オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

悠々ならぬ、遊遊の日々・・・

2019-08-03 | 弁当

8/3(土) 今日は部屋に垂れこめて一日を過ごしている。昨夜の酒の反動と云うわけでもないが、何もする気がないふやけた時間を過ごす。我が遊遊の最たる一日である。

昨日の午後は五反田にあるNTT病院にて受診。受診といっても、睡眠時無呼吸症候群とかいうやつの治療を始めておりそのデータがチップに集積されているので、それを持参して状況を聴くだけのことである。三十分待って、三分ほど話を聞いて終りだ。これで一万円の受診料だ。無駄なことだと思いつつも行くしかないのか?。

夕方は学生時代からの友人、HOSOKAWAと人形町「高松」蕎麦店で会うことになっていた。病院の後はそれまで時間が空いている。時間つぶしに平和島まで水辺の散歩と云うことにした。

午後三時前にボートレース平和島に到着。7レースから最終の12レースまでを遊んだ。芽が出にままに最終レースとなった頃、暑さも和らいだようなので冷房の利いた三階席から水面の一階に下りた。レース場を囲むようにマンション群が並んでいる。そのマンションの最上階に夕日がかかっていた。

           

平日の金曜日、最終レースとなり観客の姿が少なくなっていた。蝉の声を聴きながらレース前の静かな水面をただただ眺め、タバコに火を点ける。今日の勝負の行方は大方決着した。二勝四敗、最終レースの行方はこれからだが、負けを取り返すような展開にはならないだろう・・・と。約束の時間まで余裕があるので、ここの遊ぶだけのこと。穏やかな心で最終レースを迎えるのみ?。

その昔、学生の頃にここで警備員のアルバイトしたことがある。その当時、賭け事には全く関心がなかった。木造の警備員詰め所だったように思う。レース場の周りに高い建物があった記憶はない。アルバイトを契機に、レースに関心を持っていたら、今頃は、場内に十人ほどいる予想屋の一人になっている可能性はゼロではなかろう。

予想屋で一枚100円の予想を売って飯が食えるのか?食えるほど予想が売れているらしき予想屋は一人二人のようだが?。訊いてみたいところだが・・・返事はなかろうな。そんなことをボンヤリと思ううち、最終レースのスタートを迎えた。

                   

飛沫をあげて疾走する艇の行方を追う! 予想どおり人気の一号艇が一着。後は4-3号艇が入着した。1-4-3の着順である。私の買い目は、1-3-4なので外れた!。こんなもんですよ、勝負の結果なんて。

照日、曇る日、雨降る日なんて云うじゃないか。明日のピーカンを信じてやるだけのことだ。なんて負け惜しみでも呟きたいねぇ~。

 

六時半過ぎに「高松」に着くと、直ぐにHOSOKAWAが現れた。私が店に入るのを見計ったかのように・・・。

「暫くぶりだねぇ・・」と、金魚割ソーダをに飲りながら近況などを聞く。私と違って彼は、TV番組の制作プロデューサーの現役をつづけているのだ。

余談だが、昨年の秋に彼がプロデュースする番組で、人形町で酒場の取材先を探していた。その折に「高松」を紹介して撮影させて貰ったことがある。

HOYA兄いが姿を見せ、三人で飲るみ語る。隣の席の常連、それも親しい常連と云える仲間から「ARIさんの店の件、どうなったの?店を始めたら絶対に行くから」と言われ、「その話は消えた、店がないんだよ」そんなやり取りをする。

斯様な話をしているうち、アメリカ土産だと云うシングルモルトのウイスキーが隣のテーブルに乗った。何の遠慮もせず「それ味見させてよ」と、グラスを三っもらって飲んだ、これが美味い!。建築士一級を目指しているチカちゃんのお土産だった。

三人で、よそ様への土産のボトルを半分近く飲んだ。とてもいい酔い加減になった。そのおかげで、隣のグループが計画していた沖縄旅行に同行することになった。旅は道連れが多いほうがいいさ!とばかりに。

二軒目は「セイジュ」でカラオケとなった。ママは未だ入院中で、マッちゃんがボランティアでママを代行しているが、もう半年を迎える。こんなに長くなるとは思ってなかったろうに、頑張っている。売り上げで店の賃料を賄い、入院費まで支援している。この頑張りには頭が下がる。

我等が唄っていると、新たな客が三人入店した。近隣の運輸会社の営業担当だとか。隣に座った若者の前に前回に入れたばかりのボトル、オールドパーをマッちゃんが置いた。「洒落たものを飲むね~」と褒めた。律儀な若者は「ボーナスを貰ったので入れました」と素直な返事。

「それはおめでとう、じゃ一杯ご馳走になるよ!」と、遠慮知らずの図々しいオヤジはショットグラスに一杯づつ馳走になった。名前は「しゅーき君」と言ったか、素直さが表にでている28歳の若者であった。「今度あったら、俺が一本おごるよ」と、酔いに任せて口走る。

珍しくHOSOKAWAも唄ったが、曲名はなんだったか?。俺の唄の方と云えば、ボートレースと同様に下手になるばかりである。

                 

仕上げは何時もの「ちょっぷく」。庶民の味方、なんでも300円の店は賑わっている。ご同慶の至りとはこのことか・・・。

                

店長のYAMAちゃんを相手にひと騒ぎしてから散会となった。帰宅はカボチャの馬車が待機中の、零時前である。

斯様に遊遊の一日を過ごした次第であるが、この日も朝の弁当は真面目に用意している。大したものじゃないが・・・。

              

暑いので「キュウリと茗荷の酢物」、「ホウレン草の胡麻和え」「豚小間とキャベツの炒め物」「鶏モモ肉のソテーに椎茸・エノキ添え」、これに前夜揚げた「アジフライ」が菜となる。ご飯は、残り飯を「炒飯」にした次第。

            

 

 

 

 

 

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