オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

雨の中・・・

2019-08-20 | 弁当

8/20(火)昨夜、人形町「うまし」にて下旬に米国はボルチィモアに行かれるJINNOさんの壮行会を料理教室のメンバーで開いた。JIN先生の助手として我々不良オヤジの手綱を締めて下さったが、半年ほど米国で研修をされるご主人に同伴される。その間は料理教室はお休みとなる。

十人の予定がマッチャンがドタキャン?かどうか姿を見せず、総勢九人での歓談となった。教室の振り返り、これからのアメリカ生活のことなど、話題は尽きずに盛り上がった。記念品に悩んだが、伊波仙の「扇子」にした。京風の柔らかな品を選んだ。

              

そんな最中、TUGAWAさんから電話が入った。HANAOKA女史のご母堂が逝去されたとの連絡であった。TUGAWA&HANAOKA両氏とは四半世紀に渡り公私を越えた交流、また女史には会社の社外役員を長くお願いしてきた。取り急ぎ、お悔やみにと急遽、富山に向かうことにした次第。

先生方を見送った後、オヤジ達は「ちょっぷく」で仕上げ。私は翌朝のことがあり、先に失礼したが帰宅は23時過ぎである。

朝の弁当を作り終え、八時に羽田空港に向かう。幸いにも降っていた雨は小止みに。予定どおりの前屋遅くに予約した便に搭乗した。搭乗前、富山在住の友人MURAI氏に連絡を入れたところ、空港で迎えてくれることになった。

雨が上がった羽田を発ち、富山空港に着くと、これが土砂振りの雨。MURAI氏がロビーで迎えてくれ、車でセレモニーホールから、帰京するための富山駅まで付き合ってくれた。大助かりであった。

       

セレモニーホールの遺族室にてHANAOKAさん姉妹に挨拶をし、安置されているご母堂様の霊前にご冥福を祈る。暫し、末期の様子などを伺ってから斎場を後にした。

待っていてくれたMURAI氏の車で、彼の実家に立ち寄り奥様(これがご縁と云うか、高知県の出身)とも話ができたのである。人生に無駄がない、を地で行く男とは吾か?。突然の連絡にも関わらず、有難いことである。

富山へは飛行機よりも新幹線がいい。それを実感したとんぼ返り。帰りの便は、遅れたのであった。


明日は午後一番の便で帰郷する。週末の母の一周忌、翌週末には来高するメンバーを待つ。孫のSORAを一足早く同伴する。二週間ほど郷里で過ごすことになろう。


今朝の弁当を紹介して、今日のBLOGを終えたい。

               

チキンソテー、ブリ照り焼き、蒸し鶏のサラダ、小松菜の煮浸し、蒲鉾、炒り卵に塩鮭だったが・・・。

この塩サケ、滅茶塩が利いていた。ご飯にまぶして「鮭まぶし」にした次第。

                



   



コメント (1)
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