夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「7月24日という日」

2024年07月24日 08時10分40秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2004年】
ウウウ。。。蒸し暑い
ミ~ン ミン ミン ミン ミ~~ン
ガシャ ガシャ。。。。。
セミの鳴き声がすごいです。
東京は街灯が多いので、これから夜中も鳴きます。。。。ハハハ
床屋に行って来ました。あまりにも暑いので少し短め。。。。。さっぱりしました。
新聞に塩会社のお詫び文が載っていました。なんか輸入の塩だったようです。たしかに日本近海の海水は汚染がひどいという先入観があるのですが、塩までが輸入塩というのはやはりショックです。しかしショックの反面、輸入の塩のほうが安心かな?とも。。。。

*昨日の日記でお名前を間違えました曽我さんご一家ですね。
訂正しお詫びいたします。

【2005年】
角田さんの「この本が、世界に存在することに」を読み終わっているが、本というのは不思議な存在だと常々思っていた。だから角田さんのこの作品は、その作品的な評価がどうであれ、僕にとってはすとんと落ちる作品だった。
本への思い入れがある人たちには読んでもらいたい本だと思う。
近いうちに感想を入れます。
涼しい日が続いてます。
午後から少し日が出たので気温も少し上がったのか夜になり蒸し暑くなってきました。風がないせいかな?
去年の今頃の日記を読み返したら、もうだいぶ蝉が鳴いていたようだ。
そういえば午前中に1匹だけ蝉の声を聞いた。
妻がはじめに気付いたのだが、二人で、「昨日の自身にびっくりして出てきたのかなぁ。。。」と笑ってしまった。たった1匹の蝉。。。。寂しそうでした。暖かくなりたくさん出てきて欲しい。。。でも、街灯の明るさで夜中中鳴かれるのもうるさいけど。。。。ハハハ

【2006年】
「夜の公園」
       中央公論新社
       川上 弘美  著
臓器の動きは、人が意識しなくても生命を維持するために働く。
同じように心の動きは、その人が意識するしないに関わらず働く。脳味噌の働きだと言ってしまえばそれまでだが、思わぬ心の動きに人は翻弄されながら生きている。
「この心をどうしよう。。。」と、戸惑うときが多々あるのではないか。
心が自由に働くとき、理性というやはり心の働きがその自由を抑制する。理性とは、社会的なものである。その時々の社会によってその中の「常識」というものに理性は動く。心はさまよい漂流する。人はその心をどこかにとどめなければならない。このとどめようとするものが理性であったり意思であったりする。時には諦めであったり我慢であったりもするだろう。
この心の動きの自由さと、理性や意思、諦めや我慢というものが激しく同じ心の中でぶつかり合う。
「夜の公園」は、恋愛小説のようであるが、その表面上の愛や恋というものを通り越したところの自由な心の動きと理性などとが激しくぶつかり合う葛藤する心を表現したものだろう。
川上さんの作品は、変化してきたという見方ができる。
たしかに初期の作品のような不思議な世界にさまようことがなくなり、生きている現実の中に足を踏み込んできている。しかし、その表現の舞台が変わってきただけで、不思議などうすることもできない心を表現するという基本的な流れは変わってはいないのではないか?やはり、自由な心の動きと常識という理性とか言うものとのぶつかりにそして自由な心の動きに主題はある。
「夜の公園」は、このような読み方をしたときに、その奥深さを感じ取れるのではないか。その意味で秀作なのである。単なる恋愛小説と読むなら、そこにはありふれたストーリー展開に退屈さを見ることになるだろう。
「夜の公園」を読み思い出すのが「いとしい」である。
この「いとしい」の感想には次のように書いた。
『「とりとめのない」という言葉は、まとまらないというような意味であるらしいが、つかみどころがないとか自然のままに流れるというような意味にもこの作品からの印象として受ける。
登場人物のそれぞれの恋や愛は、通常の小説のように心ときめいたような劇的な恋や愛ではない。やはりとりとめのないままに引き合う恋や愛である。恋する気持ちや愛する気持ちにはつかみどころがなく、自然な肉体関係がある。常識的な恋や愛とは違うものがそこには描かれる。だからとりとめもないのである。
この作品の題は「いとしい」であるが、登場人物それぞれの恋や愛は、単純に恋や愛とは呼べずに、このいとしいではないのか?男女間のいとしさという心の動きがとりとめがないのである。だからこの作品は、大人の恋や愛を表現したものではなく、とりとめのないいとしさを表現したものと思われる。ここではなぜ恋をしたかなぜ愛したかは問題とならない。いとしさから引き合う心の動きが自然なままに表される。いとしさという心の動きは、心そのものであるからつかみどころがないのである。』
「夜の公園」もとりとめのない物語である。リリは空を行く雲のようにその心はさまよい。春名は、海を漂うかのように心は漂流する。リリは結婚をしているが春名は独身という違いはあるにしろ、心の中には、愛とも恋ともいえないものが漂う。
リリは、夫である幸夫が夜遅く帰り、鞄とドスンと置く音を聞いて夫を好きではないと思う。「おかえり」の声を使い分けていたのに夫が気づかないことに好きでないと思う。春名は幸夫が好きだが、肉体関係以上には踏み込まない。
リリは年下の暁を好きのようにもなる。春名は暁の兄弟悟や他の男もを好きのようにもなる。
リリも春名もさまよい漂いながらその心のままに動く。このリリや春名の心の動きのとりとめのなさ。。。。ここに読者は戸惑うのではないか。そしてこの作品の難しさもここにあるのではないか。それはリリの夫の幸夫や暁、悟るという男たちにも言えることであり、リリや春名のとりとめのない心の動きに戸惑わされる。
しかし、一番戸惑っているのは、リリや春名である。自分自身の心がさまよい漂うことに対して戸惑う。夫や男たちへの気持ちが何なのか。愛でも恋でも「好き」でもない。リリはふんわりふんわりと暁と付き合う。春名は一日にふんわりふんわりと二人の男と関係を持つ。なぜなんだろ?口からは好きという言葉は出てくるけど。二人の心を二人はそれぞれに理解をできないのである。
さまよい漂う心をどうすることもできない二人。
二人の男との肉体関係は、心の働きとしての愛からではない。さまよい漂う心のが自分がここにいるというような一つの確認ほどのものではないか。だからリリにとっての暁は心の中にあっては不倫相手ではないし、春名の多くの男関係は肉体的なセックス依存症でもない。どことなくからだから心が遊離して心が漂う中に、この心を体につなぎとめておきたいというようなそんなものを感じる。
だから肉体だけが快楽を求めているのではなく、男への心の働きはある。
では、この男への心の動きが何なのかと言えば、先にも書いたように愛でも恋でも単純な「好き」でもないとすれば、それは「いとしい」だろう。
愛しいという心の動きは複雑である。
愛する恋するというような相手と一体化を求めるような感情ではなくて、離れたところから男を愛し恋するといったような、自分を愛する男を不憫と思う反面それがいじらしく可愛いと思うというような複雑な感情である。ある意味「情」という言葉に近いものがあるのかもしれない。
男女間には激しく求め合う愛があるが、その愛はいつしか愛を土台とした情に変わっていく。この情を表現したものの一つに「いとしい」があるのかもしれない。だからリリは、幸夫を嫌いになったわけではなくて好きではなくなったのである。春名は男を受け入れるのである。最も強く現れるのが年下の暁と悟る兄弟へのりりと春名の態度である。リリと春名二人の男との決別は、いとしさが故の別れである。
しかし、この「夜の公園」という作品は、男女間の間だけの「いとしい」を主題とするものではない。
いとしさは、何も男女間にだけあるものではないから。。。。
このいとしさが一番強く働いているのは、りりと春名という女性同士の友情にあるのではないか。
リリと春名は、お互いに一般的な親友ではない。リリにとって幸夫を奪った春名を許しはしないだろう。しかしこの憎む気持ち以上に春名への強いいとしさが見える。春名は言う。リリが大好きだと。しかしリリは嫌い!とも。。。。ここにリリと春名と言う女性同士の複雑な感情があり、その感情が互いへのいとしさなのである。
教師である春名のクラスの沙耶と「えりな」にもこの互いのいとしさが現れ、春名はリリとの関係をダブらせる。
リリの空に浮かぶ雲のようなさまよう心は春名を求め、海の波に漂うような春なの心はリリを求めるのである。しかし雲と波に浮かぶ船は一緒にはなれない。互いに離れながらもだがいに手を差し伸べるのであり、ここに女性同士の友情としての情があり、それはいとしさなのである。
ストーリーは、リリと春名二人の男関係として進むが、そこの裏には一番強いリリと春名との関係が常に漂うのである。
ラストもありふれたものが感じ取れるが、この単純さの裏に最後の最も強い情、いとしさが表れる。
それは母性という情であり、腹の中で動く子へのいとしさである。
春名も結婚をする。。。。未来への子というものがあるのでは?

【2007年】
久しぶりの快晴。
超久しぶりに布団を干しました。洗濯物もからっと乾き気持ちがよかったです。
蝉の声がしました。
娘がキンキキッズのベスト版を買いたいというので付き合いました。
それにしてもジャニーズ系はすごい人気ですなぁ。。。
どこのCD屋さんに行っても売り切れで、5件目にしてやっとゲットしました。それも残り1枚というぎりぎりで。
新譜専門のCD屋というのも少なくなりました。どこに行っても中古を同時に売っています。たしかにCDは昔のレコードと違って傷も付きにくいし中古でも音が飛ぶということもほとんどないようですから、中古であるならそれを買ったほうがお買い得ですね。このような中古のCDを売っている店には、必ず古本も置いてある。夏生さんの本をついでに探してきました。
本もこうも古本ばかりが多く出回っていては普通の本屋さんもたいへんでしょう。。。。
そういえばCDのベスト版。。。。
これがあんがい曲者ではないかな?
ベスト版だからよく聞いた曲がたくさん入っていると思い買うのですが、中にはレコードで言えばシングルの裏面(B面)の曲も入っているときがある。大体がB面というのはA面の陰に隠れた曲で、あまり印象に残っていない曲で、ベスト版でこのようなB面の曲が多く入っているとどんよりするものです。。。。
さて、娘の買ったベスト版はどうなんでしょ?
僕にはわからない曲の世界なので。。。。
夏生さんの新刊「流氷にのりました へなちょこ探検隊2」が8月7日に発売ですね♪

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
天気予報では毎日

最高気温35度を超えると

予報しの方が言っていた

この最高気温はある一定の条件だと

通っていた小学校の片隅に

百葉箱があったのを思い出した

芝生の上の白い箱。。。。

アスファルトの上を陽射しに射されていては

40度ぐらいに。。。。。

乳母車を押すお母さんは

赤ちゃんに注意をしたほうがいいらしい
           (Am8:00)

【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著 写真詩集「偶然」(幻冬社)2011年7月10日初版発行
先日本屋さんに予約をしていた「偶然」が届きました。
今回は同題のCD付!!
多くの詩集は文庫版で出ていましたが今回は自選詩集ということもあり単行本として出版されました。
自選詩集は、2003年に「丘をバラ色に染めながら」(角川書店)が詩だけの詩集として出ていますが、今回は撮り下ろしの写真に詩が添えられています。そしてこれまでに出版された幻冬社の詩集からの自選となっています。
初出の詩集は
    「葉っぱ」
    「恋が彼らを連れ去った」
    「とにかくあてもなくてもこのドアをあけよう」
    「やさしい春を想う」
です。
幻冬社からの4冊の詩集ですが、偶然でしょうか?それともこういう時期は幻冬社を選んだのでしょうか?たぶん夏生さんファンならばこれらの詩集がどのような時季に書かれたかが「つれづれノート」を参考にお分かりになるのでは?
「葉っぱ」と「恋が彼らを連れ去った」は、一人目の夫「むーちゃん」との離婚が「つれづれノート」に匂いはじめるころです。
そして「とにかくあてもなくてもこのドアをあけよう」は、お二人目の夫「イカちん」との別れのにおいが。
そして「やさしい春を想う」は。。。。。。
「作品中には多くの恋の詩があります。
その詩は、大人の恋というのか、若い頃のような愛してるというような恋ではなくて心のつながりでしょうか。男女間の愛という面ではかなわない恋だけど、お互いの思いはつながっているという恋(67ページ)それは80ページの「ダーリン」にも現れています。そこには「現実」があります。。。
夏生さんが誰とというのではなく、心のつながりを見ているのだと思います。
でも、心は愛を求めますねぇ。
122ページの「実験」
ぐっと来ます。。。。
「もう無理して笑わなくてもいいんだろう」(126ページ「やさしい春を想う」後半)
心のつながりがあれば。。。。。
でも、心のつながりには必ず出口はある。。。。」
       (僕の感想より)
新しい恋の匂いとその恋は今までのものとは違うもの。。。
2007年からの詩はどこか違ったものを感じます。別れの時期ではなくて出会いの予感。その意味においては転機でしょう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
政府原発事故調の最終報告書が出ました。
これで四つの事故調の報告が出そろいました。事故の原因をはじめそこから今後の原発の在り方が議論されねばなりません。
今回の政府事故調は、先の国会事故調に比べて甘さがありますが、原発のような危険性のあるものは自然災害の確率が低くてもきちんとした対応をとるべきだというものがあったようで、政府に「防災思想の転換」を迫っているようです。
しかしこの防災思想については、自信や津波そしてそれに関係する活断層の把握など課題は大きく金のかかるものです。原発有きからの脱却が必要です。
また、先日問題になった今後の原発依存を国民の声を聞くとして開催されている意見を聴く場で、電力会社の社員が「原発事故での放射能から直接死んだ人はいない」という発言が問題になっていましたが、現在さまざまなところからこのような意見が出ています。
原発が一つや二つ爆発しても放射能で死ぬ人間はいないといった認識が防災思想を軽くしてしまうのではないでしょうか。
飛行機事故で何百人も死ぬことを想えばだれ一人放射能で死んでしまった人はいない。これを見れば事故としての原発の爆発は軽いと。。。。。。
これは様々な事故の中身について、何人死んだかという事故の犠牲者数という「事故の量的」な部分だけを見た認識で、事故後の今もそして将来も社会の混乱と生活の場や仕事を奪われた方たちのことを軽視するもので「事故の質的」な違いを全く見ないものです。
放射能で何人死んだかではなくてその事故の質からの社会的・個人的損失を考えないと今後の「防災思想の転換」の基本が揺らいでしまうでしょう。
すでに安全性を考慮しない大飯原発の再稼働がされています。これ一つ見ても今の野田内閣は核事故調の報告も見解も見ないことでの暴挙というほかはありません。野田内閣は国民生活を考慮に入れていない内閣です。消費税も増税だけで、社会保障はかえって切り下げられます。国民の犠牲を強いる政策が様々な点で出ています。野田内閣では「防災思想の転換」はできないでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
朝日新聞の世論調査が出た。
今回の選挙は消費増税やTPPそして改憲など今後の日本がどうなるかが左右される選挙でしたし、社会保障や年金そして雇用や賃金と国民生活にも大きくかかわる選挙のはずでした。しかし選挙結果はこのような争点で投票がされずに、「ねじれ解消」や野党に魅力がないという消去法での結果でした。自民党への「期待」は強く、特に経済面での期待は大きかったでしょう。選挙前から少しづつ支持率の変化から「期待」は少なくなりつつあったが。
世論調査での消費税・原発再稼働・賃上げへの期待などの政策の争点から見れば自民党が一人勝ちするようなものではなかったはずです。自民党への期待と不安がほぼ同じですし。
やはり自民党に対抗する野党がなかったということと、ねじれの問題で自民党が勝ったということでしょう。同時に経済面での期待と改憲などへの不安が入り混じっていたがやはり変化を求めたということでしょう。
その意味において争点が争点とならなかった選挙なのでしょう。
しかし国民が争点を見ない中での選挙結果でも、争点は争点としてあったわけですから自民党はその主張を国会内で数の力により通すでしょう。
この中で何が必要か?やはり争点を今後もはっきりと見つめていくということでしょう。それにはその争点から浮かび出る国民生活の実態を明らかにしながら国に対する要求をはっきりさせるべきです。民主主義も生活や仕事の場から見つめそれを社会の動きに結び付けること。要求をはっきりさせることは単なる批判ではありませんし、積極性のある働きかけとなるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
安倍総理は経団連の夏季フォーラムで次のように語ったという(ロイター)。
「われわれは経済の好循環を生み出そうとしている。動き始めた好循環を力強く回転させるため、先日成長戦略をパワーアップした。安倍政権の改革に終わりはない」(引用)
どうもいつものように言葉先行の景気判断とも受け取れる中身です。
「動き始めた好循環」とはいっても現実は昨日も書いたように「円安誘導と消費増税をばねにした悪性の物価高の中で労働者の実質賃金は下がり、もちろん増税で苦しまされる。円安でも輸出企業の伸びも悪く、国内産業にも公共事業で金をばらまくがこれまでの労働力軽視のつけが回ってきて労働力不足。デフレからの脱却で悪性の物価高に喜ぶが、物価が上がれば日銀の量的緩和の出口論が必然となる。経済全体は消費増税からの落ち込みにあえぐ。 結局はアベノミクスは国民負担を残してそうは大きな経済の成長にはならなかったということでしょう。」状態ではないでしょうか?
また「邦銀の巨額国債保有、アベノミクスの「息切れ」要因に」(ロイター)との分析もあり、国債を見ても日銀は「年間50兆円の買い入れを続けることはできない。いったんインフレが加速すれば、日銀も売りに転じる可能性がある。」(引用)と、国際価格も長期金利もそうですが綱渡り状態でしょう。日銀が「出口」を言い出せばまた混乱が生じるでしょう。かといって量的緩和も2%の物価上昇が見えればそうは持続できない。
やはり「動き始めた好循環」といわれているものが怪しくなっているのが実態ではないか?
もちろん企業の内部留保が爆発的に増加をしている実態が出ていますし、その面では「企業の財務体質が抜群に上がっていますし、収益力も上がっている。企業は相当強くなっています。」(朝デジけいざい入門)という分析もまたあたっている面があると思います。しかしこれからの「先日成長戦略をパワーアップした。安倍政権の改革に終わりはない」具体的な政策といえば節約に泣くサラリーマンへの減税ではなくてまだ財源もはっきりしない法人減税ですし地方自治体への1兆円ばらまき(昔このばらまきである自治体は金塊を買ったという)。庶民生活は消費税10%、残業代ゼロ(労働の規制緩和)そして社会保障の将来への不安に泣くことになる。経済の好転とか企業収益は伸びているから大丈夫といった経済分析と今後の成長戦略での現実の政策は乖離してしまっているのです。ですからこのように国民生活の低下に依拠しなければならない今現在の実態と好循環維持はさらに国民生活の低下を必要とするという中に実際は好循環どころか悪循環を起こしているのではないでしょう。
アベノミクスでは企業利益が国民生活に循環することはないのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
賃金額=労働力の再生産費=生活費です。
低賃金に抑えられて生活費を切り詰めるようになれば生活費っは抑えられるのですから個人消費は正常な状態よりも激減します。
個人消費が激減すれば、商品の相対的な過剰が生じます。
個の相対的な商品過剰は絶対的な過剰ではありません。経済的窮乏化の中の過剰です。
相対的な商品過剰は本来の成長率を押さえつけます。一方において生産性の向上は商品生産量を増加させますから、ここから更なる商品過剰が生まれます。
商品過剰は生産設備の廃棄や企業の倒産などを産みます。国際的な企業の統廃合が進むでしょう。すると失業や低賃金化あるいは過度の労働が生まれます。ここからさらにこの低賃金化や失業は労働力の再生産費を押し下げて生活費を抑えますか、個人消費もさらに落ち込みます。
以上書いてきたように負の連鎖が拡大していきます。
この負の連鎖が最終的には商品市場の恐慌を引き起こします。恐慌に至らなくても日本のこれまでの経済実態のように、失われた10年やさらに20年そして30年へを進み、デフレ不況圧力は高まりを強めます。
デフレ不況は労働者の懐に入る貨幣量が足りないという意味では貨幣量の不足なのですが、社会全体で見れば貨幣量は有り余っているのです。銀行・企業や投資家の金は投資先が見つからない。貨幣が吹き溜まるのです。余剰貨幣が労働者には回らないという貨幣の回転が悪化すします。
貨幣の回転の悪化は社会の中の隅々にまで影響を及ぼすようになります。企業の設備投資も鈍くなるわけですから、国はどうにか貨幣の回転を強めようとします。それが公共投資です。税金を企業にばらまくのです。しかしいったん企業の懐に入った金は労働者には回りません。
労働者の懐には貨幣量は回転していかないわけですから、公共投資は経済のカンフル剤でしかない。するとデフレ不況は改善されない。公共事業では物足りなくなった時に、兵器の増産が生まれます。増産された兵器の消費が戦争です。戦争は国家主義的になる場合が多い。
経済という下部構造の矛盾が政治という上部構造の矛盾へ転嫁します。
社会的自由や民主主義そして生活費の我慢は国を矛盾の中に落ち込ませるのです。ぜいたくを言うのではなく社会的な平均の生活とはどのようなものか?ここを賃金や社会保障などがどうあらねばならないかを考え時期になっています。国民間のいがみ合いや差別や過剰な競争は自己疎外です。
民主的に自由にそして真摯に考えあい討議をしていきましょう。個人間だけではなくていろいろな場においてそれを行いましょう。交流をし、そして学習しあいましょう。

【2017年】ツイッターつぶやき
テレビを見ていると「日本はすごい」という番組が多くある。もちろん日本はまだ経済大国と「自負」していますし、海外に金(税金)をばらまいている。日本は優れた面を国民は持っているがそれを活かすことができない(活かすことと単に利用するでは違いがある)。そもそも労働力の再生産もおぼつかない。
経済にしても政治のトップである内閣すらいつまでたっても「道半ば」を言う経済政策の失敗をごまかしている。
日本はすごいという自己満足の裏に日本の政治経済の劣化が進んでいる。日本はすごいは国民に安心を与えるため?そうでないことは現在の内閣の支持率にも表れている。
国民が知らぬ間に日本という花が根腐れしている。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2019年】ツイッターつぶやき
「機構は国民年金の保険料未納者に訪問や電話で支払い催促する業務を外部業者に委託してきた。その業者が状況を報告するための情報を記録したDVDを送付したが、同センターに届いた後に行方不明になったとのこと」 (引用
DVDの中身は暗号化されているとはいえ、保険料未納者のデーターならば、詐欺などの犯罪に利用されやすいデーターのはずです。
消えた年金から幾度もの個人情報漏洩がありました。
今、いわゆる2000万円問題や支給額の減少と支給年齢の引き上げなど年金への不信感が強くなっていますが、さらに個人情報管理のずさんさが改善されていません。
年金機構だけではありませんが、防衛省の度重なる不祥事も。
国会も公文書が無くなったり改ざんされたり。
日本の国家機構がおかしくなっているのでしょう。
その中で首相は改憲を叫ぶ。。。。
国民は改憲を望んでいるのではなくて、政治経済そして国民生活のためにしっかりとした現憲法を生かする国家を望んでいるのです。

【2020年】ツイッターつぶやき
鹿児島県の与論島で島で唯一の総合病院でクラスターが発生したようです。
人口5000人の島でコロナ感染者用のベッドが4つしかないようです。この中でクラスターが発生するレば与論町だけでは対応ができないでしょう。しかし観光シーズンですからそこに観光客迄加わりますので島に観光で来ないよう要請をしています。
Go Toキャンペーンをいまだに中止しない政府ですが、
こういった場合は政府が動いて呼びかけることが必要でしょう。
与論島では医療がひっ迫することが考えられます。
4つしかベッドがないからなぁ。。。。と、のんきに見ていてはいけないでしょう。
人口から見ると東京は与論島の3000倍です。すると与論島の4つのベッドと対比すれば、東京は1万2000個のベッドが無ければなりません。しかし現実は3000ベッドぐらいですから与論島の実態よりもひどいと見ることができます。
もちろん与論島の感染拡大はその人口からすれば相当高い感染率となりますが、人口密度も高い東京ですから4000ぐらいのベッド数では医療崩壊が起きる可能性は大きいでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
オリンピック委員会善森会長の女性蔑視発言、演出を統括していた佐々木さんの女性タレント蔑視発言、それに続き過去の犯罪的ないじめ問題があった小山田さん、そして過去のユダヤ人大量虐殺を熱かったコントでこばやしさんが。
すべて辞任ある以下解任されましたが、この森さんやチーム佐々木のチームの人選がどのようにされたか?
当初IOCも絶賛していたMIKIKOさんの演出で進んでいたものを急に電通側から「排除」されたという。
オリンピックは暗い闇に包まれその開会式が終わった。
以上〈東京五輪開会式の闇〉「このやり方を繰り返す怖さ」「日本は終わってしまう…」 女性演出家MIKIKO氏を“排除” した「電通五輪」から。
オリンピックは一つの力の集団に支配されているのでしょうか。

【2022年】ツイッターつぶやき
ロシアとウクライナの戦争は、ウクライナを挟んでロシアとNATOとの戦争であることが見えてきた。
ウクライナへの武器供与が公然と行われる。
一方ではこの戦争により経済と食料・エネルギーの危機が進む。
これはロシアとNATOだけの問題ではなく、アメリカと中国との経済摩擦に台湾問題が付随してきている。
アメリカは中国への経済制裁で自国の経済矛盾を引き起こしている。
EUはロシア産原油を第三国に輸出することを黙認してその石油をあてにする。冬までにはロシア産天然ガスに代わるものを準備しなくてはならないがままならないようである。中国とは互恵関係を維持しなければならない。
日本は?
アメリカ追随と宗教の力を借りた改憲で頭がいっぱいである。
経済のグローバル化には賛否があるが、経済の互恵関係はすでに切り捨てることはできないのです。
戦争や軍事力による国家間対立が国の疲弊を強める。これは経験してきたことであり、現在の経済矛盾が肌序の口であることを各国は知っているはずです。
資本主義芸材もある意味戦争で、富を集中させる。この富の集中が経済を混乱させ資本主義そのもの危機となっている。
経済発展と平和は切り離せない物なのです。

【2023年】ツイッターつぶやき
中国の二国間決済で元が50%を超えたそうです。
中国の経済力と元の信用が高まっているのでしょう。
たしか、ロシアへの天然ガス開発での投資利益が元で行われたという記憶があります。
一方ロシアの経済制裁では、ロシアもルーブル決済を強めようとしています。というよりも経済制裁でこのような煮らざるを得ないのでしょう。
中東などでも二国間決済は互いの自国通貨でとなりつつあります。
もちろん全世界の決済では元の力はまだ弱いですが。
中国が力をつけてきたという面とドルがインフレによる価値低下を起こしているにもかかわらず基軸通貨となりドル高になっているという世界経済の矛盾も大きいでしょう。
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