つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

駐在所のHさん

2016-05-31 18:02:53 | よしなしごと
Hさんは、Y市最後の駐在さんだった。真偽のほどは定かでないが、そう聞いている。
近隣の子どもたちは皆、Hさんが好きだった。少なくとも私の周りには、そういう子どもばかりだった。もの静かで穏やかな風貌の方で、好々爺然とした姿がおぼろげな記憶の中に立っている。子どもらはもっぱら道端で拾った小銭を届けるか、落としものを持ち込むか、たまに小さながま口などを拾得しようものなら大事件でも起きたかのように興奮して、鼻を膨らませて駆け込んだものだ。
拾得物を受け取ると、Hさんはスチール製のねずみ色をした机の引き出しからトンボ鉛筆を一本取り出し、ご褒美にくれる。私たちは十円玉と引き換えに緑の鉛筆を手に
駐在所を後にした。
その当時でさえ、鉛筆一本をもらってよろこぶ子どもはいなかった。ただ、Hさんはいつでもにこにこして、善行をなしたことを褒めてくれる。それがなんとも嬉しく、誇らしく、私たちが足繁く駐在所に通う理由になっていた。彼がなんと言っていたかは覚えていない。世界が明るく、平和であることがただただ子ども心に喜ばしいことに思われた午後の思い出が残るばかりだ。
この鉛筆がHさんの私財から捻出されたものだと知ったのは、ずっと後になってからのことだ。
Hさんはまた、よく自転車でパトロールしていた。不在時には郵便受けに投函される防犯カードには見回りの時間が記してあり、気をつけるべき事柄を書き添えてあった。鍵っ子だった子どもの私には、知らない人に声をかけられた時の対処や、とじまりについて注意を与えてくれた。雨の日にはビニールの雨合羽で帽子や制服を包んでいたが、むき出しの顔は濡れて、防犯カードは湿気てくったりとしていたのを覚えている。
Hさんは、いわゆるエリート家系の人だったらしい。同じく警察官の弟さんがいて、
こちらは署長だか警視総監だかの、警察官僚と呼ばれる地位にあったらしい。無論、Hさんは再三に渡って昇進を勧められていたが、きっぱりと断ったとのことだ。文字どおり、いち巡査として市民生活を間近で見守ることに警察人生を捧げた、高潔な人物である。
高潔な、と言葉にするとき、私はいつでもHさんを思い出す。
とうの昔にHさんは退官され、駐在所も派出所に名前がかわった。交番の脇に住まいがくっついている、もしくは住まいの脇に交番が備わっている平屋建ての駐在所はまだ残っており、見知らぬ若い巡査が通ってきて、立ち番をしたりパトロールに勤しんでいる。レースのカーテンが覗いていた掃き出し窓は雨戸が閉まっていて、通り掛かるたび少しだけ佗しい気持ちになる。
私の犬は、この立ち番のおまわりさんのひとりが好きらしく、見かけるたびに近寄って行っては苦笑されている。何度、仕事中だから邪魔をしてはいけないと言っても、彼は気にしない。
Hさんも今はご高齢に達しているはずだ。どうしておられるか、その後は庸として聞かない。