つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

階段をあがったところの犬

2018-05-31 18:02:44 | よしなしごと
そう言えば、名前はおろか、彼か彼女かも知らないのだった。住んでいるお宅の他の住人に出くわすこともなかったし、そもそも、そのお宅にかかっている表札すら見たことがない。いつも勝手口にいて、私たちが通りかかると優しく迎えてくれた。
だから私たちは「階段をあがったところの犬」とか、「あのゴールデンレトリバー」とか、「アンコの仲良しの子」とか、たんに「あの子」と呼んでいた。名前はあるはずだが、知る機会は訪れないままだった。
我が家のアンコは体重5キロぽっちのシーズーで、知らない人からはかならず何犬ですかと問われる容貌をしていた。利かん坊で向こう見ずな性格のためか、仲良しは少ない。親しみを込めて日参していたラブラドールレトリバーを、飼い主の目の前で追いかけてお尻に一撃を見舞ったこともある。(ご主人はたいそう愉快そうに見守っていたが、私としては彼が気の毒でならない。事実、それ以降は我が家を避けるように散歩していた)
そのアンコの数少ない仲良しの犬が、あの子だった。真冬の季節と、おそらくは雨の日を除いて毎日、そのお宅の勝手口は解放されており、あの子は上がり框のところに鼻先を合わせるように寝そべって外を見ていた。ブロック塀と金属の柵が交互に並ぶ、昭和の時代にはポピュラーだった塀が、私たちとあの子を隔てている。特に、小さいアンコはすべてコンクリート製ブロックの塀に阻まれて、伸び上がっても柵の隙間から中を見ることができない。勝手口の前にくると決まって、アンコはびょーん、びょーん、とジャンプして中を覗き見る努力をした。
こんにちは、と声をかける私の下方でアンコがびょーん、としている姿を認めると、あの子はうっそりと立ち上がる。やあ来ましたね、とでも言いたげに外へ出てくると、わずかに鼻先を柵の隙間に差し込んでから、ゆったりと塀に沿って歩き出す。アンコは素直に並ぶ形で歩いて行き、あの子が待っている柵の隙間に顔を突っ込んだ。どうやらこの道は緩やかな坂になっていて、勝手口から少し離れるとアンコでもびょーん、せずに伸び上がるだけで顔を合わせることができるのだった。この関係ができるまで何度も通ったことのある道だが、まったく気づきもしなかった。犬と暮らしたことがある方なら誰でも、自分のすぐそばの景色見方が変わった経験をされることと思う。
彼らは少しの間、互いの鼻先を寄せ合い、あの子の方からさよならを告げる。さあさあ散歩の続きをしていらっしゃい、とばかりにゆったりと勝手口へ戻って行くうしろ姿を見送り、アンコはまた歩き出す。
言ってみればそれだけのことなのだが、私は毎度繰り返されるたびにあの子のことを愛おしく思った。短いけれどゆったりと穏やかな時間がそこにはあって、大きさのちがう鼻先が近くに向かい合う姿が親愛の寓意のように示された。
アンコが歳をとり、びょーん、どころか階段を登れなくなるよりもずっと早くに、勝手口の扉が開かなくなった。アンコは階段を登らなくなり、私たちの散歩コースも変わった。
また会えたらいい、と思う。そのときには、アンコがびょーん、であの子を驚かすことがないように、塀のないところがいい。そして、私にもいつも向けてくれていたように、やあ来ましたね、と少しばかりに上目遣いに見上げてくれたらいい。