夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「8月12日という日」

2024年08月12日 08時02分22秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
昨日、買い物に行くので近くにおいしいお店がないか検索していたら、住宅街の中にポツンと1軒のお店が。
最近こう言うお店が増えているそうですね。
休日でもあり昼時はほとんど席が埋まっていました。
定食を中心に一品料理の品数も多く和から洋まで。
家族連れが多くて酒も飲みながら品数の多い料理をつまみ楽しそうでした。
残念がら車でしたので我慢。
レストランというのか飲み屋というのか。夜は夜で込み合うのかもしれません。
今度はすいている平日に行ってみたい。

≪過去の記事≫

【2003年】
買い物
途中モスバーガーでオニオンリング揚げとコーヒー。モスバーガーは高いけどおいしいです。たしか夏生さんも。。。?
8月ももう半ば。遅い夏を待ちわびて蝉たちは必死で鳴いています。

【2004年】
掲示板で流星群が来ていると教えていただいたので夜空を見上げてみました。
しかし残念ながら東京は星ひとつ見えない夜空。。。。残念
今夜は手作り餃子。40個ほど作りました。
どうもスーパーで売っている蒸してある餃子は苦手です。なるべく生餃子を買うようにしているのですが、なんか独特な癖がありますね。我が家の手作り餃子はシンプルな味です。
夕螺特製ダレの冷奴も久しぶりに作りました。
ニンニクと瓶詰めのザーサイを使います。
しかし今夜はニンニクばかりの味付け。。。。明日は匂うだろう。。。ハハハ
牛乳でも飲んで出かけなければ。

【2005年】
田口ランディさんの「ハーモニーの幸せ」を読みはじめました。
独特な体験をもとに人生を見つめますが、オカルト的な要素が強く、それを信じる信じないは人それぞれでしょうが、少々違和感があります。
。。。。遠くで雷。怖いのでパソコンを消そう。。。

【2006年】
東京は、雷雨が一時すごくて、電車も止まったようです。台風が行ったと思ったら今度は雷雨。ちょうど午後2時か3時ごろだったか。。。。
そういえば、昨日でなくてよかったです。
昨日はちょっとした親戚への贈り物を買いに電車で出かけていたところです。昼食を食べてから妻と待ち合わせて買い物を済ませたのですが。。。。
いつものように妻の買い物はなかなか買う品が決まらない。。。ううう
そうは混雑はしていないですが、立っているのが辛い。やっと買い物も済んで電車に乗ったらぐったり(笑)その上今日のように雷雨で電車が止まってはがっくりですからね。
今夜はステーキ。。。
アメリカの牛ではありません(笑)
珍しく和牛の肉が安売り!やはりアメリカの肉が解禁となると和牛も安くなるのでしょうか?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
台風4号の影響で

東京も朝から風が強かった

今、さっと大粒の雨が通り過ぎていった

雨雲が流れていきます

もうすぐ秋田あたりに上陸でしょうか?

台風が過ぎるごとに

秋めいていきますなぁ。。。。。。

帰宅して急いで洗濯物を入れたら

雨はやみまた蝉が鳴きはじめました

洗濯物はもう出すのやめた。。。

「乙女の密告」を読んでいます

複雑な仕掛けがある作品かな。。。。。
        (Pm4:06)

車で買い物

片側2車線の国道を走る

追い越し車線を走っていたら

向かいから黄色い中央車線をまたぎベンツが

びっくりして少しよける

ハンドルを握る手にでかい指輪

でんと動じないばあ様。。。。。。。

300メートルほど先の右折車線まで

あのまま突き進んだのだろう

右折車線はもう車がいっぱい並んでいたよ
        (Pm4:33)

【2011年】ツイッターつぶやき
知識は完全な知識や無知というものはない。
ある事柄に対する知識は、ある意味発展途上にある知識である。その知識の量や質は、例えば専門家と一般人とは差が出る。この人が営む複雑な分業化が進んだ社会はすべてこのような地智の所有状況に違いがある。しかしこのことを前提として人は社会を考え社会をより良くするために動き何かしらの形を作りだして社会をある程度安定化をさせて規律あるものにしていく。同時にこの社会自体も知識が発展途上にあるのと同じく発展途上にあり、知識も社会も変化をして長いスタンスで見れば発展をしていく。
社会はその分業が複雑になったからといってその専門家にすべてを任せているわけではない。政治が典型的でその専門家である政治家だけが政治を規定しているわけではないことはたしかです。政治家以外の知識や議論がむしろ政治を動かしている。そこに民主主義が存在をするわけです。もちろん国会内において多数決で手をあげるのは政治家の仕事なわけですが、それが専門家である政治家として規定するものではない。
このように専門家がその専門の社会的な責任を果たしていくわけですが、そこには絶えず一般人の考え方必ず入ってくるわけです。もちろん数学の政界とか一般人の生活にほとんど直接的な影響が出ないような専門的知識は、そこにおいてはほとんど一般人の考えは出てきません。しかしこの数学がいったん経済などに取り入れられてくるとその数学は一般人と接点を持ってきて一般人の考え方が働いてくるでしょう。
一般人はその専門的分野において専門的な知識というものは口出しはできません。しかし一般人もまた他の分野では専門家である場合があるでしょうしその他の分野での知識から口出しをすることができるかもしれません。または生活者としてからの知識があり口出しをすることができるかもしれません。こう見る方が一般人はその専門家に口出しはできないとするよりも口出しはできると考えた方が合理的ですし、実際の社会もこのような一般人が参加しながら様々な分野がといつ的な規律を持ってきます。民主主義です。
この一般人が専門家に口出しをするというものがある意味議論の保障であり、議論ならばどこかに正しいといった自分があるわけです。この一般人同士の議論がその専門家の説を変えていく。個人的知識や考え方が議論によって一般化されていきます。議論には賛成もあれば批判もある。昔から弁証法といわれるものがありましたが、専門家同士の議論、それを受けたその専門的な中身での一般人同士視点での議論、そして今のようにインターネットがあれば、専門家と一般人との議論も発生をしてきます。その中により発展した知識が生まれるでしょう。議論は矛盾を作りだす(というよりも矛盾を発見したり掘り出したりする)ことです。そして議論はその矛盾を少しでも解決した新たなものを生み出して発展をさせる原動力です。
ですから知識と議論は対をなしている。このあたりまえなことを忘れてはならないし、今やその議論は一般人でも参加ができるようになっているというある意味民主主義からの発展の速度を高める条件を作っています。そう、あくまでも「条件」です。この条件を生かすも殺すもまた社会や専門家の知識であります。そこにまた一般人が参加をして「条件」を現実なものに変えねばならないということです。

【2012年】2ツイッターつぶやき
遅い昼飯を食べようとファミレスに入った。
店内はがらんとすいてのんびりと。
そこへ息を切らせてバタバタと太った爺様が入ってきて僕の隣にドカッと座った。
サンドイッチとアイスコーヒーが来たので食べはじめる。
するとその爺様が腹を出した。
ぎょっとして何をするのかと見ていたらインスリンの注射。
なんだかサンドイッチを食べ始めたのだが食欲が失せる。
爺様が注文した料理が続々と運び込まれる。
スープに始まってサラダそしてメインディッシュ。
昼飯のフルコース
サラダには油が光るドレッシングがたっぷりとかかっていた。
早食いである。
あっという間にフルコースは口の中へ運ばれた。
それにしてもなぜがらがらの店内なのに僕の隣などに座ったんだろう。
食欲もなくなりそそくさと店を出た。
そういえば、このファミレス。。。。。
先日も端っこに座って朝飯を食っていたら
やはりがらがらの店内なのにオヤジが僕の隣にくっつくように座った。
食べ終わって立ちレジに向かう。
ふと後ろを振り向くとそのオヤジがかたずけも済まない僕がすわっれいた席に移動している。
もしかしてこのファミレス。。。。
指定席制度があり僕がそのオヤジや今日の爺様の席に座ってしまったのだろうか。

社会保障制度改革推進法が可決されると国民皆保険の制度の改悪により命も経済的格差にさらされそうです。リンクしたページのシナリオは考えうるものですが、野田政権の決める政治の一つでしょう。
国民健康保険で医療を受けにくくなるということは、大人だけの問題ではなく、子供の医療の受診にもかかわってきます。例えば1回の受診で5000円以下は保険が適応されないというものが出てきたら、それだけ受信できる機会が失われることになります。ただの風邪ならそれで済みますが、ただの風邪だろうと思ったら大変な病気だったという例もあるようですから、子供の命にもかかわる場合が出るでしょう。格差が命にまで忍び寄ることが大きくなります。保険料を支払うことも大変になっている社会なのに。
今後消費増税もありますからね。
生活保護の需給は自助が強調され始めていますから受けづらくなるでしょう。
じわじわと格差社会は命にも忍び寄ってきました。
命までにはならないまでも、消費増税で生活がどうなるかという質問に子供の教育費が大変になるという答えがあります。教育の平等も例え高校や大学が義務教育ではないとはいえ経済的な理由で行けなくなるならこれ自体が平等ではありません。この不平等さは子供の能力を押し殺すとともに将来の経済的な核さにもさらされる条件にもなるでしょう。
自公民政治がこのまま続くと日本はどん底まで落ちていくでしょう。国民生活がどん底までというだけではありません。政治や経済も民主主義もどん底まで落ちるでしょう。民主主義もどん底まで落ちる?そう、格差の拡大と経済的不平等さによる国民や子供の将来を切り捨てるようなことを正当化されればそれは棄民政策です。民主主義の最大の危機の一つでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
すみません。眠くなってしまったのでツイッターのまとめです。

消費増税はすべて社会保障に使うといった政策から今は消費増税は国家財政の健全化や経済回復のための政策となった。ですから10%では足りない25%だといった論理が。どこかで騙されていませんか?国民は。財政や経済政策のための増税(税制全般)がなぜ消費税だけなのか?
アベノミクスで利益を得ているのはどこでしょうか?輸出産業や銀行や証券直などの巨大機企業と投資家でしょう。もちろん法人税を払える企業が増えたことと思います。これを見ても財政や景気政策に必要という増税ならばどこから増税を求めるかが見えるはずです。
先ほど書いた企業のアベノミクスによる利益は、報道の中身では利益の中身はこれまでの株価の上昇と円安効果です。しかしこのまさにアベノミクスによる利益は国民には還元されない。しかしその国民に対して所得が少ない層に重くのしかかる大衆課税を強化するという。それを財政再建と経済政策にと。
税制全般の議論がどこかに消えて、国家財政の健全化には消費増税は待ったなしだといった論理が何の疑問も持たれないで大きな声で叫ばれること自体そうとう国民はバカにされているのではないでしょうか?社会保障がどうなってもいいのかと?しかし社会保障は消費増税があっても後退する面も。
企業の設備投資や生産拠点が中国やベトナムからミャンマーへ。中国やベトナムから離れるわけにもいかないのですが。アベノミクスによる企業利益は海外に流れるだけではないでしょうか?設備投資などという実体経済だけではなくて投資などに。その中で日本国民は「強い日本」のために消費増税に喘ぐ。
「今は賃上げとか時短とかよりも、むしろそのためにも、国際競争力のために企業利益は使わなければならない」といった論理が企業や国の常套句です。ですから労働者の懐には金は増えずに合理化です。そして国際競争力のために法人税減税。それでも競争力が弱くなればこの間見てきたような賃下げ。
昔の企業による設備投資は国内で行われましたから国内の雇用が増えてそれが賃上げの条件にもなりました。しかしグローバル化が進めば進むほど生産拠点は海外に。そのための資本輸出が進みます。はじめは現地生産と言われてアメリカにも工場が。しかし今のグローバル化は低賃金に。基本は市場の確保です
企業の無国籍化・他国正規化は、企業利益が本国に還元されないように動いていく。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
また「公共投資を主軸としたデフレ脱却策」が重要という主張が出始めた。(アベノミクス「第二の矢」でデフレ不況を打ち抜け)
筆者は内閣官房参与といわれる方なので政府内には一定の影響力のある方でしょう。
しかしなぜまた公共事業中心の経済政策が言われはじめたのでしょうか?
公共投資の中の行政投資という部分でしょうから公共事業が中心となる。
アベノミクスにおいても消費増税分を一部回す中で公共事業がふやされていますが、現在は第三の矢という成長戦略に入っておりその中でアベノミクスの限界とも言われる経済状況が出始めている。一方は日銀の更なる緩和を求めている勢力もあるが、これもこれ以上の緩和はすべきではないといった勢力とぶつかっている。そこで出てきたのが公共事業の更なる増加なのでしょう。
結局はアベノミクスをどう支えるかの議論ですからそうはアベノミクスが思ったようには進んでいない(デフレからの脱却も経済の成長も)現状を写しているのでしょう。
こういったアベノミクスの矛盾からの公共事業の拡大ですが、なぜ強調されるようになったのでしょうか?
公共事業を増やせば当然国家財政の支出は増える。その財源をどうするか?これ以上の国家財政の赤字は国際社会からの懸念を招きますし、国家財政の改善は国際公約にもなっている部分がある。そうすると増税や支出の縮小しかありませんから、増税では企業には法人減税を約束してしまっていますから当然来春からの10%への消費増税でしょうし、支出の削減はやはり社会保障や国民の生活に直接影響する予算でしょう。10%へは今の経済状況からは国民に説明できる材料がない。
そこに公共事業を行えば経済は発展しますよという国民への「期待感」を新たに植え付ける中での増税の実施でしょう。
政府は順調に経済の発展の方向性の中に日本はあるといっているわけですが、その中でなぜ公共事業の必要性が出てくるのでしょうか?やはり日本は物価が上がっているにしてもそれは悪性の物価高でありかえって経済の悪影響が出ているとみるのが正しいでしょう。その中で不況時には公共事業という自民党のお家芸が復活をする。しかし公共事業というのは不況時に国家財政で経済を安定化するが、好況時には税として回収しなければならない。しかし自民党政権の歴史から見ればばらまきはやるが回収はしないで企業利益を守るというものでそこから国家財政の赤字も増えてきたわけです。この意味では上に書いたように企業には法人減税を行いながら財政赤字を増やさないためには消費増税しかないと考えていると見たほうがよいのでしょう。
社会資本の整備は、今の日本では高度成長期に一気に作り上げてきた社会資本の老朽化の補修が必要になっています。地方でも新しい橋よりも古くて危ない橋の改修が言われている。しかし公共事業は東京オリンピックに向け首都圏整備に向かうでしょうし、地方にはまた1億円のばらまき程度でしょう。リニアモーターカーや計画にある高速道路の整備。
そして箱モノ行政の復活か?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
アメリカの北朝鮮への軍事介入が起きようとしている。そして今度はベネズエラへの軍事介入を勧めようとしている。
アメリカは昔から政権の危機があると他国を攻撃してアメリカの正義に国民を統制しようとした。
トランプ大統領は就任当初からこの国民の統制と自国第一を掲げていた。車の両輪のように。
経済と政治においてアメリカ ファーストという自国主義を行うのですが、それは経済的には自国保護主義であり、政治はアメリカを中心とした同盟の強化になる。そしてこの政治は軍事行動となる。
案外このアメリカ ファーストの危険性の最も高い状態に置かれたのは日本かもしれない。ヨーロッパにおいては反トランプ的主張が高まったが、日本においてはトランプ追従が明らかになりつつある。
日本は多額の投資をアメリカに行う。アメリカの経済(株価)を支える役割を行うでしょう。そして軍事面では集団的自衛権の中に置かれて、日本は「自発的」に北朝鮮からのグアム周辺へのミサイル攻撃があった場合、それを撃ち落とすと。もちろんこのようなことが法的に許されるのかの疑問は深まっているし、実施した場合には北朝鮮への宣戦布告のようなものになるでしょう。アメリカと北朝鮮との軍事行動ではなくて日本と北朝鮮との軍事行動になるかもしれない。の本国内は「積極的平和主義」(軍事的解決の一種)で拉致問題解決をという機運は強いでしょう。そして日本人も血を流すべきという論理も。
結局アメリカの利益のために日本は働くことになる。
○○ファーストが日本でも流行りそうである。

【2018年】ツイッターつぶやき
LNGの巨大プロジェクトが世界的に進むらしい。中国やインドの発展もありLNGの不足が懸念されはじめたという。日本も原発に頼らない電力が模索されはじめており将来的には再稼働もなくなるでしょう。その場合再生可能エネルギーの不安定さを補うためにLNG火力発電は不可欠でしょう。
しかしこのLNGの開発を邪魔しているのがイランLNGを世界に輸入させないようにするアメリカのイラン合意からの離脱です。
ドイツでは脱原発が進められて再生可能エネルギーの不安定さを補うために火力は不可欠です。そこでロシアからのパイプラインを引くことを進めていますが、このパイプラインがウクライナやポーランドを迂回するルートであり、ヨーロッパの安全保障上から懸念されるという。
シベリアの天然ガスをパイプラインで日本へという構想もあるがこれも日米同盟から簡単には進まない。
日本にしてもヨーロッパにしても安全保障上はアメリカが主導権を握っている。アメリカのエネルギ輸出というアメリカの利益はアメリカ経済でも重要でしょう。
結局世界はアメリカの保護主義による利益優先がエネルギ問題をも複雑化させているのでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
川上さんが住む東京は6月ごろは長い雨続きで日照時間は短くて気温が上がりませんでしたね。わが家の花たちもどんよりとしていました。
池もどんよりと。。。。。。ボートを漕ぐにもどんよりと。。。。。
タヌキもどんよりと庭を横切る。。。。。
産後の体もどんよりと。。。。。。
6月はどんよりの一カ月でした。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
デカダン
この言葉は相当幅広く使われているようです。
退廃、荒廃、猜疑心と悲観、反権威。。。。。。
そしてこのようなものを生活や思考の中に取り入れて生きようとするデカダンス
これは思想や芸術面として現れてくるようですが、その背景には政治の退廃や後輩そして経済を含めた没落と衰退の中に現れてきます。
デカダンの対義語とはなにかはわかりませんが、一つにここ数年多く見られるようになった「ニッポンすごい」という大衆的国家観があると思いますが、政治に白経済にしろ没落と衰退が隠せなくなった時にその延長線上としても反動としても退廃や後輩につながるという面ではデカダンの逸出思われます。
このデカダンが大衆の中に現れてしまうのはある面社会から疎外されている中で仕方ない面もs利ますが、実は政治や官僚組織あるいは企業組織の中にも広がり、マスコミや知識人がこれを大衆の中にデカダンスをさらに煽るようになります。
政治に理念や理想がなくなり何でもありになります。その政治を支える官僚も何でもありになります。そこに忖度するマスコミなどの人々が何でもありとなります。理念や理想がないですからそれは荒廃であり退廃につながっていく。
時には平和を脅かす言動にもつながっていきます。排外主義というデカダンス。
残念なことですが、現在のコロナ騒動の中にも政治経済はアベノミクスと出口放棄の日銀緩和が続いて現れ、国民不在の政治と経済がコロナ対策にも現れてしまい、政治は官僚の人事権を奪って政治主導になったかと言えばそれは表面的であり、実は安倍内閣に乗っかった官僚の独裁が生まれて無能な政治を支配しはじめている。数の力を持つ政治が腐敗をしていますが力だけを持つのですから、コロナの専門家をはじめ専門家や知識人そしてマスコミが忖度を始める。
結果コロナ対策についても国民を納得させる政策にも示せず、責任を地方自治体と国民一人ひとりへの自己責任という無政府的な状態となっている。
政治や国家組織自体がデカダンス状態。
その国家組織に置かれている国民もお盆休みにしても東京から規制する人に露骨に帰れという人も現れ、逆にマスク拒否者やコロナなど怖くないとして観念的な自由(間違った反権威)を社会に広める人も現れる。
もちろん冷静な国民そして専門家や知識人が多いですし、まじめなマスコミや政治家官僚も多いでしょう。しかしここに組織性がなくなっている。
野党の仕事はこの組織性を作ることにある。
組織性は団結です。そして団結は思想(理念)です。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京都のモニタリング会議で、専門家は「かつてないほどの速度で感染拡大が進み、制御不能な状況で、災害レベルで感染が猛威を振るう非常事態だ」と指摘したうえで「医療提供体制が深刻な機能不全に陥っている」として、極めて強い危機感を示しました。
(以上NHK)
感染急拡大に対して制御不能だとするが、制御らしきものを行ってきたのだろうか。
この1年半ずっと標語のようなものを都民に示し、カタカナ英語を羅列してレインボーブリッジを赤く染めたことぐらいしか思い出せない。そして都民に対しては自粛という自己責任を負わせただけである。自己責任を都民が果たさなかったから制御不能になったという責任転嫁である。
今になってもPCR検査を多く行い臨時病棟など医療従事者の省力化をし陽性者を隔離できる体制を否定している。その結果が自宅療養という過酷な自己隔離を強制する。
自己隔離としての自宅療養も医療的な処置も行ってもらえず食料さえ家族や知人に運んでもらえとなった。
都民が生きていくことを支える公助は基本的なところでさえなくなった。
コロナ対策という公助部分を否定するということは、たんにコロナ感染急拡大に対して制御不能となっただけではなく政治が制御不能となってしまったのです。

【2022年】ツイッターつぶやき
テレビを見ていたら、ライン川が渇水状態だそうで、ドイツでは貨物の運送が困難になりつつあるそうです。ライン川というヨーロッパの太河が渇水というのはスイスのアルプスの方での異変があったのでしょうか。
火力発電所の石炭の輸送ができなくなれば発電所も機能しない。一方ウクライナ問題では天然ガスなどの供給が不安定になっています。
どいつでは今年の冬は暖房設定が19度になりそうです(公共施設)。
しかしたしか去年はライン川の氾濫がありましたよね。
自然の帳尻合わせというのか。。。。。。
世界的な熱波の影響らしいです。
ということは自然の帳尻合わせは冬の大寒波にもつながるかもしれません。するとドイツは相当苦しいですね。
それは日本も同じで円安誘導でのエネルギーの値上げと対ロシアの関係で日本のエネルギー事情も同じでしょう。
自然の帳尻合わせに対応できなくなる社会体制。
コメント
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