つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

芋になりたい爆弾のこと

2019-02-04 18:34:44 | よしなしごと
私はポテトチップスが好きだ。
花びらのように頼りなげに割れるうんと薄いのも好きだし、ガリガリと噛み砕くと口中にかすり傷ができるようなのも好きだ。私の場合、好みの偏りは食感よりも味つけにある。
シンプルな塩のみか、国産ならばのり塩、舶来品ならばサイダービネガーとシーソルト、できれば原料には合成の調味料は遠慮こうむりたい。芋、油、そして塩。これだけでどんなに工夫してつくる人口の味よりも美味しい。
ポテトチップスの材料に手榴弾が紛れていたというニュースを聞き逃すはずもない。フランスの芋畑からはるばる香港へ乗り込んできた芋どもに紛れていたのだという。手榴弾という言葉に、貧相なイメージしか持たない私はハリウッド映画に出てくる迷彩色のアボカドの出来損ないのような姿を想像する。馴染ます誰かが見つけそうな気もするが。
ニュースでは実際の写真で手榴弾を紹介していた。見てみるとなるほど芋だ。芋に扮した手榴弾は爆発物の専門家によって、工場の中で爆破処理されたのだという。のどかな芋の加工工場がなんとも剣呑な雰囲気に包まれただろうことは想像に難くない。
手榴弾は第一次世界大戦時のもので、起爆するために安全装置が外されていたそうだ。つまり、いつ爆発してもおかしくない状態で、ひっそりと芋畑に身を沈めてふたつの世界大戦を生き延びてきたことになる。芋として掘り起こされてもなお、誰も傷つけることなく香港まで流れ着いた。なんと反戦的、平和主義的な手榴弾であったことよ。
できればそのまま畑にとどまるか、芋にでも生まれ変われたら、もう少し気楽にいられたのかもしれないと思うと、なんだか不憫のような気もしてくる。
せめてもの餞に、今日は手榴弾が畑で過ごした永い時間を思いながら、ポテトチップスを嚙みしめようと思う。