つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

ミツとシャケ缶

2019-06-24 18:43:28 | よしなしごと
家にはここにはいない人の写真棚がある。
先代犬の仏壇の下の方にあって、盆には砂糖菓子があがるところだ。
祖父母に混じって、よく似た髷を結ったおばあさんがふたり並んで写った写真が飾られている。こたつに当たりながらこちらを見ている小さな丸い背中も似通ったふたりは姉妹か双子のように思われた。私の係累はかなりの数が鬼籍に入っているし、見たこともない親類縁者もわんさといる。おばあさんたちもそうした誰かさんだと思っていた。
予想に反して、母の答えは「知らない人」だった。じゃあなぜ知らない人の写真をいない人の写真棚に飾るのかと問うと「ミツが写ってる」と言う。おばあさんたちの丸い背中越しに、たしかに猫がいつでも走り出せるように背中を丸めた臨戦態勢でこちらを見上げている。
初めて見るミツの姿だった。
祖母の遺品整理をしていて偶然見つけたらしく、母もまさか再びミツの姿を見る日が来るとは思っても見なかったと言う。今より、写真がうんと高価な時代のことだ、何がしかの集まりの記念に撮って回った写真の中に、ミツはたまたま写り込んでいたのだろう。
ミツは、母の飼い猫だった。
というより、ネズミ捕りのお役目を務めるために飼われていた。鶏だの豚だのを土間の隅で飼っていて(異様に土間の広い細長い家だったらしい)、その飼料を狙って忍び込むネズミを捕獲するのがミツの仕事だった。そこそこ優秀だったらしく、祖母に獲物を進呈し、褒美にいりこだのおかかだのを貰っているところを母はよく覚えている。もっとも、時折、子どもだった母のところにも持ってきて、たいそう肝を潰してくれることもあったらしい。
ミツはネズミの少ない冬は家族のアンカとして重宝された。いつも母の布団に潜り込んで眠るミツを狙って、兄たちは母を布団から追い出して自分たちがミツで暖を取りながら眠りについた。仕方なく、母は男くさい兄たちの部屋で、これまた男くさい布団にくるまって夜を明かした。
お世辞にも裕福とはいえない家のこと、おもちゃなどそうそう買ってはもらえず、小さな母はよく、お人形さんの代わりにミツをおぶって遊んでいたらしい。ねんねこに猫を入れて歌いながらあやしている姿を見ると、通りかかった人はお人形さん遊びに興じている子どもを目を細めて見る。「ぎゃ、この子猫背負ってるの」と道行く人はかならず驚いたと、母は語った。おとなしく、子どもの背中におぶわれていたミツは母の自慢だった。
ネズミを運び、アンカを務め、子どもをあやして過ごしたミツは、母の背が伸びるにつれて、一日のほとんどを寝て過ごすようになった。歳をとり、歯が抜け、堅いものは噛めなくなったミツに、祖母は箸でほぐしたシャケ缶を与えた。高価だった缶詰など、子どもたちの口には滅多に入らない。母は口を尖らせていたらしいが、祖母はまったく相手にすることなく、せっせとミツのためにシャケ缶を開けた。
ミツがいなくなって、半世紀近くが経った。
母は、真冬でもキュウリを欠かすことなく、毎日先代犬が冷蔵庫の前に座るのを待ち構えている。不作の年には私と妹のサラダに入った試しのないキュウリを、犬は几帳面に毎晩その日の前菜として受け取った。
そして今も、その習慣は続いている。
母がミツを悼みシャケ缶を惜しむ時、私もかならずキュウリで問答を返す。すると母は、祖母によく似てきた顔でほんの少し気まずげに笑うのだった。