雪のない富士山頂を眺めて順調に飛行。土佐湾に入って少し経つと安田川の河口に広がる小さな我が町が望めた。何百回?も目を凝らしてきたクジラの潮吹き姿はとうに諦めて海面を眺めることは止めた。

            

  

帰郷してからは、掃除に庭の草引き、野菜畑の草引きに種蒔き、ミカン畑と野菜を植えるつもりの休耕田圃の草刈りと、それなりに動いてきた。ミカン畑に広がった栗のイガは集めたが、これを燃やさなくてならないが未だ途中である。従姉が拾い残っていた栗を数十個拾い、栗ご飯にもした。

             

久々の慣れぬ労働で膝や腰が痛くなり、おまけに抜歯予定だった歯まで痛くなるという始末。遊び惚けていた付けが回ってきたのであろうと、受容するしかない。然し、歯の方は明日、抜歯すべく地元の歯科を予約した。

一段落した今日は深夜から小雨となり、一日雨の予報で休養にはうってつけの天気となった。そんなことで、BLOGをアップすることにした次第。

ミカン畑に甘柿や渋柿の木が数本あるが、甘柿は一つも実が残っていない。渋柿はそれなりに実っているが、干柿にするには全然足りない。

特筆すべきは、これまで実が残ったことがない(獣に食われて)低木の渋柿に、たわわに実がなっていたことだ。この渋柿を餌にしていた狸かハクビシンは、死んだか?。

             

そんなことで、干柿には向かぬこの小さな平柿を採って渋抜き柿を作ることにした。コロナの消毒用に販売された80度のアルコールを吹きかけてジブロックで密封してみたが、結果や如何に?。何時もなら、35度のホワイトリカーを使うのだが。

斯様に田舎暮らしならではの日々。15日は安田川の鮎漁の最終日だった。妹の亭主で同級生の広勝も出漁、最後に今期の目標数をクリアしたとのこと。目標数は千匹で、十数匹多く獲ったようだ。

11日に空港に迎えに来てくれた車中で状況を訊いたら「後、四十匹だ」といっていた。

                 

広勝が鮎を獲ると、その日のうちに数匹を妹が届けてくれる。獲れたての鮎が毎晩のように、我が食卓に並び食したが・・・、それもお仕舞になった。

鮎と云えば、会社時代に人形町のベッタラ市(今年は三年ぶりに開催とか)に屋台を出していた。その時には広勝が獲った鮎を毎年100匹以上送ってもらっていた。ここの川の鮎は小型ながら味がいいと評判の鮎で、地元でも高値である。ありがたいことであった。

 

実家に戻ってからの想定外は、中庭の竹垣が(二ヵ所)駄目になっていたことだ。古くはなっていたのだが、先の台風の所為であろう。腐った部分から倒れて庭木に倒れ掛かっていた。これをどうするか?。自分で作り変えれるのは一ヵ所だろう・・・。

               

斯様に、田舎暮らしも大変なのだ・・・。

 

 

 

 

コメント
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