去年は「表現の不自由展」が中止になったというニュースがありました。
これまで表現の自由として認められなかった作品がどのようなものがあったかという展示だったようですが、なぜ展示ができなかったかを知ることはよいことで、その作品を見てそれぞれが考えることが大切でしょう。この考える機会を奪うことは自由への規制となります。
昔からヌードについては猥褻か芸術家で論争がありましたし、それは表現の自由にも関連しました。これは一つの作品への判断なのですが、表現の不自由展では大きく思想が入ってきました。ですからより深い処での表現の自由の論争になったと思います。
「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
これまで表現の自由として認められなかった作品がどのようなものがあったかという展示だったようですが、なぜ展示ができなかったかを知ることはよいことで、その作品を見てそれぞれが考えることが大切でしょう。この考える機会を奪うことは自由への規制となります。
昔からヌードについては猥褻か芸術家で論争がありましたし、それは表現の自由にも関連しました。これは一つの作品への判断なのですが、表現の不自由展では大きく思想が入ってきました。ですからより深い処での表現の自由の論争になったと思います。
「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
2019年 8月 4日(日)「言論・表現の自由」
朝日新聞朝刊1面に「表現の不自由展 中止」という記事があった。この展覧会は、「過去に文化施設で展示不許可になった作品を見せることで、『表現の自由』について再度、議論したいという狙......
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