斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

25 【トランプのトランプ】

2017年06月05日 | 言葉
 パックンの提案
 知性派の米国人お笑い芸人、パックン(パトリック・ハーラン氏)が、ずいぶん前のテレビ番組で、ドナルド・トランプ(ドナルド・ジョン・トランプ)米大統領の言動について「これからは『トランプのトランプ』と言うことにしたら、どうですかネ」と提案していた。グッドアイデアだと思ったが、その後このコトバをマスメディアで見聞きしたことはない。どうやらスルーされたようだ。
 Donald John Trumpの「Trump」は、トランプゲームのトランプと綴りが同じ。楽器のトランペット(trumpet)にも通じ、古くはtrumpに「ラッパ、ラッパの音」という意味もあった。日本でも大げさな言い方を指して「ラッパを吹く」と言うが、類語の「trumpery」には「見かけ倒しのもの、いかさまもの、たわごと」を意味する名詞と形容詞とがある(三省堂『コンサイス英和辞典』)。米国民主党の支持者と公言するパックンであるから、共和党のトランプ大統領に対する手厳しさは当然かもしれないが、日本人の耳にもスンナリ入って来やすい。「トランプのトランプ」ならシャレになっていて、しかも語呂が良い。彼の言動はまさに「ラッパ吹き」そのものだ。ドイツ系移民の子孫とのことだが、ご先祖様はよくぞ「トランプ」なるファミリィネームを名乗ったものだと感心させられる。

 計算ずくか?
 2012年5月30日付ニューズウィーク誌で「バラク・オバマ前大統領はケニア生まれ。違うなら出生証明書を見せるべきだ」と言って物議をかもした。誤りと分かって後で発言を撤回したが、この際「オバマに出生情報を提出させたのだから成功だ」と負け惜しみを言った。自画自賛の負け惜しみとは裏腹に、トランプ氏の軽薄さと人種差別意識を印象付ける結果となった。ただし、これらも考えようによっては「どうせ相手にされないなら、目立つ言動をしておいた方がトクだ」という、計算ずくの作戦だと受け取れなくもない。
 特に米大統領選挙前には「この人は計算ずくで言っているのではないか」と思わせるものが多かった。たとえばメキシコからの不法移民問題や、日本の防衛費負担問題など。不法移民は頭の痛い問題には違いないが、安い労働力がアメリカの国内経済を支えている側面もある。日本の企業が安い労働力を求めて中国やベトナムに工場を造るのと同じだ。日本の防衛力にしても「思いやり予算」を知る日本側には、ひと言聞いてトランプの「ラッパ吹き」ぶりを見抜く識者が多かった。米軍の日本駐留経費は7割以上が日本側の負担であり、太平洋、北東アジアから中東までカバーする米国第七艦隊も、日本側の支援には少なからざるものがある。さすがにトランプ大統領も就任後は日本側の負担増を口にしなくなった。
 ところが今になって振り返れば、トランプ氏の「ラッパ吹き」は大統領選挙では効果的だったとの解釈も成り立つ。米国民のほぼ全員が「思いやり予算」や第七艦隊支援の事実を知らないから、トランプ候補が「日本はアメリカの軍事力に『タダ乗り』している。今後は応分の負担をさせるべきだ」と主張すれば、米国内の有権者は「今までの民主党政権は、そんな国費の無駄遣いを許していたのか?」と考える。トランプ陣営にとれば、たとえ日本国内で事実誤認を指摘されても、米国民が信じて自票に結びつくなら、カエルのツラに何とやら、である。「メキシコ移民に雇用を奪われる」も同様。計算ずくとは、そういうことだ。

 当選後もフェイク・ニュースの意図
 2016年11月に相次いで流れた「ローマ法王はトランプ氏を支持している」や「ヒラリー氏が重病を隠している」は、フェイスブックなどのSNSによりたちまち拡散した。トランプ陣営の意図的なフェイク・ニュース作戦である。クリントン陣営も同じ作戦で応じれば泥仕合になるところだが、良識派の多いクリントン側はさすがに応じなかった。
 日本でも首長選のような対立2候補の選挙戦がデマ合戦の泥仕合になることは、しばしばあった。ときに公共工事の利権がらみだったり、ときに下ネタがらみだったりで、怪文書が出回ることも多い。しかし選挙が終われば、泥仕合も手打ちとなるのが通例だ。ところが今回の米大統領選では新大統領誕生後も延々と続き、かつフェイク情報の発信源が新大統領自身だというのだから理解に苦しむ。するとフェイク情報は、大統領選に向けた計算ずくの作戦ではなかったのか。それとも選挙後のフェイクには別の意図が隠されているのか。
 大統領選挙後に注目を集めたフェイク情報といえば、トランプ大統領が3月4日のツイッターで「昨年10月に私の電話がオバマ大統領に盗聴された」と書き込んだ一件がある。重大視した米共和党の重鎮ジョン・マケイン上院軍事委員長が3月12日になって「放置すれば政府活動への国民の信頼を損なう。主張の証拠を提出できないなら、発言の撤回を」と提案した。16日の上院情報特別委員会では委員長(共和党)と副委員長(民主党)が連名で「盗聴の証拠なし」と結論している。ここに至ると、ますますトランプ氏は自分で自分を八方ふさがりの状態へと追い込んでしまった印象が強い。
 6月1日、トランプ大統領は「地球温暖化はデッチ上げ」として、地球温暖化対策の「パリ協定」から脱退を表明した。「デッチ上げ」という認識は、どこから来るのか。計算ずくでなく認識の未熟さ、勉強不足ということなら、より事は重大だ。本人が否定しても米国は依然として世界の警察官である。そのトップが、かくも未熟で勉強不足では世界中が迷惑する。
 あまりに突飛な言動に接すると、人はそのまま受け容れることができず「言動の裏に何か隠されたものがあるのでは?」と勘繰ってしまう。アメリカ大統領のような立場の人から発せられたものであれば、なおさらだ。しかしトランプ大統領の「トランペット」については、そろそろ考え直した方が良いかもしれない。「ラッパ吹き」と受けとめることは希望的観測に過ぎず、残念ながら本音、本心と受けとめるのが正解だろう。

 アメリカ第一主義はアナクロニズム
 確かに過去のアメリカ政治は国際協調主義と一国主義との間で揺れ動いてきた。しかし現代は輸送やIT技術、情報が世界を一つに結ぶグローバリズムの時代である。巨大経済大国であればこそ、経済・貿易面で世界と協調することが生き残る道だ。200年前のモンロー主義に後戻りするようなことはアナクロニズムである。それでなくとも昨日まで反グローバリズムの一番手だった国までが、スキをついて世界のリーダーになり替わろうと虎視眈眈なのである。