斬剣次郎の鉄道・バス斬り2

管理人が撮影した鉄道・バスの写真をUPします。

ブルーリボンで行く狭隘路線の旅

2016-10-30 23:06:59 | バス
 10月23日に
 ブルーリボンで行く狭隘路線の旅
 が開催され、お誘いをいただきましたので、参加してきました。その時の様子をレポートします。



 今回の車両はJRバス関東のブルーリボンの
 M527-97305
 です。1997年に土浦支店に投入され、それ以来土浦一筋で活躍している車両です。JRバス関東のブルーリボンは多数投入されていますが、M527-97305は土浦支店に投入されたブルーリボンツーステの最後のグループに当たります。そのブルーリボンですが、土浦支店最後の幕車に当たります。


 貸切のスタートは
 土浦駅
 で、バスが到着すると、JRバス用の待機場にて乗車し、さっそく出発です。
 最初は山ノ荘線のルートを辿って行きます。山ノ荘線は土浦駅から土浦の北西部にある粟野、今泉を結ぶ路線で、2008年3月末に廃止されてしまいました。



 山ノ荘線の特徴であった
 狭隘道路
 です。山ノ荘線は土浦を出て関鉄バスも通る亀城公園前、土浦一高校、中並木を経由し、ここから単独区間に入りますが、暫くは2車線道路が続き、自動車学校や工業団地(テクノパーク土浦北)の中を走りますが、工業団地を過ぎると光景は一変し、狭隘道路の中を走るようになります。狭隘道路が続くがゆえに山ノ荘線は中都公民館前を境に一方通行の循環による運行でした。
 因みに工業団地の中に入る前には常磐道と並行し、常磐道をくぐります。




 原~粟野間
 でバスを止めてフォトランを行いました。粟野町の集落の中を通り抜けて天の川を渡ろうとするシーンです。簡単な山越えを終えて一旦山が開けるという感じでした。秋晴れだった事もあり、素晴らしいロケーションでした。


 バスは少し進め、
 粟野~永井間
 でバスを止めて撮影。山間の視野が開けたところで、周囲には建物などが無かった事もあり、いかにも草原の中を走っているかのようなロケーションでした。
 この場所は土浦市と旧新治村の境の近くです。ここから山ノ荘線は一旦新治村の中を走っていました。



 そして、今度は
 東城寺
 まで行きました。山ノ荘線は永井から県道53号線(つくば千代田線)を通り、寺前から南下して中都公民館前まで戻るというルートですが、1997年ごろまではつくば千代田線を更に西へ向かい、東城寺まで行っていました。山ノ荘線が開業した頃から東城寺まで行っていたのですが、後述するゆう・もあ村の閉園に伴う廃止によって東城寺にバスが来なくなってしまいました。東城寺の近くには回転場跡があり、その跡にバスを止めました。


 東城寺は796年に桓武天皇が最澄の弟子最仙に建立させた勅願寺で、今は真言宗ですが、かっては天台宗だったそうです。写真は山門ですが、山門をくぐって更に山に囲まれた石段を登ると本堂に至るとか・・・。しかし、山門前には住宅が集まっていて、ある程度集落を成しているんですね・・・。


 そして、バスから降りて運転手の案内で歩いて山の方へ向かうと、
 ゆう・もあ村
 に辿りつきました。ゆう・もあ村は1970年代に開業した自然休暇村で、いわばテーマパークでした。忍者からくり屋敷や巨大どんぐり迷路などがあったようですが、客減少で1997年頃に閉園されました。山ノ荘線は1978年に東城寺から延伸する形でゆう・もあ村への乗り入れを開始しましたが、閉園に伴って1997年に常陸寺~ゆう・もあ村間が廃止され、東城寺にバスが来なくなってしまいました。ここからが最晩年の運行形態になったんですよね・・・。
 因みにゆう・もあ村は閉園後、しばらくそのまま残っていた事から廃墟スポットで有名となったようですが、今は更地になったようです。写真はその回転場跡だそうです。
 あと、ここでは「ゆう・もあ村」と記載されていますが、正しくは「ゆう.もあ村」で、バスの行先表示も「ゆう.もあ村」となっていました。


 たまたま撮影で来たゆう・もあ村の表示です。経由地表示は一高前と道知で、ゆう・もあ村はゆう.もあ村と表示していました。1997年廃止なので写真のM527-93316が充当された機会は少なかったのでしょうね・・・。



 東城寺~ゆう・もあ村間は狭隘道路かつ急勾配続きで、ゆう・もあ村発着のバスは写真のような道路を通っていたのです。もし、今走っていたら注目を集めていたのかもしれませんね・・・。あと、先ほど掲げた山門前もゆう・もあ村発着のバスも通っていました(門前を曲がる形でしたが・・・)。





 ゆう・もあ村跡の見学が終わると、東城寺付近でフォトランを行いました。もちろん、この区間は東城寺発着便が通っていたのですが、ロケーションの良さに驚きました。田んぼが広がる中をバスがのんびり走っていたんですね・・・。かって土浦駅からここまでバスが走っていたなんて考えもしなかったものです。バスが通らなくなったのは1997年なので当然バスが走っていた時代は知りません。


 バスは寺前まで一旦戻り、寺前から山ノ荘線ルートを南下していきます。再び狭隘道路の登場となります。粟野前後と同じく狭隘道路が続いていたので、一方通行だったんですよね・・・。そこにはかってバスが通っていた遺構が残っているところもありました。



 狭隘道路を抜けると、
 今泉
 に到着。今泉バス停跡には待合室が残っていました。バスが止まっているところはかってバスが通っていたルートなので、山ノ荘線は狭隘道路が続いていた事が分かります。いかにも田舎らしいロケーションですね・・・。




 常磐道をくぐると、
 中都公民館前
 に到着しました。中都公民館前は循環部分の分岐点でしたが、寺前方面と土浦方面でバス停の位置が異なっていました。写真は土浦方面のバス停があったところで、そこには回転場もありました。山ノ荘線の一部便は中都公民館前止まりで運行されていて、その便ではここで回転していました。回転場の手前には公民館があり、如何にも公民館前らしい雰囲気ですね・・・。
 ここからは来た道を戻る形で土浦駅へ向かいました。



 土浦駅に到着してすぐに
 JRバス関東土浦支店
 へ向かい、ここで撮影会を行いました。
 まず、2008年に南筑波線下虫掛~篠崎転向場間が廃止された時に筑波大学鉄研が制作したよだれかけを装着した上で撮影を行いました。当時はよだれかけを装着して運行し、運転手への花束贈呈があったそうです。この時が実質的に南筑波線は終焉を迎えた感じなんですよね・・・。最後まで残った土浦駅~下虫掛間は短距離だし、JRバス単独区間もほんのわずかでしたからね・・・。







 次にM527-97305の幕回しが行われました。M527-97305は先述のとおり、土浦支店最後の幕車ですが、イオン関係の開業に伴って南筑波線や山ノ荘線の表示が抜かれたようで、その表示がありませんでした・・・。なので、イオン線の表示がメインです。とはいえ、イオン線は行先のみ表示ですが、往復表示も用意されていたんですね・・・。





 そして、土浦支店の車両の撮影も行いました。上から元東急バスのブルーリボンノンステのL537-99511、元東急バスのエアロスターMのM524-96220、貸切用ガーラのS641-97401、あみアウトレット関連用のH658-04419です。土浦支店にはいろんな車両がいますね・・・。
 撮影会はここまでです。


 撮影会を終え、土浦支店を出発。今度は
 南筑波線
 のリバイバル走行です。南筑波線は1951年に開業した歴史のある路線で、土浦駅~下妻上町~古河駅を結んでいました。改正鉄道敷設法により規定されたものをバス路線として先行開業した国鉄バスらしい路線でしたが、乗客減から2001年に下妻上町で系統分割し、更に2006年に篠崎転向場~下妻上町~松本が廃止され、2008年に下虫掛~篠崎転向場が廃止され、更に2014年に残った土浦駅~下虫掛間が廃止され、終焉を迎えました。因みに古河側は東古河妻線として大網~古河駅間で運行が継続されています。
 写真は下虫掛付近で、田中3丁目バス停すぐ交差点で直進し、国道6号線をくぐってすぐのところにあります。田中三丁目までは関鉄と並行していたので、最晩年は単独区間が僅かしかなかった事になります。下虫掛を過ぎると、桜川に沿う堤防の上を走ります。


 佐の子バス停付近の常磐道下にバスを止めて下車。ここから私にとって南筑波線のひと押し区間でのフォトランの撮影に入ります。




 常磐道をくぐると、田んぼに囲まれ、しかも電柱すらないというまさにのどかな道路を走ります。ほんの一部ですが、何か一気にのどかなところを走ったという感じを味わう事が出来ます。これまで何度か南筑波線に乗ってきましたが、やはりこの区間が推しです。関鉄バスは土浦学園線という大通りを走ってつくばに向かいますが、JRバスはこれと対照的にのどかなところを通るので、つくばへ向かうにしては凄く違和感を持ったりしていました。
 いつか、ここで沿線撮りをしてみたいなと思っていたのですが、路線そのものが廃止され、夢で終わったと思っていただけにこんな形で実現するとは思いもしませんでした・・・。この企画を立ててくださった主催者様には感謝するばかりです・・・。



 田園風景の中を走り抜けると、飯田の集落の中に入ります。その中に
 常陸飯田
 バス停があります。その様子をフォトランで撮影しました。これもまたいいですね・・・。



 矢作バス停を過ぎると、つくば市に入ります。つくば市に入ってもこういう狭隘道路が続きます。つくばといえば学園都市を連想させますが、南筑波線はこれと反して旧来の集落を縫うように走るのが特徴で、国鉄線の培養線らしい雰囲気を醸し出しています。初めて乗った時はさすがに驚きましたね・・・。


 暫く走ると、テクノパーク桜の裏を通ります。そこに
 北柴崎
 バス停がありました。2005年まではここからテクノパーク桜へ向かう支線が分岐していました。最晩年には北柴崎発着便もありました。のどかなところを走る事が多い南筑波線もほんの一部の区間だけ学園都市らしいところの中を走っていたのです。


 南筑波線でも実はほんの僅かながら学園都市の大通りを通っていました。それは
 大穂支所前~教育会館前
 で、西大通りを通っていました。これは土浦大曽根線からつくば千代田線へルートを変える過程で通っていたものです。というわけで南筑波線は北柴崎と合わせて学園都市の中をほんのわずかながら通っていた事になりますね・・・。



 そして、
 吉沼
 で撮影です。吉沼はつくば市の西部にあり、かってはここで折り返す便もありました。まさしく集落の中にありますが、JRバスが廃止された後、つくバスがつくばセンターより乗り入れてきているので、これが実質JRバスの代替という形になるでしょうね・・・。ここから少し西へ行くとつくば市から抜け出します。


 新宗道バス停を過ぎると、
 関東鉄道常総線
 の踏切を渡ります。ここからは常総線に沿ってその西側を北上していくことになります。ここは宗道駅の近くにあり、宗道~下妻間の一駅区間だけ並行する事になります。



 そして、
 下妻上町
 に到着しました。JRバスは下妻駅には乗り入れず、駅から少し歩いた先にある下妻上町に発着していました。ここは下妻の中心部に位置していて、国鉄の培養線らしく私鉄の駅を無視し、中心部だけ通ってあとは古河へ向かうという感じでした。そして、下妻上町には出札口などを兼ねた建物があり、拠点の一つとして機能していました。しかし、その出札口は既に解体されてしまい、今はありません(下の写真)。
 尚、最晩年で下妻上町に乗り入れる便は朝夕の4往復のみで、昼間は篠崎転向場止まりで運行されていました。それに対し、古河側は本数が少ないながらも終日に渡って設定されていました。なので、南筑波線の全区間を乗るには土浦を朝に出る便に乗る必要がありました。
 あと、この区間は関鉄バスも通っていますが、下妻上町バス停付近にはバス停が無く、そのまま通過するだけですね。


 下妻上町にバスが来ていた頃の撮影です。土浦駅からの下妻上町が到着したシーンですが、バス停前に出札口を兼ねた建物がありました。撮影当時は閉鎖された後のようですが・・・。で、バスはこの後回送で走り去って行きましたが、バスはどこで回転・休憩を行ったのかは不明です。今回の貸切で運転手さんに聞こうと思ったのですが、聞きそびれてしまいました・・・。
 【追記】下妻上町の転回場は国道125号線沿いにあったのことでした。ご教授いただいた方、ありがとうございました。


 下妻上町からは来た道を引き返すだけですが、その途中の
 八幡前
 でフォトランを行いました。バスは八幡神社を避けるかのように走っていました。尚、八幡神社の隣が吉沼です。


 そして、今鹿島バス停付近のファミリーマートで休憩です。バスがコンビニに立ち寄る事は貸切での定番になりつつあります・・・。


 北柴崎から
 テクノパーク桜
 の中に入ります。南筑波線が支線という形でテクノパーク桜に乗り入れていましたが、本数はかなり少なく、平日朝のテクノパーク桜行きの1本のみで、2004年から土休日朝のテクノパーク桜発に変わり、2005年7月に乗り入れが廃止されてしまいました(当該便は北柴崎始発へ変更)。それから1ヶ月後のつくばエクスプレス開業と同時に関鉄バスがC11系統として乗り入れるようになりましたが、数年で廃止されてしまいました。


 テクノパーク桜行きが走っていた頃のテクノパーク桜行きのバスです。行先表にあるテクノパーク桜の下に循環の文字が入っていました。元々循環運行していたようですね・・・。テクノパーク桜行きは朝の8時ごろに出発し、約30分でテクノパーク桜に到着した記憶があります。



 テクノパーク桜内は循環運行で、写真は陽の見公園バス停があったところです。テクノパーク桜行きは循環して陽の見公園が終点でした。尚、関鉄バスは完全な循環運行でテクノパーク桜内は単なる途中停留所にすぎませんでした。
 テクノパーク桜は商業施設が多く、見込みがあると思ったのですが、意外なほど乗客があまり乗り無かったようですね・・・。


 土休日のテクノパーク桜発に変わった後に陽の見公園で撮影したものです。テクノパーク桜発は早朝の6時台に設定されていました。確か篠崎転向場発をテクノパーク桜発に短縮した形で出来たような気がします・・・。、


 そして、
 常陸栄
 の下り坂でフォトランを撮影しました。ここでは狭隘道路で滑らかな坂が長く続いていました。
 南筑波線のフォトランはここで終了。このまま土浦駅まで行き、ここで途中離脱する方と別れました。




 JRバス関東土浦支店に戻り、
 夜間撮影会
 を行いました。前面灯を付けた状態での撮影がメインでした。行先表示も花火会場と深夜バスを表示していただきました。




 そして、遊びでこんな構図で撮影もしてみました・・・。フル点灯での撮影は意外と難しかったです・・・。
 夜間撮影の終了を持って貸切はここで終了となりました。

 今回はM527-97305を貸し切って山ノ荘線と南筑波線のリバイバル走行を行いましたが、いずれも狭隘道路が多く、沿線撮影にはもってこいなところが多かったという印象でした。また、南筑波線は廃止前に何度か乗った事があり、こういう形で再訪出来、懐かしさを感じさせました。
 主催者様、運転手様、参加された方々、お疲れさまでした。そして、この場にてお礼を申し上げます。おかげさまで充実した一日を過ごすことができました。
 以上です。

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1 コメント

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吉沼 (きみぴょんず)
2016-11-06 23:22:47
吉沼へは、今年の夏につくバスの乗り歩きで私も出かけました。

かなり昔からある街並みの雰囲気だったので、交通はどうなっているのか気になっていましたが、JRバスが通じていたとは知りませんでした。お教えいただき感謝です。
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