【原文】
夫①榮公好專利②而不知大難。夫利,百物之所生也,天地之所載也,而有專之,其害多矣!天地百物皆將取焉,何可專也?所怒甚多,而不備大難,以是教王,王其能久乎?(卷十一 史記上)
【註釋】①夫:文言文中的發語詞,表提示的作用。 ②專利:獨佔利益。
【白話】榮夷公喜好獨佔財利,而不知道會造成嚴重的社會問題。財利,是天地之間萬物所依賴生存的資源。而有獨佔的現象,造成資源不均的害處就多了!因為大家都需要用到,怎麼可以獨佔?不平的現象多了,而不知道社會問題已經存在,必招致民怨,不去防備大的災難,卻用這樣的思想來教唆君王,王位怎能持久呢?
【和訳】
栄夷公は財と利を独占することを好み、このようなことが大変な社会問題を引き起こしてしまうことも知りませんでした。財と利は、天地にある万物が生きるのに必要な資源です。それを独占するような現象があれば、使える資源の不平等による被害は甚大になりましょう。みんなが必要としているものを、なぜ独占できましょう。不平等の現象が蔓延ってしまっているのに、来る社会問題に対処しないには、必ず民の恨みを買うことになります。大いなる災いに備えずに、このような思想で君主を唆しては、王位も長く座れないものでしょう。
《群書治要三六〇》マレーシア中華文化教育センター 編訳
台湾NGO法人西有学会 翻訳
参考:
From: https://blogs.yahoo.co.jp/sanokuangxian/34528191.html?__ysp=5qCE5aS35YWs
厲王
夷王が死んで子の厲王が立ちました。名は胡です。
後に彘に住むようになり(厲王十二年)、近くに汾水が流れていたため、汾王ともよばれています。
元年 戊申。または庚辰、癸未。
[一] 春正月、厲王が即位しました。
夷宮を建てました。夷宮は夷王(厲王の父)の廟のようです。
[二] 厲王が栄国の夷公を卿士に任命しました。『竹書紀年』(今本)には「命卿士栄夷公落」とあります。「落」は「夷公」の名と思われます。『呂氏春秋・仲春紀・当染』では「栄夷終」という名になっています。
『史記・周本紀』ではこれを厲王三十年のこととしています。以下、『史記・周本紀』の記述です。
厲王が即位して三十年が経ちました。厲王は利を好み、栄国の夷公を側近にしました。大夫・芮良夫(芮伯)が厲王を諫めて言いました「このままでは王室が卑しくなります。栄公は利を独占しようとし、大難を予測することができません。利は百物を生み、天地に存在するものです。これを独占したら害は多大になります。天地の百物は人々が皆求めています。どうして独占できるでしょう。もし独占しようとしたら人々の怒りが増大します。しかし栄公は大難に対する備えがありません。栄公は利を独占することを王に教えていますが、王はその地位を久しく保てるでしょうか。人の王となる者は利を導き出して上下に施さなければなりません。神・人・百物それぞれが得るべきものを得たとしても、なお慎んで怨みが起きることを恐れるものです。だから頌(『詩経・周頌・思文』)には『徳ある后稷を想う。后稷は天道に従った。民衆が安定して生活できるのは、后稷のおかげだ(思文后稷,克配彼天,立我蒸民,莫匪爾極)』と歌われており、大雅(『詩経・大雅・文王』)には『文王は利を天下に施して周道を成就させた(陳錫載周)』とあるのです。后稷も文王も利を天下に行きわたらせて、しかも慎んで難を恐れたから、周を興して今に至っているのです。王は利を独占することを学んでいますが、これでいいはずがありません。匹夫が利を専らにしても盗とよばれます。王たるものがこれにならったら帰服する者はわずかになるでしょう。栄公をこのまま重用したら周は必ず衰退します。」
厲王は諫言を聞かず、栄公を卿士に任命して政治を行わせました。
「厲王が利を独占した」というのは当時の財政事情に関係があるといわれています。西周王朝は昭王以来、周辺諸族と戦争を繰り返してきたため王室が財政難に陥りました。しかし一方では貴族や奴隷主が土地の私有化を進めていました。相対的に周王室はますます貧しくなります。そこで保守派の大臣達は「全国の土地も財産も周王のものである」と主張し、王権の強化をはかるようになりました。栄夷公はその筆頭です。厲王は保守派の意見を採用し、山林川沢の利益を独占して国人が使うことを禁止したといわれています。
厲王の政治によって諸侯がますます離反しました。
夫①榮公好專利②而不知大難。夫利,百物之所生也,天地之所載也,而有專之,其害多矣!天地百物皆將取焉,何可專也?所怒甚多,而不備大難,以是教王,王其能久乎?(卷十一 史記上)
【註釋】①夫:文言文中的發語詞,表提示的作用。 ②專利:獨佔利益。
【白話】榮夷公喜好獨佔財利,而不知道會造成嚴重的社會問題。財利,是天地之間萬物所依賴生存的資源。而有獨佔的現象,造成資源不均的害處就多了!因為大家都需要用到,怎麼可以獨佔?不平的現象多了,而不知道社會問題已經存在,必招致民怨,不去防備大的災難,卻用這樣的思想來教唆君王,王位怎能持久呢?
【和訳】
栄夷公は財と利を独占することを好み、このようなことが大変な社会問題を引き起こしてしまうことも知りませんでした。財と利は、天地にある万物が生きるのに必要な資源です。それを独占するような現象があれば、使える資源の不平等による被害は甚大になりましょう。みんなが必要としているものを、なぜ独占できましょう。不平等の現象が蔓延ってしまっているのに、来る社会問題に対処しないには、必ず民の恨みを買うことになります。大いなる災いに備えずに、このような思想で君主を唆しては、王位も長く座れないものでしょう。
《群書治要三六〇》マレーシア中華文化教育センター 編訳
台湾NGO法人西有学会 翻訳
参考:
From: https://blogs.yahoo.co.jp/sanokuangxian/34528191.html?__ysp=5qCE5aS35YWs
厲王
夷王が死んで子の厲王が立ちました。名は胡です。
後に彘に住むようになり(厲王十二年)、近くに汾水が流れていたため、汾王ともよばれています。
元年 戊申。または庚辰、癸未。
[一] 春正月、厲王が即位しました。
夷宮を建てました。夷宮は夷王(厲王の父)の廟のようです。
[二] 厲王が栄国の夷公を卿士に任命しました。『竹書紀年』(今本)には「命卿士栄夷公落」とあります。「落」は「夷公」の名と思われます。『呂氏春秋・仲春紀・当染』では「栄夷終」という名になっています。
『史記・周本紀』ではこれを厲王三十年のこととしています。以下、『史記・周本紀』の記述です。
厲王が即位して三十年が経ちました。厲王は利を好み、栄国の夷公を側近にしました。大夫・芮良夫(芮伯)が厲王を諫めて言いました「このままでは王室が卑しくなります。栄公は利を独占しようとし、大難を予測することができません。利は百物を生み、天地に存在するものです。これを独占したら害は多大になります。天地の百物は人々が皆求めています。どうして独占できるでしょう。もし独占しようとしたら人々の怒りが増大します。しかし栄公は大難に対する備えがありません。栄公は利を独占することを王に教えていますが、王はその地位を久しく保てるでしょうか。人の王となる者は利を導き出して上下に施さなければなりません。神・人・百物それぞれが得るべきものを得たとしても、なお慎んで怨みが起きることを恐れるものです。だから頌(『詩経・周頌・思文』)には『徳ある后稷を想う。后稷は天道に従った。民衆が安定して生活できるのは、后稷のおかげだ(思文后稷,克配彼天,立我蒸民,莫匪爾極)』と歌われており、大雅(『詩経・大雅・文王』)には『文王は利を天下に施して周道を成就させた(陳錫載周)』とあるのです。后稷も文王も利を天下に行きわたらせて、しかも慎んで難を恐れたから、周を興して今に至っているのです。王は利を独占することを学んでいますが、これでいいはずがありません。匹夫が利を専らにしても盗とよばれます。王たるものがこれにならったら帰服する者はわずかになるでしょう。栄公をこのまま重用したら周は必ず衰退します。」
厲王は諫言を聞かず、栄公を卿士に任命して政治を行わせました。
「厲王が利を独占した」というのは当時の財政事情に関係があるといわれています。西周王朝は昭王以来、周辺諸族と戦争を繰り返してきたため王室が財政難に陥りました。しかし一方では貴族や奴隷主が土地の私有化を進めていました。相対的に周王室はますます貧しくなります。そこで保守派の大臣達は「全国の土地も財産も周王のものである」と主張し、王権の強化をはかるようになりました。栄夷公はその筆頭です。厲王は保守派の意見を採用し、山林川沢の利益を独占して国人が使うことを禁止したといわれています。
厲王の政治によって諸侯がますます離反しました。