つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

真冬の夜の夢

2017-02-09 21:47:54 | 文もどき
次の人生で就きたい職業に、報道写真家と書いて二重打ち消し線を引く。
ロバート・キャパになりたかったが、なれない人生がいい。それで鬱屈を抱えるのなら、歓迎しよう。それでもって、子どものための写真館か何かに勤めて、倦んだときにバーの止まり木でキャパになれない理由を呟くんだ。
残念だけど、もう戦争なんて起きそうにもないから、と。
たぶん、そのほうがいいように思う。

ちょっとピンぼけ SLIGHTLY OUT OF FOCUS ロバート・キャパ(文春文庫)

半分を過ぎたところ。愛くるしい人柄。
…版元は文春であったか。

備忘録:The Devil wears PRADA

2017-02-09 18:55:19 | 文もどき
プラダを着た悪魔(The Devil wears PRADA)を好きか嫌いかという問いには答えられない。面白いか面白くないかと問われれば、面白いと答えることにしている。いずれも劇場版について。

同系色だが金具のデザインが異なるベルトについて、アンドレアがどっちでも大差ないし、そんなことに時間をかけるなんてくだらない、とつっけんどんに応じると、ミランダがいう。
あなたの着ているその安物のセーターに使われている色は、コレクションに発表されたものの時代を下った三流以下の粗悪な模造品よ、と。

私はこのシーンが好きである。
ファッションと無縁でいられる人間はいない。アダムとイブが裸で出歩くことをやめてから、人は装う生きものとなったのである。食べるように息をするように、人は衣服を纏うのだ。ミランダの台詞には痛烈な皮肉が含まれている。
ファッションは内なる個性の静かな声であり、闘うものの鎧であり、微睡むものの憩いである。
ファッションを浮ついた流行を追う遊びだと思いたければ、ご随意にどうぞ。
トレンドではなく、スタイルを作ること。スタイルとは、個性の確立である。確立された個性は単なるムーブメントではなく、カルチャーなのだ。

スタイルを純粋な日本語に分解するのは難しい。これが私の生きる道、とでも言っておこうか。哲学もスタイルだし、話し方や食べるものの好みももちろん、ファッションもスタイルに含まれる。

新人のアンドレアには確立されたスタイルがなく、ミランダはそのことを指摘しているのだ。自分の着ている服がどういう経緯を経て生まれ、量販店のワゴルセールに放り込まれたかも知らない人間に、何を語るべき言葉のあろうはずもない、と。

時折、毛玉の浮きそうな服を着ていることに気づくたび、私はミランダを思い出す。
日常を贅沢に飾る、プラダのコンセプトは彼女の仕事に対する考え方に通じるとして選ばれたのだろうかと、たまに自問しながら。

見え隠れするカール・ラガーフェルドと彼の友人たちを探す絵本をめくりながら、ふと思い出した次第である。