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夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2020年 6月22日(月)「マスク警察」

2020年06月22日 22時18分06秒 | 「思うこと」
公園内を歩いているとマスクもしないでジョギングをしている人とすれ違った。狭い公園ですからその人とたびたびすれ違います。マスクぐらいしろよと思いつつすれ違うのですが、たしかにこう熱くなってくるとカスクもきついですし、テレビでも夏場のマスク着用の注意をやっています。かといって多くの人と度々すれ違うのですから感染予防としてはマスクを着けてもらわねばと思う。
ジョギングをしている人が我慢してマスクをつけるか人のあまりいない時間帯で走るかの気遣いは必要ですね。
気遣いと言えば人ごみの中に入るときはマスクをつけるのが当たり前になっています。これは必要なことです。マスクの効用という面では口からの飛沫をある程度止める効用があるのですから。ジョギングをしている人は息遣いが激しいからマスクは必要です。
しかしマスクをしていない人に対して暴言などを吐くのが今話題の「マスク警察」です。
緊急事態宣言が出る前後に「自粛警察」というのもあり子供たちが休校で公園にいると学校などに通報するなどという行為がありました。その後国も公園などで歩いたり日光浴をすることは健康のためには必要となりさすがに自粛警察の人々もいなくなりつつありますが、形を変えてマスク警察になっています。
マスクをしていない人に対してマスクの着用を互いに呼び掛けることは必要なのですが、その言い方が暴力的で暴言的ならばそれは私刑です。googleで「マスク警察」を検索してみると、怒鳴り散らしたり、そこまでするかというような言動を行ったり、中には脅迫的なものになったりしているようです。ここまで行くと正義感からではなくてただのいちゃもん点けのようなものですね。
正義を暴力という形で表現すればそれは正義ではなくなる。テロ行為がそのよい例です。あるいは悪い奴だから殺してもいいと言ったような私刑になります。
相当危険な人々なのです。
そういえば、この自粛警察やマスク警察の元祖が禁煙運動の中にある過激な言動です。「禁煙警察」とでも言ってもよいかもしれません。ネット上では暴言もありますし、ひどい場合は喫煙者を動画に映してツイッターなどで「さらす」。
一つの思考回路が共通項としてあるのでしょう。
それは国民の暴力的な統制です。強権的な国民統制が政治にあるのですから、それはある意味正当化されるようにもなる。それが危険なんです。

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