つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

ヤシの実ひとつ

2018-12-21 19:50:01 | よしなしごと
ココナッツを見ると、思い出す手がある。
あの頃はヤシの実と呼んでいた。
家族で出かけた博覧会のパヴィリオンを出たところで、生まれて初めてヤシの実を目にした。屋台売りのワゴンに山と積まれたヤシの実と故郷を同じくする異国の若者が、生真面目にヤシの実を売っていた。
代金を払うと、若者のひとりが大きなボールほどもあるヤシの実を手に取り、鉈で上のほうを叩き割る。ボールのようなヤシの実はたちまちエキゾチックな器に変わり、ストローとともに差し出される。
ヤシの実ジュースは、なんとも言えない不思議な味がした。ほんのり甘いような、青っぽいような独特の味わい。
ワゴンから少し離れたところに座り、しみじみとヤシの実ジュースを飲んでいると、ヤシの実売りの若者がふらりとやってきた。先ほど叩き割ったヤシの実のフタの方を持っていた。浅黒い肌の引き締まった働き者の手が素早く動くと、スプーンの上に白いかたまりがあらわれた。
生真面目な顔をして、無言で突き出された白いかたまりを私が手に取ると、若者はすぐにワゴンへ戻っていった。
はてな。
あっけに取られていた母が、ああ、と呟いた。彼女によると、白いかたまりはヤシの実のジュースがかたまったものだとの話だった。ほんのわずかに透き通るような、かっちりとした感触、とても食べものには見えない。そっと端をかじってみると、じわりと甘く、ジュースよりもずっと美味しかった。しかしかいう食感も珍しく、夢中で食べきった。
言葉もわからない者同士、ぶっきらぼうだが親切な若者のおかげで、私はヤシの実が好きになった。コーヒー色の指先が抉り取ったヤシの実の果肉のきっぱりとした白さを、今も覚えている。