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「あった派」こそ歴史修正主義

2019年02月15日 | 南京大虐殺


南京論争では日本国内の「あった派」の方がむしろ「歴史修正主義」である。なぜか。

1)東京裁判での事件の期間は陥落日から。
2)南京法廷での事件の期間は主に陥落前日から。
3)「南京大屠杀遗址纪念碑」は南京城内とその周辺。

それにも関わらず、国内のあった派だけはなぜか上海からの進軍路を含めたがる。これは拡大修正主義だ。


1)(東京裁判での松井被告への判決文)「この犯罪の修羅の騒ぎは、一九三七年十二月十三日に、この都市が占拠されたときに始まり、一九三八年二月の初めまでやまなかった。」

主眼は陥落後であって、上海からの進軍路やその期間は含まれていない。


2)(南京軍事法廷での谷被告への起訴事実)「調査によれば虐殺が最もひどかった時期はこの二十六年十二月十二日から同月の二十一日までであり、それはまた谷壽夫部隊の南京駐留の期間内である。」

主眼は陥落前日からであって、上海からの進軍路やその期間については言及されていない。


3)現在の中国が建立している「南京大屠杀遗址纪念碑」も2箇所を除いて南京城内とその周辺。遠い2箇所も両方とも当時の南京を含む江寧県で、1つは翌年2月。犠牲者数の99.9%以上が南京城内とその周辺。

侵华日军南京大屠杀遗址纪念碑
https://zh.wikipedia.org?curid=3591632



上記3項目から、連合国の事件の認識は陥落後(東京裁判)、中華民国(南京戦の交戦相手国)の事件の認識は陥落前日から(南京軍事法廷)、現在の中華人民共和国の認識はほぼ南京城とその周辺(南京大屠杀遗址纪念碑)となっていることがわかる。


そして、まともに検証すれば南京城とその周辺で市民大虐殺がなかったのは明らか。敗残兵と捕虜の処断については法的解釈は諸説あるにしても、実行部隊の部隊長が戦犯になっていないのは事実。従って、特に今の中国がいう南京大屠杀なるものは「なかった」と結論づけるのが当然。


それにも関わらず、「あった」という結論を変えないまま、南京戦の時間と空間を独自に拡大解釈して、犠牲者数を増やそうとするのは詭弁に思える。おそらく、こんな珍説は日本国内にしか存在しない。日本の論壇の主流がそうだというなら日本の論壇がおかしい。



(参考図表)



(クリックで拡大)




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(関連記事)

The Fake of “Nanking Massacre”(日英併記の概説)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/b9fce6b774ed768149eb86f4ddb29ad9


《1》南京大虐殺の真相(要約版)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/eaacb2fee7e20c9adc4799020776c9d1


★南京大虐殺の真相(目次)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/9e454ced16e4e4aa30c4856d91fd2531


以上。




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