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差別とは人の営み

2016年10月10日 | 時事・雑文


昨今は差別糾弾があまりにも安易に乱用されすぎだ。嫌われた、文句言われた、サービスが過剰だった、名前を聞き違えた、程度で差別糾弾されたらたまらない。だから、深刻な差別騒動が起きたら「それのどこが人種差別に該当するのか?」と問い質すことにしようと思う。人種差別は安売りできない。

辞書によっても違うだろうが『差別』をひくと《 ある基準に基づいて,差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。》が先に出てくる。なんのことはない、入学・入社試験、保育園の入園審査(所得等)、パスポート関連、「あいつは嫌いだから誘わない」、その他選別するものは何でも実は差別。

他人の外見を見て「あの人、ちょっと変だから避けておこう」などと思ったりして敬遠することすら語句の意味からすると差別。こんなのは人の心の中では日常茶飯事。昨今の反差別運動はこのレベルも糾弾対象にしていないか? 人の心は止められない。糾弾すべき差別は「人種差別」に限定すべき。

企業や官公庁等の人材募集で「日本国籍保持者に限る」は人種差別ではない。自国民と外国人では扱いが異なって当然。「日本国籍保持者であっても朝鮮半島出身者は除く」とまで規定してあれば初めて人種差別に該当する。法制度や社会制度にもはや人種差別はないのに、人の心まで糾弾対象にするのは異常。

過剰な反差別運動による極端な結果平等志向は社会を崩壊させる。我々人間は工場で大量生産された製品ではない。個性があり、好みがある。差別が欠片も存在しない人間社会はありえない。ツイッターでフォローするのもブロックするのも差別。誰しも毎日朝から晩まで心の中で差別をしている。それが事実。

だから、「おまえは差別主義者か!」と糾弾されて怯む必要などない。珈琲か紅茶か迷って珈琲を選んだら既に差別だ。陰で喜ぶ業者と悲しむ業者がいる。‪人の営みである識別と選択は常に差別である‬。既婚者なら相手を決めたこと自体が差別だ。選ばれなくて泣いた人もいるだろう。まぁ、そういうことだ。



(追記)
もし「好かれたい」「賞賛されたい」というのが運動の動機なら、反差別運動なんていくらがんばっても無駄というか逆効果。深刻な人種差別問題がない日本ではそんな方向で暴れてもますます疎ましがられる=嫌われる、だけ。それは努力の方向が全然違うことを理解しましょう。



(参考)
差別という価値判断の合理化
http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/4ee533c812cf533fb347369864329644




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反差別界隈の恐怖心

2016年09月15日 | 時事・雑文


反差別界隈がいまだに「マジョリティ/マイノリティ」に執拗にこだわり、差別がジェノサイドにつながるという主張もしているようだが、意味がよくわからない。だが、ルワンダ大虐殺を見ていくとなんとなくヒントになる。ルワンダでは実は少数派が支配層にいたのだ。

ルワンダは多数派のフツ族が農耕民族、ツチ族が遊牧民族だったが、経済的には遊牧の方が恵まれていたようだ。それでいつしか、ツチ族が少数民族ながら社会の支配層になった。欧州列強による植民地時代に入ると白人はツチ族を通して多数派のフツ族を支配する体制を強化した。

長い年月の間に、少数派ながら社会を支配するツチ族への多数派フツ族への憎悪が蓄積していったらしい。そして、1994年4月、フツ族出身の大統領が乗った航空機が何者かに撃墜された。それをきっかけに多数派フツ族による少数派ツチ族への大虐殺が始まった。

ルワンダの大虐殺
~恐怖が現実になる瞬間、3か月間で100万人が殺された!~
http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_8_m.html

ここからは邪推連発。反差別界隈というのはパヨク層と重なる。例えば、国政では反アベであり、都知事選で言えば鳥越支持層。マスコミがパヨク的主張を垂れ流してるのを見てわかるようにパヨクはマスコミを抑えているが、安倍内閣支持率6割、鳥越候補惨敗からわかるのはパヨクは実は少数派。

少数派が支配層となって多数派を抑えている、という構図は元々のルワンダと同じ。反差別界隈が恐れているのは実はルワンダ大虐殺の日本版ではないのか。そういえば、最近はまた関東大震災での朝鮮人虐殺なんてのを糾弾しようとし始めてる。恐怖心の裏返しの策謀ではないかと疑う。

さらに思い出したが、韓国の李明博前大統領が「我々はすでに日本を征服している」「日本に居るのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ」などと発言したそうだな。後者は誰のことか。民団に属する在日韓国人のことか。そう解釈するのが順当だろうな。

そうするとますますルワンダの構図になる。少数派の支配層に突如決起して大虐殺を始める多数派。反差別界隈がやたらマジョリティ/マイノリティとジェノサイドにこだわる理由はこれか。逆に言うと、自分たちが日本の支配層であり、日本人に理不尽な対応をしてきたという自覚があるんだな。

そうですか。まぁ、その先は私は特に言及はしないが、少なくともマイノリティが常に弱者という決めつけはルワンダの事例からすると当てはまらないね。



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偽装貧困JK問題

2016年08月21日 | 時事・雑文

偽装貧困JKの件だが、本来は「貧困」を報じるなら社会問題であって、それは統計データとして表現されるべきもの。なのに特定個人の少女の生活状況にフォーカスするから、過去にツイートしていたランチ代や映画のチケットがどうだとかいう変な方向に話が進む。

特定個人の問題なら姉でも親戚でも助けてやればいいだけ。あのJKが「うちにはパソコンもエアコンもない」などと言っても、それを社会問題化しようとするのは無理がある。NHKは問い合わせに「パートの母子家庭だから貧困」などと回答したようだが、乱暴すぎる。

だったら、世間のパートの母子家庭を全て社会問題化するのか。日本のような先進国での「相対的貧困」は、餓死などの危機に直面するような「絶対的貧困」とは違う。絶対的貧困に対する社会保障としては、生活保護制度が既に備わっている。だから、問題の本質は所得格差のはずだ。

相対的貧困とは、所得の中央値の半分を下回っている人を指すそうだが、平成27年度の国民所得の中央値は427万円だそうだから、年収213万円以下が該当する。12等分すると月収17.8万円相当。統計では年収200万以下世帯が20%。

資本主義国では世帯収入なんて千差万別だから、日本全体がどんなに裕福になっても相対的貧困は必ず生じる。むしろ、景気が良くなって上位所得層の収入が増えるほど相対的貧困層の比率は上昇する。だから、相対的貧困の全てを社会問題化するのも無理がある。

進学の問題としては、学業優秀なら返済不要の給付型奨学金制度もある。そうやって全体を俯瞰していくと、NHKがそもそも何を社会問題として提起したかったのかがますますぼやけてくる。本当は、貧困ビジネスを回している各種の組織の実態の方が報じる価値が高いのではないのか。



蛇足だが、平成26年度のNHK職員の平均年収は1160万円だそうだが、これが相対的貧困層を増やす一因になっている。これをサラリーマンの平均年収415万円に近くなるよう半減させてやれば、相対的貧困層は減る。統計とはそういうものである。


追記)
相対的貧困を劇的に減らそうとしたら、図の青線のような施策を打つ必要がある。それには、「最低賃金引き上げ」や「年金の最低受給額引き上げ」といった要素が効いてくる。現実的な施策かどうかはわからない。



平成27年 国民生活基礎調査の概況(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa15/index.html


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言論には言論で戦え

2016年06月07日 | 時事・雑文


川崎のデモを中止させたなどと称して勝利宣言してる陣営があるようなので書いておく。

事件の概要はこれ。

【ヘイトスピーチ解消法】 施行後さっそく川崎・渋谷で大混乱 「言論の自由を妨害するな」×「ヘイトデモやめろ!」 DJポリスも出動し…
http://www.sankei.com/premium/news/160606/prm1606060011-n1.html



言論の自由は民主主義の根幹である。気に入らない主張だからと実力行使で言論を封殺していたら民主主義は死ぬ。これは主義主張の内容に関係ない。一部の外国にそういう文化があろうとも日本では許してはならない。それが文明国のルール。ましてや公党の現職議員までもが言論封殺の暴動に加担するとは論外。言論には言論で戦え。憲法21条もよく確認すべし。

日本国憲法 第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


言論には言論で戦え、を図示する。



言論には言論という同じ土俵で戦うのがルール。相手の主張が気に入らないからと、スラップ訴訟を乱発したり、殴り込みや暴動を仕掛けるなどの暴力行為で相手の言動を封殺することをしてはいけない。
そういうことをするのは卑怯、あるいは野蛮と言っていい。



ただ、TLで見ていると、川崎デモ妨害への批判に関して「デモが殺人予告だったらどうするんだ」と反論してる人もいるらしい。



もし、相手の主張がそのように言論の領域を超えて違法(名誉毀損、威力業務妨害、犯行予告など)の領域に達していると認識した場合は、躊躇なく警察に通報すれば良い。また、必要に応じて裁判に訴えれば良い。

いずれの場合であっても、(犯行現場での正当防衛を除き)自らが仲間を集めて暴力などの実力行使に訴える必要がないし、またそのために警察などの国家権力が用意されている。国家の秩序を崩壊させるような愚行は慎んでもらいたい。

また、そのような愚行により実力行使に臨む者たちがいるなら、警察は遠慮なく排除してもらいたい。




以上。


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ショーンK騒動

2016年03月19日 | 時事・雑文


ショーンK騒動は興味深い。専門家は、キーワードを並べただけで中身がなく怪しいと思っていた、と言うが、視聴者と共演キャスターからはむしろ好印象だった様子。経歴と顔と身長はホラッチョだったにしても、番組のニーズは満たしていた。逆に、実は専門家の意見など求められていなかったとも言える。

キャスターも視聴者の大半も経済や経営の専門家ではないわけだから、バリバリの専門家が出てきて難解な説明をすると(平易に語れない専門家は多い)キャスターも視聴者もついていけなくなる。だから、求められていたのは、素人よりちょっと物知りなオピニオンリーダーだったということ。

だから、前にも書いたがコメンテーターなんて、福山雅治のようなビジュアルに優れた俳優を連れてきて、裏方としての専門家と演出家が練ったセリフを言わせておく方が番組的にはいいと思う。視聴者のニーズは、専門家の専門的意見ではなく、それっぽくて分かりやすいコメントだったのだから。

ネットでは、ちょっとだけ嘘を混ぜるから危険とか言われているが、池上彰という人はテレビでは重宝されている。わかりやすい説明と、自分の意見を言わないのが特徴だそうだ。

池上彰氏が、テレビで「自分の意見」を言わない理由
http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/29/akira-ikegami_n_5415190.html

視聴者は池上彰という人に、肩書きや経歴なんて求めていない。説明力を求めているだけ。そして、記事の中に《『自分の意見を言わない』というニッチな需要を見つけた》とある。別の言い方をすれば、今のテレビ出演者は主義主張の押し付けがひどすぎて視聴者が辟易してるということなんだろうと思う。

だが、専門家なら自分の専門分野では自説があって当然なので、『自分の意見を言わない』という要求は通らないだろう。その矛盾が結果的に、中身はないし自説も主張しないが、適当にわかりやすいコメントを発する似非専門家ショーンKの台頭を許してしまったのかなという気がする。

つまり、そこに確実にニーズがあるってことよ。



(追記)

ショーンKがどこにいたのかを図解。

本物の専門家と、素人である視聴者の隙間にいた。報ステなどはイデオロギー志向の強いコメンテーターを使いたがるが、美声とルックスと“経歴”を武器にそこに割り込んだ。





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温暖化は原発の排熱?

2016年03月17日 | 時事・雑文


一部で、地球温暖化の犯人は原発の排熱、という言説がまかり通っている。その説によれば、火力発電のエネルギー変換効率は50%だが、原発は30%だから、というもののようだ。排熱量だけ見るとそう思えるかもしれないが、実は温暖化の原因とされているのは、排熱ではなく、地球からの放熱量の問題。

地球に降り注ぐ太陽エネルギーは膨大で、人類が消費している1年間のエネルギーを、たった1時間でまかなえるほどだそうだ。つまり、太陽は人類が生成する8,760倍(24時間×365日)のエネルギーを地球に降り注いでいる。そして、その30%は宇宙に反射していく。だから、実質は6,132倍が太陽由来。

さらに、人類が生成するエネルギーのうち原子力は6%くらい。だから、太陽からのエネルギーは原発の約10万倍。変換効率を考慮して排熱分だけ見ても5万倍くらい。(=発電エネルギーの2倍が排熱になるから) そして、化石燃料による温暖化効果ガスは、宇宙に出ようとする赤外線を大気が吸収してしまう原因となるので地球温暖化になる。

つまり、地球から反射して出て行くはずの太陽エネルギー(人類が生成するエネルギーの2,628倍=原発の約4万倍)にいかに滞りなく出て行っていただくか、というのが課題になっている。原発の排熱を気にして、その数万倍の方を増やしてしまったのでは温暖化対策にならない。

さらに言うと、月が地球の周りを周回することで地球がモミモミされて、それが地球を温めるエネルギーにもなっているのだが、これ由来のエネルギー量は計算方法も試算も知らないのでとりあえず無視する。ともかく、原発の排熱という枝葉末節のさらにその先の葉脈を気にしすぎても無意味だ。

この手のことを問題視する人々というのもだいたい予想がつきそうな、いつもの顔ぶれだと思うが、どうしていつもこういう特定のミクロなポイントだけを異常に問題視して、全体像を見失うのだろうかと不思議に思う。


コメント (1)
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ニュース番組について

2016年03月17日 | 時事・雑文


(テレビのニュース番組についてつらつらと書いた散文)

ショーンK騒動を見て思うのだが、もはやニュースのキャスターとかコメンテーターというのは本人の資質で喋らせる必要ないよね。適当に見栄えのいい人を連れてきて、シナリオに沿って語らせればいいだけ。つまり、ニュース番組のドラマ化。街の人の声なんてとっくに演技でしょ。スタジオでも同じ。

テレビというのが視聴率を競うビジネスであり、映像という媒体がどうしても過剰な装飾に走りがちな特性から、ニュース番組といえども実態はショービジネスに走りやすくなる。それを止めるのは不可能だろうし、ネット時代にテレビニュースが生き残る鍵はむしろショーとしての要素しかないだろう。

ある事件について、番組の意向に沿うようにコメントを求められた識者が、主義に合わないとしてコメントを断った事例が聞こえてきたりするが、それはつまりニュースのショー化は既成事実ということ。むしろ、あれを見れば世の中の出来事がわかる公平な報道と視聴者が思っていることの方が間違い。

テレビは電波という媒体を使うから、放送法で公平な報道が求めらているが、既に実態と乖離しているし、ネット時代になり多様な情報が氾濫しているから、テレビに公平性を求めること自体が時代遅れだと思う。この矛盾は今後どんどん増すことはあっても解決はしないだろう。

テレビのもうひとつの問題は、時間枠で縛られるから昨今のように特定の事件を深堀りするほど、他に割ける時間が減り、つまり報じられない事件が増えるということ。その取捨選択も偏向を生む要因になる。その意味でも、テレビの報道はそもそも公平性を確保するには適していない。

だから、国民はネットなどを駆使して情報洪水の中から興味ある分野の情報を、それも多角的な視点を介して受け取るのが健全な姿。その意味で、報道における公平性のような概念は、メディア側から受け手側に責任が移ったと思った方がいいと思う。一般にはこれをメディア・リテラシーとも呼ぶが。

ここまで整理できれば、もはやテレビに公平性だのを求める必要はないから、放送法も改正すればいいし、テレビ局ももっと開き直ってショービジネス化を推し進めればいい。ただ、そうなると政府からの情報発信ルートが減るから、NHKを解体して半分を国営放送にした方がいいかな、とは思うけど。

現状だと、ニュース番組を見たネット民が情報源を確認した上で、政治的に公平であるかどうかを検証したりしてるけど、こんな作業はテレビ局にもスポンサー的にも視聴者にもネット民にもムダな労力。ニュース番組は、事実をヒントにしたショービジネスとしてのニュースドラマ、としてしまえば全部解決。

ドラマ仕立て以外の方向性としては、テレビは迫力ある映像が見られるのが大きな特徴だから、ドキュメンタリーとか現地突撃取材的な方向性なら商品価値が出る。映像は恣意的に切り取れるから真実の全体像にはならないが、ショービジネスとしては問題無し。この方向性ならスタジオもキャスターも不要。

また昨今は、本物の識者はネットにいる、というのが真実だから、テレビがスタジオでのキャスターやエセ識者を投げ捨てて、現場映像に特化するというのは、テレビとネットの相互補完になるので、企業としてのテレビ局にもスポンサーにもメリットは大きいはず。偏向だのなんのと叩かれるよりいいでしょ。

あと、テレビが現場映像に特化するなら、今みたいに番組のネットへの違法アップロード禁止なんかせずに、むしろ積極的にネット利用に映像素材として販売すればいい。テレビ報道における価値の源泉がここだとわかれば、投資の注力ポイントも定まる。大事なのはキャスターじゃなくて、記者とカメラの台数とスキル。

報ステだと古舘事務所に年30億円も払ってるらしいけど、現場映像に特化してしまえば、もしかするとレポーターとカメラマンのチームを100チームほど増やせるかも。映像編集なんて社内でやればコストかからんでしょ。こういう発想はテレビ局の中の人には無理かもしれないけど、考えれば出てくるよ。



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戦車の水上航行方式案

2016年01月24日 | 時事・雑文


なんとなく考えてみた。




《戦車の諸元》

10式戦車
全長 9.42m
全幅 3.24m
全高 2.30m
重量 約44t(全備重量)


《浮くための計算》

運転席ハッチが水面上に出る程度として、吃水を1.3mに設定。
すると、吃水下体積は、高さ1.3m、幅3.24m、長さ9.42m =体積 39.7m^3

従って、理論上は体積を4.3m^3追加すれば水の密度と等価になる。


《浮体》

浮体構造物の重量を1tとしても、5.3m^3追加で浮く。
浮体は、幅3.24m(10式戦車と同一)、高さ1.0m、長さ1.7mもあれば良い。これで5.5m^3
計算上はこの浮体1個で浮くが、余裕を見てこれを前後に装着すると水面下総体積50.7m^3(39.7+5.5+5.5)、重量47t(44+1+1)なので浮く。
浮体構造は、金属ケースの中に発泡スチロールを封入したものなどを想定。この構造により、多少穴が開いても浮力が失われることはない。


《推進》

後部浮体に、キャタピラに押し付けるようにローラーを設け、これの回転を後部シャフトに伝達し、このシャフトでスクリューを回転させることで水上航行が可能となる。
地上走行の戦車は、左右のキャタピラの回転差を利用して旋回するが、水上航行中も全く同じ操縦方法で左右のスクリューの回転差で転舵する。


《装着方法》

日本の戦車には車高調整機能があるので、地上に置いた浮体に接近し、車高を下げてドッキング。そして、車高を上げれば、登坂性能に制限は生じるが通常走行可能。ロック方法は未検討。


《本方式のメリット》

1)専用の水陸両用戦闘車両を用いる必要がなく、通常の戦車を水上航行可能に容易に転換できる。
2)水上航行時の操縦方法が地上走行時と全く変わらない。
3)浮体構造物が簡素で、比較的低コスト。
4)上陸後は前後浮体を切り離すことで、通常の戦車としての性能を発揮できる。


《特許》

特許情報プラットフォームで「戦車 浮体」と検索した限りでは該当出願なし。

本提案方式が、特許に値する新規性があったとしても、当ブログで公開したことにより「周知の事実」になるので権利化不可。

(本記事の公開日は2016年1月24日)


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総理に求めるモノ

2016年01月18日 | 時事・雑文


総理は庶民の仕事を経験しろ、と言ってる人がちらほらいるが、時間のムダ。コンビニ店員、宅配運転手、工場作業員、漁師…それぞれの仕事がわかるようになるまでどれほどの時間がかかるのか。職種の数は。キリがない。どうせ庶民ですら、庶民Aは庶民Bの仕事を知らない。求められる能力が違う。

「経験しろ」とは違うが、問題が生じると「総理が自分でやれ」と言い出す人も一定数いる。集団的自衛権の議論だと「総理が最前線で戦え」の類。菅直人はそのタイプらしいから、自分で原発まで出かけて行ったのだろう。だが、本来トップの仕事は決断することにある。トップが実務に没頭したら崩壊する。

映画「インデペンデンス・デイ」では米国大統領が戦闘機に乗って宇宙人と戦った。だが、あれは映画だ。山本五十六が九七式艦上攻撃機に乗って真珠湾で魚雷投下してたら作戦の指揮命令系統はどうなるのか。平社員が課長に文句言うノリで巨大組織や政府の長に「やって見せろ」と要求をするのはナンセンスすぎる。

そもそも、人の上に立つ人というのは、自分にない才能を持つ者たちをうまく使うことが求められる。総理が自分でパラシュート降下や配管工事ができる必要はない。逆に、自分ができることしか部下にやらせない人物を人の上においてはならない。そのような者は総理どころか、課長職ですら不適格。

民主党政権の失敗の理由のひとつがそれ。彼らは官僚を使いこなせなかった。というより、自分達ですべてやろうとして官僚を退けた。それではインプットは入らないし、アウトプットも出ない。挙句に菅直人は福島原発まで行って混乱させた。有権者もそうだが、特に国会議員ならその程度は理解しろ。


(追記。自ら経験しなければできない、というのは愚か者の主張。)

「愚者は経験に学び、智者は歴史に学ぶ」とはプロイセンの鉄血宰相ビスマルクの言葉だそうです。愚か者は自分の経験した範囲しか知らないが、賢い者は他人の経験からも学ぶ、ということです。人の上に立つ人ほど、自分の経験だけでは対応できない、という諌めでもあります。

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差別という価値判断の合理化

2015年09月09日 | 時事・雑文

あっちのブログに書いた記事の焼き直しだが、いつものように身も蓋もない考察をする。

(この記事で論じる「差別」とは個人レベルの主観的な価値判断、を指す)


結論から書くと、「差別」という行為は「価値判断の合理化」である。つまり、個々の対象を仔細に調査検討すれば、それぞれの可否が判断できるが、その手間をかけたくない場合は、他の事例から類推して上位属性でまとめて可否を判断してしまう、ということである。これが「差別」の正体。




ある人が、A社の製品a1を買って(使いやすい)(性能が良い)などと感じれば、十分に調べなくても「同じA社の商品なら製品a2も良いものに違いない」などと思いこんだりすることはあるだろう。

逆に、B社の製品b1を買って(すぐ壊れた)(性能が悪い)などにより不満を感じた場合、十分に調べなくても「同じB社の製品b2も良くないに違いない」などと敬遠したりすることはあるだろう。

ただし、それらの思い込みや決め付けは、実際に手間暇をかけて調べると無意味であるかもしれないし、統計的に有意な結果になるかもしれない。




ある人が、ネコの「たま」と遊んで(仲良くなれた)(なついてくれた)などと感じれば、他のネコを十分に調べなくても「だからネコは好き」などと結論を導き出したりすることはあるだろう。

逆に、犬のジョンと遊ぼうとして(吠えられた)(噛まれた)などのネガティブな体験がある場合、十分に調べなくても「だから犬は嫌い」などと結論を導き出したりすることはあるだろう。

ただし、それらの思い込みや決め付けは、実際に手間暇をかけて調べると無意味であるかもしれないし、統計的に有意な結果になるかもしれない。

そして、犬がちゃんとしゃべれたなら「犬にもいいヤツもいるので嫌わないでください」と異議申し立てするかもしれない。だが、そんな犬はいないので、「犬が嫌い」と公言したところで苦情が来ることはほとんどない。




ある人が、A国人の「AX氏」と付き合いがあって(誠実な人だ)(有能な人だ)などと感じれば、他の同国人を十分に調べなくても「だからA国人は好き」などと結論を導き出したりすることはあるだろう。

逆に、B国人の「BX氏」と付き合いがあって(粗暴な人だ)(無能な人だ)などと感じれば、他の同国人を十分に調べなくても「だからB国人は嫌い」などと結論を導き出したりすることはあるだろう。

ただし、それらの思い込みや決め付けは、実際に手間暇をかけて調べると無意味であるかもしれないし、統計的に有意な結果になるかもしれない。

そして、国籍や民族とは言わないが、大学名などを当てはめてみれば入社試験の書類審査などでは、この記事でいう「差別」に相当する合理化された価値判断が用いられているだろう。

また、(近所に引っ越してきた誰々さん)に対して、「付き合いをする」「しない」の判断には、上記のような合理化された価値判断が用いられていることも多いだろう。



以上が、この記事で指摘したい事実である。これらの事実認識に立たなければ適切な対策も教訓も出てこない。



つまり、人は「差別」に該当するような合理化された価値判断を日常的かつ無意識に行使しているということである。
そして、その判断対象が人の場合だけ「差別はいけませんよ」という話になっている。

ゆえに、

《人は日常的に「上位属性に基づく合理化された価値判断」をしているのだから、本質的に差別という問題は無くならない》

という結論を導き出すこともできるだろうし、逆に

そうであるから、

《個人に対する価値判断だけはよく吟味しなければならないし、その表現に用いる言葉も慎重に選ばないといけない》

という教訓を導き出しても良い。





蛇足ですが、上位属性が「ネトウヨ」や「サヨク」でも同じですからねー

あと、上位属性が変更可能かどうか、なんて議論には私は1ミリも同意しませんから。




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神という漢字

2015年09月06日 | 時事・雑文



一神教の神は唯一絶対神だが、日本の神は八百万の神々(便宜上「カミ」とする)である。なんで日本の先人は唯一絶対神の「神」と「カミ」を別の漢字にしなかったのかと疑問に思っていたが、外来の唯一絶対神をもその他大勢のひとりとしてしまうことで争いを防ぐ巧みな知恵だったかも、と最近は思う。

そもそも日本の神話というのは、会いにやってきた須佐之男命(弟)の暴れっぷりに嫌気がさした天照大神(姉)が岩穴に引きこもってしまい、みんなでお笑い芸をやって姉を引き出したのちに弟を追放したなどという威厳のないお話ばかりだから、唯一絶対神のような孤高の絶対性がない。

唯一絶対神はまさに絶対神だから、それこそ異教徒は殺せ、の厳格な世界だが、八百万の神々は最初から威厳もないし喧嘩も多いし、近年ではアニメキャラ化されてしまうほどのユルい世界観である。日本人はそのユルい世界観の中に“唯一絶対神”たちを並べてしまうのだから、深刻な争いになりにくい。

フランスではシャルリー・エブド襲撃事件が起きたりしたが、背景には自分の唯一絶対神は絶対だが、よその唯一絶対神はバカにするという風潮を感じる。日本の八百万の神々の世界では、よそ様の神様も神様だから拝まなくても丁重に扱うくらいの配慮はある。どんな神でも粗末にすると祟ると思っている。

戦国時代あたりから来日した宣教師たちは唯一絶対神であることを日本人に説明したはずだが、当時の日本人はとうとう唯一絶対神を意味する漢字を作り出さなかった。ゆえに、文字で「神」と書いてしまえば日本人の頭の中では八百万の神々のひとりくらいにしかならない。たぶん先人の知恵なんだと思う。



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サヨク思考の正体

2015年08月12日 | 時事・雑文

サヨク思考の正体がわかった気がしたので書いておく。

結論から述べると、サヨク思考は脳内で創造した脳内事実が先にあり、これを現実世界に具現化する方向の行動パターンを取る。

事例:
・朝日新聞のサンゴ事件
・朝日新聞から始まった慰安婦問題
・オスプレイ反対運動をしつつ、風船を飛ばしたりレーザー照射で撃墜を画策する
・原発再稼働に反対し、そのために原発事故再発を期待する

上記のどの事例も、脳内の創作が先にあって、それを立証するために現実世界に事実を作り上げている。または作り上げようとする。

ゆえに、進歩的文化人などと称される、ジャーナリスト、著述家、音楽関係者、芸能人などのアウトプット偏重型の人々にサヨク思考が多く見られることの説明が可能になる。(図左)



逆に、ビジネスマン、エンジニア、科学者など、現実が先にあり、これを正確に認識することで適切な対応を取ることを求められる人々の思考パターンはインプット重視型となるので、現実的思考と表現することもできる。(図右)

この思考パターンは右翼とか保守とかは言いづらい。イデオロギーとは関係無いからだ。



この分析が正しいならば、サヨクとそれ以外は、業界ごとにかなり分布が偏ることが予想される。
そして、感覚的にはおそらく正しいだろう。

私はこれまでサヨク思考の問題点は、事実認識能力にあると考えていたが、実はそうではなかった。いや、部分的には正しいのだが、アウトプット偏重すぎて事実認識能力の必要性をも感じていないと思われる。

そして、そう考えると、原発問題、慰安婦問題、オスプレイ、集団的自衛権、など、あらゆる問題で反対する人はほとんどあっち側、賛成する人はこっち側と、どの問題においてもメンバーがあっちとこっちにキレイに分かれる現象の説明も可能になる。



余談になるが、ノーベル賞を取れない韓国人の思考パターンはここでいうサヨク思考に相当する。自然科学が発展しないのは、現実的思考ができないからだ。
いわゆる歴史認識も同じことだし、声闘(ソント)と称される一方的な主張行動も同じ原理だろう。



 
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正義について

2015年08月10日 | 時事・雑文



正義というのは人間社会にはしばしば登場する。しかしながら、個々の正義の正しさは、物理学や数学などとは違って必ずしも証明可能ではない。そして、正義は、国、地域、信仰、組織、家族、個人、時代ごとにそれぞれ異なることもあり得るし、事実として異なる事例は多々ある。

古今東西のほとんどの戦争において、当事国のそれぞれに正義はあった。古くは諸葛孔明が自軍の正義を滔々と述べて、戦意高揚と敵軍への心理的ダメージを図った。また、日本史においては正義の印として錦の御旗が何度も登場した。正義に真の正解はないが、人が底力を発揮するためには有用である。

自軍に正義はないが、やむを得ず戦うことになったので我慢して戦ってほしい、と訓示を述べる戦争指導者はいない。そんなことをしたら、兵らは戦闘意欲をなくして勝てなくなる。だから、正義は無ければ作るモノなのである。大日本帝国の大東亜共栄圏も、習近平の「中国の夢」もその類である。

歴史の評価でも正義は乱立する。原爆投下を巡っても、戦争の早期終結や戦時国際法など、立脚基盤が違えば出てくる正義は異なる。慰安婦問題については日韓で正義が違うが、正義云々以前に事実認定からして違うからさらに困る。韓国の場合、自国の正義のために歴史的事実をも捏造する悪癖がある。

国内で個人同士が論争するような場合は、法律は正義の立脚基盤としてわかりやすいし多用されるが、違法でない領域での人権だとか、平和というようなテーマだと正義が乱立する傾向にある。観察していると、事例分析に基づく合理的帰結もあれば、思い込みや盲信による正義も見受けられる。

厄介なのは、多くの人は自分の正義がこの世で唯一絶対と思ってそうなことである。唯一絶対の正義と思い込んでしまったら、それは異論者の正義は誤りだという結論にならざるを得ない。これが感情的対立の原因になる。しかし、事実は上述のように、正義とは立場が違えば異なるものである。

正義の実態を別の角度から言えば、それは要求を相手に飲ませるための論法である。自分にしか効能がない正義は信念と呼んだ方が的確であろう。論法と言った意味は、対立論者を屈服させたり、賛同者を増やす目的を持った弁論戦術ということである。よって正義とは本質的に好戦的な概念でもある。

戦わざるを得ない状況ならば、正義はきっちり作り込むべきだが、争いを避けたいならば正義の濫用は控えるべきである。相手の正義をも尊重する寛容さがお互いにあれば、争いごとは減るであろう。大事なことなので繰り返すが、《お互いに》である。どちらか一方が、ではない。

対立する正義の不毛な争いを解決するには、《いずれが正しい正義か》ではなく、共有できる目標設定が有効であろう。靖国での軍装コスプレ問題であれば、例えば《参拝文化の普及拡大》と置けばよい。「軍装コスプレはけしからん」vs「服装の自由は個人の権利」などとしたら解決できなくなる。

つまり、問題解決には正義を争うのではなく、利益を設定した方がよい。上述の《参拝文化の普及拡大》とは公共財でもある靖国神社あるいは日本国民にとっての利益拡大である。利益拡大の施策は複数あり得るし、それぞれ一長一短あり、かつ、複数の施策の並行実施が可能であることも多い。

まとめると、正義とは立場が異なれば違って当たり前である。また、正義とは人が底力を発揮するために、そして味方を増やし敵を挫くには有用だが、本来的に排他的かつ好戦的な概念である。従って、戦うに際しては十分に活用すべきだが、和をもって問題解決する手段としては適さない。

もっと砕いて言えば、正義の競争に入る前に、相手と敵対したいのか、それとも協調したいのかをまず先に決めて、敵対したいなら正義を振りかざせばいいし、協調したいなら正義を引っ込めるか控えめにした方がいい。正義を振りかざすとだいたい敵対することになる。







 
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なでしこりん 消された記事

2015年07月17日 | 時事・雑文
アメブロで言論活動を展開していた「なでしこりん」さんのブログがアカウントごと削除された。情報によればfacebookも閉鎖されたらしい。

キャッシュに残っていた「なでしこりん」記事をたどっていくと、ところどころ個々の記事も念入りにキャッシュからも削除していったような形跡が見受けられるので、それらを以下に列挙する。見ればなんとなく敵の意図も透けてくるだろう。

なお、元記事はキャッシュ上にも残っていないので、URLリンクは完全コピーと思われる記事である。





2015-06-23
大阪府堺市の韓国籍・金珍玉を風営法違反で逮捕~! 韓国人に性がらみの事件が多いのはなぜ?
http://ameblo.jp/adgjmptw07777/entry-12044356568.html

2015-06-10
誰か、日本共産党の暴力革命を止めて! 国会包囲→混乱→暴力革命を夢見る中国の下僕たち!
http://blog.goo.ne.jp/hmd_web/e/fd783286baf2a8d4f0867cb617a75b01

2015-06-06
WHO担当者「韓国人の遺伝的特徴がマーズ拡散を早めた」 韓国軍にも韓国マーズが拡散中!
http://blog.goo.ne.jp/hmd_web/e/b3afa890e20eec33db79c318c22dad93

2015-06-02
やっぱり!韓国人留学生殺害事件の犯人を逮捕してみると・・・中国人&韓国人を減らすと犯罪も減る!
http://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/13349571.html

2015-06-02
在韓米軍撤退も? 韓国の小学生もマーズの疑い!台湾の観光客約1300人は韓国旅行をキャンセル!
http://blog.goo.ne.jp/hmd_web/e/235c9699114b4c07e2717087488adf8a

2015-06-01
「直ちに地球から出て行け」 中国人、韓国のずさんなマーズ管理に激怒!韓国、中国にも見捨てられる?
http://ganbarejapan.biz/?p=609


これより以前の記事の発掘はかなり困難なのでここまで。

なお、キャッシュに残っている記事は他の方が以下のようにリストにしてくれました。上に列挙した記事は、下のリストにはありません。


ameba blog なでしこりんのキャッシュ
http://kotoage.net/copy/blog/ameba/fuuko/



以下、雑感。

個人の言論に文句があるなら表で論戦すればいいのに、どうも裏に手を回して削除圧力掛けて回ってる勢力がある雰囲気だ。なでしこりんさんだけの話ではない。言論弾圧はもう日本国内ではじまってる。このまま放置していたら中韓と同レベルになってしまう。

民主主義とは、「個人が自己責任で自由に主張し、議論し、その中で皆でより良い選択をしていく」ことを基盤にしている。裏に手を回して気に入らない言論を封殺する風潮を許していたら民主主義は成り立たない。朝鮮半島が独裁国家になろうが知ったことではないが、日本でこれを許してはならない。

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引っ越してきました

2015年07月16日 | 時事・雑文
諸般の状況を鑑みて、某ブログから引っ越してきました。以後、ここで更新しようと思います。

http://ameblo.jp/zf-phantom/

この記事以前の記事は、上記ブログからコピーしてきたものです。


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