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津波被災地の今

2020年01月11日 | 震災・災害


東日本大震災で津波被害に遭った女川町〜南三陸町を見てきたので写真を載せておきます。
復興工事の進捗状況を感じていただければ幸いです。



女川町


女川町では、津波から逃れるべく多くの人が病院があった高台に避難しましたが、この写真はその付近から撮りました。




次の写真は、その場所で震災から間もない時期に撮ったものです。津波で押し寄せた海水に浮いたのであろう自動車が3階建ての建物の屋上に取り残されているのが見えます。



震災前のこの地区には湾に近いところには漁業関係その他の商業施設などが、またそのすぐ近くまで民家が立ち並んでいました。今は、漁業関係の多くの施設が湾に面した別の場所に移り、住宅は1枚目の写真の右斜め後ろ方向の高台などに移転しました。


女川駅と役場はすっかり新しくなりました。1枚目の写真でいうと、左後方の位置になります。写真右側が女川駅、左奥が役場です。



新しくなった女川駅には温泉も同居してます。

女川温泉ゆぽっぽ
http://onagawa-yupoppo.com/



たまたま電車が来ていたので撮り鉄のように撮ってみました。



正確には電車ではありません。気動車と言ったらいいのでしょうか。ディーゼルエンジンで動くやつです。上に架線はありません。2両編成のワンマン車両でした。
冬に乗車する場合は、ドアの横のボタンを押してドアを開けてくださいね。寒いので開きっぱなしにはしておかないのです。


女川駅から出ると正面に新しい商店街=『シーパルピア女川』があります。その奥には海が見えています。



ここに飲食店、土産物屋、魚屋、それから工芸品などを扱う店や工房が並んでいます。

シーパルピア女川
http://onagawa-mirai.jp/


中央には写真に見えるように広いレンガ道がありますが、これは再び津波が来るような事態を想定し、女川駅などがある高台の方向に向かう避難路を示しているそうです。そういう意味では、この女川町は後述する南三陸町とは異なり、巨大な防潮堤などは作らずに海辺と共存する街づくりを選んだわけです。
ただし、前述のように住宅地は後背地の高台に移転しました。



漁港


これはとある小さな漁港の防潮堤工事を上から撮ったものです。



この場所の住所としては、宮城県石巻市雄勝町です。観光客が来るような場所ではないですね。震災直後は漁港復興は大規模な漁港に集中して、小さい漁港は優先度を下げるか捨てる、というような議論もちらっと見た気がしますが、近年の復興工事状況を見ると、小さな漁港も捨て置かず徹底的に防潮堤を造るつもりのようです。防潮堤の高さは…素人の目算で10mくらいとかでしょうか?

このような小規模の漁港の防潮堤工事は、あちこちで見られます。ほぼ完成したと思われる場所もあれば、まだまだ工事が続きそうな場所もあります。

ちなみに、雄勝町は私が幹線道路をクルマで走って見てる限りは、他と違って復興がちっとも始まらない地域でしたが、今年になってやっと名産品の硯(すずり)を扱う『雄勝硯伝統工芸館』(←通りすがりにちらっと見たので施設名は正確でないかも)の新築工事が始まっていたのを発見しました。(写真なし)



北上川河口付近


次の写真は、北上川の河口付近の堤防工事の様子です。



位置関係としては、写真の右側が太平洋。北上川が右後ろから太平洋に流れます。多数の小学生らが亡くなった大川小学校は、写真の右後ろ方向の対岸にあります。

左側の道路は下っています。もっとも低い位置は、おそらく海面とそれほど差がないと思いますが、そういう低い場所の堤防を今もあちこちで鋭意工事中です。
震災後、何年も定点観測のように同じようなコースを巡っていますが、その印象としては、人が住む街の復興工事はぼちぼち完成形が見えてきて、最近はこういう人口過疎エリアの堤防や、小さな漁港などが復興土木建設工事のメインになってきた感じがします。



南三陸町


南三陸町戸倉地区(役場などがある街の中心部からは南側)の防潮堤の工事の様子です。



高さは素人目算で12mくらいもあるのでしょうか。かなり高く感じました。南三陸町は湾の奥ということもあり、津波発生時には津波もかなり高くなるでしょうから、高さと強度が要求されるのでしょう。

写真の奥の方では重機が並び、工事はまだまだ続く気配でした。


次の写真は、南三陸町の元の中心部であった防災対策庁舎があった付近です。



写真の左側、地面に円形の何かが築かれようとしているその向こうに津波にのみこまれた防災対策庁舎の鉄骨が見えます。佐藤仁町長らは、津波の襲来時にこの防災対策庁舎の屋上のアンテナ支柱にしがみついて助かったとのことです。
写真右側が海側、左が内陸部の方向という位置関係です。

南三陸町防災対策庁舎
https://ja.wikipedia.org/?curid=2856251



上の写真の右側に見えているのは『南三陸さんさん商店街』です。震災直後の仮設商店街としては、もっと内陸部にあったのですが、盛り土の工事がひと段落した2017年にこの場所に移ったようです。

南三陸さんさん商店街
https://www.sansan-minamisanriku.com/



それで、私がこの写真で示したかったのは復興工事の盛り土の高さです。今、『南三陸さんさん商店街』が建っている場所は、防災対策庁舎の屋上とほぼ同じ高さです。つまり、南三陸町では元の街の中心部を埋め尽くした広大な盛り土の上に新たな街の中心部を作り、それ自体を内陸部に対する巨大な防潮堤にしようとしているわけです。


次の写真は、同じ場所を別の角度で撮ったものです。写真右側に防災対策庁舎が見えます。



写真左奥にあるのは、津波被害に遭った海岸各地に築かれている避難用の人工の丘です。高さは、防災対策庁舎より高いですね。丘の中腹にオレンジ色の柵があるのですが、それが防災対策庁舎の屋上の高さに相当するように見えました。防災対策庁舎は3階建でしたが、この丘は4階建の高さがありそうです。

そして、この付近はどうやら『南三陸町震災復興祈念公園』という名称で開発が進められているようです。下記ホームページによると、今年2020年秋にオープンとのことです。

南三陸町震災復興祈念公園の一部開園について | 南三陸町観光協会公式HP
https://www.m-kankou.jp/archives/232807/




おまけ


女川で食べた『女川丼』(¥1,300)を載せておきます。

ヒラメの縁側?だと思うのですが、こんなに大きいのは初めて食べましたよ。わさびの左隣にあるやつです。これは…ここだけの話ですが、南三陸町で食べるよりも安くて内容も豪快な感じがします。





さらにおまけに例のあれ=『ダンボルギーニ』も載せておきます。全部、段ボールで作られているそうですよ。女川の街のどこかにありますから、探してくださいね。






以上です。




(津波で流された女川町の住宅に掲げてあった日章旗)







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