君が代の歴史1100年

2008-03-03 01:24:57 | Weblog
①デビュー1100年前 古今和歌集(土佐日記の紀貫之らが醍醐天皇の命令で集めた和歌集)343番目の歌に
「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
②「我が君」の君は=天皇ではない。単に「私の親愛する(My dear)あなた」

③リメイク400年前 医学者でありながら歌人となった北村季吟によって
「君が代は千代にや千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と改作された。(和漢朗詠集註)
④「君が代」=天皇の治世のつもりで改作したとは限らない。
君がよ、ちよ、ちよ とリズムよくするためでは?

⑤1888年に国歌として外国へ通告した。

⑥「君が代」と日本国憲法に従う人権教育は両立させることができる。


解説
②について

わがきみ(あがきみ):古今和歌集より古い万葉集(1300年前)で3首で使われているのを見つけた。
親に対して;
天皇とは遠い親戚の親子。(志貴皇子の孫とひ孫)子が親に送った歌
988番 「春草は、後は移ろふ、巌なす常磐にいませ貴き我が君」
春草は季節の移り変わりで変わり果てるけど、あなたは大きな岩山のようにどっしりといつまでもお元気でいてください。
恋人に対して;
大伴氏が女性の気持ちをよんだ。
552番 「我が君は、わけをば死ねと思へかも、あう夜あはぬ夜、ふた走るらむ」
あなたは、このわたしめを死んでしまってもよいとでも思っているのでしょうか? あえる夜、会えない夜、ふた通り、大喜び、大悲しみ、もう狂いそうです。
恋人に対して;
大伴家持が紀女郎に送る
1462番 「我が君に、わけ恋ふらし、賜りたる茅花を食めど、いや痩せに痩す」
あなたに、このわたしめは恋をしてしまったようだ。いただいた茅(ちがや、イネ科、若いのは食べられる)を食べても食べても、いやあどういうことか痩せていくよ。
古今和歌集では元祖国歌343番の他には354番のみ。
親王に対して素性法師が
354番 「臥して思ひ、起きては数ふる、万世は神ぞ知るらむ、我が君のため」
ねてもさめても、あなたが無事であることをお祈りし1日1日を数えております。でもね、あなたの、とてつもなく長い人生は神様にしか見届けることができないでしょう。神様に見届けてもらうことにしましよう。

以上より元祖国歌、古今343番が作られた時代、「我が君」は天皇のことではない。もちろん天皇に対しても「我が君」と歌いかける可能性もあるが、古今でも万葉でも例が見つからなかった。

「我が大君」はどうだろうか?
万葉では「あがおおきみ」を3首発見。天皇3中2。天皇とは限らない。
77番 元明天皇、 476番 安積皇子、 1053番 恭仁京の御所の讃歌
拾遺集(古今より100年あと)に1首発見。聖徳太子(天皇ではない)
飢え凍えた旅人に聖徳太子が自分の服をぬいでかけてやった。感激した旅人が太子に送った歌。
1351番 「いかるがや、富緒河の絶えばこそ、我が大君の御名を忘れめ」
この斑鳩の里(奈良県)に流れる富緒河が干上がって絶えるようなことでもない限り、あなたさまの御名前は決してわすれまいよ。

「君」はどうだろうか?
新古今和歌集(古今の300年あと)藤原師実に対し送った歌
726番 「万世を松の尾山の陰しげみ、君をぞ祈る常磐堅磐に」
松尾山の松の木陰がこんもり繁ってあなたの人生の末永い繁栄を表現しているようだから、私もあなたがいつまでも健在であるよう、お祈りさせていただきます。

以上より「君」も「我が君」も歌が作られた時代の前後、数100年、幅をとっても天皇のことではない。ただし天皇が天皇としてではなく、恋人や親父として元祖国歌、古今343番(作者、作年不明)でよびかけられた可能性は残っている。



④について

「君が代」の意味
改作された江戸時代では「天皇の治世」の意味も出てきている。

新古今和歌集(13C前半成立)賀の歌の章の全50首中、6首に「君が代」。
全て「天皇の治世」の意味。
732番 「君が代にあえるは誰も嬉しきを花は色にも出にけるかな」
天皇の御治世の、この時代にうまれて、めぐりあえたら、誰だつて嬉しいことだろう。桜の木も、その喜びの心を、花の色であらわしているようだね。

古今和歌集(10C前半成立)にも「天皇の治世」として使われる一方、
(1003、1004番 醍醐天皇、 1085番 光孝天皇)
「あなたの一生」の意味でも使われている。
亡くなった藤原良房に対し素性法師が送った歌
830番 「血の涙、落ちて、たぎつ白河は、きみがよまでの、名にこそありけれ」
泣き過ぎて私の涙が血になって、煮えたぎるようにごうごう流れる白河(京都市北白川のあたり、鴨川の支流)が真っ赤になったようだ。もう白河ではなくて赤河だ。白河という名前は、あなたが生きていた時代までの名前ですね。

つまり元祖国歌、古今343番が改作された江戸初期では「君がよ」は「あなたの一生」(よわひ:齢)と「天皇の治世」(時代の代)の2つの意味があったが、「天皇の治世」で使われる可能性の方が大きい。
ただし北村季吟が改作した目的が歌の意味を皇国讃歌に変えるためではなく、君がよ、ちよ、ちよ、と調子をもっとよくするためであったという仮説(私の)はいかが?  
根拠:季吟は和漢朗詠集註の中で「ちよにやちよに」の「や」は八ではなく気合いがけの「や」だと室町時代の古今研究者、宗祇ら3人を引用して説いている。
ただし古今で345、346、347番と「やちよ」がでてきてこれらは、「八」ととる方が適当と思われるので、配列した紀貫之は343番も「八千代」と考えていたかもしれない。
改作者、季吟の意向に従うのなら今の国歌も「八千代」ではなく「千代にや、千代に」と重詞で歌うのが正しい。
季吟は神主となり82才の長寿をなした。「君が代」は徳川将軍にも天皇にも、うけがよかったということかもしれない。
後注:
この時代は、1588 刀狩り、1591 身分統制令、1649 慶安の御触書(...百姓...朝起き致し、草を苅り...)、と身分が移動できないようにされていった。権威は天皇、権力は将軍の徳川家を頂点とした、安定した封建時代への準備が進められた時期であるから、国歌のニュアンスにも手が加えられ、都合よく改変された可能性は否定できない。



⑥について

国歌の原作、古今343番はもとより「君が代」がつくられた江戸時代初期ではいがみあわせる、嫌らしい身分制度は確立していなかったはずだ。(後注:が、江戸初期は、ちょうど準備していた時代である。)
日本国憲法下では、日本にいる人間は天皇(1条)と日本国民(10条)と外国人の3者となる。身分により差別されない法の下の平等が適用される対象は日本国民である。(14条)
法の上では嫡出、尊属、親族などの身分も存在する。合理、非合理だけで身分制の善悪を判断できるだろうか?
とは言うものの、権威は国民にあり、権力は国会を通して行使される現在、
国歌を元来の 「我が君は」 に戻そうという議論もあってよいのではないだろうか?


私の理解
元祖国歌
親愛なるあなた、いつまでも、いつまでも、お元気でありますように、
さらさら流れるような小石が成長して大きな岩山となるまでも、苔の生えるような大きな岩山となるまでも

国歌
明治、大正、昭和、平成と続く世の中が、いつまでも、いつまでも続きますように、
さらさら流れるような小石が成長して大きな岩山となるまでも、苔の生えるような大きな岩山となるまでも



参考書
『新編国歌大観 第1巻 勅撰集編 索引』角川s58.2
『新日本古典文学大系 別巻 萬葉集索引』岩波2004.3
輝峻康隆『日の丸、君が代の成り立ち』岩波1991.2
高野辰之『日本歌謡集成 中古編』東京堂出版1960 (和漢朗詠集註を収録)
野田正彰『させられる教育』岩波2002.6
ほか古典解説書
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