「日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」(再起動)第3作にあたる。
「凶悪」 (2013年)、「日本で一番悪い奴」(2016年)に続く、白石和彌監督の最新作だ。
オリジナル脚本で、名匠田中登監督のロマンポルノ作品「牝猫たちの夜」(1972年)のオマージュ版のようでもある。
東京・池袋を舞台に、夜の街で生きる3人の風俗嬢を軸に、彼女たちの人間模様が描かれ、切なくも可笑しい日常を切りとった群像ドラマである。
このリブート・プロジェクトには、白石監督のほかに、行定勲、塩田明彦、園子温、中田秀夫の4監督が参加して作品を競い合っている。
眠らぬ街、池袋の夜の街をさまよう3人の女たち・・・。
風俗店で何となく働いている雅子(井端珠里)は、ネットカフェで寝起きするワーキングプアの女性だ。
結衣(真上さつき)は若いが一児を持つシングルマザーで、仕事を忘れすぐに態度に出てしまう女で、イケメンを見ると惚れやすい。
雅子の同僚里枝(美知枝)は、平凡な主婦にもかかわらず風俗嬢をしているが、客の老人金田(吉澤健)に気に入られ、仕事ではなく個人的に会えないかと頼まれるが・・・。
寄り添いあう“牝猫たち”は、互いを店の名前で呼び合うだけで、本名も、働く理由も知らない。
池袋はいまだ猥雑さの残る街であり、男と女のさすらう街である。
白石監督は、夜の街に漂う猥雑さと、何やら危険な臭いのする街で生活する弱者の救済(?)を描きながら、救いようのない哀しみの群像を活写する。
ここに登場する女性たちは、男性たちを優しく受け止める女神たりうるだろうか。
男はいつだって幻想を抱き、その幻想は大体打ち砕かれるものだ。
ドラマの中にはずいぶん荒っぽい台詞が飛び交っているが、女がここで男に媚び男を受け入れるように生きるのは、ただただ生きるためだからだ。
ここに登場する女たちはワーキングプアで、シングルマザーで、いわゆる社会のセーフティネットからこぼれ落ちた存在だ。
どの女性も、ストイックな風情を肉体に漂わせていて、その眼差しは意外や醒めている。
男の客たちは女に甘え、どちらも心の奥には狡猾を内包している。
男も孤独、女も孤独なのだ。そして男も女も寂しい。
こんなところに、しかし心の安定はないしありうるはずもない。
快楽を求める虚しさの向こうに、わずかな温もりだけが救いだろうか。
そこには、現代人の抱える闇がある。
その闇ははかり知れない。
孤独がさらなる孤独を生む闇である。
日本という国は美しいか。
格差社会が広がり、ネットカフェ難民が増え、ワーキングプアが当たり前となり、そこかしこに貧しい暮らしがのぞいている。
白石和彌監督の作品「牝猫たち」を見ていると、映画の出来不出来よりも、貧しくも痛々しい日本の社会の縮図を感じないではいられない。
この社会は快楽より貧苦である。
そして、こうした風俗の猥雑な世界を通して浮かび上がってくるものは、まぎれもない日本の恥部のほんのわずかな側面にすぎない。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
次回はイギリス映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」を取り上げます。
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しかも彼らはマスメディアなどを通じて社会的大勢を形成しますし。
話はそれますけど、世論調査にしてもどうも真実性を疑うようなことばかりではないですか。(苦笑)
官邸や政権のご機嫌取りみたいです、というより事実そうなのですから。
とにかく、うかつに信じられませんね。
メディアにいいようにやられている、誘導されているといいますか、天下の大新聞も、NHKさえもしかりですからね。
国民不在ですから、私たちは疑ってかかる必要があるのではあります。だまされないように。
国民を洗脳しようとしているかのような・・・。
変な世の中になりつつあるようです。