夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「8月15日という日」

2024年08月15日 12時42分26秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
「 GDPとGDI 国内総生産(GDP)は一国全体で一定期間に生み出されたモノやサービスの付加価値の合計額。景気や経済力を示す代表的な指標とされる。GDPが生産と支出の面から経済活動を捉えるのに対し、国内総所得(GDI)は所得面から把握して日本全体の購買力を表す。実質GDIから実質GDPを差し引いた金額を交易利得と呼び、マイナスなら交易損失となり海外に所得が流出していることを示す。」(東京新聞
GDPはある程度上昇しているが、GDIはコロナ以前から回復していないそうですから海外に所得が流出していることになります。ネット上では、岸田総理の海外へのバラマキのひどさを言い、国内で災害が起きても動きが遅いという批判がありますが、まぁ、これは象徴的な見方ですが、ある程度今の政治経済を言い当てていると思います。
税と社会保障費用そして国債の償還で、日本は六公四民と言われています。企業利益や投資に利益が流れる半面、汗水流して働く人の生活水準が落ちている。
こうした結果が購買力を下げますし、その個賠力の減少の分が海外に流れる。

≪過去の記事≫

【2003年】
今日も雨です。それも秋を思わせるような寒い雨。昨夜はタオルケットだけで寝たら、夜中に寒くて起きてしまいました。
まだ雨が降っていますし肌寒いのですが、蝉君は一生懸命に鳴いています。なんかやけくそで鳴いているみたい。
神奈川では大雨警報。東京でもだいぶ降りました。

【2004年】
昨日よりも気温は10度低くなっているそうです。過ごしやすいです。
息子が破けた汚いジーパンをはいているので、もう捨てろといったら、買ったばかりだという。値段を聞いたら目の玉が飛び出るほどの値段です。ぼろぼろで洗濯をするのが怖いほどです。。。。。ハハハ
もう何ヶ月ぶりだろ・・・家族4人で買い物に行きました。
今夜は夕螺特製の角煮です。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
終戦記念日

昨日の東京大停電はすごかったようですね。って、東京に住みながら朝寝坊をし、植木に水をやったりパソコンに文章をアップしたりで、10時半ころまでテレビも見なかったのでびっくりしました。大都市の脆さという言葉を時々来ますが、今回の停電もそうですね。
今日の新聞では、その切れた電線に昇って作業をする東京電力の方(下請けの方)?の写真がありましたが、僕のような高所恐怖症の者にとっては写真を見ただけで手のひらに汗が浮かんでくるような所で作業をしていました。たぶん数人の方の手によって復旧がされたのでしょうが、その数人の方の手にものすごい電力供給の大動脈が支えられていたということか。もちろんその人たちは、作業を指示されてやっていたのでしょうが、それにしても現場で作業をする人たちの手というものは大切なものです。
社会の中にはこういう人たちがたくさんいて成り立っているはず。。。。それは、社会を支えているということで再認識が必要ではないかと思います。
こういう地味な所で社会は支えられていること。。。
今これが忘れられようとしているのではないかと思います。あるいはないがしろにされている。

【2007年】
熊谷だったか?気温が40度を超えたそう。
東京もすごい暑さでした。気温は35度ほどでしたが時々風がほとんどなくなり、蒸し風呂状態でした。まったく温泉の脱衣場状態。。。。
水分補給をと、いくら麦茶を飲んでもすぐに汗となる。尿の回数が減ったみたいです。これではいかんとまた飲む。そしてまた汗となる。。。。
体力の消耗が激しい。
それでも夏は食欲があるのでどうにか元気にやっています。
終戦記念日ですなぁ。
いろいろな思いでこの日を迎えた方がいらっしゃると思います。同時に戦後生まれが圧倒的に多くなり、その戦後生まれが戦争や終戦を考える時代になってきました。これは日本だけではなくて、終戦の時期がいつかの違いはありますが、世界中に共通することです。終戦を戦勝記念日ととらえる国もあるのは当然で、開放記念日ととらえる国もあるはず。その中でその国においても戦後生まれがこの日を迎えているわけです。
この新たな世代による社会作り。
それがどのような意識として現れてくるかが問題でしょう。
終戦記念日・戦勝記念日・開放記念日、それぞれに戦争認識やその歴史認識が違うわけで、すぐにはお互いの理解を埋めることが難しいと思いますし、時間のかかるものだと思います。これらを共通のものにしていく努力と同時に、それは今の現時点で戦争を始めようとする動きに対しては、国際的に抑える役割をどのように強くしていくかが問われるわけで、それが第二次世界大戦が終結した世界的な意識の記念日としなければならないでしょう。

話はまったく関係のない話になりますが、少しサイト上でややこしいことになっています。もう僕からはお話はやめようと思いますが、僕には僕の思いがあるわけで、こちらの日記にもそのあるサイトに書いたものをコピーして残すこととしました。
<覚書  夏生さんのサイン会について>

なんか、僕のことですみません。
サイン会情報のお話から楽しくこちらでも僕の掲示板でもお話させていただいたことはうれしかったです。
しかしのんきな僕も「はっ」と気づいたのです。そう、サイン会といえばほとんどが女性ばかりですし、僕のようなおじさんがいけば目だってしまうなぁと。このへんの気持ちは、僕の掲示板1917,1919の書き込み
http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=yuura&dd=29&re=1895
で書いたとおりでして、のんきそうに書いていますが、心落ち着かないものがありました。ですからその後のサイン会に行くかどうか、整理券を手に入れることが出来たかというお話の中では玉虫色(笑)にならざるを得ませんでしたし、遠くから夏生さんのお顔だけ拝見しようかとも思いました。
でも、人の前に出てくることがなかった夏生さんがファンのためにもサイン会を開いてくださることに感動をし、同時にお会いしたいという僕の気持ちも抑えられなくなり、清水の舞台から飛び降りる気持ちで参加しました。
また、サイン会に参加しての感動を書こうかどうか迷ったのですが、舞台に夏生さんが緊張しながら上がっていらしてまず「恥ずかしい」と小さなお声で司会者にお話したようですが、そんな夏生さんを思い出して僕も一人のファンとして感謝の気持ちと感動の気持ちを素直に書こうと思い書きました。
いくつかのブログでサイン会にいらした方の書き込みを読ませていただきましたが、感動で涙が出てきてお話もあまりできなかったとか、その感動をお書きになっていました。情報ではありません。心の中からの「銀色夏生さん、心のこもったサイン会をありがとう」という気持ちなのです。僕の心もそこにあります。
ファン一人ひとりがそのような感想を夏生さんにお伝えすることが(もちろん届くかどうかは別にして気持ちとして)僕たちファンのできることではないでしょうか?
たしかに東京まで出てきて整理券を買い、また当日来るというようなことができなかったファンの方もたくさんいらっしゃると思いますし、その方にも感動を伝えたいという気持ちは僕にもあります。僕の感動を掲示板などに書いたのもこのためでもあります。しかし情報としては、幻冬舎が公開する写真や雑誌「Papyrus」でも夏生さんがお書きになっていたサイン会レポートを待つしかありません。もしかしたら今月28日号には夏生さんのお写真も含めてサイン会のレポートを見ることができるかな?と楽しみにしているファンもいらっしゃるのでは?もしレポートが出ているようでしたら、それを情報として皆さんにいち早くお知らせするということが僕たちファンの「情報を提供する」という中身ではないでしょうか?
僕は以上のように思っています。
今回の書き込みで、僕の書いたものへの疑問という内容の書き込みでない限りこれで僕からの今回の件についての書き込みを終わりとします。
もちろんこれからも○○さんをはじめ、こちらにいらっしゃる方々と楽しくお話しをさせていただけることを楽しみにしております。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
リストラ経済学

もう何年この方向で政策が進んできたか

もちろんリストラ経済学という言葉はない

しかし企業が生き残っていくには。。。。として

行われてきたのがリストラによる国民生活の低下だった

リストラ。。。。。

何も首切りというだけではない

合理化である

一方における過度の労働と。。。

一方における失業

競争原理は自身の賃金を下げる

そろそろ気付かないと。。。。。。

公務員の給与削減?

昔は給料が安いからと公務員のなりてがなかった

今はうらやましがられる

うらやましさが嫉妬になり反対はしない
          (Am8:25)

夏生さんち(HP)に行って

種を蒔いてきた。。。。アハハハ
          (Am9:11)

     2010年第43回芥川受賞作 「文藝春秋」9月特別号
とても難しい作品でした。
どう理解したらよいのかその意味において難しい作品です。
結論はユダヤ人である自分を捨ててオランダ人になると語るアンネをその時点で死んだものとして「他者」になることを批判をし、主人公の「みか子」はアンネを密告する。。。。。。
読み方によっては、自分というものを見失うことなく嘘や噂の中に生きる「乙女」を否定をして真実を語るという教訓として受け取れますが、なぜみか子はゲシュタポの手先となってアンネを密告する必要があったのか?こう見ると釈然としない結末です。
アンネは密告された。ただユダヤ人だからという理由で。みか子はバッハマン教授との関係を噂されるという理不尽な形で密告された。ここにアンネもみか子も自分には関係のない事柄であるという共通点の中に密告されたわけだから、そのみか子がなぜアンネを密告しなければならないのか。ここにこの作品を理解するうえでの難しさやどう理解したらよいのかというすっきりしないものが残るのである。
みか子は「乙女」である。
今は耳にしない「乙女」にトギマギしてしまったが、どうもこの「乙女」がキーワードなのだろう。世間では耳にしない「乙女」たちが狭い空間世界である外語大学の中に生息をする。自らを「乙女」とし、「乙女」は噂が広まることがその狭い世界では真実とされる。真の真実はどうでもいい。こんな狭い世界に命をかけるまでに「アンネの日記」を暗証させられる。
この狭い世界」の怖さの中に狭く生息する「乙女」なのである。
この狭さは、アンネが隠れ住んだ狭い各誌部屋の空間的狭さと「乙女」が生息する外語大学という空間の狭さを感じ取れますが、怖いのは、「乙女」たちの噂を真実だとおくような精神的な狭さなわけで、この精神的狭さは、国民全体が根拠もないものを真実として動くような精神的な狭さとしての全体主義的なものなのです。ユダヤ人を密告することは真実を言ったらいつ自分も密告されるかわからない狭い精神的空間なのです。
14歳?のアンネは隠れ部屋という狭い空間にいた。しかしその少女の心は恋もして戦争が終わったらオランダ人になるという迫害されない自分を夢見る。微塵の精神的狭さはない普通の少女であったはずである。それをなぜ。。。。
「『アンネフランク』とは一体誰ですか。ミープがあんなに必死で守った少女は一体何者ですか。乙女の記憶からはアンネの本当の姿が奪われます」                 (文藝春秋420ページ下段)
となるのか?
幸せを夢見ることが「他者」になることか?幸せになるためにアンネは誰かを密告したか?ここにこそアンネに見る「乙女」の真の姿がある。みか子たち外語大学の若い女性にこそ「乙女」は失われている。
外語大学の「乙女」たち。。。。。「一体何者ですか」
何者かわからないみか子がわけもわからずにアンネを密告しますと。。。。。「乙女の密告」とは?
これをブラックユーモアとしてみたらよいのか?著者はこのブラックユーモアを描いたのか?ならばこの作品には多少の面白さがあるが、ブラックユーモアはブラックユーモアだとわかってこそその価値がある。
作品で表現したく思う中身は著者の考え方が出るわけだからその考え方への批判だけでは書評とはいえない。というなかで、その作品的な好し悪を見ると、読者を混乱させるほど技巧が先に立ちどうとらえたらよいのかがいつまでも残ってしまう。それはやはり著者の考え方がわかりやすく出ていないということにつながる。
「アンネは忍耐したのだ。アンネはユダヤ人である自己に忍耐したのだ。アンネはユダヤ人故に死んだ」   (同423ページ上段)
そうではない。
アンネは「乙女的社会」と「乙女的国民性」の中に忍耐をしそして死んだのだ。精神のうちに死んだのでもない。
「乙女」を密告せざるを得ない。
(もう少し釈然としない部分が。。。。また続きを書くかも)

今、「乙女の密告」の選評を読みました。
いつもより字数の多い選評であったと思います。それだけ「乙女の密告」を評価したり、評価しなかったり疑問を呈したりするにはこの字数が必要だったということでしょうか?
評価する選考委員と評価しないあるいは消極的だった選考委員が半分に分かれ、特徴的なのは、男性選考委員があまり評価せず、女性選考委員が評価するという形になっているのではないかと思います。
小川洋子さんは、みか子が最後にアンネを密告したことについて「それはアウシュビッツに送り込むための手段ではなく、アンネを本当の居場所に安置するための密告である」とお書きになっていますが、それではなぜみか子はアンネがユダヤ人であると密告する必要があったのか?なぜ密告する必要があったのかが理解できなくなる。アンネの誇りを守るため?それにしても他者的な判断である。みか子も乙女の中で密告されていたわけだから、そのみか子がアンネを密告する理由は何もない。むしろみか子は乙女に密告される中にアンネと重ね合わせて悲惨さをアンネと共に乙女を密告しなければならなかったはずである。
これと同じものが、黒井千次さんの「自己のアイデンティティーを問い直さざるを得ぬところで話は結ばれる」という言葉でしょう。
みか子は誰にアンネを密告したか?ゲシュタポにである。それは弁論大会会場にいる乙女たちにである。麗子様は「無口なアンネ」という言葉を捜してストップウォッチを置き姿をけした。麗子様は逃げたのか?みか子は「今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!」という言葉を得て「私は他者になりたい」というものと重ね合わせる。そしてアンネを密告するのだが、アンネにユダヤ人の誇りなどを保たせ他者になることを否定するためにみか子は密告したのか。。。。アンネにしてみれば余計なお世話である。あんたが乙女に密告するようなものではないでしょうと。
「アンネ・フランクの日記に記述されている苦しみは、アンデンティティーを否定しなければ生きて行けなかった、というものです。その苦しみと、『乙女』であることについての主人公のアイデンティティーのしかたのつながりは、わたしはほんの少しの危惧を感じました。」という川上弘美さんの言葉が印象的でした。村上龍さんがお書きのようにこの作品は「誤解を生みやすい」のであり、読み方によっては余計なお世話から他人を貶めることにもなる。
宮本輝さんが「ユーモア小説として読んだが」としてしかし乙女の世界とアンネをリンクさせる手法は支持できないとしている。そう、ユーモア小説である。ブラックユーモア小説である。
石原慎太郎さんは、「日本の現代文学の衰弱を表象する作品の一つとしてしか思えない」と厳しいご意見だが、この作品は石原さんもお書きのように「人工的」で、山田詠美さんがお褒めになる「言葉が一番!」的な意味ではよくできた作品ですが、文学の技法からすれば著者は頭がいいと思います。しかしその中身の整理となるといろいろな疑問が出てくるわけです。どのようにとらえるかでは雲泥の差が出る作品に仕上がっている。よく新書などを読むと社会批判などが書かれこの著者はよく考えていると感じるが、最後まで読むとなんてことはない啓蒙書だったということがある。これと同じ性質をこの作品には感じるのです。

【2011年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美 様
東京日記を拝読させていただきました。
何もかもが、そっくり。。。。。いよいよ「一美ちゃんのこと」の世界が川上さんの現実の世界に現れましたね。それとも以前から同じようなご経験から「一美ちゃんのこと」をお書きになったのでしょうか。
「ふくろうがホウと鳴いたので、一美ちゃんが訪ねてきたことがわかった。」
クローンの一美ちゃんはもちろん命ある人間ですから近づけばセンサーのフクロウは「ホウ」と鳴く。
しかし人工的なフクロウが他の人なら「ホウ、ホウ、」と鳴くのに一美ちゃんの時は一度しか鳴かない。
人工的なフクロウが一度だけ「ホウ」と鳴く。。。。怖いですなぁ。。。。。
「ユモレスク」の流れるような公園の池。快活で気まぐれな世界ですから白鳥がアヒルになっても。。。。。
この暑さの中、ぼうっとして歩いている僕は、実際の僕なのだおるか?もしかしてクローンの僕なのだろうか?わかりにくくなりますね。もしかして何もかもが、そっくりな世界にいらっしゃる川上さんがクローンなのか?実物だという自信がおありですか?しかし生きていることには変わりがないですなぁ。。。。快活に気まぐれに。。。。あの曲に乗って生きましょう。
                   敬具

親父が入院をしていて一時は廊下を一人で歩くのもままならない状態でしたので横に並んで腕をとって支えてあげました。
それを見ていた娘が「おじいちゃんとお父さんの後ろ姿はそっくりだよ」と言いました。
遺伝子がつながっているんですね。本来の生物的な半分の遺伝子のつながりに人の容姿や個性の妙味があるんですなぁ。100%生粋の遺伝子のクローンはやはり楽しきないかもしれません。

【2012年】ツイッターつぶやき
終戦記念日。。。。玉音放送での敗戦を国民に知らせた日ということでしょうか。
昔から何度もこの終戦記念日のニュースや特別番組などで終戦を国民がどのように受け止めたかとなると人さまざまなようです。しかし国はもちろん国民の総意は二度と戦争をしないという決意と亡くなった方のご冥福をを祈ることでしょう。これは憲法にも生かされているわけです。
しかし、案外この二度と戦争をしないという決意は、憲法で書いてあるからだといった法的見解といったようなものであったということでもあった。
終戦記念日は敗戦の日でもあるということでの日本人の心には複雑な感情を残している。
終戦記念日を国や国民の二度と戦争はやらないという平和宣言の日という位置づけは難しくともおこなっていかなければならないのではないか。本来ならば戦後の復興を終えて高度成長に移行した時期に行うべきだったのでしょう。しかし現実は逆で自衛隊ができ、安保は集団的自衛権に踏み込む動きは常にあったし、9条の問題が繰り返し改憲として提起された。
今はこうした動きが急速に高まっている時期なのでしょう。すると終戦記念日の居続けも変わってくるでしょう。今後は。
中国と韓国そしてロシアとに国境問題があり、常に周辺諸国と不安定な状態が続いている。そこに終戦記念日の意義も強い日本の復活に結び付く。この時、どうしても軍事面がわかりやすいし戦争とは言わないまでも軍事力を背景とした外交が言われる。今までは経済力を背景とした外交でどうにか平和的な関係を維持してきたが、経済の落ち込みの激しさはその軸足を軍事に向ける。
しかしそこからは何の解決の道は導かれないことを国や国民は本当は知っているはずです。しかし一度軍事面での対立と感情的なぶつかりが大きくなると、精神論が大きくなってくる。経済や平和といったものよりも国の誇りなどが強くなる。国民もわかりやすいから受け入れやすい。
こうした動きは今回の消費増税問題や原発事故とその後の再稼働問題など、国民生活と関連するものが大きいことを見なければならないだろう。
国民が個人を忘れ、個人の生活の発展と、この個人の自由とそれを守る民主主義を自らが精神面で否定をしだすと経済的社会的個人は軽視をされ始めて、今回の民自公による独裁的な国会勢力で消費増税も決まってしまうということである。
国民生活の生き方や生活の楽しみ方なども含めて選択肢は総体的にも個人的にも狭まってくるだろう。

【2013年】ツイッターつぶやき
今日は68回目の終戦記念日。
この終戦という言葉にはいろいろな意味合いが込められているのでしょう。そして終戦という言葉に対しての思いが。
今日の朝日新聞の「天声人語」に、角川書店の創業者である角川源義さんの言葉について語られている。
8月15日は終戦ではなくて敗戦の日だと。
先の大戦では約300万人の軍民合わせて日本人戦没者がいたという。そのうちの200万人が最後の1年でなくなった。この1年という時間を遡って日本が戦争をやめていたら(終戦)少なくとも200万人の方の命は亡くさずに済んだ。沖縄戦・空襲・原爆など民間人の命を救えただろう。その意味では8月15日は多くの命を亡くした中の一番不幸な状態をつくりだしての敗戦だったわけです。8月15日は無条件降伏と基本的人権や平和的な政治などを要求したポツダム宣言を受諾したわけですから歴史的にもどう見ても敗戦の日でしょう。
しかしなぜ日本では敗戦の日ではなくて終戦記念日が一般的になったのでしょうか?戦勝国には戦勝記念日があったり解放された国々には解放記念日があるわけですが、敗戦国としては敗戦記念日といった名称は持ちずらいでしょう。そのような意味でも終戦記念日になったのでしょうか?
しかしこんな単純な理由だけではないでしょう。
1945年にポツダム宣言を受諾して日本は新しい憲法の発布に向かいます。そして翌年46年5月にはGHQの指導下において起草されたとしても大日本帝国憲法73条の憲法改正手続きによって11月3日に公布され翌年5月に施行された。もちろんこの新憲法の戦争と平和に関する条項の中心となるのは9条でしょう。
日本はこの新憲法により敗戦から終戦へと向かったのではないでしょうか?ただの敗戦なら戦争は再び起きることがあるが、終戦は9条にあるように二度と戦争は行わないという意味にもなります。先の大戦を終わらすそして今後も日本は戦争を終わらすといった意味合いになります。このような意味合いからの日本人には終戦だったと同時に戦争を二度と行わないという意味での終戦がダブっていると思います。
ですから終戦記念日では、戦没者への思いと二度と戦争は行わないことが語り続けられたと思います。そして侵略戦争での相手国への思いと(侵略と植民地化の違いがどこにあるかの議論はあると思いますが)。
ですから終戦という言葉は9条なくして語れないものでしょう。
厳密には8月15日は敗戦の日です。しかしこの日から終戦に向かうこととなり11月3日が終戦の日ということになるでしょう。世界的に見ても類のない戦争を終わらせる日としての終戦記念日です。

【2014年】ツイッターつぶやき
まずツイッターから
戦後レジームからの脱却としての終戦記念日。不戦の誓いから積極的平和主義へ。
戦後レジームからの脱却は世界史レベルからすれば、敗戦国だが戦前の日本を世界は認めよというものでしょう。それは戦後の世界秩序の否定への挑戦でしょう。しかし、日本は敗戦国だから戦前の日本を否定されているのではないでしょう。
今日は敗戦の日ではなくて終戦の日なのです。
「終戦という言葉は9条なくして語れないものでしょう。 厳密には8月15日は敗戦の日です。しかしこの日から終戦に向かうこととなり11月3日が終戦の日ということになるでしょう。世界的に見ても類のない戦争を終わらせる日としての終戦記念日です。」(旧ブログから)
戦後レジームからの脱却とは、終戦記念日ではなくて敗戦の日という色合いが強い。
この敗戦意識だけが残り、終戦としての平和主義を薄める中に日本の誇りが語られはじめる。戦後平和主義によって自国民も殺されずに他国民も殺さずに済んだ日本人の戦後の誇りをも薄めていく。

日本人は戦争に負けたから誇りを失ったのか?
しかし国として本当に誇りを持てる状態だったのだろうか?兵士も国民も飲まず食わずの状態で国民はB29に対しては竹槍とバケツリレー訓練で。原爆そして東京大空襲や沖縄戦などでの市民の犠牲者。戦士の状態は「戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち」という記事があった。
自国の兵士や国民を多く犠牲にしたと同時に中国や朝鮮半島の国民への謝罪は今も続いている。

続き

侵略だろうが「多大な迷惑をおかけした。。。」などと言葉は違うが軍事力を背景にしたアジア政策による加害国として戦前の日本を否定してきた。
こう見ると戦前の日本の誇りは揺らぎざるを得ない。
日本の誇りは敗戦を機にした終戦後の日本にある。
しかしこの戦後の日本を自虐的とした中に戦後れレジームからの脱却が位置付けられてきている。少なくともネットなどにみられる発言にこの傾向があり、一つに日本人が見えていることに間違いはないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
安部首相は戦没者追悼式で次のように述べている。
「私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命を捧げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。」 (ハフィントンポスト)
日本の加害責任は海外の国民に対してと、日本国民を戦争に巻き込んでしまったことに対して国としての責任がある。「平和と繁栄は、かけがえのない命を捧げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれた」という言葉には、諸外国に対しても自国民に対しても国の責任が感じられなくなっているのでしょう。
多くの兵士と国民を犠牲にした戦争を引き起こした国の責任において、その犠牲を見なくてはいけないでしょう。
戦争での犠牲を国のためという面だけを強調してはならないでしょう。
総理大臣は国家を代表しています。ですから先の戦争を引き起こして多くの国民を犠牲にした責任を国家として反省をしなければならないし、これからの国家を戦前のような国家にしないことを約束しなければならないでしょう。
もちろん国家は人が作り出したものですから、その国家をつくった指導的役割をした人たちの責任はありますし、広く見れば国民全体の責任だったはずです。しかし変化していく国家がまた人を作り出してしまいました。この相互作用が過ちを犯した国家として仕上がりました。
平和を作り出すには、9条の理念を真の反省として守り、その理念に近づいていく国家を作り出さなければなりません。これが諸外国への真の反省となるでしょう。
韓国に10億円渡したから慰安婦問題は終わりといったものではないはずです。

【2018年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストに30代は開戦前に敗戦をを予測 歴史に埋もれた総力戦研究所から学ぶこと(終戦の日)という記事があった。
「1941年8月に日本の敗戦は予測されていた。4ヶ月後、同年12月には真珠湾攻撃が始まる。そんな年の出来事である。
 予測したのは戦後に日銀総裁、東芝社長などを務めることになる将来を有望視された30代たち。彼らは国の命令で集められ、もう一つの内閣を作り、詳細なシミュレーションに取り組んだ。」(上記リンクページより引用)
30代の若い人たちが科学的な分析ともいえるものから導き出した結論は「日本必敗」だったという。
その分析の重要な部分が石油の備蓄だったという。結果開戦してからこの石油不足は明白になる。
本来ならばこの結論から日米開戦は回避されたかもしれない。
しかしこれを阻止して回線開戦に導いたのが石油備蓄データの隠蔽と南方の油田を占領という楽観論そして精神論だったようである。
今年に入ってから公文書の隠蔽や改ざんが問題化した。そしてそれに対して政府は根本的な解明を行っていない。
アベノミクスの6年間は、国民に対する「期待」と経済政策での言葉による楽観論だったともいえる。
2020年オリンピックに向けて「大和魂」という言葉が復活しつつある。精神論はすでに企業による労働者への労務管理として進められてきて「会社のため」というものから労働組合は弱体化し、労働者は低賃金とチュ時間労働と休暇の自粛。これは政府による公助から自助へという変化にも現れている。国民は国家のために、個人の問題は個人で自己解決。。。。。。福祉や社会保障は軽視され、消費増税が社会保障に回らなくなっている。
結果は経済的敗戦になりそうである。ある意味日本必敗である。
自民一強と自民党内にも安部一強。全体主義は進んでいく。忖度政治や忖度官僚機構そして忖度経済団体は今のままでは科学的な分析と方向性は精神論の前に消え去る。
しかし今の内ならば経済的敗戦で済む。ここからの復興を考えるべきでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
おやじビキニ。。。。。。
いいですなぁ。
先日テレビニュースで中国のおやじがTシャツなどをおっぱいの下までたくし上げて涼を取るのが風習のようになっているというのをやっていました。
おやじビキニです。
さすがにこの姿は日本にはない風習ですから外ではできませんが、部屋の中ではやってます。
涼しい風が臍をなでていく(笑)
腹だけが涼しいくなるだけではなくて上半身全体が涼しく感じます。
若い女性が臍を出して歩いていますが、確かに涼しいだろうなぁと思います。
親父がでかい腹を出して歩く姿は確かに見栄えはよくありませんね。中国では国家の近代化のために寄生規制するような動きがあるようですが中国でも下町はあるのでしょうから古き良き風習として残すべきですなぁ。
日本でも昔は夏にはおやじがステテコ姿で路地など歩いていました。今では見かけなくなりましたね。海外旅行でもホテル内をステテコ一枚で問題になったこともありますが、ステテコ一枚はおやじのシンボルでした。

【2020年】ツイッターつぶやき
終戦記念日。
安倍総理は全国戦没者追悼式で、先の戦争でのアジア食への加害を口にせず初めて積極的平和主義を口にしたようです。
このブログでもこれまでこの「積極的平和主義」について書いてきました。
平和主義という言葉を使っていますが、中身は真逆で日米の同盟関係も日本が参戦する方向に向かいましたが、この日米同盟を基に戦争を含めた力による「安定」に平和を求めています。
期待朝鮮との拉致問題解決を話し合いに持ち込むことはせずに、アメリカの軍事行動に依拠しています。そこに同盟国として日本も何かしらの軍事行動を起こして拉致問題を解決する手段を模索しているでしょう。
日米同盟強化の中で領土問題などで対立する中国や最近の韓国も視野に入れて力の政策を行っていくでしょう。
アジア諸国への加害を認めないということは、内政的には多くの市民が戦争の犠牲になりましたが、無謀な戦争そして軍国主義体制であった国の国民に対する責任も放棄されていきます。ですから原爆の犠牲者にも沖縄にも冷たい態度を取り続けてきましたし今後も国民が国に奉仕する国家観が前面に出てくるでしょう。
戦争という最も悲惨な経験を正しく総括しない国はまた必ず同じ親街を行います。

【2021年】ツイッターつぶやき
今も記憶に残っているのですが、武漢だったかどこかの都市でコロナ感染が急拡大をした時、医療の逼迫があったためか急遽臨時の病棟を作りました。それも1週間とか10日で作り上げていました。
現在日本でも毎日のように2万人の新規感染者が出ており重症者も増加し自宅療養が出ています。自宅療養で亡くなる方も出ています。
このような時(とは言っても遅すぎるのですが)に臨時病棟を作り自宅療養ではなく医療従事者がいるところに入院をさせるべきです。これにより家庭内感染も防げますし隔離をするという面でも有効でしょう。
また医療の逼迫を考えた場合、医療従事者が自宅療養者の家庭まで出かける実態とそれが行えなくなる実態から考えて臨時病棟のようなところがあれば医療従事者の省力化と負担の軽減につながるでしょう。
すでに福井県では臨時病棟が作られはじめていますし、感染拡大が激しい沖縄でも作っているようです。
たしかにきちんとした病室ではもちろんないのですが、医療従事者の目が届く中での療養対面では医療的処置ができるでしょう。
東京の自宅療養者は2万1千人を超えました。
すべての人を臨時病棟へとは仮定の状況もありますから強制はできませんが、中等症など病状が急変する可能性のある方を入れることができるでしょう。去年から築地市場跡地を臨時病棟にという意見を僕も持っていましたし、オリンピックを中止をして選手村を活用すべきという意見もありました。
東京でも今できることは必ずあるはずです。急ぐべきです。
救える命も救えません。
コロナの感染拡大を災害急だと涼しいで都知事はいますが、災害ではなくて人災の面が強くなっています。

【2022年】ツイッターつぶやき
終戦記念日。
原爆の投下、大空襲、沖縄戦、満州からの引き上げなどなど、多くの市民が犠牲になった。もちろん赤紙による徴兵でも。
これは戦争の犠牲という側面を持っている。
同時に日本国民が犠牲になったという意味での犠牲と同時に、多くのアジアの市民を犠牲にした加害行為という面も忘れてはならないでしょう。
全国戦没者追悼式で岸田総理が
「歴史の教訓」については、「戦後、我が国は一貫して平和国家としてその歩みを進めてきた」と述べたうえで触れた。
と述べた。(毎日新聞)
安倍元総理時代から戦争加害という面がぼやかせられている中で、歴史の教訓を語った面では評価はされる。
しかしその教訓から総理は今後日本の平和をどのように進めるかが問われる。
それは
「積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせながら、世界が直面するさまざまな課題の解決に全力で取り組む」との方針を強調 (同上毎日新聞)
した。
この積極的平和主義とはアベノミクスの大きな柱で、アメリカとの安保条約をアメリカとの軍事同盟化することにある。
アメリカが日本を守る(これも怪しく、アメリカの軍事戦略の中の駐留米軍)だけではなくて同盟化とはアメリカを日本が守ることを約束された。北朝鮮の核がアメリカに向けられればそれを日本が撃ち落とすといったようなものも含まれるようで、仮想敵国への攻撃を含むものです。ですから敵基地への先制攻撃も行われるようにしたいのです。
これはアメリカの銀二戦略に日本が積極的に参加する中でその戦争を介して相手国を押さえつけることで平和な日本となるという空想的な平和主義なのです。
これは、75年間守り続けた平和主義とは真逆なものです。
結局は、また相手国の市民を殺すことになるでしょう。
ロシアとウクライナの戦闘というものが大きくかかわっていますが、これを利用しながら積極的平和主義を進めていくでしょう。
しかし忘れてはいけないことは、先の大戦は反ファシズムの戦争と位置付けられている点です。ロシアや中国は反ファシズムを大きく取り上げている。アメリカはウクライナへ軍事援助をしていますが、いざ世界戦ともなれば反ファシズムを捨てることはできないでしょう。いつウクライナから手を引くかわからない。
また日本が昔帰りをすればいつアメリカが敵国となるかわかりません。
積極的平和主義にはこうした問題が含まれているのです。
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