夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「4月22日という日」

2024年04月22日 08時07分27秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
スプートニックによると、日本はウクライナに対して約121億ドル(1兆8700億円)を援助・供与を表明しているという。中には55億ドルの世銀を通じたウクライナ支援を行うが、ウクライナが返済できない場合の保証人です。
子育て支援に国民の社会保障費負担を高めようとしています。能登地震の災害救助は遅々としている。
国民生活を犠牲にしながらウクライナ支援を行い、その金がますます多くのウクライナ市民を殺していく。もちろん税金は、ウクライナを通してアメリカの利益となる。

≪過去の記事≫

【2004年】
昼飯を何にしようかと悩んだのですが、ラーメン屋さんのカレーが無性に食べたくなり食べました。豚肉と玉ねぎだけのカレーですが、たまにはこういうカレーもおいしいです。そういえば、日本蕎麦屋さんのカレー南蛮蕎麦も急に食べたくなることがあります。
そういえば、子供の頃、カレーというと肉などは高くて買えないので鮭の缶詰が入っており、そこに玉ねぎやニンジンがたくさん入っていました。カレールーなどはなく、小麦粉に缶入ったSBカレーの粉を混ぜとろみを出したものでした。ところがその小麦粉とカレー粉がよく解けずに小さな団子状のものが残ります。ある日この団子状のものが大きな塊として残っており、僕はジャガイモかと思って食べたのですが、気持ち悪くて吐き出してしまいました。これ以来僕はカレーのジャガイモが苦手になってしまい、いまだに家ではジャガイモを入れると文句を言います(笑)
中華屋さんのカレーもカレー南蛮もジャガイモは入っていないからうれしいです。
PCの工事をと思っていたのですが、日程的なもので少しずれます。急に2,3日来ないときがあるかもしれませんがそのときは掲示板に書いたように留守番をお願いいたしますねぇ。。。。

【2005年】
「古道具 中野商店」
             新潮社
             川上 弘美  著
中野商店は、古道具屋である。
骨董屋ではない。
だから数十万、数百万という高額の商品をきれいに並べてはいない。数百円か高くても数万円の商品が乱雑に所狭しと並び、仕入れは引越しで出たゴミの中のお宝的なものである。
古道具にそうは古い時代のものはない。数年前から数十年前のものであり、人の一世代ほど古いものである。そして古道具とは言え、職人が使い込んだ工具というものではなく、家庭用品や松田聖子の等身大パネルもお宝となる、そんな古道具である。
高価な骨董品は、ご隠居の手には触れるだろうが床の間に鎮座するような物である。古道具は、中野商店に持ち込まれるまでは、常に人々の手によって使われていた物であり、価値はなくても持ち主の心が触れていた物である。だから古道具には毎日を生きている人の温もりのようなものがある。
店主の中野さんは、こんな店に毛糸のショウチャン帽をかぶり座っている。歳は50歳少し前だろう。人間も50歳ともなれば立派な古道具の仲間入りである。主人公のヒトミは、30歳を過ぎこんな中野商店に勤める。社員は若いタケオと二人。そこへ50歳を過ぎた中野さんの姉マサヨさんが手伝いだか暇つぶしだかわからないままに通ってくる。ヒトミの周りの人間は、恋するタケオのほかは皆古道具となった人間ばかりである。ヒトミは古道具に囲まれ、やはり古道具となった人々を語っていく。そしてタケオとの恋を。。。
この作品は、川上さんらしく淡々と中野商店の毎日が描かれていく。古道具は、どんな人がどのようにその物を使ったかはわからないが、人の温もりのようなものが残っている。同じように中の商店の人々やそこに入ってくるさまざまな人の人生そのものはわからないが、人生の歴史というものからのなんともいえない情が漂う。中野さんは、どうも結婚をしているらしい。しかしその家族のことはまったくかかれない。姉のマサヨさんについても最小限であり、タケオは霧の中という感じで、ヒトミ自身も自分を語らない。まさに乱雑に並べられた古道具と同じように人々が並べられている。この淡々として毎日が流れるものを淡々と描いていく川上さんの筆のおもしろさがあると思う。
中野さんは骨董商のサキ子さんに恋をしている。不倫だろう。マサヨさんは、60歳を過ぎた丸山さんに恋をしている。あっけらかんとした性もある。一方では、ヒトミとタケオの若い恋と性がある。この世代の違う恋と性が絡み合っていく。
中野さんやマサヨさんという古道具は、世間ヅレをしているというのか「この世の中、こういうもんよ」的なものがあるし、サキ子さんの手記は露骨な性が書き綴られており、どことなくおやじやおばさんの猥談的なものを感じる。それに対してのヒトミの初々しい恋。30歳を過ぎてはいるが、古道具たちから見れば「女の子」の恋である。このへんの対比もおもしろいものがあります。
しかしこの世代の違う人々の恋と性とは対立したものではなく、恋と愛情とは何かを描いていく。
肉体的な性の後退とともに、反比例をする愛情を説くマサヨさん。年齢を重ねるということをどのようにとらえるかがある。「おっちんじゃう」(死んでしまう)が身近にもなっていく。もしかしたら老化というもののとらえ方は、男女間では違うかもしれない。ひょうひょうとしている男の中野さんと、姉のマサヨさんの違いも出ている。このような違いがあるにしても男も女も「おっちんじゃう」道をゆっくりと歩く。
こんな古道具の人間たちをヒトミはどう見ているのか。
30歳を過ぎたおばさんを感じ、「女の子」の恋の中にタケオへの得体の知れぬ愛情を見つけたのではないか。
ラストシーンは、今まで読んだ川上さんの作品にはないものがある。「おっちんじゃ」までの残りの時間を考えたときに、どのように変化するのかが見えるような気がした。いつまでも古道具屋のオヤジ中野さんでいて欲しいという気持ちが残るが、人の変化することは避けられないのである。
霧の中にいたタケオも変化をし、ヒトミも化粧をする。変化するのである。
変化する寂しさはあるが、変化の先にしか、というよりも時間の流れは変化自体なのであり、どうすることもできない。
この作品は、川上さんが40歳代半ばにさしかかろうとする時期のものだが、初期の作品とは違ったものがある。揺らぐ世界・人がなくなっている。
2000年から2005年の長い時間をかけて連載された作品であり、その中には2年ほど中断された時期がある。その時期に「センセイの鞄」が出版される。「センセイの鞄」の感想に、「干潟ー夢」には幻想的な川上さんの初期の作品のような章があるが、その中でツキコさんはその世界から抜け出して限りある時間の現実世界に帰ろうとすると書いたが、古道具の仲間入り間近の川上さんの変化が両作品に見られるのではないかと思う。
HPのトップの「ちんまりと」にも「40才頃」というものを少し書いたが、また、藤堂静子さんが50歳代に入ったエッセイ「窓をあければ」の感想にも書いたが、作家もその世代世代で変化をしていくものなのだろう。50歳に入ろうとしている今、川上さんが何を表現してくれるかが楽しみです。

真っ黒い雲が出ていたので洗濯物を出すのを躊躇しました。やっと晴れ間が出ました。
ゴールデンウイークが近づくと、なんとなくせわしくなります。金の心配もしなくてはいけない。。。。トホホ

【2006年】
昔郵便局に預けたお金が満期になりましたが、預けた頃は、利率が1%そこそこでたいしたことないなと思っていたのですが、今となってはこの1%そこそこという利率はすごい高利率ですね。
でも、住宅ローンにしても金利が低くなったとはいえ、預けた場合の利率に比べれば気が遠くなるような差があります。銀行というのはものすごい儲けを出しているのではないか?
いま、貸し金業の利息の問題が騒がれていますが、銀行などもあるいみ貸し金業ですから、この利率と金利の差がはなはだ大きいというのも問題ではないかな?
これが不満だったら株でも買えというのが今の世の論理で、たしかに個人株主が増えているし、小口の株売買も増えているようである。ネットがそれを加速してもいるようである。しかし素人の株売買は一種のギャンブルに似たもので、今のように株価が上がっているときはいいが、その引き際を間違えるととんでもないことになる。それにやはりギャンブルと同じで資金がたくさんある人にはかなわないのではないか。
村上ファンドというのをよく聞くが、企業を支配できるほどの資金が世に廻っているわけで、その中での個人の小口投資化は翻弄されるだけではないかというのが僕の考えで、堅実に働くことでの生活の安定ができる世の中を願うばかりである。

【2007年】
駅からの帰り道、歩いていたら我が家の車?僕を追い越していった。ナンバーを見たらやはり我が家の車。息子が乗っていたのだろうが、おやじがとぼとぼ歩いているのに止まって「乗るか」の一言もなく通り越していった。
ガソリンが残り少ないと乗らないくせに、僕が満タンに入れておくと乗り回している。おやじがとぼとぼ歩いているのを見て見ぬふりして。。。。はぁ(ー_ー)
ちょうど歩いているとき、身近な体験から学力と考える力との違いは?と考えていたところだった。。。。
僕がある国の王様だったら、国を発展させるためには学力のある国民をたくさん作ると思う。でも、考える力を求めるかといえば躊躇するかもしれない。躊躇するというよりも、どのような考える力を必要とするか避けるかということである。僕は王様なので支配者であり、支配者がいるところには必ず被支配者がいるわけで、人が人を支配することが悪いことだなどという考える力はいらないわけである。
まぁ、日本は僕の思い描いた国のようなものではもちろんないし、支配被支配関係が露骨に出た国でもない。しかし、国や企業を動かすような人物と平々凡々と働くような階層はあったのではないかと思う。これが今ある意味格差社会の中で表に出始めているのではないかと思うし、それがシステム上において固定化する傾向が出ているのではないかと思う。それを形作っているひとつに学歴社会がある。それが「学力」である。あるいは考える力は帝王学でもあるのでは?
学力というのは、どうも入試試験問題とイコールのように感じる。
この意味において学力偏重である。
今、新聞を開いたら、「日本の子が苦手なPISA型読解力って?」という記事が目に止まった。どうも「文章の解釈や意見を言う力など」をいうらしい。
ネットでも検索したが、持っている知識をある文章と読んで結び付けてひとつの自分の考えを出すような?
この意味では、考える力といってもよいのでは?
学力低下が問題になっているが、学力も知力の一部であり、読解力にも結びつくのではないだろうか?それは考える力。。。。
それに、若い人の本離れが言われて久しいし、本は、今の自分の心を見つめるとともに今の社会を見る目を養う。
素直な目を大切にしないと社会も混乱をしていく。
今夜は焼肉です。
僕と妻はあっさりとおろし大根とポン酢で。大根おろしはだいぶすりました。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
朝、この前買っておいたアボカドを思い出した。
買ってきたときはまだ硬くて食えなかったのでしばらくしてから食べようととっておいたのですが今朝触ってみたらちょうど食べごろになっていました。この食べごろというタイミングが難しいんですよね。バナナにしても輸入されるときは真っ青と聞いたことがありますがしばらくして黄色くなってから店頭に並ぶのでしょうか?アボカドも同じで、腐りやすいせいか店頭にはまだ硬いものがおいてあります。キーウィもその他の果物も同じですね。
アボカドのヘタのほうを少し切り落として縦に包丁を入れて1周。両手でくるっとひねるように回すときれいに半分になりました。皮も手でぺろっと剥ける熟れ具合。。。。おいしかったです。半分残しておこうと思ったのですが、冷蔵庫に入れておいてもすぐに変色してしまうので1個食ってしまった。
朝食は、このアボカドとりんご、バナナ、キーウィ、チーズオムレツでした。
先日アボカドの大きな種を土に半分ほど埋めて芽がでないか楽しみにしているのですが。。。。だめですなぁ。やはり完熟した実の種だからこそ芽がでるのでしょうか?青いうちに切り取られた実の種は成熟していない?それとも環境的に無理なのでしょうか?
そういえば、アボ「カ」ドなのでしょうか?アボ「ガ」ドなのでしょうか?
季節の完熟した果物といえば、ファミレスのデ〇ーズのマンゴーを毎年楽しみにしています。そろそろ食べることができるようですね。広告を見ました。毎年数回食べに行きます。お店で食べるのですからもちろん食べごろ。。。。レモンを少し絞って!
そのうちに食べに行こう。。。。楽しみ♪
うん?「そのうちに」というのがよくないですね。あんがい期間は短かったような気がするからなるべく早くいこう。。。。うん

ガソリンをいれてきました。
エンジンを止めて「レギュラー満タン!!」
ふと値段の書いた看板を見てびっくりしました。な、な、なんと、リッター134円。それも会員価格ですからなぁ。。。。少し前までのハイオクの値段です。
「満タン!!」なんて言ってしまったことを後悔してしまうような値段です。
そういえば長年かかって溜め込んだスタンドでもらったクーポン券を思い出して出しました。渡したら「はい、1000円分お入れしますね♪」と。。。。まずその1000円分をいれてから一度クーポンを生産して新たに現金分で満タンにしてもらうのですが、クーポン券1000円分でわずか約7.2リットル・・・・ううう
中東で世間を騒がせるような大きな事件や戦争があったわけでもないのに、なぜこんなに高くなったんだろ?ガソリンの暫定税率廃止はどうなったのかな?高速道路の無料化も。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
野田総理とミャンマーの大統領とが会談をして、日本はミャンマーへの円借款の延滞債権5000億円の内3000億円を放棄してその上で新たな円借款を始めるようです。
この新たな円借款はミャンマー国民生活のため、人材育成、インフラ整備に使うとされていますが、少しは民主化の兆しが見えてきたとはいえまだその民主化は海のものとも山のものとも分からないものです。ですから円借款が国民生活の向上に使われるというのはあてにならないでしょう。人材育成やインフラ整備での円借款は、日本企業進出の地ならしとひも付きでしょうか。円借款の金が日本企業に回るというこの仕組みは古い形のものです。結局は円借款の金は企業利益に向うがそれが日本の労働者の生活向上につながるかと言えば今の状態を見れば結びつかないでしょう。
IMF拡充のために日本は600億ドル(4兆8千億円)の融資を表明したと。安住大臣は大きな貢献ができたと自負しているようだが、誰がその金の財源を作るのだろうか。これもまた日本企業の海外での活動のためでしょう。
国は企業のためには金をじゃぶじゃぶと使う。社会保障となると財源がないから消費増税だと。

【2013年】ツイッターつぶやき
以前から円安も1ドル100円が目安だといった意見が出ていたが、すでに100円に限りなく近づいた。
その中で財務相がこの100円という円安についてその速さに懸念を持ったという。そして「消えた『円高対応』」という言葉も。(残念中が会員でないので中身は読めません)
経団連会長もロイターの記事によれば「ドル/円相場が100円近辺で足踏みしており「このへんが限度かなという気もする」と語った。」という。100円の壁に足踏みをしている市場の現状からの「この辺が限度」という事でしょうが、円安がこれ以上進めば、「海外投資も成長分野を除き難しくなる」という壁である100円を懸念しているのではないか。
今の円安・株高はアベノミクスへの「期待感」から進んだものです。円安自体(通貨安競争)が目的ではないとは海外には説明をしていますが、国内を見れば株高を招いた円安を歓迎をしてこの円安に景気の回復を期待しているわけです。ですから日銀の金融政策(量的緩和)とアベノミクスは円安誘導であるという一面は否定できないのではないでしょうか。その期待感から円安・株高は異常な速度で進んだという事です。実体経済が伴わない期待からの経済政策です。
この円安・株高への期待は、いまさらながら円安の速度が速すぎる、あるいは海外投資がやりにくくなると言っても止まらないでしょう。期待というものが先行するわけで、それが今の政府も経済の回復として見ています。期待を数か月で打ち切るようなことはできない。
この期待を実体経済に反映することはもちろん言われているのですが、日銀はこれから資金を金融市場のばらまくのですし、政府はこれから国債や建設国債を発行して国家財政を悪化させても公共事業に金をばらまく。そして消費増税前の不動産の駆け込み需要とその中での不動産投資が進む。このようなインフレはインフレでも悪性のインフレがこれから始まるわけです。その意味では円安はこれから加速度的に進むと言えないでしょうか?ですから今100円の壁に到達しては早すぎるわけです。
人為的な経済法則に沿わない異次元金融政策ですし、期待というものが独り歩きを始めてしまった状態ですから、どこまで円安が進むか予測できない部分があるのではないでしょうか。
そして実体経済の再生が一方では進まないわけですし、国債の信用が落ちるわけですから経済の再生は遠のくのではないでしょうか。
円安による物価騰貴という悪性インフレは国民生活と内需関連企業を疲弊させるでしょう。
そして輸出産業も海外への投資が重たくなる。
この中に企業の業績が上がったら賃上げや雇用で国民生活も安定するという「政府の期待」も消え去るでしょう。
結局悪性インフレでの物価光都の中で今までよりも深刻なデフレ作用が働くのではないでしょうか?そして株や不動産という投資部分の一人歩きをした好景気と商品市場での布教が同時に発生するより深刻なスタグフレーション(格差など)が進んでいく。

【2014年】ツイッターつぶやき
午前中にジムに行ってきました。つかの間の晴れ。マンションのベランダに洗濯物が満開でした。
今、またぽつぽつと雨が降ってきました。あっちこっちで洗濯物を急ぎ取り込んでます。。。。
今日は少々体が重かったです。
骨密度測定をやってましたのでやってきました。
だいぶ悪い数字。。。。男では珍しいんじゃないか?

「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ。。。。朝日新聞
「残業代ゼロ」がすべての一般社員に適用するといった中身ではないようですが一般社員にまで広げられるという中身については、だんだんと労働時間の制限が緩んでくるということです。同時に残業代までもが成果に組み込まれるということで賃金の成果主義が労働時間の制限をなくして過酷なものとなると見てよいでしょう。もちろん残業というのは休日に出勤することも当てはまりますから年間の労働日(週休二日制度)にも関連してきます。
どのような職種で適用されるのかの具体的なものは書かれていませんが、以前からホワイトカラー・エグゼンプションの導入が言われていましたからホワイトカラーや公務員などだんだんと広い範囲の労働者にまずは適用されるかもしれません。
現実として残業代の支払い方法のタガは外れてきていて風呂敷残業やただ働きの実態はありますからこれを合法化するだけという意味合いもあります。過労死や仕事上の精神疾患からの労災死が時々認められていますが、今回の「残業代ゼロ」による労働時間の規制の緩和は、労働組合が認めた者(日本は労働組合の組織率が低いですからろうどうくみあのかわりに全労働者の過半数なりの同意ということにもなるかもしれません)であり同時に本人が同意したときとありますから仮に無理な労働時間で過労死をしても組合が認めて本人も同意をしているために過労死での企業責任があいまいにされる危険性モデルのではないでしょうか?
労働者の労働条件と賃金そして健康問題に大きくかかわっていくことでしょう。
「残業代ゼロ」を正当化させるという発想自体が企業論理そのものなのです。
本来企業は残業をさせてはならないというのが基本です。ただ業務に支障が生じるときにやむなく組合なり本人の同意を得て行わせるという例外的な労働時間なのです。ですから週の労働時間は基本的に決められており36協定を結べば例外的に労働時間を延長させることができる。その場合は労働者の生活時間を奪ったり心身ともに思い負担があるのですから割り増しの時間給となります。今はこれが崩されて労働時間の規定が見えず楽なって来ましたが、上に書いたことが今でも基本でしょう。
こう見ると残業を行わせるというのは企業の責任において労働者への負担を強いるのですからこれを「ゼロ」にするというのは企業倫理に反するわけです。
なぜ企業は残業が必要とするのでしょうか?急な急ぎの仕事が予期しないで入ってきたからというときもあるでしょうが、日常的な最低限の労働者しか雇用しないということから人手不足が生じるわけです。または必要な雇用者数の人員を増やすより人手の足りない分は残業でというやり方もある。企業が残業を作り出しているのです。けして労働者個人の能力不足が残業を増やしているのではないのです。
この企業の都合により残業を恒常化させておいて残業代はゼロですよというのがホワイトカラー・エグゼンプションであり今回の産業競争力会議の提言でしょう。
労働の規制緩和として進められ、それが成長戦略なわけです。
労働者の生活は、低賃金化と円安誘導・消費増税での悪性の物価高にあえぎ、今度は労働時間の面で時間を奪われると同時にその対価も払ってもらえない。この生活実態の悪化を許していったら労働者の生活はどうなるのでしょうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
アメリカはトランプ政権となってからアメリカ第一を掲げて政治的にも経済的にも強いアメリカを目指す目標が大統領令の連発の中身見える。もちろんこのアメリカ第一は、これまでも戦争を起こすときには必ず「国益」が出てくる。現在のトランプ政権もこの国益からのあまり化第一なのでしょうが、あまりにも強権的な政策が目立つ。
経済的強権は保護主義にあり、政治的強権が軍事行動に現れている。
このトランプ政権に追従するのが日本政府であり、この4年間の安倍政権に現れる国会運営を見ても数の力により国会内の民主主義を経済化させている。経済的には巨大企業の利益と富裕層の利益を守り、国民生活は疲弊している。トランプ政権と安倍政権の相性の良さはここにあるのでしょう。
国際的には、現在開催されているG20においてもアメリカの保護主義は批判的になっているがこれを明確に否定はできない。また日本の通貨安競争も同じように否定をされているのだが、経済発展の中での金融緩和であるという無理な理屈を通そうとされている。
アメリカと日本という二大経済大国の「無理」は表面的には「ごもっとも」となる。
しかしこれまでの日銀の異次元緩和が翻弄に経済発展のためにあったのかといえば、政府も認めるようにいつまでたっても「道半ば」であり、日銀緩和は財政ファイナンス化を今の積極財政の中強く表れるでしょう。すでに二%の物価目標(当初はインフレ目標)は失敗が明らかになっているし、最近では二%にこだわらない新経済目標としてはぐらかしが起きている。アメリカはドル高を維持しながら資金を国内に集めるでしょうが、日本では賃上げだがアメリカは減税ですが、日本と同じく経済の発展の中で考えるとなっている。これは日本で経済が好転すれば賃金も上がるといういかさま的な経済学の政策である。
国際的にも国内的にも無理な経済的政策を強権的に行おうとするが、結局は経済は法則通りに衰退するでしょう。
政治的強権は議会を動かすことで成功する面があるが、その強権的な政策が議論を深めるにつれそして政治の劣化を通じて矛盾を大きくしている。北朝鮮問題はただ単に失敗だったではすまない国民の安全を脅かそうとしている。
しかし日米の二大大国は、内部では互いにけん制をし始める。も沈アメリカの力が大きいわけで、TPPに代わる二国間協定や、アメリカへの資金流出と日本国内の投資の減退が。北朝鮮問題では、アメリカは無傷であるが、日本は甚大な損害が生じる。
この蜜月にある日米二国間もまた最後はアメリカ第一にさらされるでしょう。
経済への打撃も大きくなるのは日本です。昔からアメリカがくしゃみをすれば日本が風風邪をひくといわれてきました。互いの強権的政治は結局は経済法則から経済を好転さないでしょう。
下部構造の経済法則は上部構造である政治に作用する。アメリカの衰退は日本の衰退である。

【2018年】ツイッターつぶやき
まだ春の花がお笑い終わらないのですが、久しぶりに花屋さんを除きたく覗きたくなり行ってみました。
ぼちぼちと夏から秋に花が出始めていましたがまだ数も種類も少ないですね。一方では春の花がまだ売られている。なんとなく寂しい感じが。。。。。
でも、春の花とこれから生長する花が一緒に楽しめるというのも楽しかったです。
そういえば我が家のプランターも春の花が終わりそうですが、その横には夏から秋の花の種を蒔いておいたらだいぶ大きくなっていてこの終わる花と生長する花の「引き継ぎ」が楽しい。
花も女性のファッションと同じくひとシーズン早く支度をする。このわくわく感が楽しいですね。
花屋さんでは今まで見たこともない新しい品種が出ていたり。。。。楽しいです。
花屋さんを出て入口の方を振り向いたら、寄せ植えをしたビオラがこの暑さのために株が割れ始めていました。我が家のビオラと同じ。。。。今度行くときは夏から秋の花の寄せ植えが飾ってあると思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
AAAの方がお詫びの記者会見をしていました。
テレビニュースですからすべて報道されているわけではないでしょうが、被害者の女性へのお詫びよりもメンバーや会社そして関係者へのお詫びの方が目立っていたような?
それよりも酒を飲みすぎて記憶が全くないという強調が目立ちました。
日本は酔っ払い天国ですから、酔っ払っていて責任能力がなかったとなればどこか許されるようなところがあります。大げさに言えば、酔っ払いに殴られるなどしたら殴られ存のようなところがあるのかもしれません。女性へのわいせつ行為なども。
酔っていて記憶が全くないんですという言葉を何回も発言するというのは酔っていたからという自己弁護に聞こえてしまいますね。
酒癖が悪いようですが、それを自身も知っていた。すると大酒飲めば何をしでかすかわからないという意識はあったはずですね。
まぁ、国会の喚問なども「記憶にございません」で済んでしまうことがありますから、これもまた日本の社会なんでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日かいた「申請という捻じ曲げ」の続きです。
昨日も書きましたが麻生大臣の手をあげた人に10万円上げるという国民一人当たり10万円支給するという趣旨を歪曲して捻じ曲げるひどい政治の事を書きましたが、一方ではこの10万円を受け取るが寄附をしようという動きが出ています。寄付をすることを国民に対して行政が呼びかけることも国民一人当たり10万円の支給の趣旨から外れるでしょう。僕も富裕層の方が個人の意思により寄付をするとは否定しませんが、行政が呼びかけると一つの圧力となってしまいます。
広島県では知事が職員に支給された10万円を県に寄付をさせてコロナ対策に使うとされました。
大阪府では医療従事者への敬意だとして特別応援手当を支給するとしましたが、どうも民間からの寄付をも財源にするようです。ここでやはり10万円の寄付を呼び掛ける結果につながる危険性があります。
広島はピンハネのようなものですから許し難い。
大阪については、医療従事者の方も、府民の生活が苦しい生活の中で府の呼びかけで10万円寄付をされてもうれしくないでしょう。仕事の中身の違いはあるにしても多くの方がリスクのある中で働いているわけですから、医療従事者も自分は特別だからこの社会のために働いている方の10万円をもらいたいとも言わないでしょう。府の財源でやるべきものを県民の10万円をかき集めるとはこれも一種のピンハネでしょう。
寄付とは違いますが、橋下元府知事が「全国民向けの一律10万円給付について「受給禁止とルール設定」を求めた。」そうです。中身は「この10万円は生活保障。給料、ボーナスがびた一文減らないことが確実な人には給付する必要はありません。生活保護受給権者も」と。高収入者でもボーナスや賃金が減ったら10万円は支給され、生活に困る人には支給されないというひどさがある。
コロナの影響はスーパーで買い物をしてもその支払いに現れる。生活保護や低所得者には厳しいコロナの影響。橋下さんにはコロナの感染リスクを抱えながら日夜働いている医療関係者を先頭に社会の維持のために働いているすべての人々に対する敬意がみじんも感じられない。
食料品の値段が上がっていってさらに切り詰めないためにも10万円が必要ということを考えたほうがいい。少しでも良い食事をと考えないといけないはずです。
消費税も10%に強行され、これから様々な税や健康保険などの社会保障ひの支払いが出る。この支出に補填として10万円が必要な中所得層もいるでしょう。そういう方にも生活を切り詰める割合を少なくしなくてはいけないのです。
これは経済政策の10万円ですはなくて、コロナ感染拡大を防止するお金ですから。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京は気温が25度を超え夏日でした。
あと2週間ほどで立夏ですなぁ。今年は5月5日だそうです。
春になり一気に咲いた花もこの暑さでぐったりをしはじめています。
今年は半月ほど早く花も終わってしまうかもしれません。
今日は咲き終わったフリージアを抜いて球根を掘り上げました。
オステオスペルマムは花が一度咲き終わり2番目の花がぽつぽつと。
うまく夏を越させたいと思います。
まだ夏の洋服を出していませんが、朝晩はまだ涼しいですから。。。。
毎年のごとく炬燵がリビングにまだ鎮座しています。
昼寝をするにはまだ必要かな。
毎年連休中に「炬燵お片付けの儀」を執り行います。
炬燵の下や周りの大掃除です。
風呂上がりの夜風が気持ちよい。

【2022年】ツイッターつぶやき
円が価値を下げて急激な円安に。
ロシアルーブルもウクライナとの戦争で経済制裁を受け急激にルーブル安に。
しかし最近はルーブルが急速に高くなり、戦争前の為替に戻っているという。
日本は相も変わらす日銀の異次元緩和で指値オペ。輸入価格の上昇は貿易収支を悪化するでしょう。
一方ロシアは掲示制裁により輸入量が減っている中、エネルギーの輸出にそうは変化がなく、このため貿易収支は黒字を大きくしている。こうなると貿易をルーブル決済や外貨をルーブルにする中でルーブルの暴落を防げる。
ロシアに対する経済制裁を行うに品が経済が混乱している。もちろんロシア無苦しいことに変わりはないが。
アメリカを中心とした西側経済はインフレに。インフレは通貨価値を下げる。もちろん経済が過熱している中でのインフレならまだよいが、経済が落ち込む中での悪性の物価高に陥っているでしょう。コロナマネーがばらまかれています。
ロシアはだいぶ前から金の買取を増やしていました。現在も金を買い取っています。
世界のインフレの中で金の保有を増やすことでドルの価値低下の中でルーブルは強くなる。すると、ドル依存の世界経済に変化が出る。もちロシア経済だけでは力は弱いでしょうが、そこに中国やインドがドル依存を無くそうと協力するように。中国は元の力を強めている。インドも急激な経済の発展へ向かうでしょう。
アジアが脱ドルの動きを強めると、世界に占める人口でも経済でもアジアの力は大きいですから。。。。。。
(以上NHK「ロシアの通貨ルーブルはなぜ回復?」を参照しました)

【2023年】ツイッターつぶやき
ここ数年知人などで結婚式の話があるが昔のように大勢を披露宴に呼ぶような結婚式は少なくなっているようです。
同じように、テレビのコマーシャルでも家族葬のものがある。墓のコマーシャルモダン知識の墓とか。
質素に。。。。?
経済的な理由も大きいのかもしれません。
実際遠くの親戚の結婚式や葬式には心はあるが財布の中身では躊躇する。
互いにその辺はわかりますので、質素さもよいでしょう。
そういえば、コロナの影響は大きいですが、忘年会や日常の飲み会も少なくなっているようです。
金をかけて世間体や表面的な人間関係を重視する日本的なものはなくなっていくでしょう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2024年 4月21日(日... | トップ | 池に浮かぶ月2224【4月... »

コメントを投稿

「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)」カテゴリの最新記事