夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「8月14日という日」

2024年08月14日 21時33分49秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
一応夏休みということで、長野県の八ヶ岳から蓼科に行ってきました。
八ヶ岳のロープウェイを登ると気温がたぶん10度台だったと思います。山頂の喫茶室に「暖房入れました」と。。。。。。
東京に帰って部屋に入ったら、蒸し風呂状態。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
毎年のような寝苦しさがないので楽です。
昨夜寝るときに窓を開けていたら寒いぐらいでした。いつもの年ですと、夜中も街灯の光の中蝉がうるさいように鳴くのですが、昨夜は全然鳴いていませんでした。異常気象ですね。
ニュースではあまり報道されませんが、米はどうなっているのかと心配になります。
脱衣所の天井に黒カビが発生。。。。
からっと晴れているときにカビ取り材でと思っているのですが、夏とはいえ天候が変で困ります。

【2004年】
茨城県にドライブ&温泉に行ってきました。
水道水温泉が何かと話題になっていますが、今日の温泉は?
うう。。。ん?ハハハ・・・・
7年ほど昔に行ったときは、もう少し肌を刺すようなお湯だったと記憶いていたのですが。。。。冬に行ったせいかな?
みどりの山々を眺めながらの露天風呂は最高でした。
帰りにある陶器で有名な町に行ったのですが、150メートルほどの長さの通りに陶器やさんが並び、そこで陶器で作った蝋燭立てに蝋燭を立ててたくさんならべてありました。もう7時でしたから夕闇に浮かぶ光がきれいでしたよ。
小川洋子さんの「白紙が愛した・・・・」が、本屋さんが選んだベスト本とか言う賞を取ったようですね。テレビで受賞の様子が放映されていました。
おめでとうございます。

【2005年】
晴れてはいたけど、空には黒い雲もありました。
明日からあさってにかけては雷雨も来そうです。
家族で足利市に行ってきました。
教科書にも乗っている足利学校で有名な町です。近いうちに「ぶらり旅」に書きますね。高速は少し渋滞していました。
帰省とユーターンで上下線とも渋滞でした。

足利氏や足利学校で有名な栃木県足利市です。
足利市は、渡良瀬川をはさみ、南は大きなデパートなど盛る繁華街になっており、北側は、今回訪れた足利学校や足利氏の氏寺鑁阿寺(ばんなじ)などがある旧市外とに分かれます。
旧宿場町が衰退した理由に、明治以降鉄道が開通していく過程で駅が宿場から離れた場所にでき、必然的に近代化は駅を中心に発展したためとテレビ番組で観た覚えがあるのですが、やはり足利市も同じなのかもしれません。しかしそのために建物はともかくとして旧宿場町の面影が町並みとして残されたのだと思います。
足利学校も新学校制度の中では以降になったようですが、世界的にもその名が残る学校を残そうとして現在に至っているようですが、それも古い町並みが残る場所であったからこそなのでしょう。
細い道が碁盤の目のように走り、平屋建ての民家も多く、また、織物の町であったらしく和風の残る洋服などが売られています。
もちろん鉄道の開通により町の中心地が移り、没落した商家や武家屋敷もあったのでしょうが。。。。その中でも町は町として人々の暮らしがそこにはあったのでしょう。
<足利学校>
門の一部は江戸時代や明治の頃のものが残りますが、学校自体の建物は最近再建されたものだそうです。それでも忠実に再建されたらしくかやぶき屋根がきれいでした。
思ったより狭いところなのですが、その時代時代の秀才が集まって勉学に励んだと思うと重みがあります。教科書?本は、一時古本として売られそうになったようですが、貴重な写本などは残っているそうです。
訪れたからには勉強を!?
机の上には漢字テスト用紙。。。。(笑)
80点でしたぁ。。。。。
学生は自学自習だったようで、世に出るかでないかはその学生の心がけ次第だったのでしょう。校長先生は日本全国から選ばれていたようです。

静けさや 漢字テストに 油蝉(脂汗とも読め・・・ハハハ) 


<鑁阿寺>
もともとは足利氏の館があったところらしく、寺域は武家屋敷の面影が残るそうです。
その後寺となったそうです。足利尊氏もここを本拠地としたのでしょうか?
鑁阿寺と足利学校は隣り合っていますが、その周りに堀が残されています。この雰囲気から街中にあるお寺であってもどこかしっとりとした落ち着きを感じるお寺でした。

汗拭くや 杉の木蔭に 多宝塔

【2006年】
お盆休みの幕開けですなぁ。。。高速道路の渋滞ニュースが出ていました。
晴れてはいますが、東のほうの空には入道雲が出ています。天気は不安定そう。。。夕立に洗濯物をぬらされないようにしないと。
文藝春秋9月号を買って来ました。
他の記事にも興味がありますが、この雑誌に、芥川賞受賞作伊藤たかみ著「八月の路上のに捨てる」が全文載せられているから買いました。
ちらっと訊いたのですが、伊藤さんは角田さんのご主人?電車の吊り広告には、フリーターの純愛小説とかいう言葉が。。。角田さんもフリーターシリーズがありますし、男の側からの視点が楽しみです。
たぶんすぐに本として出版されると思う(もう出版されている?)のですが、ちょっと本代を節約(笑)感動する作品だったら本も買ってみようかと思いますが。。。。
蝉が盛んに鳴いています。
昨日、風の通る畳の上でごろんとして蝉の声を聞いていたらまた眠くなってしまった。「やかましい昼寝の夢に蝉の声」というような漱石の句があったような。。。。
去年だったか、やはり昼寝をしていたら、どうもいつもより蝉の声がやかましいので目を覚ましたことがありました。そしたら、頭のすぐ上の網戸にアブラ蝉が1匹。。。。一生懸命に鳴いてた。。。。ううう
夜の街灯の光で蝉も夜中に鳴いてますが、もうすぐ蝉の声から虫の声に変わっていくのですねぇ。。。日も短くなりつつあるし、なんとなく夏の終わりは淋しいです。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
半日パソコンに向かい合っていました。
といってもブログの更新ではありません。9月に温泉にでもと思い宿やら観光地やらを調べていました。9月はすいているし宿も安いしいいですなぁ。
昔から旅行好きで、独身の頃は1年に30日ぐらいは出かけていました。休暇は風邪の時以外はすべて旅行でした。
今はこうしてパソコンに向かえば本屋においてあるガイドブックぐらいの情報はすぐに手に入れることができるので便利ですね。調べる時間は大変ですが。。。。
若い頃はもちろんインターネットというものはありませんでしたからガイドブックと時刻表のお世話になっていました。
昔からガイドブックはいろいろな出版社からさまざまな形で出されていましたが、僕が一番お世話になったガイドブックが「交通公社 新日本ガイド」でした。
手元にあるのは昭和49年発行の初版のものです。
昭和49年ですから、1974年ですかね?36年も昔の。。。。(笑)
今ネットで調べたら古本市場では全巻(21冊)そろっていれば発売当時の値段の倍で売れるようです。ほかのガイドブックはどうなのかはわかりませんが、たかがといっては失礼ですが、ガイドブックがこうして今でも市場に出回っているということにびっくりしまう。でも、このガイドブックが今でも買う人がいるということについてはわかるのです。このガイドブックはガイドブックの歴史に残る傑作ではないかと思います。
当時としてはかなり詳しく小さな観光地まで出ていましたし、特に京都や奈良はこの1冊があれば小さなお寺まで乗っていたので重宝しました。
ガイドブックも35年の間に進化した面もあります。それはおいしい店とかおしゃれな店といった情報が多くなったこと。「新日本ガイド」にはこのような情報がほとんどありませんでしたから。。。。こういっては語弊があるかと思いますが、「新日本ガイド」は旅自体が好きな大人のガイドブックといった感じがします。でも、今は僕もお店の情報などは助かっていますが。一面、やはりどこを回ろうか・・・という情報は少ないと思います。
どちらにしても懐かしいガイドブックです。

【2011年】ツイッターつぶやき
一人の人間は社会と常に向かい合って生きている。どんなに自由と感じていても社会と向き合わなければならない。
この一人の人間に主体はある。この人間に対する社会は客観的なものである。だから社会と向かい合うというのはこの主体が客観的なものと向き合うということになる。しかし人の社会は様々な人々の総体として出来上っているわけで、。人は社会を客観的なものとして個を主体と見るが、実は多くの個の主体と向かい合っているということです。社会というのは人と人との関係ということになります。
社会を人と人との関係としてみればあんがい社会は単純に動くように見えますが、昔から個の主体と客観的な社会や国家というの対立が言われます。社会や国家が単なる人の集まりではない作用をもって一人歩きをしていくからこそ個の主体はその一人歩きをする社会という客観性と対立をする。この中で個の主体は人との対立ではなくて社会というものと対立をするようになります。社会や国家は経済システムやそれに見合った法律など様々な仕組の中に動きます。個の主体は法や経済環境などの中に向かい合いながら存在する。ですから客観性を帯びた社会に対立をする。
社会や国家は人が作りだしたものですし、一人歩きをする社会や国家も日常の人の行動により進んでいく。社会や国家は人の主体にとっては客観的に存在すると同時に社会や国家は人の主体によって規定をされ動く。ここに一つの社会や国家の矛盾があります。この矛盾は一度システム的に出来上がった経済を土台とした法などのあらゆる上部構造が逆に人の行動を規定するようになるということです。人が人により作りだしたものに支配をされていく。ですから極悪人がどうのというのではなくて一度誤った方向に一人歩きをした社会や国家を人が制御できなくなるのです。ここに個の主体と客観性としての社会や国家の対立が見えるようになります。
社会や国家の構造が出来上がる中での社会や国家の一人歩きが人の行動を規定しはじめると、社会や国家内の利益の配分が偏ってきます。これがさらに人を社会や国家にひれ伏す作用として働きます。そしてそれが人の主体的な行動となってしまいます。このようにしてある種の階級制や階層が出来上がってしまう。自由や民主主義がやはり理念だけであることを知る。しかし自由や民主主義は目に見えたものとして発展段階の中にみることもできる。より個の主体と社会や国家の客観性との対立は社会や国が変わることにより薄められていくことを社会の歴史は実証している。
この視点をより一層確認し合わなければならないでしょう。今、客観的な情勢が原発事故も含めて経済の混迷をあらわにしています。これまで客観的に存在して社会や国家は新たな自由や民主主義の構築を要求しています。そうしないと発展ができなくなっています。矛盾を解決することです。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞社説に「争点がはっきりしてきた」と題されたアメリカの大統領選挙について書かれている。
大きな政府か小さな政府か、富裕層への増税か減税か。。。。など、その争点は今後のアメリカの経済や政治の方向性を決める選挙という意味で二大政党制の中での争点が国民の目にもはっきりとして選挙の意義も考えさせられる。
一方日本では、昨日も書いたが国民の声を無視した民主党の変質から二大政党間の争点はなくなり、国民は消費増税というものが決められた中での選挙を迫られている。ここには国民の信を問うものは何もない。日本の方向性は弱者切り捨てに決められたも同然の中の選挙となる。
二大政党制とは何か?もちろん保守層での二大政党制であるというのはアメリカも日本も同じだろう。しかしその保守層にもハト派とタカ派がおり、経済的方針は違いがある。この政策での国民に見えるものを争点と寿司、それを国民に選ばせるという民主主義の違いがアメリカと日本の違いだろう。
もちろんアメリカの議会を賛美するわけではない。
やはり保守の中の二大政党制であるわけで、経済はもちろん軍事面での世界戦略に大きな違いがあるわけでもないし、経済的基盤を失いつつ弱体化する中での政策の違いである。
しかし自由と民主主義という理念は捨てないしそれを国民は誇りに思っている。国益のためというものもあるが、常に自由と民主主義から修正する能力を議会や国民性は持っている。この点でも日本とは違いがあるだろう。日本は国益も言うが中身は政局で動く。国益は精神論を含めた国民統合が基礎となり、それが現在の民自公の独裁的な決める政治として現れる。口先だけでもいい、自由と民主主義を言う議員がいるか、国民がそれに誇りを持つというか。

【2013年】ツイッターつぶやき
まず、ツイッターから
量的緩和による金融政策と言えば聞こえはいいが、金貨ならば金の含有量を減らした悪貨の流通なわけで、たとえ円安で企業や銀行が儲けても金貨の枚数は増えるがその中に含まれる金そのものは減ることも。今は紙幣ですから金に代わり信用ですが、紙幣を多く儲けてもその中に含まれる信用は減ることも。
アベノミクスに厳しい指摘 #BLOGOS http://blogos.com/outline/68144/  中期的に見れば日本は経済を維持できない。。。。アベノミクスの矛盾をしっかり見ればこういった懸念は当然でしょう。
経済システム上のファシズム。。。。。
権力を持つ人々が自分の利益を多くしたいとき、それを支援する政府が貨幣量を多くしてその大部分をその権力を持つ人々に配る経済システムを作り上げる。
ここから悪性の物価上昇(本来の意味でのインフレではない)が生じますから、悪貨を受け取れない勤労国民の生活は低下をする。この低下をする生活水準を社会的システムとして納得させるのが国の統治の問題となる。
しかし悪貨(金の含有量を減らして量的に膨らんだ金貨)による儲けはむなしいものである。現実は儲けなどはないのでありそれは擬制経済を作り上げていく。それは実体経済の状態を擬制経済のメガネで見ることでしかない。
明治のころ、日本の小判の金の含有量はだいぶ高かったと聞いたことがありますが、外国からは悪貨が入ってきて日本はだいぶ損をする。同じように途上国は日本の悪貨に損をするか相対的に高くなる自国貨幣価値の高まりに競争力が低下をする。日本国民への矛盾だけではすまないのでしょう。

「中期的に見れば日本は経済を維持できない。。。。」
というのは、こういったところにあります。
ですから上のツイッターの記事にあるリンクページにかかれるものはたしかに「中期的に見れば日本は経済を維持できない。。。。」ところに日本を導くことを加速化させるものでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
こちらの東京新聞の記事の表を見ると、14年4-6期の名目GDPと実質GDPの落ち込みの差に特徴がある。
名目GDPはほぼゼロだが、実質GDPが-6.8となっている。
これは何を現しているのだろうか?
何に注目をすべきか?実質GDPの落ち込みと動にGDPデフレーター変化でしょう。分母である実質GDPが大きく落ち込み、分子である名目GDPがほぼゼロということは、消費増税後にGDPデフレーターが大きく変化したということである。こちらのBLOGOSの記事の表を見るとGDPデフレーターがこれまでのマイナスからプラス2.0に跳ね上がっている。
消費者物価指数はGDPデフレーターと乖離してその差は1%ほどといわれる。生活実感からすればこの1%はGDPデフレータ値の2.0にプラスされるとみたほうがよいでしょう。その上実質賃金は下がり続けているのですから、その意味での相対的な物価高を見ればそれ以上の値となるかもしれない。
すでにインフレ状態が現れておりバブルに近い状態なのかもしれない。
しかしこのインフレ状態というのは本来の経済成長の中でのインフレとは真逆のものである。
経済が成長して5%のインフレが起きた時の5%と、GDPがマイナスまで落ち込みさらに実質GDPが名目GDPよりも激しく落ち込んだ場合の5%の疑似インフレとは質的には全く違うものだろう。後者は、マイナス成長であるにもかかわらずに物価が上昇しているというインフレであり、マイナス成長は景気の後退ですからインフレと同時に景気後退(デフレ圧力)が同時に起きているという面からスタグフレーションではないか?
消費増税がスタグフレーションを起こした。。。。。
そのうえ、日銀が国債を買い入れなくてはならない状態とそこからの通貨安も起こり、景気の落ち込みが出ても更なる緩和もできないし出口も見えない状態という通貨を発行するコントロールを失いつつある。(ウィキーペディア)
マイナス成長下のスタグフレーションは大きく経済を落ち込ませるのではないか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「お盆休みはどう過ごしますか?」
昨日、「お盆」というものを書いたように、実家に行ってお墓に親父を迎えに行き仏壇にお供え物をしておはぎを食って帰ってきました。
あとは近場にでもドライブに行っておいしいものでも食べてこようかと思います。
しかし・・・・
渋滞がひどいですね。
実家に行くにも昨日はいつもの3倍近くかかってしまいました。ドライブも渋滞でのろのろでしょうか・・・・
そういえば、実家に行く途中に美味しそうなうどん屋さんあるのですが、いつもは昼飯を食うには早い時間に通り越してしまうのでいつかは行こうかといいながら行きそびれていました。昨日は渋滞のおかげ?で、ちょうど昼飯時。讃岐うどんですした。太めの腰のあるうどんで美味しかったです。

【2018年】ツイッターつぶやき
「金利は金持ちを富ませ、貧しい者をもっと貧しくする搾取の手段。私が生きている限り、金利のわなには陥らない。」トルコエルドアン大統領(朝日新聞8月14日朝刊4面「リラ急落世界の市場動揺」より引用
非常に的を射た痛烈な経済学批判です。昨日トルコリラの下落により日本でも400円ほどの株安となりました。
昨年アメリカで1%99%という言葉で反格差を呼びかけるデモが広がりました。それはヨーロッパにも広がり、格差拡大は日本でも問題とされました。
格差の広がりは、まさに富める者が富、貧しいものはさらに貧しくというものです。
これは日本だけではなくてヨーロッパやもちろんアメリカにも生じている問題です。昨日の株安も円買いによる円高が原因のようですしたが、為替や金利という経済法則が人的操作によって変化をしてしまう経済になってしまいました。
格差の拡大は為替や金利だけではなく、企業利益の最大化にもあります。
同じく朝日新聞4面に「”生産性がない”利益偏重?本当の意味は」という記事がありました。
「利益は付加価値のひとつ項目に過ぎない。日本の経営者がやっているのは、利益以外の項目をひたすら下げることだけ。人口が減る日本ではお金が回らず、たちまちデフレになる。経営者に求められるのは付加価値の全体を増やすことです。」(引用)
お金が回らないのは人口問題だけではなくて、「利益以外の項目をひたすら下げること」これ自体から発生をするのですが、大体において今の日本経済をうまく批判していると思います。
アベノミクス批判はアベノミクスの限界論にまで気はじめました。日銀もごまかしながら修正を行うようになりました。アメリカは保護主義に。。。。。
世界の経済は大きな曲がり角に来ていて、批判的に見ることによりエルドアン大統領のようなアメリカ批判が大きくなっていくでしょう。
以上のことはこのブログでも同じような中身で書いてきましたが、もう少し打ゴミを見てみたいと思います。
経済学批判が起きようとしています。

【2019年】ツイッターつぶやき
アメリカの国益に反するものは力によって潰される。その武器の一つが経済である。もちろん基本的には武力となる。この中で日本はアメリカに追随する中でアメリカの国益に寄生するように同盟関係を結びその中で日本自身もアメリカの国益と日本の国益を一体のものとして追及をして力によって相手国をつぶすような行動をとりはじめている。ここに日本の強権政治は正当化される。もちろん将来的には戦前日本の正当化に向かいアメリカとの国益と衝突する時期が来るでしょうが。
日本は表面上ではアメリカの保護主義を批判的な言葉を用いらざるを得なかったが、今では自由経済を否定し始めている。
日本の政治的立場からの韓国に対するホワイト国の解除という形で自由経済から一歩保護主義に移った。最悪なのは政治的なぶつかりで経済を利用してしまったことにある。
しかしチャイナ―ネットによると、
「日韓の半導体をめぐる貿易摩擦を受け、韓国の半導体メーカーが中国で代替サプライヤーを探し始めている。日本の原材料サプライヤーも中国で工場を設立し、韓国メーカーの需要を満たそうとしている。」(引用)
日本からの輸出は政治的な足かせがはめられるので、日本企業は中国に進出して中国市場と同時に韓国市場にも輸出を強めるということでしょう。経済は競争が原動力ですから、一つの企業が中国に工場を移転して韓国に売り込めば、他の日本企業もそうせざるを得ないでしょう。
この例一つ見ても、日本の強権的な政治は経済活動を政治の力によって動かそうとしていますが、現実は経済は自由を求めて日本の強権政治から離れていく。
強権政治が経済を自由に動かせるという錯覚は崩れ去るでしょう。
国内経済も矛盾を深めていますが、これもまた強権政治の結果であると見て間違いないでしょう。
政治が経済を動かせる。たしかに一時的には経済に力を及ぼしますが、基本は経済が社会と政治を動かしていくのです。
強権的な政治による間違った経済政策は、経済自体がこれを拒否して逆に経済が政治を動かすでしょう。
日本の政治は今こういう瀬戸際にある。
しかしそれをまた強権によって動かそうとするのが改憲です。

【2020年】ツイッターつぶやき
安倍総理が長い、なが~い夏休みをおくっていますが、帰省も別荘にも好きなゴルフにも行けず小池都知事に対して怒っているというニュースがありましたが、安倍総理も東京都から出ることを憚ったようです。尊なかなか小池都知事が会見して8日から10日の三連休に都外に出かけた都民が2%だったとして都民に協力の例をしました。2%と言っても人口が1400万人として28万人は出かけたことになります。東京都の10万人当たりの感染者数は直近で約15人弱ですから、45人程度は出かけたことになります。でも、出かけるのは若い人が中心でしょうから出かけた感染者は100人程度いたとしてもいいのかもしれません。また若い人だけではなくて政府の経済活動を積極的に支えるとして出かけた方もいるでしょうね。
3連休の数字ですが、10日から16日のお盆休みはどうでしょうか?
やはり数%ぐらいかもしれませんが、東京だけではなくて大都市圏の実態を含めてお盆休み明けの1週間から2週間の全国の感染者数が気になります。
もちろんお盆休みは会社が休みにもなりますからこの面で通勤電車や飲み会などを通じた人の接触は少なくなるでしょう。いろいろな面で総合的にどんな数値になるか。。。。。
しかし政府の緊急事態宣言の早すぎる解除の街がいや3連休中のGp Toという経済政策は誤りだったことに間違いはないでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
オリンピックが終わりお盆休みに入っています。
首都圏の感染者数がものすごい勢いです。
全国的にも緊急事態宣言やマンボウが適用されているところが多くなっています。その他の県も感染が大きいですね。
オリンピックのお祭りとそのオリンピックの心理的影響が国民を飲み込んで不要不急の外出の自粛というものも消えていました。オリンピックが終わりやっと不要不急の外出自粛とか帰省の自粛が言われるようになりましたが、その結果が首都圏をはじめ全国的にも焼け野原状態です。
医療崩壊は進み自宅療養者が多くなりました。デルタ株は若い人たちに感染を広げ、10歳以下の子供たちにも感染が広がっています。重症者が急上昇しています。
焼野原です。
関東では第三波の波が小さく見えるような感染の拡大です。第五波がどのくらいの勢いかはまだ天井が見えません。

【2022年】ツイッターつぶやき
全国的にも東京でもそろそろピークアウトとでしょうか。
しかしお盆休みで県をまたいだ人の移動が多かったならば地方の感染者数はしばらくは高い数維持で続くかもしれません。
国が放置コロナ政策でも新規感染者数などのデーターの公表が国民に自粛意識を持たせますからピークアウトも起こります。もちろんピークアウトすることはコロナウイルスの特性かもしれません。これはインフルエンザの季節性でのピークアウトとは違う性質なのでしょうか?
ピークアウト後に新規感染者数は減少傾向を示すでしょう。しかし第六波から第七波に至る下げ止まりでは、東京では2000人程度の高い数字での下げ止まりでした。
今回の下げ止まりはさらに高い数字になるかもしれません。
そこで下げ止まりになった時こそ検査を多く行うことが必要ではないでしょうか。
下げ止まり状態で新規感染者数が少ないのですから陽性者を多く見つけても医療崩壊の心配は薄らぎますし、中等症でも入院が可能でしょう。
この方法でしか下げ止まり状態をさらに下げていくことが可能になりますし、新たな変異株や第八波の準備にもつながります。
しかし政府はこの真逆なことをしていくでしょうね。
検査も自己負担で自己責任となるでしょう。自宅待機も自己責任。

【2023年】ツイッターつぶやき
台風7号は紀伊半島のほうへ行きましたが、高い山が切れる琵琶湖の上を通過しそうですね。
近畿、四国、東海の皆さん、お気をつけ下さい。
東京の僕も一応ベランダの飛ばされやすい物を片付たり、4日分の買い物をしました。
線状降水帯になるという情報もありますから買い物だけはしておこうと。。。。
ハリケーンから台風に返信した8号ははるか沖を通りそうですね。
災害が出ては困りますが、東京の干ばつもここ数日の雨や台風の影響で一安心です。
公園の葉が枯れてしまった気にも新しい目が出てきました。

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