つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

印度放浪

2017-10-27 12:39:00 | 文もどき
産湯をつかい、岸辺で戯れ、身を清める。もちろん、なんらかの形で口にするだろうし、作物を育むのもこの水だろう。女たちが髪を洗い、洗濯する岸をはるかに望み、終焉を迎えた肉体が流れてゆく。砂洲にあがれば鳥葬にもなろう、あるいは獣葬に。大河はやがて海へ注ぎ、緩やかに肉体は崩れ、その形を喪い、滅するだろう。海はやがて雨雲に、雨は大地に降り注ぎ、一滴の水が流れを生む。それが川となり、人の営みのかたわらを静かに流れる。
諸行無常。行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
空想でならば、私たちは何処にだって行ける。目の前の緑色の運河の名残が運んだ、ガンジスの幻想に耽る。

嵐のように

2017-10-23 12:35:05 | 文もどき
真夜中にメキシカンフードがどうしても食べたくなる。明けて、嵐をものともせずに駆け込んだ店で初対面のラテン男とテクス・メクスを喰らう。帰りがけに焙煎屋で中南米のコーヒー豆を買い、遅い午睡のあとで試し読みした漫画ではラテンアメリカ美女が艶やかな衣装で踊りまくる。
涙はやがて赤土の奥深くへ染み込んで消えた。
そんな嵐のいちにち。