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ローマ軍・スキピオ、アフリカ上陸す(同 ⑨)

2007-05-03 10:10:40 | Weblog
紀元前204年春、スキピオは2万6千の兵士と440隻の船隊にて出航した。
首都カルタゴの西側に目指していたが、風向きの影響で東側の第二の都市「ウイッカ」近くに到着して上陸した。
上陸後の経過は悪い情報ばかりであった。

まず、カルタゴの隣国の「ヌミディア王・シファチェ」に同盟を申し出たところ、カルタゴ側についたという知らせが入ったのである。
もう一人のヌミディア王の「マシニッサ」だが、シファチェに王国を侵略され、二つの王国は事実上一王国しかないのと同然であった。
200騎のみを従えてマシニッサはスキピオの前に現れた。
スキピオは内心落胆していたが、「それで充分だ」と微笑んで答えた。
ここに二人の友情が生まれた。(ここがハンニバルとの大きな違いです)
また、長年行動を一緒にしてきた「「レリウス」も加えた。
ここに男三人の共同作戦が実現した。

カルタゴ側の反応は鈍かった。
今まで他国に侵略されたことのない国は、迎え撃つ軍の編成に数ヶ月を要した。

同年秋ごろに、ようやくカルタゴ軍3万千とヌミディア軍6万の共闘体制はなった。
これでは、戦闘は翌年になるということでもあった。(冬は戦争をしないらしい)
予想される兵員はスピキオ軍2万6千 VS カルタゴ連合軍9万3千であった。
これでは兵数では差がありすぎる。
スキピオは「ヌミデッア王・シファチェ」に名誉ある講和の仲介を望んでいると匂わせて依頼した。
実は、スペインでのカルタゴ相手の戦争の時、シファチェに対してカルタゴの武将の娘の絶世の美女を紹介して妻となっているのである。
また、シファチェ自身は義理で戦争に参加しているのであり、強大国2国の戦争には参加したくはないという本心であった。
一方スペインで「イリパの会戦」でスキピオに惨敗したカルタゴの将軍「ジスコーネ」も戦いに乗り気ではなかった。

講和の交渉は長引き、翌年の春にスキピオの方から交渉は打ち切りした。

[追記]

当時の北アフリカは現在と違って、緑豊かな肥沃した土地だったと記録されています。
サハラ砂漠も小さかったのかな?





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