夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「8月16日という日」

2024年08月16日 07時53分13秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が行使されました。地球が許してくれる。
川上さんはたびたびお仕事でベルギーのほうへ行くようですね。
翻訳関係なのでしょうか?
6月、すでに円安もピークに。
まぁ。そん関係ではないでしょうが、ホテルではコンビニで買ったもので過ごす毎日。
お若いころからの旅行の形なんでしょうね。
ベルギーといえば。。。。。
チョコレート。
「デンマークチョコですのよ。おほほほ・・・」
しかしイタリア製。
有名スーパーですが、スーパーですからなぁ。日本でもスーパーに行けばどこかの国のものも売っている。
小分けされたチョコレートはお土産にぴったし。
しかしスーパーのベルギーチョコはただの袋詰め。
地球環境によいSDGs

≪過去の記事≫

【2003年】
昨日は終戦記念日でした。
いろいろな追悼式があったようです。以前東京の空襲で大きなけがをした人の話を聞いたことがありました。民間人です。原爆でやられた方々もそうですが、戦争で犠牲になった民間人の人たちには何の保障もないようです。
この前のイラク戦争もそうですが、いちばん悲惨なのは弱い立場にある民間人(戦争で儲けた人たちはのぞくとしても)と徴兵という形で銃を持たされた一般の戦士ではないかと思います。今、北村薫の「リセット」を読んでいます。リセットとは・・・・

【2004年】
昨日の涼しい雨に秋の気配。。。。
ごろんと何も掛けずに布団に横たわり眠りに入っていくとき、つくづく夏はいいなぁとおもいます。昨夜は少し冷えてしまった。。。。夜中にトイレ2回(笑)
気持ちのせいか空が高く感じます。
夏生さんは、次の季節に移り変わることにわくわくするそうですが、どうも僕は夏と秋に限っては寂しくなってしまいます。根っからの冬嫌いからかな。。。。

【2005年】
ビールもカロリーが多そうなので缶のチューハイでも飲もうと買いに来ました。
でも、缶のチューハイも糖分というのか糖質がありどんより。。。。
そこで見つけたのがとあるワインメーカーのチューハイ。飲んでみたら、たしかに甘みはなくてレモンの風味と酸味がさわやかでした。家でチューハイを作るのも大変だから今度はこれにしようと思います。
どこのと言ってもいいほどチューハイにはウォッカが使われている。ロシアのウォッカ?それとも焼酎系もすべてウォッカという名称なのか?
天気は不安定です。
出かけ先で通り雨にあってしまいました。天気予報も当たりにくいですなぁ。。。

【2006年】
今夜は久しぶりにチャーシューを作りました。
一応国産の豚肉を使ったのですが。。。。なんとなくうまくない。以前、やはり国産豚肉でトンカツを作ったらすごく固かった。ブロックや厚切りの肉となると安い肉を使うのか?
そういえば、牛肉を買ったときに2等肉?だったか等級があるらしい。
麦茶を沸かそうとやかんをガスコンロに乗せて火をつけるとあっという間に沸く。水道の水の温度がそうとう生ぬるいです。ガス料金が冬の半分ぐらい。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
昨日は終戦記念日

テレビで特番をやっていた

人は死ぬことより生きることを考えねば。。。。

生きることが国のためである

死ぬことを前提では何も生まれない

死に物狂いの力は

生きるという合理性にいつか負ける。。。
         (Pm6:55)

熱帯夜である

風呂上りの汗がひかない

熱帯夜。。。。。

なじみのある言葉だが最近聞きますか?

テレビなどで。。。。。

そういえば最近見なくなったもの。。。。

車にカーナビは当たり前の世の中だが

車の屋根の後ろにあったあのアンテナ

二又になった金属のあのアンテナ

今日久しぶりにみました。。。。

見て懐かしいような、まだあったか・・・・と
           (Pm10:17)

思い出した。。。。。

ツイッターですが。。。

登録してすぐに

夏生さんをフォローして「返信」を

でも、わからないで何か間違いをしたら

たしか「もうあなたのお書きになったものは読みません」

というようなテロップが?

うううう。。。。。。
(Pm10:35)

南の空から夏の名残の天使の声がした。

愛してもらえないことは悲しい
しかし愛せないことはもっと悲しい
しかししかし愛をあきらめざるを得ないことはもっともっと悲しい
汝は私を信じ愛せよ

ううう・・・・

【2011年】ツイッターつぶやき
ツイッターをやっているのですが、フォローをさせていただいた方から「ブロック」なるものをされてしまいました。ブログの機能にもアクセス拒否やコメント拒否といった機能がありますが、このようなものはある意味必要悪なのでしょうね。
僕がブロックされた理由は、どうも自分の意見を書くと「絡まれた」と判断をされたからのようで、とんと僕には理解できない世界です。ブログでもコメントを拒否とか削除を僕もしますが、これはある特定のたとえばH系のものや誹謗中傷目的のものばかりで、議論を「絡み」と判断しての削除はしていません。
だいたいこの絡みだけを理由とする、いや、絡みと断定をして議論を避ける方法は、あんがい自分は他の人を辛辣な言葉で批判をしてしかし議論はしないという特殊な世界に意識があるかたのように思います。人の批判は書く、しかしその反批判が来たら絡みだとして議論しない。議論はしないことを前提とした他の人への批判は、自分自身がその方に対して絡んでいることに他ならないことに気づいていないわけです。その批判する人が政治家だったり学者だったりする場合がありますが、そのような方は反批判などをわざわざしてこない。だから一方的な批判だけで済んでいるのです。しかし一般の方はそうはいかない。書いたことには批判をする。すると批判された立場になると「絡み」だという。面倒な論理的なものになるとこうした傾向が出るのではないかと思います。
こう書くと批判が出そうですが、インテリ層の一部にある特殊な考え方やとらえ方なのかもしれません。
勘違いをされては困るのですが、ここではその方の批判をしているわけではないです。
ツイッターだけではなくてネットという世界のコミュニケーションの難しさを感じるのです。ネットの世界では匿名性がありますからそれを悪用したものも確かにありますし、いろいろな弊害もあります。その中でネット上の議論というもの自体が軽視されてはネットも文化になりません。ネットの悪いところを修正しながらみんなが意見交換できる場を作っていかねばならないのにこの議論そのものを拒否するのではネットの文化構築も別の角度から否定をされてしまっていることが悲しいのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
ジブリ作品「風立ちぬ」に対して禁煙学会から喫煙シーンが多いとの批判が出ているようであり、これに対して賛成の意見や反対の意見も出ている。そしてその賛否は表現の自由の侵害をも含めた議論になっている。
これをどう見ればいいのでしょうか。
それを考えるうえでまずは映画だけではなくてテレビドラマや文学作品などにおいて喫煙シーンがあってはいけないのかという点です。
日本もまだ喫煙率は30%前後あるようです。そうすると喫煙という幅径は日常に社会の中にある風景と言えるでしょう。その風景は喫煙者にとっては日常のそして人生の一コマという風景です。映画やドラマそして文学などすべての作品上の表現には当然喫煙の風景があっても不自然ではないでしょう。もちろんそこには喫煙の風景による表現があってもおかしくない。
これに対して喫煙の風景が喫煙をを促すからやめるべきだという論理はどう見てもおかしいでしょう。作品自体が喫煙を促す中身ならば批判する自由はありますが、喫煙の風景を描いただけでの批判は自由でしょうか?このような自由を認めるなら飲酒や人殺しや様々なシーンに対してやめろという自由が氾濫してしまいます。もちろん先に書いたように未成年者に飲酒を勧める中身であったり犯罪の心を湧き立たせるような中身の表現ならばそれには批判の自由があります。
「風立ちぬ」での喫煙の風景は完全に表現の自由の藩中でしょう。ですから喫煙シーンはやめろという批判は成り立ちません。
映画やドラマそして文学などからこの喫煙の風景を消し去ることは、現実の社会においても喫煙の風景を消し去ることとイコールで結ばれています。もちろんそれは喫煙者を消し去ることです。これが現実社会においてはたばこ消費税増税という国家の権力を使って禁煙を勧めたり、精神社会においては文化・芸術作品から喫煙の風景を消し去ったりする。それは喫煙者という人間を力や表現の自由を抑えることで消し去ることです。このような方法は良識的な禁煙の運動でもなければ禁煙を促す表現の自由でも言論の自由でもないでしょう。その意味においてこれが過剰なものとなっていけば禁煙ファシズムではないかという意見が出るのが当たり前でしょう。
ある強い力を持つ組織が「これが悪だ」と決めつけてその悪を消し去るには何でもありというものがどんなに危険なものか。
表現の自由や言論の自由は、互いに表現と言論を通じてより良い結論を出していく作業です。
以前、性描写について表現の自由かといったことが裁判にもなりましたが、性描写そのものがその表現として性を売り物にしただけのものか、それとも性は人の営みとして日常にある風景として描いたものかによってその判断は違ってきます。裁判にする前に表現の自由とは?といったものを出版社自体が内部で議論してより良い判断をすべきなのです。
言論の自由と言っても何を言ってもよいといったものはありません。

【2014年】ツイッターつぶやき
14日に書いた「スタグフレーションか」というものを書きましたが、このスタグフレーションとはどのようなものでしょうか?経済の成長がないところに本来は経済成長の中に起きるべきインフレが同時に起きている状態といってもよいのではないでしょうか?
もう一度東京新聞の「消費増税でGDP急減 個人消費落ち込み 4~6月期」という記事の表を見てみましょう。
14年の4-6期の特徴はどこにあるのでしょうか?
名目GDPの落ち込みはマイナスですがほぼゼロに近い。しかし実質GDPはー6.8と急激に落ちています。この名目に対する実質の差が低くなればデフレーターは大きくなります。こちらの記事の表を見ると。そのためにデフレーターは+2に跳ね上がっています。それではこのデフレーター+2はどのようなことを現しているかといえば、こちらの記事の名目と実質のGDPについての解説がわかりやすと思うのですが、デフレーターが+1を超えるとそれはインフレとなる。4-6期のデフレーター+2は相当なインフレ状態を現していると見たほうがよいでしょう。
しかしこのインフレは経済成長がマイナスの状態で起きている。
マイナス成長下のインフレです。
このデフレーターから見るインフレは政府・日銀の目標ですからそうは簡単に方向転換をしない。これがまたマイナス成長下のインフレを拡大していく。
このデフレーターが現すインフレ傾向は消費増税により引き起こされたとみるべきですが、アベノミクス自体がアベノミクス期待で13年1-3期には名目実質ともに高くなるのですが、実際の経済の動きは実質GDPは下り坂で徐々に名目GDPは横ばいになる。この延長線で見ると消費増税がなくても名目と実質の差は広がりインフレ傾向を示していたでしょう。しかしもちろん消費増税がインフレを一気に引き起こした。それもマイナス成長の中でのものです。
アベノミクスの矛盾そのものが噴出していると同時にその矛盾を大きくしたのが消費増税だということです。
「安倍政権がもたらした消費税増税による自業自得的な経済急減速について(いわゆるリフレ派の見解まとめ)」という記事がありますが、消費増税を否定しても緩和策は継続すべきといった論理もまたアベノミクスの期待から失望の中にある状態ではそうは効果は出ずに、デフレーターから見るインフレは4-6期よりも改善される場合もありますがマイナス成長あるいはゼロ成長の中でのインフレに変わりはないでしょう。
スタグフレーション=マイナス成長下のインフレ=悪性の物価高となります。早い時期のアベノミクスからの脱却が必要ですし、日銀の量的緩和も出口に向かうべきです。今の矛盾をどうにか繕うために年金積立金までもを株価維持に使ってしまう危険性や更なる消費増税と労働者の生活低下を引き起こしかねません。
もちろんこのアベノミクスと量的緩和からの脱却をソフトランディングさせるのは相当難しい状態にすでに陥っているかもしれませんが、だからと言ってこのまま突っ走ったらさらにひどい状態になってしまいます。これが安倍政権が作り出してしまった経済的の現在時点の状態でしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
安倍政権は消去法からの期待からはじまり、次第に失望に向かい、今では不信感が高くなっています。不信の後は見限ることになっていくのではないでしょうか。
政治はお友達内閣とも揶揄され、大臣の資質まで問われるような事態になり改造を余儀なくされました。安倍総理自身も規制の緩和といいつつもふたを開けたらやはりお友達への配慮という疑惑を深めていくばかりです。北朝鮮との危機は集団的自衛権で強くなってしまいました。平和を口にしつつも過去の反省はどこかへ行ってしまいました。
経済は、最近国内消費の増加が言われはじめていますが、それは公共事業や外国人の消費に頼っています。
ロイターに「強い消費支える耐久材、背景に物価安定効果の声」という記事がありました。
そこには次のように書かれています。(以下引用)
上がらない物価が「消費そのものに影響を及ぼした可能性が否定できない」と分析している。つまり物価が上がらないことで、個人の消費意欲に冷水をかける要因が減ったという見方だ。
早い話が、デフレ脱却を人為的に物価を上げることとした経済学が間違っていたのでしょう。物価ではなく不況を抑えることです。あとは円安誘導での輸入品目の値上がりを戻すことが大切になってきます。
これまで「物価安定」という言葉は物価上昇傾向の継続を意味していたと思いますが、ここでは物価上昇が抑えられて安定することを意味していると思います。これが普通の考え方でしょう。安倍政権ではデフレ状態が悪とされるわけですから牧歌高状態が不通となりますが、これは逆立ちをした論理でした。
アベノミクスの失敗が国民の消費を拡大していくことが証明されました。
今後労働の規制緩和により過労死容認法ともいえる残業「規制」や残業代ゼロが行われることになりかねません。そして解雇自由法ともいえる(解雇は金で解決)ものも考えられます。すでに消費税10%は行うというものが発表されました。
そろそろ安倍政治は終わりにしないといけませんね。

【2018年】ツイッターつぶやき
オリンピックに向けて暑さ対策でサマータイムの導入が検討されているようですが、そもそもなんで暑い時期にオリンピック開催を決めたのでしょ?
前回東京大会は10月で、一番雨が少ない時期でもあり気候も一番良い時期でした。
夏は蒸し暑さのためただでも寝不足になりますが、体のリズムからすれば2時間早く起きるという感覚は残るでしょう。どちらかと言えば、2時間時計を遅らせるほうが寝不足解消になるのかなと思ったりもします。朝の涼しい時間に2時間眠ることができる。
世の中にはいろいろな仕事があります。冬に暗いうちから出勤をするというのが夏は明るいときに出勤ができるというのは良いものでしょう。電車の始発を5時とすれば、サマータイムでは3時に始発電車。。。。
早朝から働いている方というのは多くいると思います。
逆に就業時間が2時間早まるのですが、残業などで夜遅く帰るわけですが、サマータイム導入でも明るいうちに帰れるというメリットはないでしょう。
ゆるになれば花火大会やら盆踊りや祭り。。。。サマータイム7時からとするなら5時ですからなぁ・・・・西日の中の明るいうちから花火をみなければならない。サマータイム商戦も活発になりますがそうは明るいうちから酔っぱらうこともできないでしょう。
幾度かサマータイムは検討されたそうですが、できなかった歴史があります。
社会的にできないものをオリンピックのためにというのは乱暴でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
ある企業でAという商品を月間1万個生産していたとする。
その企業が生産性を高めて同じ量の労働力(労働者の数という面でも)を用いて1万1千個(10%増)の商品を生産できるようになったとする。
すると、商品の価値は労働力量が同じなのですから変化はないが、商品量は10%増加したのだからこの商品の使用価値は10%増加をしたことになる。
ここから何がわかるか?商品の価値と使用価値とは一致はしないということです。
企業は1万1千個の商品を今までと同じ価格で売ろうとする。価値に変化はないのに10%増加する利益を得ようとする。
しかしこのAという商品を生産する産業全体が10%生産性を高めたならば、価格競争を通じて10%低下した価格とならざるを得ない。
もちろんすべての商品が売れているうちはよいが、10%の生産拡大は商品の過剰生産を現し始める。ここに価格競争は不可避です。それ以上にさらなる値引きも行われるでしょう。
同時に格差の拡大による貧困や低賃金そして社会保障の低下は価格が下落してもその商品の必要量を買うこともできなくなる。この中で商品の過剰傾向は増大して過剰生産はさらに顕著となる。
このようなことが全産業に起きているのが現在でしょう。そしてグローバル化の中でこの現象は世界中で起きる。
商品(商業)恐慌の傾向を深める。
企業の活動は鈍り企業には貨幣資本がだぶつく。
商品価値量に変化はないが商品の使用価値(価格)の下落は続きデフレとなる。そして企業活動が鈍くなることによりデフレはデフレ不況となる。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日も書きましたが安倍総理は露骨に戦争を行える積極的平和主義を露骨に表明した。
これは韓国や中国との関係をさらに悪化するでしょう。そして露骨なアメリカ追随主義は政治とともに経済に大きく影響してくるでしょう。
(以下ツイッターから)
安全保障を理由に韓国への半導体輸出規制に反発した韓国での日本製品不買運動が長期化しているようです。
この長期化には日本製品がなくても不便ではないという人が69%と広がっているからであるようです。
なにも日用品の不買運動が起きているというだけではなくて半導体自体の国産化(日本企業誘致も?)を目指し日本に依拠していたフッ化水素自体も高純度で生産できるかもしれない状態に
韓国だけではなく、対中国に対してもアメリカ追随の中日本は経済面でも苦しい立場に置かれるかもしれない。
国内の保守層でも政治対立から中国離れを言いはじめているが、中国の消費又は競争力を捨てることはできないでしょう。
日本の保守思想は日本を孤立させる。

【2021年】 ツイッターつぶやき
緊急事態宣言の県が7県増加するという。
そして東京などすでに緊急事態宣言が出されている県では来月まで延長されるという。
新規感染者数が急拡大して医療逼迫の危険性が出てから緊急事態宣言という後手後手がまだ続いている。
そのうえどこの県かもわからなくなっているまん延防止があるわけで、もう緊急事態宣言が昨日できない状態にもある。緊急事態宣言が出されても組みや自治体が行うことは国民に対しての自己責任を言うだけです。
検査の拡大もやらず隔離のための病棟もそのまま。自宅待機者への酸素発生機がもうなくなっているという。医者は苦しいけど頑張ってねと励ますしかできない。
日本のコロナ対策は崩壊をしはじめています。
どうにか早くピークアウトして欲しいですがその根拠は見つからない。ピークアウトしても下げ止まりが長く続くでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
「1日当たりの死者数は1カ月で約7倍に増え、ほぼ連日200人台と、年明け以降の第6波に迫る。」(JIJI.COM)
感染力は第七波の方が大きく感染者数は3倍近くに。その意味では死病率から見れば低いのかもしれない。これがウイルスの弱毒化なのかワクチンの効果なのかは定かではありませんが死亡率が低いことではよかったのかもしれません。しかし死亡者数は第六波を超えるのは確実でしょうから、感染力の高いウイルスの怖さでしょう。
第六波では政府の感染防止は不十分ながら国民の目に見えていたと思いますが、第七波では放置コロナ対策ですべて国民の自己責任となりました。ですから毒性が少ないあるいはワクチンがあるとしても感染拡大防止をおろそかにすれば死亡者も増加をするということです。
コメント
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