『黒幕と言われた男』の著者の戯言

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
政治や社会的関心事ならびに身辺雑記

私のお正月

2018-01-03 12:09:09 | 日記
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

1日の夜に、昼間に孫たちが来てくれた様子をUPしたつもりでおりましたのに、

人様のブログにコメントさせていただいたことを混同していました。

 どなたも別段私の動静にご関心があるわけでもないでしょうが、

一応ブログのネタとして書かせていただきます。

 1日は息子夫婦と娘一家が年賀に来てくれるのが恒例になっています。

年末は準備で忙しい思いをしますがみんなの笑顔を見ると嬉しいです。

ところが昨年問題が発生しました。

 みんな揃うと7人になるのでテーブルにセットの椅子では足りません。

補助のための椅子を3脚出します。木製ですが欧州家具のおしゃれな椅子で

わしのお気に入りです。ところが息子の連れ合いをその椅子に座らせたことが

彼女にとって屈辱で嫁差別だと感じたそうで今年から参加しないのです。

彼女いわく娘婿と自分は私の子供の配偶者だから同等に扱われるべきだと言います。

私にすれば一番気安く私の意をくんでくれる家族と思っていたら、「自分は〇さんと

結婚しただけで〇〇家の嫁ではないから末席に座らせたりもてなしの手伝いをさせるのは

嫁扱いだ」と言います。息子が上手に説得してくれればいいのですが息子は「いやいやなら

来ていらない。気持ちよく来てくれないのなら母も喜ばない」と突き放しました。

そのくせ自分でも気まずいと思うのか年賀のお菓子などは息子にもたせますし、

何でもない時は一緒においしいものを食べに行こうと誘ってくれます。

(彼女の趣味はグルメ食べ歩き)仲が悪いわけではないのですが現代の嫁姑問題です。


  2日は墓参りとお寺への年賀挨拶。その後初詣に神社へ行きます。

甘酒とみたらし団子(この神社がは発祥の地)を頂くのが楽しみの習慣。

これを聞いた知人が寺と神社をひと続きで行っていいの?といいますが、

私は矛盾を感じません。日本は神仏混淆ですし、もともと八百万の神がいて

仏教を迎え入れたのですから。結婚式を神社で挙げてもお葬式は仏教という人が大部分です。

(クリスチャンやイスラム教徒が聞いたら目を丸くするかもしれませんが)

お墓やお寺へ行くのもクリスチャンのように確たる信仰があってのことではありません。

私の家は浄土宗ですが、法然の思想を深く理解し共感しているわけではありません。

学校で習う程度の常識の範囲の知識です。

お寺やお墓に行くのも 朝夕お仏壇にお灯明を上げて拝むのも両親やその先祖たちに

感謝して「おはよう」や「おめでとう」と挨拶するだけのことです。


 今日はもう3日。好天なので満艦飾に洗濯物を干しました。

午後は年末に出した塗りの道具類をかたずけましょう。一つずつ薄紙に包むこの作業が

面倒になりました。しかも年に1度使うだけだからクロークの高いところへ鞍掛(踏み台)を

使って上がり降りするのが大変で、あと何年続けられるか心もとなくなってきました。